育む者 : 017

無防備な彼女~spring~
またしてもマフォクシーの”ねんりき”をこの身に受けるかもしれない。結局具体的な対抗策が何ら思い浮かばなかったラクツは、買い物を終えてファイツの家に到着した際に密かに危惧したものだった。しかし結果はまさかの素通りを許されるという実に予想外なもので、見るからに安堵したファイツの横でラクツは疑念を深めるばかりだった。しかも、今度は記憶を読まれなかったことが解せない。玄関先で仁王立ちをしているこのポケモンがファイツのボディーガードを務めているのなら、記憶を読んで然るべきだろう。そう思ったラクツは、けれど自ら進んでマフォクシーに記憶を読ませようとはしなかった。きまぐれ故にそうしたのかは知らないが、刺激しないに越したことはない。予想外だったことは他にもある。自分が泊まることに対してポケモン達が騒がなかったことが、ラクツにはどうにも予想外だったのだ。予想外というより、解せなくてならなかった。いや、正確には1匹だけが猛烈に反対した挙句の果てに拗ねたようで、ファイツの部屋に行ってしまったのだが。
争いの跡が残っているだろうと思っていたリビングは、どこも荒れていなかったことも予想外の出来事の1つとして挙げられるだろう。何故か自分とファイツをじっと見つめているフタチマルに「マフォクシーくんと戦ったのか」と一応訊いてみたら、黙って首を横に振られた。ポケモンバトルに発展してもおかしくなかったように思うのだが、しかし彼は争っていないと主張するのだ。自分達が出かけている間に”みらいよち”で視た未来をマフォクシーによって一部のポケモンに共有されたことを知らないラクツは、珍しく予想が外れたと首を捻った。更に言うなら、フタチマルがやたらとファイツを見つめていることも不思議だった。ちなみにその”一部のポケモン”の中にはダケちゃんもしっかり含まれるわけで、そのダケちゃんに良く思われていないからこそあそこまでの拒絶反応を見せられたのだが、もちろんその事実をラクツは知る由もなかった。

「……広いな」

数日間の仮住まいである部屋に通されたラクツは、そう呟くと室内を見回した。部屋の広さもこれまた予想外だった。この部屋の第一印象は、”広い”。言葉通り、これに尽きる。何せ家具が置かれていることを差し引いても、1人と1匹のポケモンで使うには充分過ぎる程のスペースがあるのだ。ダブルサイズのベッドと備え付きのクローゼット、そして小さな机と椅子。これが家具の内訳だった。設置されているインテリアはカーテンと照明器具だけで、それ以外の余計な物は一切置かれていない。元々は客室らしいのだから当然と言えばそうなのだが。
必要最低限の物だけで構成されたこの部屋は、人によっては殺風景な印象を受けることだろう。実際気にしていたのか、それとも夜道での一件を未だに恨んでいるのか。どこか硬い表情をしたファイツに、「何もない部屋でごめんなさい」と謝られたことは記憶に新しい。しかし、ラクツは気にもしなかった。むしろ、やたらと物が多い部屋に通されなくて良かったとすら思っているくらいなのだ。ここにいるのは精々数日だけで、その後はいつも通りのホテル住まいになるのだろう。それは分かり切っているのだけれど、中々に居心地が良さそうな部屋だった。

「フタチマル。お前は楽にしていいぞ」

足元に佇んでいたフタチマルにそう言いつつ、ラクツは椅子に腰かけた。”好きに使っていいからね”と告げられたことはもちろん憶えている。しかしあくまで部屋を借りている身である以上、ベッドでのんきにくつろぐ気にはなれなかった。それに、これから風呂を借りるのだから尚更だ。
頻りに入浴を勧めて来るファイツに一度は「構わないでくれ」と返したラクツだが、結局は家主である彼女の勢いに押されて入浴することを強引に約束させられてしまった。そのファイツは「急いで用意するからね」と言いつつ、無駄に張り切って階下に降りてしまった。多分今頃は、鼻歌でも歌いながら風呂掃除を行っているのではないだろうか。根拠もなくそんなことを思った。

「……つくづく、妙な娘だと思わないか」

マフォクシーを筆頭としたポケモン達の態度といい、帰りの夜道でやたらと視線を感じたことといい。気にかかることは数多くあるが、何よりもファイツ自身のことが気になった。フタチマルの反応は曖昧に頷くという彼らしくもないものだったが、別に同意が欲しかったわけではないラクツは特に気にしなかった。ファイツという名のあの娘は、まったくもって妙な娘だ。平たく言えば相当な変わり者だと思う。気になることがあるから泊めて欲しいと頼んだのは他ならぬラクツなのだが、内容からして断られてもおかしくないと考えていた。承諾するにしても、葛藤の末に頷くだろうと予想していた。しかし現実は二つ返事で頷かれるという、まるで予想だにしないものだった。
しかもあの娘は、”気になること”の内容を訊きもしなかった。こちらに気を遣った結果として訊かないだけなのか、そもそも気にしていないのか。どちらに該当するかは分からないけれど、何にしても不用心だ。1人暮らしをしているのならそこは無理にでも訊いておくべきではないのか。危機感がないと告げた際のファイツが実に不満そうだったことを思い出して、ラクツは深く嘆息した。泊めた対象が自分だからまだいいようなものの、頼まれれば誰でも泊める娘なのだろうか。不用意に泊めた結果として、もし犯罪に巻き込まれたらいったいどうするつもりなのだろうか。そんな疑問すら浮かんで来る始末だった。

(見たところでは犯罪に巻き込まれていないようだが、単にボディーガード代わりのポケモンと運に恵まれていただけだ。次はないな。……あの娘が言っていた自称訪問販売員は、犯罪目的でこの家に来訪するに違いない)

泥棒や強盗という線もあるが、多分ファイツの身体目的なのだろうと察しが付いていたラクツは思案した。ないとは思うが万が一にも予想が違えた場合も考慮すると、やはりここは言い逃れしようがない現行犯で捕らえるべきだろうか。つまりは訪問販売員を名乗る男があの娘を押し倒したところで手錠をかければいいのだ。

「…………」

しかし、男に組み伏せられているファイツの姿を想像したラクツの眉間には自然と皺が寄った。あくまで仕事の一環としてその場面を脳内に思い描いておいて何だが、どうにもいい気がしないのだ。はっきり言ってしまえば不快だった。もっとも、どうしてそう思うのかはまるで理解出来ないのだが。

「……まあ、決定的な行動を起こすまでわざわざ待つこともないか」

どのような訪問販売員を装ってやって来るかは知らないが、飲食物ならそれこそ何かが盛られている可能性はある。物品なら盗聴器やカメラ辺りだろうか。自分がその場にいさえすれば、何かしらのボロを出すだろうという確信があった。決定しかけた事項をあっさりと翻したラクツの耳に、控えめなノック音が聞こえた。どうやら考え事をしている間に、風呂の準備が出来たらしい。

「えっと、ラクツくん。お風呂の準備が出来たんだけど……」
「……どうした?」

ドア越しに聞こえたその声は紛れもないファイツのものだったが、どこか歯切れが悪いように思えた。続きを言うように促してやると、やや間が空いてから「開けてもいい?」という音が返って来た。

「構わない。というより、ボクはあくまで借りている立場でしかないんだぞ。家主はキミなのだから、もっと堂々としていたまえ」
「そういうわけにはいかないよ……っ。人にはプライバシーってものがあるんだもん!」
「…………」

ラクツはまたしても嘆息した。直接は言わないけれど、そこに気を遣うくらいなら自分自身に気を配ったらどうなんだと言いたかった。何と言っても、歳頃の女の子なのだから。入浴を一度は辞退したのだって、彼女より先に入るのはどうかと思った故のことなのだ。

「その……ね。どうしても、ラクツくんの顔を見て話がしたくて……。だから、その……。へ、部屋に入ってもいい……?」
「…………ああ」

”男がいる部屋を訪ねるのは止めた方がいい。夜なら尚更だ”。これまた寸前で出かかった言葉を、しかしラクツはまたしても飲み込んだ。繰り返すが、この家の主はあくまでもファイツなのだ。彼女がそうしたいと言うならこちらとしては従う他ないわけで。口に出さない代わりというわけではないけれど、どこかしおらしい態度でドアを開けた娘に向けて、ラクツは無防備な娘だなと内心で深く嘆息した。