育む者 : 019
綻ぶ花の如く
芯だらけの米飯に、黒焦げの焼き魚。更には出汁がまるで取れていない味噌汁。早起きして作ったらしいファイツの手料理は、誰が解釈しても大失敗としか言えない出来だった。流石にこれを朝食として出すのは抵抗があったのだろう。今にも泣きそうな顔をしている彼女を見かねて「良ければ手直しをしようか」と言ったら、蚊の鳴くような声で「お願いします」と頷かれた。そういうわけで、とりあえず洗顔と歯磨きと更には手洗いをきちんと済ませたラクツは、若干面倒だと思いつつも堂々とコンロの前に立った。それが、今から15分程前のことだ。「……うん、悪くない口当たりだ。ちゃんと炊けているな」
「ほ、本当!?」
「ああ。何の問題もないぞ」
「でも、あんなに硬いご飯だったのに……。本当に、ちゃんと炊けてる?」
「…………」
家主に正式な許可をもらった以上は、好き勝手に行動したところで文句をつけられることはないだろう。流石に黒焦げの魚は手の施しようがなかったが、米と味噌汁は何とかなる。改めて出汁を取り、ついでとばかりに煮物と卵焼きも作り、更には目分量で水分を加えた芯だらけの米の火加減を絶妙に調整しつつ。かくして芯が残った米飯の炊き直しを完璧に終えたラクツは、ファイツが呟いた言葉で息を吐いた。何たる言動だろうか。言葉ではっきりと伝えたのにも関わらず、そして手直しの最中もずっと手元を覗き込んでいたのにも関わらず、彼女は疑っていますと言わんばかりに首を傾げているのだ。仔細を訊かずに男を止める割に、こういうところは疑り深いようだ。水を張った使用済みの鍋に向けて、味見用のスプーンを放り投げる。
「信じられないか?ならば、キミも味見してみたまえ」
「う、うん……」
言い分を信じてもらえなかったところで別に然したる問題があるわけでもないのだが、ファイツがあまりにも首を傾げていることがどうにも気になって仕方なくて。彼女にも味見をするように促したら、ファイツはこくんと頷いた。そういうところは素直だなと思いながら、味見用のスプーンでひと口分の米を口内に放り込んだ彼女を眺める。
「…………」
無言で米飯を咀嚼していたファイツは、しかし味見を終えてもなお無言だった。瞬きもせずに硬直しているという意味不明な反応を見せたことで、ラクツはつい先程までの彼女に負けず劣らず首を傾げる羽目になった。細い喉が動いたことはこの目で確認している。彼女が噛み砕いたそれを胃の中に収めたことは明白なのに、何の反応も見せないことが解せなかった。
(手直しは成功したと判断したが、それはボクの思い違いだったのだろうか?悪くない出来だと思ったんだが)
どこをどう見ても芯が残っているようには思えなかった米は、実際に口にしてみても問題なく食べられる硬さだった。炊き直しに成功したと思ったから味見を促したというのに、しかしファイツは硬直を続けるばかりで身動ぎ1つしないままだ。部分的に成功していたというだけで、この娘はたまたま修正が効かなかった部分を食べてしまったのだろう。思考の末にラクツはそんな結論を出した。もしくは単に口に合わなかっただけかもしれないが、とにかく手直しを申し出ておいて失敗した自分にも責任の一端はあるだろう。ラクツは息を吸った。
「ファイツくん、す……」
「すごい……!!」
「…………」
しかし続けるはずだった「すまない」の言葉は、ファイツが発したそれによってかき消された。行き場を失くした音を再度発する気にもなれなかったラクツは、”すごい”の3文字を連呼している彼女を無言で見つめた。硬直が解けた娘はどういうわけかはしゃいでいるが、いくら何でも反応が過剰過ぎやしないだろうか。
(おっと、のんきに眺めている場合ではないな)
不意にマフォクシーのあの目が脳裏に思い浮かんだことで、ラクツは意識を切り替えた。昨晩は超能力を使われなかったが、一つ屋根の下にいる以上はいつ攻撃されるか分からないのだ。”おや”であるこの娘がこれ以上騒げば、ポケモン達も流石に目を覚ますだろう。耳がいいマフォクシーなら尚更だ。またしてもあのポケモンに”ねんりき”で身体を叩き付けられるのは、出来れば避けたい。そうは言っても職務柄苦痛には慣れているという自負はある。それにある程度痛みに耐える訓練も職業柄積んではいるが、それでも自ら進んでそれらを味わいたいわけではないのだ。
「ファイツくん、いい加減声量を控えてくれないだろうか。近所迷惑だし、何よりポケモン達が起きかねない。妙な誤解をされたら、キミだって困るだろう?」
「……あ!ご、ごめんなさいっ!」
さあっと顔色を青褪めさせたファイツは顔色を変えると同時に我に返ったようで、両手で口を覆った。その拍子に、彼女が手にしていた小さな銀のスプーンが床に落ちる。金属音を聞き取ったラクツは、意識を耳に集中させた。何せ、金属音というのは結構耳に残る音なのだ。今にもポケモン達がこぞってこの娘を護ろうとこぞってキッチンに集結するかもしれない。特に、マフォクシーやらダケちゃん辺りが怪しい。
(…………よし、周囲にこの娘以外の気配は感じられない。物音も聞き取れない。どうやらポケモン達は全員寝ているようだ)
ちなみにポケモン達が全員という言葉には、相棒であるフタチマルもしっかりと含まれている。警戒心の強いはずの彼まで寝入っているというのはかなり意外なことだった。いや、今が待機中であるからこそ寝かせてやりたいし、有事の際は流石に起きるだろうから別にいいのだが。人間用のベッドで行儀よく寝ていたフタチマルの姿を思い浮かべていたラクツは、脈絡もない溜息をついた。同じ空間にいるこの娘からの無言の訴えを感じたのだ。眉根を寄せている彼女の口元は、未だに覆われている……。
「……ボクは別に、”黙れ”と言ったわけではない。話しかけたいならそうすればいい。過剰にはしゃがなければ、ポケモン達が起きることもないだろう」
「う、うん……。うるさくしちゃってごめんね。……あんまりご飯が美味しかったから、つい……」
「美味しかった、か。つまり、キミからしても炊飯が失敗していたわけではないんだな?」
「そんな、失敗なんて……!ご飯の一粒一粒がふっくらしてて、艶々で……っ!もうね、美味し過ぎて、すっごくすっごく美味しくて、とにかく美味しくて、全然言葉が出て来なかったの……!」
「ファイツくん」
「……あ!……ご、ごめんなさい!」
同じ意味の語句を強調して、いかに炊き直した米が美味であるかを力説していたファイツは、またしても手で口を覆った。苦言を呈した傍からこれだ。学習しない彼女を、実にそそっかしい娘だと内心で評する。そもそも水加減と火加減を確認せずに炊く時点でそそっかしいのだけれど。
「……ラクツくんって、本当に料理上手なんだね」
その”そそっかしい娘”であるファイツが、ぽつりと言葉を漏らした。意識的に抑えたのではなくて、自然と零れ落ちたかのような静かな物言いだった。
「ボクはそうは思わない。これくらい、誰にだって出来るだろう」
「そんなことないもん!硬かったあのご飯をあんなにふっくら炊き直せるだなんて、本当すごいよ……っ」
「そうだろうか。水加減と火加減を調整しただけで、大したことはしていないが」
「それがすごいの!ぱっと見ただけでやっちゃうなんて……。……あたしなんて、毎回量ってるのに失敗しちゃうんだよ?それなのに……」
ファイツからまっすぐに向けられたのは、尊敬の眼差しだった。嫉妬や妬みなどの色は微塵も見られない。”綺麗な目だ”。そんなことを思いながら彼女を見つめ返していると、ファイツが「ありがとう」と言って微笑んだ。
「脈絡がないな。急にどうしたんだ」
「……だって、ありがとうって言いたかったの。本当にありがとうね、ラクツくん。……ううん、ご飯のことだけじゃないよね」
「ファイツくん?」
「寝ちゃったあたしを家まで運んでくれたのに、あたしったら何も言わなかったでしょう?それにすっごく美味しい夜ご飯も作ってくれたし、美味しいコーヒーだってご馳走してくれたし、マフォクシーさんのことだって赦してくれたし……。本当にありがとう、ラクツくん」
「…………っ」
花が咲き誇るかのように満面の笑みを湛えたファイツが、深々と頭を下げて来る。その拍子に彼女が着けている白いエプロンの裾と、艶のある髪の毛先が揺れ動くのは分かる。理解出来ないのは、他でもないラクツ自身の心臓が同様に揺れ動いていることだった。どうにも落ち着かない気分になったことも理解不能だった。こうしている間にも心臓が高鳴っている事実が解せなくて、まったくもってわけが分からなくて、ラクツは眉間にそれは深い皺を刻んだ。