育む者 : 035

さあ、賽は投げられた
泣きじゃくる娘に抱き付かれたラクツは現在進行系で困っていた。そう、困り果てていたといっても過言ではない程に。

(いったい何がどうなっているんだ……っ)

顔全体に集まる熱が、どくどくと高鳴る鼓動の音が。そして何より彼女から漂う甘い匂いが、思考回路を急速に鈍らせる。久々の感覚に襲われたラクツは、それはもう思いきり眉間を寄せた。この1週間で一度も起こらなかったから、てっきり完治したものだとばかり思っていたのに現実はこれだ。見当違いもいいところではないか。油断したなと内心で毒を吐きつつも、なけなしの意識を総動員して思考を切り替える。とにもかくにも、今はこの状況を早く打破しなければならないのだ。

「ファイツくん、離れてくれ」
「……やだ」
「……ファイツくん」
「やだ!!」

努めて静かな口調で諭してみたが、ファイツがこちらの言い分を聞き入れることはなかった。それどころかますます強くしがみ付いて来る始末で、ラクツは勘弁して欲しいとばかりに深く息を吐き出した。このままでいるのはあまり良くない。正確に言うとまずい。何せ、さらに密着したことで柔らかい何かが腕に当たっている感触があるのだから。そう、それはあの娘の豊満な……。

(……いや、何を考えているんだ)

ほんの一瞬とはいえ、男としての本能に呑まれそうになった自分を叱責する。この状況でそういった思考を抱くなんて、いったい何をやっているのだろうか。気を取り直したラクツはあらぬ方向に向かっていた思考を元の路線に戻した。一番手っ取り早い方法は力尽くで引き剥がすことなのだが、今この瞬間でさえも泣いている彼女に行うのははっきり言って嫌だった。何となく気が引けるというか、とにかく実行する気になれないのだ。実行した途端に呆然とするあの娘の姿が容易に想像出来る。

(……もしや、これが”かわいそう”という感情なのだろうか?)

放っておけないからこの家に滞在することを決めたのも、彼女を憐れんだ故なのかもしれない。なるほどなとラクツは納得した。これでまた1つ、新たな感情を理解したわけだ。

(……さて。この娘をどうするべきか、だな)

気付けば、顔の赤みも早鐘のような心臓の鼓動も落ち着いて来たように思う。ある程度の冷静さを取り戻したラクツは思考を続けた。もっとも、取るべき行動はきちんと理解しているのだが。力でどうにか出来ない以上は、再度の説得を試みるというのが多分正しい選択なのだろう。だからといって離れて欲しい理由を馬鹿正直に説明するわけにもいかなくて、ラクツは寄せた眉間に更なる皺を刻んだ。数秒後に一度は閉じた唇をゆっくりと開く。これしかないか、なんて思いながら。

「ファイツくん」
「やだ……っ」
「いい加減にしてくれないか。……キミの爪がボクの手に食い込んだ所為で、痛いんだが」
「……っ!」

嘘を吐いた効果は覿面だった。自分にしがみ付いていたファイツはそう告げるや否や弾かれるように身体を放したのだ。実際には痛みなど微塵も感じていないラクツは、そんな彼女を黙って見つめた。望み通りに離れてこそくれたファイツは、しかし相変わらず涙をぽろぽろと零していて。しがみ付くどころか最早こちらに近付く気配すら感じられないだけでなく、へたり込んだまま歯の根をかちかちと鳴らしている……。

「…………」

自らの意思でそうしておきながら、ラクツは嘘を吐いたことを悔やんだ。嘘も方便と言うし、馬鹿正直に伝えるよりかはずっといいと判断したからこそ告げたというのに、これでは逆効果だ。よくよく考えてみればマフォクシーに本当に爪痕を残された時、幾度とない謝罪をされたではないか。彼女の過剰反応も頷ける。どうせ嘘なのだからと適当に言い連ねるのではなくて、もう少し言葉を選ぶべきだった。考えなしにも程がある自らの行いを後悔しながら、今や全身を小刻みに震わせている娘へと手を伸ばす。

「ひ……っ」
「……ファイツくん」
「……やだ、怖いよお……っ!!」

絶叫と共に顔を背けられた。おまけに両目を固く瞑られた。その反応とその声で、あの時の記憶が色鮮やかに蘇る。”怖いのはあなた”だと、面と向かって告げられた瞬間の記憶だ。

「…………」

触れる寸前だった手を握り締めて、ラクツはかたかたと震える娘をまっすぐに見つめた。何度思ったか分からないけれど、まったくもって不思議な娘だと強く思う。「怖い」なんて言いながら、その一方で「行かないで」と懇願する。この娘に近付こうと手を伸ばせば拒絶される。知ったつもりでいるこの娘のことは、実際には知らないことだらけなのだろう。そんな摩訶不思議なファイツのことを、それでもラクツは知りたいと思った。彼女が今何を考えているのかを、そして何故震えているのかを、どうしても知りたかった。超能力なんぞ使えないのだから、直接尋ねる以外に真意を知る術はないことは理解している。
この問いかけに肯定するなら仕方ない、やはり自分の存在は彼女を救うどころか重荷にしかならなかったということだ。その事実を受け入れて、今度こそ永久にこの家を後にしよう。答えないのなら、落ち着きを取り戻すまでいくらでも待とう。そしてはっきりと否定してくれたならば、胃の中に一度は収めた言葉を告げよう。そう決意したラクツは深く息を吸った、いつの間にやら迷いは消えていた。今、ここで訊かなければいけないような気がした。

「ファイツくん」

彼女の名前を口にして、握り締めていた左手を開いて、小さな左手にそっと重ね合わせる。その瞬間にファイツの瞳が開かれた。同時に肩を跳ね上げさせた娘をまっすぐに見つめて、願いと共に言葉を吐き出した。

「ファイツくんが怖いのは、ボクか?」
「……え……?」

重ねた手は振り解かれることはなかった。顔面蒼白だった彼女は、まだ焦点が合わない目をまっすぐに向けてくれている。それはこちらの話を聞こうとする意識の表れに他ならなくて。まだ望みはある、とラクツは思った。

「ボクが怖いから、キミはそれ程までに震えているのか?」
「…………」

同じ意味合いの言葉を重ねて告げると、ファイツは瞳を何度も瞬いた。やがて言葉の意味を理解したのだろうか、ゆっくりと首を横に振った。つまりは問いかけを否定したのだ。

「怖い故に、ボクを拒絶したわけではないんだな?」

念を押すと、ファイツはこくんと頷いた。それはもう必死な程に、何度も何度も頷いた。永遠に謝り倒しそうな彼女に苦笑しつつ、その動きを「分かった」と言って制止させる。あまりに首を縦に振る所為で、長い髪の毛先が好き勝手に跳ねていた。

「さ、さっきはごめんなさい……っ。本当にラクツくんのことが怖かったわけじゃなくて、あの、つい……っ」
「ああ、分かったから。別にキミを糾弾したかったわけではないんだ。ではボクに対してファイツくんが抱いていた恐怖心は、今では完全に消え去ったと……。そう考えてもいいか?」
「うん……っ。うん……っ!」

制止したにも関わらず結局は何度も頷き続けるファイツをただ見つめる。嘘をついているようには絶対に見えないと、自分の直感が言っていた。何はともあれ、この娘に怖いと思われていたわけではなかったのだ。そう思った瞬間、心には熱い何かが広がった。

(……悪くない気分だ)

その正体にまだ気付かないラクツは、無意識に口角を上げると息を吐き出した。とりあえず、この家を今すぐ辞去するという事態は避けられそうだ。とはいえ彼女の返答次第ではまだ分からないが。

「……では、何故あんな言動をしたんだ?」
「ラクツくんが、ラクツくんが……。……その、えっと……」
「焦らなくていい。キミのペースで話してくれればいい」
「う、うん……」

またしてもこくんと頷くと、ファイツは深呼吸をし始めた。やがて心の準備が出来たのか、実にか細い「あのね」という音が聞こえたから、ラクツは左手を握って身構えた。いったい何を言われるのだろうか。

「ラクツくんが……。こ、この家を出て行くような気がして……。だから、あたし……っ!」
「うん……。”出て行く”、か。そもそもどうしてそういう結論に至ったのかが、ボクにはまるで分からない。少なくとも、ボクにはこの家をすぐに辞去する理由がない」

首を傾げながら言い放つ。真意はまだ量れていないが、自分の存在がこの娘を傷付けているわけでもなければ、出て行って欲しいと思われているわけでもないのだろう。むしろ、留まって欲しいと彼女が思っていることが窺えて。だからこそラクツには分からなかった。何がどうなって、願望とは真逆の発言をする結論に至ったのだろうか。

「り、理由ならあるもん……っ」
「どうして?」
「だって、あたし……。ラクツくんに迷惑ばっかりかけてて、嘘つきで……っ!自分勝手で、嫌われたって仕方ない子なんだもん……っ!」
「……嘘つき?」
「さっき、ココアを淹れてくれたでしょう?あたしが震えてたのは寒かったからじゃないの……。ラクツくんに出て行かれるのが怖くて、ラクツくんに少しでも長く傍にいて欲しくて、寒いって嘘をついたの……」
「…………」

耐え切れなくなったのか、またしても涙を零し始めたファイツは「ごめんなさい」と繰り返すばかりで。息を吐いたラクツは、彼女の手をそっと引いた。

「……ラ、ラクツくん?」
「妙なことを気にするものだな。嘘も方便と言うし、結局は使いどころに左右されるのではないか?ボクだって嘘をつくぞ。それこそ、キミの比ではない程にな」

そう告げて、彼女のふらつきがないことを確認してからゆっくりと歩き出す。行き先はファイツがベッド代わりに使用しているソファーだ。この際だ、とことん吐き出させてやった方がいいだろう。

(……ん?)

一瞬だけ足を止めたのは、背中に突き刺さる視線の本数が増えたからだ。それは言うまでもなく、2階にいたはずのポケモン達の視線だった。先程のファイツの絶叫で、何事かと下に降りて来たのだろう。中には馴染み深いフタチマルの視線も混ざっていて、本当に打ち解けたものだと笑みを浮かべる。このところ、彼は自分といるよりこの家に住んでいるポケモン達と過ごすことの方が圧倒的に多かったのだ。ポケモン同士気でも合うのか、それとも何か考えがあってのことか。気にならないと言えばそれこそ嘘になるけれど、ラクツは振り返らずに歩み続けた。今は彼らのことよりファイツが抱えている不安を解消させてやることの方が、ずっと重要だと思ったのだ。

「えっと、あの……!ラクツくん!」

困惑しているらしいファイツの手を放して、ラクツはソファーに置かれていたクッションと毛布を端へと追いやった。布団代わりにしているであろう毛布が心許ないことに気付いて眉をひそめる。もうすぐ5月になるとはいえ、夜はまだ冷えるのだ。

「随分と薄手の毛布だな。キミの方こそ風邪を引くぞ」
「あ、あたしは大丈夫だもん……っ。ほら、バカな子は風邪を引かないって言うし……」
「冗談を言っている場合か、まったく……。……さあ、とにかくソファーに座ってくれ。この際、キミが抱えている不安を全て吐き出して欲しい」
「でも、その……」
「嫌か?別に無理強いはしないが」
「ううん。でも、長くなっちゃうよ……?」
「別に構わない。ボクは、ファイツくんの真意が知りたい」
「……うん」

おずおずとソファーに腰を下ろしたファイツに倣って、ラクツもまた彼女のすぐ隣に腰かける。その瞬間に覚えのある鋭い視線が顔に突き刺さったが、ラクツは無視を決め込んだ。リビングのドアから顔を覗かせているダケちゃんに構うのは後でいいだろう。

(こちらに向かって来ないのは、フタチマルが制止してくれているからなのだろうか。ファイツくんは……。ああ、気付いていないな)

俯いているおかげで5匹のポケモン達にじっと見られていることなど知る由もないファイツは、両膝に置いた手を穴の開く程見つめていた。やがて心の準備が出来たのか、「あのね」という言葉で始まったファイツの話は宣言通り長かった。途切れ途切れに言葉を発する度に、何度も何度も深呼吸をする。その繰り返しで、話し終わるまでには優に15分が過ぎていた。

「…………なるほどな。ボクが解雇されたと思ったが故の、そして泥棒の襲来に起因する恐怖が積もり積もっての結論だったのか」
「うん……。付きっきりでお世話してくれるし、警察官って忙しいお仕事なんでしょう……?だから、やっぱりそうなのかなあって……」
「大いに誤解しているようだから伝えておくが、ボクは新たな任務を拝命したところだ。決して解雇されたわけではないぞ。……まあ、妙な内容の任務ではあるが」
「や、やっぱり……っ。あたしの所為で、ラクツくんが……っ!」
「何故そうなる。ファイツくんはつくづく思い込みが激しい……。いや、ボクも人のことは言えないか。とにかくキミはこれ以上自責する必要はないし、ましてや恐怖を抱く必要もないと思うんだが」

話をする中で落ち着きを取り戻したのか、涙が止まっていたファイツが眉根を寄せたことで息を吐く。素直なのか頑固なのか本当に分からない娘だ。いや、基本的には素直な娘だとは思うのだが。

「でも、でも……っ。本当にあたしが元気になったら、ラクツくんはいなくなっちゃうでしょう?」
「それは、まあ……。そうだろうな」

事実でしかないので素直に頷いたら、ファイツはこの世の終わりだとばかりの悲痛な声で「そうだよね」と返した。泣きこそしなかったものの、そうなるのは時間の問題だとラクツは思った。

「このままじゃダメだって、自分でも分かってるの。でも、どうしてもダメなの……。1人になったら、どうしても泥棒が来るんじゃないかって思っちゃうの……。やっぱり不安で、怖くて、どうしようもないの……っ!」
「…………」
「あたし……、あたし……っ。もうどうしたらいいのか分かんないよ……っ!」
「……では、ボクはこの家に留まろう。ここで一緒に暮らそうか、ファイツくん」

”一緒に暮らそう”。その言葉を、ラクツは静かな口調で告げた。するりと口を突いて出たそれは、自らの運命を決定付けた言葉だった。

「…………え?」

呆然と顔を上げた彼女は、わけが分からないとばかりにポカンと口を半開きにしている。間の抜けた表情を見せている娘を、どこまでもまっすぐに見つめる。どこかで青筋が立ったような音が聞こえたが、そんなものは例によって無視だ。

「い……。今、何て……?」
「一緒に暮らそうか、と。そう言っただけだ。まだ復調していない状況で、ボクがいなくなると思うから不安になるんだろう?共に暮らせば、その不安も払拭されていくのではないだろうか」
「そんな、でも、だって……っ!く、暮らすって……?…………あ!そんな、あたしの所為でラクツくんが犠牲になるなんてダメだよ……っ!それに、お仕事の邪魔になっちゃう……っ」

わたわたと腕を動かす彼女に「落ち着け」とは言わなかった。狼狽して当然だ。

「別に犠牲になったとは思ってはいない。それに、これは歴とした任務でもあるんだ。端的に言い表すと、ボクはファイツくんと関わったことで精神的に成長したらしくてな。放っておけないと感じたのも、キミを憐れんだ故なのだろうと考えている」
「そう……なの?」
「そうらしい。何故キミに白羽の矢が立ったのかは不明だが、出来る限りキミに関わることで、人間性を更に育むことを国際警察の上層部は期待しているようだ。つまりこれは、ボクにも大いに利がある契約ということだ」
「…………」
「ボクは元々、仮住まいをホテルに定めた後で、ファイツくんさえ良ければこれからも関わらせて欲しいと頼むつもりでいた。……しかし、ファイツくんがボクの辞去でそこまで強い不安感を抱くと主張するのなら、いっそ同居した方がいいとボクは思う」
「同居するって、えっと……。ど、どれくらい……?」
「期間は1年と聞いている」
「1年間も……?」
「ああ、1年だ」
「………………」

嘘つきである自覚はあるが、流石にこの件で嘘は吐けない。戸惑うように繰り返したファイツにしっかりと頷き返すと、彼女は何かを考えるかのように黙り込んだ。まったくもって、極自然な反応だ。

「もちろん、決して無理強いしているわけではないぞ。提案はしたが、家主はあくまでファイツくんだ。どうか、熟考した末に答を出して欲しい。何しろ異性と1年も……」
「……あの、その……っ。あたしで良かったら……っ!」

最後まで言い終わらないうちに、ファイツがずいっと身を乗り出しながらそう言った。例によって心臓がどくりと音を立てたが、やはりこれも無視だ。あまりにも早い返答に、今度はラクツが困惑する始末だった。男と共に暮らすということを、この娘は本当に理解しているのだろうか。

「……本当によく考えたのか?これまでのように、1週間や2週間の話ではないんだぞ。1年間、生活を共にするんだぞ?」
「うん」
「男のボクがいることで、嫌になることもこの先あるだろう。本当にいいのか?」
「……うん。ラクツくんが家にいてくれるって思うだけで、すっごく心強いもん……。……ラクツくんは、女のあたしと一緒で嫌じゃないの?」
「ボクとキミとで認識に隔たりがあるな。警察官にとって任務は絶対だと教えられている以上、個人の感情など二の次だ。……とはいえ、ボク個人としてはファイツくんのことは不快だと認識していない。むしろ、キミのことを深く知りたいと思っているくらいだ」
「あたしだって同じ気持ちだよ……。あたしだって、ラクツくんのこと……。その、もっと知りたいもん……っ」
「そうか?」
「そうだよ!」

いつの間にやらすっかり血色が良くなっていたファイツは、力いっぱい頷いた。「だからね」と続けてはにかんだ彼女から何故だか目が逸らせなかった。

「……だから、その……。い、一緒に暮らそう……?」
「……ああ。共に暮らそうか、ファイツくん」
「うん。いっぱい迷惑かけちゃうと思うけど、よろしくお願いします……っ!」
「ああ。……ボクの方こそ、よろしく頼む」

おずおずと手を差し出した彼女に応じると、ファイツは花が咲くように笑った。”綺麗な笑顔だ”。そう感じた瞬間に、心には熱い何かがまたしても急速に湧き上がった。

(ああ、そうか……。もしかしたら、ボクはファイツくんの笑顔をずっと待ち望んでいたのかもしれないな……)

彼女が笑うと、どうしてか酷く落ち着かない気分になる。結果として自分が困ることは分かっているのだけれど、それでもラクツは”この娘の笑顔を見ていたい”と強く思った。どうしてそう思うのかは、やはり分からないけれど。

「……その方がいい」
「ふえ?」
「ファイツくんは、泣くより笑っていた方がいい」

思ったことをそのまま告げると、ファイツは顔を真っ赤に染め上げた。流れるように俯いてしまった恥ずかしがり屋な娘に、ラクツは優しい眼差しを向けた。花が咲くような笑顔が見られなくなったことを内心でもったいないと感じたことは、口にしないでおこうと思った。

「…………」

何はともあれ、彼女との再契約がこれで成立したことになる。さあ、賽は投げられた。この選択が何を生むかは分からないが、少なくとも悪い結果にはならないと根拠も何もなく思った。我慢の限界に達したダケちゃんが飛び出して来るその瞬間まで、ラクツは顔を赤くさせている娘のことをじっと見つめ続けていた。