その先の物語 chapter W : 001
嫌な予感
「あいつ、本当に大丈夫かな……」ベッドに寝転んだヒュウは、顰め面をしながらぼそりと呟いた。あくまで単なる友達としてだけど、ファイツのことが気になるのだ。大丈夫だと豪語していた彼女が、言葉通りに無事家に帰れたかどうか。そして何より、軽い男でしかないラクツに良からぬことをされていないかが気になって仕方なかった。風が吹きつける所為で時々音を立てている窓を、思い切り睨みつけてやる。普段なら全然気にならない音なのに、今日は耳障りで仕方がなかった。ただの風鳴りがこうも不安を煽るのは何故なのだろうか。
ヒュウの不安感を煽る要素はもう1つあった。枕元に無造作に置いたライブキャスターを手に取って、はあっと溜息をつく。そうじゃないかとは思ったけれど、やっぱりファイツからの連絡はなかった。ヒュウはぐっと眉間を寄せた。最初に連絡を試みてから、早くも7時間が経っていた。何だか嫌な予感がしてならなかった。
(やっぱり、あいつに何かあったんじゃ……)
例えばこれが30分や1時間前の出来事だったら、ヒュウだってこんなに心配はしなかった。だけどもう7時間も連絡がないとなれば、こう思っても仕方ないのではないだろうか。誰にともなく言い訳をしたヒュウは、無言のライブキャスターを乱暴に放り投げると身体を起こした。一向に来ない彼女からの連絡を寝転んで待っているだけなんて、もう耐えられなかった。せめて、ファイツが無事家に着いたかどうかだけでも知りたいとヒュウは思った。
(……にしてもだ。どうすっかな……)
勢いよく起き上がったはいいが、その先のプランを何も考えていなかったヒュウはがしがしと頭を掻いた。ファイツの安否を確認する方法として一番手っ取り早いのは、彼女の家に行くことだ。しかし男の自分が、女であるファイツの家に軽々しく押しかけるわけにはいかない。おまけに今は夜の10時半なのだ。百歩譲って訪問するにしても、こんな夜遅い時間に実行するというのは流石にまずいことはヒュウだって理解していた。いくら何でも、非常識にも程がある。確実性だけはあるこの案を、ヒュウはあり得ねえと一蹴した。
次に考えたのは、別の誰かにファイツの家に行ってもらうことだ。その考えに至った時、ヒュウの頭にはホワイトの顔が浮かんだ。確かに彼女なら適任だとは思う。お誂え向きに連絡先を交換したばかりだし、ついでにファイツとも仲がいいようだし、何より女同士だ。あの感じなら互いの家を知っている可能性は結構高いのではないだろうか。だけどそこまで考えたヒュウは、これもねえなと却下した。何せ、今日の昼に一歩間違えれば犠牲者が出かねない事故が起こったばかりなのだ。ホワイトがその責任者である以上、現在進行形で対応に追われている可能性は大いにあり得るわけで。そのホワイトに、自分の代わりを押し付ける気にはとてもなれなかった。
ホワイトさんがダメなら、別の女子に訪問してもらえばいいじゃねえか。そんな声が頭の片隅で聞こえたものの、ヒュウは考えあぐねていた。生憎、自分には連絡先を知っている女子の知り合いが少ないのだ。知恵を絞って考えても、半ば無理やりに登録させられた、元クラスメイトの姦しい3人娘くらいしか出て来なかった。ちなみに妹は初めから選択肢にすら入っていなかった。何せ、大事な大事な妹なのだ。思い過ごしかもしれないことで、大事な妹を危険に晒すわけにはいかない。
(……つってもなー。正直に話したら、絶対からかわれそうだしな……)
ファイツのことは大事な友達だと思っているわけだが、どういうわけか彼女との仲を誤解されることが多いヒュウはまたしても溜息をついた。ペタシのようにむやみやたらに言いふらさないというならまだしも、あの3人娘にそれを期待するのは無駄というものだろう。何せ、1人1人が噂好きの女子なのだ。それが3人集まったとなれば、翌日にはありもしない事実が元クラスメイトどころか町中に広まっていてもおかしくない。想像しただけで気が重くなると、ヒュウは三度思い浮かべた案を却下した。
(改めて考えると、オレって友達少ね……。……いや、何考えてんだオレ)
悲しくなる事実を無理やり打ち消したヒュウは、普段はあまり使わない頭を珍しくも働かせた。ヒュウ自身も、ホワイトも、そして3人娘もダメとなると、やはりペタシくらいしかいなさそうだ。自分から見ても素直というか分かりやすい性格をしているし、ファイツに手を出すような不埒な真似はしないだろう。そこまで考えたところで、何故だか嫌な予感に襲われたヒュウは脳内でペタシに頼むという案を思い切り蹴飛ばした。実に腹立たしいことに、ペタシと妹は割とよく連絡を取り合っているらしいのだ。妹の口からあまり信じたくない事実を聞かされたことがあるヒュウは、眉間に深い皺を刻んだ。
ペタシが無理となると、残りの候補はラクツしかいなくなるわけだが、ヒュウは頭を振り払って脳内に浮かんだラクツの顔を消し去った。言うまでもなくラクツは論外だ。そもそもラクツがあんなに軽い性格をしていなければ、こんなに悩むこともなかったのだ。
(そもそもオレ、ラクツの連絡先を知らねえしな。あーくそ、どうせならあいつとのポケモンバトルの後にでも聞いとくんだったぜ)
そう声に出さずに呟いたヒュウは、勢いよく立ち上がった。そうだ、ポケモンだ。自分にはポケモンが、それも空を飛べるフライゴンがいるではないか。何も人間でなくてもいい、ポケモンに確認してもらえばいいだけのことではないか。この時間なら寝ていることもないだろう。
こんな簡単なことにどうして気付かなかったのだろうか?そうと決まれば話は早いと、ヒュウは自分の部屋を脱兎の如く飛び出した。すかさず飛んで来た「静かにしてよ」という妹の声は、聞こえない振りをした。
「よし!お前に任せた、フライゴン!オレの代わりにファイツの家に行ってくれ!確認するのはあいつの家の電気が点いてるかどうかだけでいいからな!」
そう息巻いて、モンスターボールからフライゴンを繰り出す。彼女の家の場所を説明すると、体力がすっかり回復したフライゴンはこくんと頷いた。今まさに飛び立とうとしていたフライゴンに待ったをかけたのは、見知った人物を見かけたからだ。どうしてこいつがこんなところにいるのだろうか?
「……おい、ラクツ。お前、こんなところで何してんだ?」
思ったままの言葉を口にすると、忙しなく辺りを見回していたラクツが弾かれたように振り向いた。ラクツは驚いた顔をしていたが、ヒュウだって負けず劣らず驚いていた。そしてそんな彼の肩の上には、これまた見覚えのあるポケモンが乗っていた。
「そいつ、ファイツのタマゲタケだろ?……あいつは、ファイツはどうしたんだ?」
ラクツとタマゲタケの組み合わせも奇妙だったが、もっと奇妙なのはタマゲタケの”おや”であるファイツ本人がこの場にいないことだった。思い過ごしであればいいと思っていたが、ずっと感じていた嫌な予感は当たっていたらしい。大いなる緊張感に襲われたヒュウは顔を歪めて、ラクツが口を開くのを待った。