育む者 : 012
ミステリアス・ボーイ
「ごちそうさまでした、ラクツくん!本当に本っ当に美味しかったよ!!」「キミがボクの料理をそう評していることは知っている。これでいったい何度目だと思っているんだ?」
「だって、本当に美味しかったんだもん!」
相変わらず呆れ混じりの、どこか素っ気ないラクツの返しに負けじと言い返したファイツは、だけどにっこりと微笑んだ。口にした通り、本当に本当に美味しかったのだ。”今までに食べたどんな料理よりも美味しい”。ラクツの手料理をひと口食べた瞬間に、ファイツは心の底からそう感じた。どれもこれも美味しくて美味しくて、はしたなくも我を忘れて食べてしまったことは記憶に新しい。冗談抜きで、自分が知っているどのレストランの料理よりも、そして今までの食べたどんな手料理よりも美味しいと強く思った。ファイツ自身のお腹が鳴ったことを暗に指摘したという彼への憤りは、最早完全に吹っ飛んでしまっていた。
(ママが作ってくれるご飯より美味しかったよ……。……ママには悪いけど)
心の中でそう呟いて、今は離れて暮らしている母親に向けて「ごめんなさい」とばかりに両手を合わせる。1人暮らしをしている娘を心配してくれるのか、時々お手製の料理を鳥ポケモン経由で送ってくれるのだ。決して母親の料理の腕が低いわけではない。むしろどちらかと言えば高い方で、身内であることを抜きにしても”ママの手料理は世界で一番美味しい”と思っていたくらいなのだ。だけど今日、自分の信念をあっさりと塗り替える料理にファイツはとうとう巡り合ってしまった。感動すら覚える程の美味しい手料理を生み出した人物は、自分と同い歳の男の人だった。しかも、多忙を極める警察官の男の人なのだ。三重の驚きで、ファイツは向かい側に座るラクツを羨望と尊敬の眼差しで見つめるばかりだった。本当に不思議でならなかった。絶対に忙しいはずなのに、あんなにも素晴らしい料理の腕を磨く時間をどのようにして作れたのだろう?
「……ファイツくん。ボクの顔に何か付いているのか?」
「ううん。ラクツくんはすごいなあって思って見つめてるだけ。……ね、どうすればあんなに美味しい料理が作れるの?」
「別に特別なことは何もしていないぞ。ただ普通に料理を作っただけだ。キミだって、あれと同様の料理を労せず作れるだろう?」
「…………そんなことないと思うけど」
ファイツはぼそりとそう零した。自分の料理の腕はお世辞にもいいとは言えない。悲しいことに、悔しいことに、情けないことに、かなり悪い方だと言い切れる。言い訳をするつもりはないけれど、料理へのやる気がないわけでは決してないのだ。自分だって美味しいものを食べたいし、何よりポケモン達にも美味しいものを食べてもらいたい。そんな思いでほとんど毎日キッチンに立っているというのに、どういうわけか失敗することの方が圧倒的に多いのだ。そんな失敗ばかりする自分をどうにかして変えたくて、そして美味しい料理を作るコツを教えてもらいたくて尋ねたというのに、だけど彼は”普通に作っただけだ”と言う。淡々とした口調で”キミだって労せず作れるだろう?”なんて事も無げに言い切るラクツを、ファイツは眉根を寄せて見つめた。
「それに、ボクの料理の腕が特別優れているとも思えない。言ってみれば、普通だろう」
「そんなことないよ!もうね、すっごく美味しかったんだから!!」
聞き捨てならない言葉を聞いたとばかりに、ファイツは勢いよく立ち上がった。その拍子に空になった自分専用のお椀が音を立ててお盆の上に転がったのだけれど、ファイツは気にもしなかった。”自分の料理の腕は普通でしかない”と彼が本当に思っているのなら、それはまったくの的外れだ。普通だなんて絶対にない、とんでもない!
「野菜炒めだってしゃきしゃきだったし、お肉だって皮はぱりぱりしてるのに中はすっごく柔らかかったし、スパゲッティに入ってた海老だって臭みが全然なかったし、それに……!!」
「……うん。それは、もう充分過ぎる程分かった。……というか、キミの口から何度も聞いた」
「あ、うん……。大声出して、ごめんなさい……」
力説したことがちょっとだけ恥ずかしくなったファイツはすごすごと引き下がった。恥ずかしさを半ばごまかすようにダケちゃんのぷにぷにとした頭を撫でつつ、目の前の彼へと思いを馳せる。
(普通、かあ……。普通って、いったい何なんだろう……)
手料理に毒や薬を盛っていないと彼が言動で示したことをふと思い出して、ファイツはそっと目を伏せた。もちろん、ファイツはそんなことを欠片も考えてはいなかった。”目が覚めたら数多くの料理がありました”。その事実に、ただただ圧倒されていたのだ。
(見た目だって綺麗だったから、本当に迷ってただけだったのに……。まさかあんな風に思われちゃってたなんて……。何だか、すっごく悲しい……)
もしかしたらそういう経験があったりしたのかなあと、嫌なことを考えてしまったファイツはぐぐぐっと眉間に皺を寄せた。自分からすれば、”普通”だと口にしたラクツの方がよっぽど普通からかけ離れている人間だと思う。だけどそれを直接告げる気にはなれなかったから、ファイツは何も言わないことにした。何せ、彼には今日だけで数え切れないくらいの迷惑をかけてしまったのだ。だけどラクツは、自分達の為にあんなにも美味しい料理まで作ってくれた。何から食べようかとのんきに眺めていた自分を、強い口調で責めなかった。そんな彼に向けて”ラクツくんは普通じゃないよね”なんて言えるわけがないし、言いたくなどなかったのだ。
(酷いことをしたのは、むしろあたしの方なのになあ……)
今日だけで、色々な人やポケモンに一生分の迷惑をかけてしまったような気がする。特にラクツには散々迷惑をかけてしまった。ダケちゃんを説得してくれたし、ともすれば自分の命を救ってくれたし、重たい荷物まで持ってもらったし、”きのこのほうし”を浴びて眠ってしまった自分を家まで運んでくれた。更には、相手がポケモンだとはいえ思考まで読ませてしまった。自分がかけた迷惑の回数を指折り数えて、ファイツははあっと項垂れた。不名誉にも程がある。もっとも、最後の1つだけはマフォクシーが自らの意思で行ったことなのだけれど。
(うう……。またマフォクシーさんのテレパシーを防げなかったんだよね……。なるべくなら自由に過ごさせてあげたいけど、やっぱりあれだけは赦しちゃダメだよね……)
人に言えない隠し事を過去にしていた自分だからこそ分かる。ひた隠しにしたいことを半ば無理やりに暴くのは、決して褒められた行為ではない。誰にだって隠し事の1つや2つあって当たり前なのにねと、ファイツはそっと溜息をついた。今度こそは絶対に止めさせなきゃと、密かに決意する。
(でも……。マフォクシーさんが初対面の人にあれだけ興味を示すのって、ちょっと珍しいかも……。それだけラクツくんが作ったご飯が気に入ったってことなのかなあ?あたしにだって気分次第でころころ態度を変えちゃうポケモンさんなのになあ……)
自分が物思いに耽っていることを悟ったからなのか、それともあのやり取りで話は終わったと判断したのか。どちらなのかは分からないけれど、ラクツはマフォクシーを構っている真っ最中だった。ラクツに向けて片手を差し出しているマフォクシーは、しかしもう片方の手で空になったお皿を執拗に指している。どう見ても”もっとご飯を作れ”と態度で言っていることは明らかで、だけど目線だけは合わせていないという始末だ。実に失礼な行いをしているマフォクシーに対して、ラクツが嫌な顔を見せていないことが救いだった。むしろ、どちらかと言えば優しい表情をしているように思えてならない……。
(あたしには意地悪だけど、ポケモンさんには優しい人……なのかなあ?ラクツくんって、やっぱりわけが分からないなあ……)
”わけの分からない娘”だと彼に強く思われているファイツは、うんうんと頭を悩ませた。話があると言われたことはやっぱり気になる、だけどポケモンとコミュニケーションを図っている彼を邪魔する気にもなれなくて。だから、ファイツは頬杖をついてラクツの顔を眺めた。別れの瞬間がすぐそこまで迫っていることはもちろん理解している。それでもわけの分からない彼のことをもっと知りたいと思ったファイツは、実にミステリアスな男の人の顔をじいっと眺めた。