その先の物語 chapter W : 016

拝啓、アタシの可愛い後輩へ。
この子が困っていることは反応で何となく分かる、だけど放して欲しいとは言われていない。それをいいことに、ホワイトは可愛い後輩であるファイツを思い切り抱き締めていた。挨拶も自己紹介もお見舞い品を渡すのもそこそこに、それはもう思いっきり。力の限り、ぎゅうっと。ヒュウとペタシの自己紹介の後で「アタシはホワイトって言うの」と告げてから、多分数秒しか経っていないと思う。久し振りに抱き締める後輩の身体は随分と細いように思えて、ホワイトは可愛い可愛い後輩に気付かれないように息を吐き出した。

(本当に、長かったわ……)

本当に本当に長かった。期間にして実に3年間もの間、ホワイトは眠りについた後輩が目覚める日を今か今かと待っていた。もちろんその間も長かったのだけれど、長い眠りについていた後輩が起きたと知らされてからがこれまた長かった。待ち望んでいた報せを受け取ったはいいが、声が出ないらしいと聞いたことでホワイトは見舞いに行くのを諦めたのだ。本当ならすぐにでも飛んで行きたかった。だけど、声が出ない彼女に余計な負担を強いるわけにはいかない。あの子の声が出ますようにと祈って祈って、じっと朗報を待ち続けたご褒美が今なのだ。ちょっとばかりはしゃぐのも仕方のないことではないだろうかと、ホワイトは誰にともなく自問した。

「ホワイトさん、いいかげんにしたらどうですか。彼女が困っているでしょう」

はっきりと苦言を呈して来たのは、抱き締められている後輩ではない方の後輩だった。背後からぐさりと突き刺さった声で、ホワイトは強く強く抱き締めていた腕を緩めた。ゆっくりと振り返ると、腕組みをしている後輩の姿が目に入る。口でこそ言わないものの、眉間に皺を寄せている彼は明らかに不快だと言わんばかりの顔付きをしていた。心なしか声も普段より低いように感じられて、ホワイトはこんな時なのに笑い出しそうになった。後で冷ややかな声色で糾弾されると分かりきっているから、実際には笑わないと決めているけれど。

「うふふ……。ごめんねファイツちゃん。あなたが目を覚ましていたのが嬉しくて、つい抱き締めちゃった。……自分でしておいてなんだけど、大丈夫?身体は痛くない?」

ホワイトとて、ファイツを困らせるのは本意ではなかった。両手を合わせて謝ると、可愛くて堪らない後輩は慌てたように首を横に振った。「大丈夫です」とか、「気にしないでください」だとか。色々と言い連ねる彼女は、髪が乱れるのにも構わずに半ば必死にこちらを庇い立てている。見覚えのあり過ぎる反応に、ホワイトの目頭は自然と熱くなった。そこだけを切り取れば、記憶の中にある彼女そのものだ。

「いや、”気にしないでください”はねえだろ。完全に固まってたじゃねえか、お前」

「大丈夫です」を連呼するファイツに、呆れた様子で反論してみせたのはヒュウだ。基本的に目付きが悪い彼だが、その実優しい性格をしていることをホワイトは知っている。ともすれば睨んでいるようにしか見えない目付きの裏には、ファイツを心配する気持ちが確かにあるのだろう。だけどそれに気付かないらしいファイツは、あからさまに身体をびくりと震わせた。誰がどう見ても、”あなたが怖いです”と言っているとしか思えない反応だ。

「……あ?何だよファイツ。どうかしたのか?」
「ヒュウ!ファイツちゃんが困ってるだべな!ヒュウのその目付きの所為だすよ!元々目付きが鋭いんだすから、もっとにこやかにするとか……!」
「おい、昔のラクツみたいに笑えってのかよ。そんなのオレのキャラじゃねえよ。……つーか、ファイツを困らせたのはペタシも同じじゃねえか!何なんだよ、ファイツの顔を見るなり泣きやがって!」
「オラは感動しただけだすよ!そ、それを言うならホワイトさんだってそうだべな!」

まさにファイツを困らせた自覚があるホワイトだ。責められるのも仕方ないと特に反論しなかったが、代わりに頭を働かせる羽目になった。2人の男の子の言い争いは声の大きさこそそこまでではなかったものの、何だかヒートアップしているように思えてならなくて。ホワイトはどうしたものかとちらりと後輩を見やると、そこには顔を強張らせている後輩の姿があった。予想通りだ。目の前で言い争いが始まったのだから無理もないが、完全に怯えている。

(いけない!このままじゃファイツちゃんがかわいそうだわ……!)

自分がやったことは棚に上げたホワイトは、拳を強く握り締めた。怯えきっている後輩を助けるべく、未だに言い争いを続けている2人に近付いた。正直な話、ちょっと気後れしないと言えば嘘になる。だけどこれも、可愛い後輩の為なのだ。同性でも先輩でもある自分が彼女を護ってやらないでどうする。

「……いいかげんにしろ」

ホワイトが歩みを止めたのは、うるさい中でもよく通るくらいの静かな声が聞こえたからだ。静かな、だけど底冷えするような声色で言葉を発したのは、この病室にいる中で”誰がファイツを一番困らせたか選手権”にファイツ本人を除いて唯一ノミネートしていない人物だった。実に不名誉である称号を回避した人物は、固まってしまった2人に対して射抜くような視線を向けている。その鋭過ぎる視線がこちらに向かないのは、ファイツを怯えさせたわけではないからなのだろうか。半袖が相応しい季節だというのに背中にじっとりとした汗が噴き出る感覚を抱いたホワイトは、多分そうなのだろうという当たりをつけた。間違いなくそうだとは言えないが、ホワイトが女だからだという理由ではないと思う。真面目過ぎるこの後輩は、性別年齢関係なく言うべきことは言う人間なのだ。

「ヒュウ、ペタシ。よく見てみたまえ、ファイツくんが怯えきっている」

「ここは病室だぞ」と言って冷ややかな視線を向けているラクツの目は、今しがた自分に向けられたものとは明らかに違っていて。その冷たさに気圧されたホワイトは、思わず唾を飲み込んだ。あの目線は、あの言葉は、決して本気ではなかったのだろう。彼が怒ると怖い人なのだという事実を、今になって思い知らされたような気がした。

「この期に及んで言い争うつもりなら、それでもいい。思う存分、外でやってくれれば文句はない。そして……二度とここに足を踏み入れるな」

どこまでも冷ややかな声で、どこまでも鋭い目付きで。水を打ったように静かになった病室に漂う重苦しい沈黙を破ったのは、怯えていたはずのファイツだった。「ラクツさん」などという、実に耳慣れない呼称をした彼女は、ラクツに対して縋るような目を向けている。

「そ、そんな淋しいこと、言わないでください……。2人共、せっかくお見舞いに来てくれたのに……っ」
「いや、しかし……」
「…………」
「……すまなかった。キミを困らせたいわけじゃない」
「そんな!……あたしこそ、わがまま言ってごめんなさい……っ」

見つめ合ってからものの数秒で矛を収めたラクツに、ファイツの「ごめんなさい」が降り注ぐ。さっきまでの冷たさはどこへやらで、普段の調子に戻ったラクツを目の当たりにしたホワイトは、今度は微笑ましいと笑うどころではなかった。彼女が口を挟まなかったら、飛び火してこちらまで責められる結果になっていたかもしれない。情けないと自分でも思うけれど、あの目に自分が耐えられるとはとても思えなかった。だからホワイトは、心の中でありがとうとお礼を言った。ベッドの手すりに掴まっていたファイツがこちらに向き直ったのは、そんな時だった。

「皆さんも……。その、怖がってごめんなさい……。あたしが、その……臆病だから……」
「オレこそ悪かった。つい熱くなっちまって……」
「オ、オラの方こそ……。すまねえ、ファイツちゃん」
「アタシも……。ごめんね、ファイツちゃん」

ヒュウとペタシに倣ったわけではないけれど、ホワイトもごめんなさいと頭を下げた。「これでおあいこですね」と言ったファイツは、あからさまにホッとした顔をしている。

「ファイツちゃん。アタシね、お見舞いに色々買って来たのよ。気に入ってもらえたら嬉しいんだけど……」

そうだ、今更だけど自分達はお見舞いに来たのだ。可愛くてかわいそうな後輩を励ましたい、そして欲を言えば自分も癒されたい。ここに来た本懐をようやく果たしたホワイトは、棚の上に置いた紙袋から箱を取り出した。普段節約しているホワイトが、せっかくだからと大奮発した高級品だ。その中身は様々なブランドのデザート詰め合わせだ。甘い物がそれは好きだったファイツだ。まず間違いなく気に入ってもらえると思うけれど、そうじゃなかったらどうしよう。

「良かったら、食べる?」

一抹の不安を隠して尋ねたホワイトだが、まったくの杞憂に終わった。そう訊くや否や、歓声を上げたファイツが瞳をきらきらと輝かせていたからだ。

「あ、その……」

電光石火の速さで「食べます」と答えた後輩のことが。そして注目されていることに気付いて瞬く間に顔を赤らめた後輩のことが、可愛くて堪らない。ホワイトは素直にそう思った。真面目で過保護で、彼女とそれ以外とではあからさまに態度が違う大人びた後輩だってそう思っているに違いないとは思うけれど。だけどホワイトは”ファイツちゃんは可愛い”と思った、何度も何度もそう思った。