育む者 : 039

のみこむ
「はあ!?一緒に住んでる!?あの警視どのと!?」
「こ、声が大きいですよ!」
「いや、まさか!……冗談だろう!?」
「だ、だから声が大きいですってば!それに冗談じゃなくて本当なんです!あたしとラクツくんは、本当に一緒に住んでて……っ!」
「………………」

ケーキ屋でドグロッグと共に口をあんぐりと開けたハンサムは、向かい側に座るファイツをまじまじと見つめた。コーヒーを吹き出さなくて良かった、などと考えている場合ではない。開いた口が塞がらないとはまさにこのことだ。かつてコンビを組んでいたあの警視に与えられた任務は果たしてどうなったのだろうか、件の少女との交流はちゃんと続いているのだろうか。どうしても気になったハンサムがそれとなく尋ねてみたらこれだ。「ラクツくんと一緒に住んでるんです」と爆弾発言をした娘は、それはそれはまっすぐな視線を向けている。

「……あの。警部さん?どうしたんですか?」

いつまで経っても放心していることを不思議がったのだろう。ファイツは小首を傾げてそんな言葉を口にしたが、ハンサムは依然として呆然としていた。どうしたんですかじゃない、どうしたもこうしたもない。驚愕から上手く働かない頭の中で、その言葉達だけが鳴り響く。

(曇りのない瞳だ。私をからかっているというわけではないのだろうな……)

かつてコンビを組んでいた警視と、眼前の娘が同居している。脳内で5回はそのフレーズを繰り返したハンサムは、やっとのことで実に驚くべきその事実を受け入れた。開けっ放しにしていた口やっとのことで閉じると、ファイツはあからさまに胸を撫で下ろした。どうやら放心状態だったことが彼女を必要以上に不安がらせていたらしい。

「……いやはや、何とも驚かされたよ。しかし共に住んでいるということは、もしやキミと警視どのは恋仲に……。……ああ、違うのか」

途端にぶんぶんと首を横に振ったファイツの反応で、口にした言葉が的外れであることを悟る。あまりにも勢いよく否定する彼女にすまないと謝りつつも、ハンサムは残念だという言葉を飲み込んだ。彼の恋が実ることを密かに願っている身としては、彼女がそんな反応を見せたことが本当に残念でならなかった。それでも嫌われているようには見えないのがまだ救いがあるか、と内心で独り言ちる。

「もうっ!警部さんまで何てことを言うんですか!!あたしとラクツくんはそんなんじゃなくて、ただの、ただの……っ」
「……友人、かな?」
「えっと……。実を言うと、友達ですらないと思います……。あたしもラクツくんも、お互いのことをあんまり知らないし……。……特に、あたしの方は」

伏し目がちになったファイツの唇から零れ落ちた言葉で、ハンサムはまたしても絶句した。知り合い程度という薄い関係で同年代の男と生活を共にしているなんて、はっきり言って危機感がなさ過ぎる。脳裏に蘇ったのは先程のやり取りだ。一応改めて自己紹介をしなければと警察手帳を見せたら、「本当の警察官さんだったんですね」なんて告げられたことは記憶に新しい。素性も知らない男の後をほいほい付いて来たのかと、ハンサムは頭を抱えたくなった。「これだから最近の若い子は」なんて喉から出かかった音を寸でのところで押し止めたハンサムは、はあっと深く嘆息した。今話題に挙げるべきなのはそこではない。

「ファイツ。私が口を出すことではないと分かってはいるんだが、そんな状態でよく警視どのとの同居を承諾したものだな。同性ならまだしも、彼は歴とした男だぞ」
「承諾っていうか、あたしの方からお願いしたんです。また泥棒が来るかもしれないって思うと、怖くて不安で仕方なくて……。どうしたらいいか分からないって打ち明けたら、ラクツくんがこの家に留まるって言ってくれたんです。詳しくは分からないけど、お仕事の関係らしくて。自分にも利点はあるからって……」

”ラクツくんが一緒に住んでくれるだけで、本当に心強いです”。そんな言葉で会話を締め括ったファイツの青い瞳には、やはり一点の曇りも見つからなかった。誰がどう見ても心の底からそう思っていることは明らかだ。ハンサムは、「そうか」と返して頷いた。

(……これ以上口出しするのは野暮だな)

他ならないファイツ本人がこんなにも安心しきっているのだ。それこそ単なる知り合いでしかない自分が横槍を入れることでもなかったな、と苦笑する。あの警視のことだ、どんな内容であれ拝命した以上は任務を全うするに違いない。きっと、彼ならこの子をどこぞの誰かのように傷付けたりはしないだろう。

「……しかし、どうにも視線が気になるな」
「視線って、何がですか?」
「周囲の視線だ。客は若い女性ばかりだから、私のような中年の男はどうにも目立つのだろうな。キミもじろじろと見られていたぞ」
「ええっ!?嘘!」

叫ぶが早いが、さっと立ち上がったファイツはきょろきょろと辺りを見回した。その途端に慌てて視線を逸らした周囲の客達の反応で、ハンサムは浴びせられ続けた視線が少しでもなくなればありがたいんだがと胸中で呟いた。がっくりと肩を落として座った彼女はというと、ものの見事に顔面蒼白だ。

「どうした、具合でも悪いのか!?病院に戻るか?」
「ち、違うんです。じろじろ見られてたって思ったら、何か……」
「……ああ、注目されるのは苦手なのか。巻き込んですまなかったな、その詫びにケーキをもう2つ注文しようか。キミが頼んだショートケーキは、タマゲタケが食べてしまったようだからね」
「あ!えっと……。い、いいんです!その、あたしの分は別に……っ!」
「しかし、キミは碌に食べていないだろう。遠慮しなくていいんだぞ」
「え、遠慮なんかじゃなくて……。……ダ、ダケちゃんには、散々迷惑をかけちゃったから。その埋め合わせっていうわけじゃないですけど、ダケちゃんには好きな物をたくさん食べて欲しいなって……」
「…………」

この子は嘘をついている、ハンサムはそう思った。これは警察官としての直感だ。彼女がポケモン想いであることは事実なのだろうが、その瞳には薄らとした影が垣間見えた。先程までは見られなかった影だ。それでも顔に出ているところからして、本当に素直な子であることが窺える。

(本当はケーキが苦手なのに気を遣ってくれたのか?もしくは何かの事情でケーキが食べられないのだろうか……。だとしたら、悪いことをしたものだな)

警察官としての習性なのか目まぐるしく動き出した思考を、ハンサムは半ば強引に打ち切った。この子は悪人ではないのだ。無理に真実を暴かずともいいではないか。

「分かった。キミがそこまで言うならその通りにしようか」
「ご、ごめんなさい……」
「キミが謝ることはないよ。元はと言えば私が頼んだことだからね。では、ダケちゃん。どのケーキがいいか選んでくれ。ショートケーキのお代わりでもいいし、私が頼んだチーズケーキにでもするかい?」

立てかけてあったメニュー表を差し出すと、タマゲタケ改めダケちゃんは突き付けられたそれを強引に奪い取った。ファイツが叱責するのもどこ吹く風で、それはそれは真剣な表情でメニュー表を食い入るように見つめている。

「こら!警部さんに失礼でしょう、ダケちゃん!」
「ははは、いいんだよ。好きな物を何でも頼んでくれ」
「……警部さんって……」
「どうした?」
「あ、えっと……。警部さんの口調って、ちょっとだけラクツくんに似てるなあって思って……。もしかして、警察官の人って皆さんそういう口調なんですか?」
「いやいや、それは人に寄るよ。砕けた口調の警察官もいるし……。ただ、警視どのの口調は長官に影響されたのだろうとは思う。一人称以外は本当によく似ている。口調だけでなく警察官としての所作から、報告書の文体に至るまでな。おまけに達筆具合までそっくりだ。あの警視どのに、何度字の汚さを注意されたことやら……」
「そう、なんですか……。ラクツくんって、そんなに字が綺麗なんだ……」

またしても俯いたファイツの口角は上がっていた、完全に上の空だ。多分警視に想いを馳せていて、自虐部分は碌に耳に入っていないのだろうなとハンサムは思った。

「……ふえ?……あ、何にするか決まったの?ちゃんと警部さんにお礼を言って……って、ダケちゃんっ!?」
「む?」
「い、いくら何でもそれはダメだよっ!」
「むむ……。本当に遠慮がないな」

こちらを向いたダケちゃんの小さな手は、確かにメニュー表の端から端までを指し示している。要するに、全部を買えということだ。どこか勝ち誇った顔をしているダケちゃんは、やはりファイツに叱られていることなど意にも介していない様子だ。

「ダケちゃん!ダケちゃんってばっ!」
「いや、構わない。好きなのを何でも、と言ったのは私だ。……ただ、そうだな。数が数だし、出来れば皆で食べて欲しい」
「もちろんです!ラクツくんも他のポケモンさんも、皆で一緒に食べます!……こら、拗ねないのダケちゃん!」
「ははは……。すまないね、ダケちゃん。……ああ、そうだ。ファイツ、これを警視どのに渡してくれないだろうか。1日早いが、部下からの誕生日プレゼントだと言えば受け取ってもらえると思う」
「……え?……ラクツくんって、明日が誕生日なんですか?」
「ああ、そうだよ。5月4日が警視どのの誕生日だ」
「…………っ!」

そう告げた途端、ファイツは目を見開いた。呆然とした様子で知らなかった、と呟いた彼女は泣きそうな顔で、「どうしよう」を繰り返すばかりだ。”キミからの誕生日プレゼントなら何であっても受け取ると思う”。その言葉を寸でのところでやっぱり飲み込んだハンサムは、肩を小刻みに震わせ出した女の子を必死に慰めた。