その先の物語 chapter W : 006
気付かされた答
「国際警察官!?お前が!?」「ラクツがだすか!?潜入捜査!?」
ヒュウとペタシの口からまったく同じタイミングで放たれた言葉を、しかしきちんと聞き取ったラクツは不快感から顔を顰めた。2人の声は、部屋中に響き渡る程の大声だったのだ。
「……あ、悪い……」
フリーズから先に立ち直ったのはヒュウだった。どこか歯切れの悪い彼からの謝罪に、ラクツは表情を元に戻すことで応えた。ちなみにペタシはというと、潜入捜査と尋ねた後で口をあんぐりと開けたまま固まってしまった。
「…………」
「…………」
「…………」
驚愕の表情を浮かべている2人を、ラクツは無言で観察した。そもそも、「お前はいったい何者なんだよ」と尋ねて来たのはあちらの方なのだ。正確にいえばそう言ったのはヒュウだけでペタシからは何も尋ねられはしなかったのだが、それでも顔と雰囲気からペタシもヒュウとまったく同じことを考えているであろうことは火を見るより明らかで。適当にはぐらかそうという考えが一瞬頭の中を過ったが、ラクツはその案を即座に却下した。
この2人には、ファイツを救助するのに協力してもらった恩がある。あの場にいたのが自分だけだったとしたら人命救助は叶わなかったかもしれないのだ。彼らがこちらの正体を知りたいというのなら、望み通りに真実を告げるのが筋というものだろう。それに何より、2人には素の自分を見せてしまっているわけで。だからラクツは、はぐらかさずに身分を明かそうと決めたのだ。
それなのに、この反応は何だとラクツは思った。自分の正体が国際警察官であることと、トレーナーズスクールには潜入捜査をする目的で入学したこと。ついでに今は休暇中であることを正直に告げたらこれだ。いくら何でも驚き過ぎではないだろうかと胸中で呟いたラクツは、小さく嘆息すると眼前の2人を見つめた。しかし2人の反応はというと、溜息をつくどころではなかった。一度は沈黙から復活したヒュウはまたしても黙り込んだきり何も言わないし、ペタシはペタシで相も変わらず口を開けたまま固まっている。正体を明かしてから10数秒が経っているというのに、彼らの石化が解ける様子は一向に見られなかった。
「……そこまで驚くようなことだろうか」
抱いた呆れの感情をとうとう声に出したラクツは、眉をひそめて2人を見やった。言い放った言葉は紛れもなく本心だ。世間一般的に子供だと呼べる年齢で職に就いている人間は珍しくないというのに、何をそんなに驚いているのかが理解出来なかった。それこそ幼児のポケモントレーナーだっているわけで、それに比べれば子供の警察官なんて特段珍しくも何ともないというのがラクツの見解だった。
「……いや、驚くだろ普通」
そんな自分の見解に掠れ声で異議を唱えたのはヒュウだった。「驚くだろ」なんて言って来た彼は、言葉通りに顔を驚愕の色に染めている。終いには「オレ達をからかっているんじゃねえだろうな」などと口にする始末で、ラクツはそんな彼に盛大な溜息を送りつけた。
「この状況下で嘘を言って何になる?ボクは正真正銘、国際警察官であるわけだが。コードネームは黒の2号、階級は警視だ」
「警視ぃ!?」
まだ言っていなかったなと自らの階級を伝えたら、更に驚愕された。そういえば、かつてコンビを組んでいた男にも警視だと伝えたら驚愕されたことをラクツは今になって思い出した。驚愕ついでに子供が警視とは非常識だなどという、随分と失礼なことを告げられたような気がする。同じ国際警察官に言われたのだから、確かに子供が警視というのは少しばかり珍しいのかもしれない。ラクツは自分の認識を一部改めたが、ヒュウはそれでもまだ納得しきれていない様子だった。疑いを込めた眼差しでこちらをじっと見つめて来る彼に向けて、ラクツはまたしてもはあっと深い溜息をついた。分かってはいたが、やはりヒュウは強情な男だ。
「では、これで信じてくれるだろうか」
別にどうしても信じてもらいたかったわけではないのだが、こうも疑いの眼で見つめられるというのは流石に不快だった。あの娘に正体を明かした時は、こんなに気苦労しなかったのに。もし目の前にいるのが彼らではなくあの娘だったとしたら、わざわざこんなことをせずとも信じてくれただろうに。
視界の中心にあの娘が現れたのは、ラクツがこんな思考を抱いた直後のことだった。予想外の出来事に、鞄の中に差し入れようとした手が途中で制止する。何の前触れもなく現れた彼女は両手で口を覆った状態で立ち尽くしていたものの、目立った傷はどこにも見受けられなかった。
(……何をバカなことを)
ラクツは声に出さずにそう呟くと、口角をわずかに上げて自らを嘲った。これは幻なのだと強く念じた途端に、無事そのものの姿をしたあの娘の姿が音もなくかき消える。今見たものは、きっと自分の願望なのだろう。ラクツはそう思った。
それに、あの娘に明かした時と今とではそもそも状況が違うではないか。あの娘がこちらの話を一も二もなく信じてくれたのはその素直過ぎる性格が大いに関係していたのだろうし、更に言うなら逃走と抵抗を阻止する目的で嵌めた手錠あってのことだ。それなのに、こんなことを考えるなんてどうかしている。小さく嘆息した後で、ラクツはゆっくりと振り返った。先程のヒュウとペタシの声はかなり大きかったから、”もしかしたら”という希望にも似た気持ちが生まれたのだ。ベッドで眠る彼女に目を落としてみたものの、微かに寄せた期待も虚しく結果は何ら変わることはなかった。ファイツという名のあの娘は、今もなお深く眠り続けていた。それこそ、いつ目覚めるか分からない程に。
「…………」
ヒュウとペタシには構わず、ラクツは1人思いを馳せた。集中治療室から出て来た医者からは、開口一番に手術の成功を告げられた。その後で頭部を打っていることと、いつ意識が回復するかは分からないことを告げられた。どうか自然に目が覚めるのを待ってあげて欲しい、との言葉で締め括った医者には全面的に同意した。何せ彼女は生きるか死ぬかの瀬戸際にいたのだから、無理やり起こしたところでいいことは何もないに決まっている。その思いは今でも変わらないのに、確かな落胆を覚えたのは何故なのだろう。
ラクツは改めて彼女を見つめてみた。目に留まったのは、やはり顔だった。泣き腫らしたのか瞼は酷く腫れあがっていたし、多少は良くなったとはいえ顔色は明らかにまだ悪かった。次に包帯が何重にも巻かれている頭部に視線を移して、そっと目を伏せた。
(例え目が覚めたとしても、果たしてそれがいつになるのかは誰にも分からない。それに、何らかの後遺症が残るかもしれないな……)
あまり思い出したくはない記憶が、鮮明に蘇る。崖下で横たわっている彼女を一目見た瞬間に硬直したラクツは、我に返るとすぐに行動を開始した。まずは出血が酷かった部分を優先的に止血を行い、見るからに腫れあがっていた右腕に転がっていた木の枝で添え木を済ませた。これ以上体温を下がることを阻止するべく、服の裾が破れた為に外気に晒されていた下肢に自分の服を被せた後で、バリアブルロープを使って意識がないファイツと共に脱出したのだ。
特に難しかったのはバリアブルロープでの脱出だ。自分だけなら難しくも何ともないのだが、怪我人が一緒だとなるとそうはいかない。意識のない彼女の身体を必要以上に揺らしては絶対にならないと、最適な姿勢を保つことに最大限の注意を払った。崖の上まで向かう途中でヒュウのフライゴンが滑空してくれなければ、更に時間がかかっていたことは間違いない。
本当に、彼らのフライゴンとサザンドラには随分と無理をさせたものだと思う。ペタシとヒュウを乗せるだけでも負担が大きかっただろうに、サザンドラは自分達の荷物まで持ってくれた。だからこそ、ファイツをフライゴンの背に横たえることが出来たのだ。特にフライゴンの負担はかなりのものだっただろうなとラクツは思った。2人分の重量がかかったことに加えて”おや”でもない人間に身体を揺らさないで欲しいと注文をつけられた上、更には一番近い病院まで全速力で飛んで欲しいと要求されたのだから。フライゴンとサザンドラの2匹共が未だにモンスターボールから出て来ないのは、どちらも疲労困憊である為だろう。散らばっていた彼女の荷物を拾い集めてくれたフタチマルも酷く気疲れしたようで、自分からボールに入りたいと手で示して来る始末だった。つまりこの病室内でボールの外に出ているポケモンは、枕元でファイツをじっと見つめているダケちゃんだけなのだ。
病院に駆け込んだ自分達を対応した看護師からは適切な応急処置をしたことを褒められたが、ラクツは欠片もそう思わなかった。空を飛べるポケモンを手持ちにいれている彼らがあの場にいなければ、きっとファイツは死んでいたに違いない。その考えは、ラクツの中でずっと渦巻いていて。だからこそ先程礼を言ったというのに、ヒュウとペタシが微妙な反応をしていたことが気になる。ラクツはわずかに首を傾げた。
(感謝するって顔をしていない、か……)
笑みでも浮かべれば良かったのだろうかとも考えたが、例え”ラクツ”であったとしてもそれは無理な注文だとラクツは思った。とりあえずは窮地を脱したようだが、それでもファイツの意識は依然として戻っていないのだ。例え演技でも、現状を思うととても笑う気にはなれなかった。
無理やり起こそうとは考えていないのだから、これくらいなら許されるだろうか。胸中で誰にともなく呟いたラクツは、折れてはいない方の腕に向かって手を伸ばした。傷と包帯だらけのファイツの左手に触れて、その細い指を自分のそれでそっと握る。その途端に温かさが伝わって来て、ラクツは息を吐いた。この娘がまだ生きている証拠だ。しかしやはりというべきなのか、彼女が起きる素振りはまるで見られなかった。
(いつまでも未練がましいものだな、ボクも)
またしても目を伏せたラクツは、随分と小さい彼女の手を静かに放した。そのまましばらくファイツを見つめていたが、耳に小さな咳払いが聞こえて来たことでふと我に返った。振り返れば、ラクツはヒュウとペタシが相も変わらず立ち尽くしているのが目に映る。しかし彼らの顔には、先程まではなかったはずの赤みが差していた。
「……どうした?」
「ああ、いや……」
「……何でもないだす」
どこか歯切れが悪い上に赤面したまま唖然としている彼らの反応が気にはなったが、そういえば話の途中だったことをラクツは今になって思い出した。銀色に光る手錠と、国際警察官の証であるIDが記載された身分証明書を鞄からようやく取り出して。そして、眉間に皺を寄せているヒュウの目と鼻の先に突き付ける。依然として口を半開きにしているペタシにも同じことをしたラクツは、果たして充分な効果が得られたかどうか疑問だと声に出さずに呟いた。ヒュウはともかくとして、何せペタシは完全な放心状態だったのだ。これでは物が見えているかも怪しい。
しかしラクツの疑念はすぐに払拭されることとなった。警察官の象徴である手錠としっかりした身分証明書という視覚的根拠はこの状態の彼らにも絶大な効果を及ぼしたらしく、ヒュウとペタシの2人共が曖昧に頷いたからだ。そんな彼らの反応を見たラクツは、やはり物的証拠の力は偉大だと思った。いや、自分は結構心理的証拠も重要視するのだけれど。
「あー……。オレにはまだ信じられねえよ、お前が本当は刑事だったなんてなあ……」
「まだ疑うのか。キミもつくづく強情だな」
「いや、だってまさかお前が……。あ?……ってことは、トレーナーズスクールでのお前って……?」
「演技だ」
「じょ、女子達を褒めまくってたのもだすか!?」
首を傾げたヒュウの疑問に対する答を一言で述べると、間を置かずにペタシの問いかけが飛んで来る。今の今までフリーズしていた癖に、どうしてこんな質問だけ食いつきがいいのだろう。”ラクツ”よりペタシの方が余程女好きではないか。盛大に呆れつつも、それでもラクツはペタシの質問を無視しようとは思わなかった。
「それも演技に決まっているだろう。軽薄な男として活動する必要性があったからそうしていたまでのことだ」
「は~……。あ、あれ……?だども、どうしてそんな必要性があったっべな……?」
簡潔に答えたら、すかさず次の質問が飛んで来た。ここまで話した以上は流石に説明が必要だろう。そう判断したラクツは、自分の生い立ちと潜入捜査の内容、そしてファイツがひた隠しにしていたであろう彼女の身分をかいつまんで説明した。要点を絞って説明したので話は5分程で終わったが、ペタシにはかなり衝撃的だったらしい。眠り続けているファイツを見るペタシの瞳は、驚愕と動揺で揺れていた。
「ファイツちゃんが……。も、元プラズマ団……?」
「隠してて悪かった。プラズマ団って言っても、あいつ本人は悪いことをしてたわけじゃねえけどな。プラズマ団にもいいやつらと悪いやつらがいたんだと」
「ああ、やはりキミは知っていたのか。……まあ、そういうわけだ。勝手に明かしておいて何だが、ファイツくんの身分は他言無用で頼む。それから、ボクの身分についてもだ」
「わ……分かっただす!」
「心配しなくてもわざわざ話したりしねえよ。どうせ話したところで信じてもらえねえのがオチだしな」
「話が早くて助かる。……礼を言う、ヒュウくん。もちろんペタシくんにも感謝している」
感謝の意を込めて礼を告げると、盛大な溜息が飛んで来た。どういうわけか溜息をついたヒュウは、不貞腐れたような顔をしている。
「何だ?」
「”何だ?”じゃねえよ。お前さあ、いいかげんそれ止めろよな」
「……”それ”、とは?」
「いや、だから。お前、何でそんな堅苦しく喋ってんだよ。普通に喋れよな、普通に!」
「そう言われても困る。これがボクの普通の話し方だ」
落ち着き払ってそう言うと、ヒュウは頭を掻いた。そんな彼をしばらく見つめていたら、またしても溜息をつかれた。
「あー、分かったってえの!……じゃあせめて、呼び方くらいは変えろよな」
「呼び方?」
「お前、ずっとオレを呼び捨てで呼んでたじゃねえか!……なのに、何で急にくん付けで呼んでんだよ!?」
「何で、と言われても……。そういうものだから、としか言えないが」
昼間は確かに呼び捨てだったわけだが、それはトレーナーズスクールでそう呼んでいた名残故だ。目上や歳上の人間に対しては流石にそう呼ばないが、基本的に素の自分は性別年齢問わずくん付けをするのだ。正体を明かした以上は演技をする必要もないわけで、だからくん付けをしているというのに。それなのに、ヒュウは何故こんなにも不機嫌なのだろうか。わけが分からないと首を傾げた自分に答をくれたのはペタシだった。
「ヒュウは素直じゃないだすからねえ。ラクツに呼び捨てで呼んで欲しいってはっきり言えないっぺよ。くん付けだと淋しいんだべな」
「……淋しい?」
「……あ、おいこらペタシ!てめえ、何勝手に……!」
「事実なんだからいいじゃないだすか。オラだって、ラクツにくん付けされるのは淋しいっぺよ。ラクツはオラの友達だすからね!」
「友達……?」
思ってもみない言葉を送られたラクツは目を瞬いた。「お前、よく真顔でそんな恥ずかしいこと言えるよな」というヒュウの声が、どこか遠くで聞こえるような気がするのは何故なのだろうか。友達だと、ペタシは確かにそう言った。
「友達というのは、つまりは友人……フレンドのことか?」
「いや、お前も真顔で何言ってんだよ。それ以外に何があるっつーんだよ。……何だよ、ダチだと思ってたのはオレ達だけかよ。マジで薄情なやつだな、お前」
「……薄情か。それは否定しないが」
「否定しないのかよ!……ああもう面倒くせえな、お前はオレ達を呼び捨てで呼べばいいんだよ!何か文句でもあるのか!?」
どういうわけか再び顔を赤くしたヒュウに対して、ラクツは首を横に振ってみせた。事実、敬称なしで呼んだところで何の問題も文句もなかったのだ。そう告げると、溜息と共に「いちいち理屈っぽいな、お前」という声が飛んで来た。
「……で、だ。ファイツはお前のことを知ってんだよな?」
「ああ。ファイツくんには2年前に正体を明かしている。1ヶ月と少し前になるが、彼女は過労で倒れたボクを介抱してくれたんだ」
「そうだったのか……。あいつらしいぜ。あいつはすっげえドジだけど、まあ優しいやつだからな」
「ボクもそう思う。本当に、ファイツくんには世話になった。食に関心が薄いボクの為に、食事を用意するとまで言ってくれてな。この1ヶ月と少し、あの娘の手料理を毎日食べて過ごした」
「……ん?」
「ファイツちゃんの料理を食べたんだすか?」
「そうだが、それがどうしたんだ?言い忘れていたが、流石に毎食ではないぞ」
「……あのさ、ラクツ。お前……」
淀みなく続けられていた会話のキャッチボールを止めたのはヒュウだった。どういうわけか言葉の続きを言うことなく黙ってしまった彼は、やがてがしがしと頭を掻くとコホンと咳をした。
「あー、いいや。やっぱ何でもねえ。……それよりお前、ファイツに何したんだよ?」
「それは……」
ここに来て初めて、答に詰まる質問が飛んで来た。少しだけ沈黙したラクツは、しかし結局は自分がしでかしたことについて事細かに話すことにした。この2人にここまで打ち明けたのだから、この際全部打ち明けても同じことだと判断したのだ。”あの娘がキミの名前を出した途端、嫌な気分になった。どうしてこんな気持ちになったのかが分からない”。本人を見据えて言い放った言葉で締め括った話は、やはりものの5分で終わった。
「……?」
話し終えたというのに、ヒュウとペタシは顔を見合わせたまま押し黙っているばかりで。どうして黙っているのだろうと思いながら見ていると、揃ってそれは深く溜息をつかれて。更に何がどうしてこうなったのか、2人が互いを肘で突いた後でじゃんけんをし始めたことで、ラクツの疑問は更に深まることとなった。ペタシがパーでヒュウがグー。負けたヒュウが、またしてもはあっと溜息をついた。ちなみに勝ったペタシはというと、あからさまにホッとした表情をしている。
「……キミ達は、いったいどうしたというんだ?」
「いや、どうしたはオレの台詞だぜ。……お前、何で気付かねえの?」
「気付く?……何をだ?」
「お前なあ……」
そう言うと、ヒュウは何故か脱力してしまった。「本当に分からねえのか」という問いかけに、ラクツは素直に頷いた。だって、本当に分からないのだ。すると、ヒュウは目を見開いた後でまたしても深い溜息をついた。そんな彼に誤解されて話がこじれるのはごめんだと、ラクツは言葉を付け足した。
「嘘ではない。ボクは本当に分からないんだ。どうしてあの時嫌な気分になったのかが、ボクにはさっぱり……」
「そりゃあ、お前がファイツのことを好きだからだろ」
そっぽを向きながら告げられた言葉が、脳内に反響した。好きだからだろ、の後に付け加えられた「言っちまったぜ、気付かねえお前が悪いんだからな」というヒュウの言葉は、まるで頭に入って来なかった。
「何だよその顔。お前、あいつが好きなんだろ?……まあ、薄々そんな気はしてたけどよ。それと、さっきのは何なんだよ?オレ達に見せつけるように手を握りやがって。こっ恥ずかしいったらありゃしねえぜ」
「…………は?」
ヒュウに指摘されてから10数秒後にようやく絞り出した言葉は、言葉にならないもので。混乱の最中にあるラクツは目まぐるしく思考したが、あまり意味をなさなかった。ヒュウの言葉の中に出て来た”好き”という単語が、脳内を急速に埋め尽くしていく。好きって、誰が誰を?
「何固まってんだよ。それ以外にねえだろ」
「…………確かに、ファイツくん本人に不快感を覚えていないことは認める。むしろあの娘は、ボクにとって大切な存在であると認識しているが……。しかし、それでボクがファイツくんを好きということになるのは……。……ああ、人間として好意を抱いているということか?」
「……あのなあ。オレが言ってんのは、そういう好き嫌いじゃねえから。お前、あいつと話してて落ち着かない気分にならなかったか?他にはそうだな……。あいつが笑った時に、心臓がうるさく鳴ったりとかよ」
ヒュウの問いかけに、ラクツは一瞬だけ思考した。色々と心当たりがあり過ぎる。無言で頷くと、ヒュウは「やっぱりな」と言った後で本日何度目になるか分からない溜息をついた。
「それを”好き”っつーんだよ。恋愛的な意味のな。人間的な好き嫌いだったらそういう気持ちにはならねえの。オレはあいつと話しててもそういうのは起こらねえけど、お前はそうじゃないんだろ?」
「いや、しかし……」
なおも食い下がると、ヒュウは人差し指を突き付けた。顔を顰めた彼は、呆れの色が大いに入り混じった表情をしている。
「”しかし”、じゃねえって。いいか、お前はオレにムカついたんだろ?」
「ムカつく?」
「そこからかよ!あー……、つまりだな。オレとファイツが一緒にいるのを見て、あいつがオレの名前を口に出すのを聞いて、お前は嫌な気分になったってことなんだろ?」
「そうだ。不快で、はっきり言うなら苦痛だった」
「即答かよ!悪かったな、不快にさせて!そんなに心配しなくても、オレとあいつはただのダチだ。まあ、オレは勝手に妹みてえなもんだって思ってるけどな。……それは置いといてだな。そういうのを、妬いたって言うんだよ」
「妬く……」
呆然と呟いたラクツは、頭の中を検索した。答が出て来たのはそれから数秒後のことだった。
「……嫉妬のこと、か……?」
「そう、その嫉妬だよ。……いいか、ラクツ。お前は恋愛的な意味であいつが好きで、オレに妬くくらいあいつに惚れてて、つまりお前はあいつを他の男に渡したくないって思ってるってことなんだよ。……つーかよ、何でオレがこんなこと言わなきゃいけねえんだよ」
これくらい、自分で気付けよなバカ。ぼそりと呟かれたヒュウの愚痴は、やはり耳に入って来なかった。初めて出来た友人によって自分があの娘のことを好きなのだということを気付かされたラクツは、ただひたすら友人達を見返していた。辛うじて分かったのは顔が急速に熱を持ったということと、心臓が早鐘を打っているということだけだった。