その先の物語 chapter B : 015
おしゃべり
太陽の日差しが燦々と降り注いでいる。天から放たれる光で、全身がポカポカと温かくなる。自分でもはっきりと分かるくらいに頬を紅潮させたファイツは、ベンチに並んで座っているラクツに対して言葉を紡ぎ続けていた。話題はそれこそ色々だ。仕事にはだいぶ慣れて来たところだったのに、つい先日のポケウッドで次に言う台詞を危うく忘れかけたこと。休日に欲張って安く売られていたケーキをまとめ買いした結果、ものの見事に胸焼けしたこと。食べ切れなかったケーキをダケちゃんに全部あげたら、そのダケちゃんも一緒に寝込んでしまったこと。そしてその所為で、ケーキをお供にして観るつもりだった映画を結局観られなかったこと……。特別面白くも何ともない話を、だけどラクツは真剣に聞いてくれた。もしかしたら思い違いかもしれないけれど、これは自惚れかもしれないけれど、ヒュウとペタシに話しかけられていた時よりずっと身が入っているような気がする。事ある毎に相槌を打ってくれているラクツを見たファイツは、直感的にそう思った。上手く言えないけれど、とにかくそう感じたのだ。それをいいことに、ファイツは隣にいる彼に向けて途切れることのない音を紡いだ。昨夜だってたくさんお喋りしたはずなのに、唇から飛び出した音がいつまで経っても途切れないことには自分でも驚いた。身振り手振りも交えながら言葉を紡ぐ傍らで苦笑する。”あたしってこんなにお喋りな子だったっけ”と、声に出さずに呟いた。
「……それでね。ちょうど1週間前に行ったんだけど、とにかくすごかったんだよ!」
「”とにかく”?……そこまでの行列だったのか?」
「そうなの。お店の中に入るだけで、30分は待ったんだから!30分もだよ!?」
言葉の終わり際を強調したファイツは、片手に持ったままだったサンドイッチを口内に放り投げた。仕事から食べ物へ、食べ物からダケちゃんの話へ。そしてダケちゃんの次に自分の口から飛び出した話題は、”レンガの家”のことだった。すっかりお気に入りとなっている、可愛い物がたくさん売られている穴場の雑貨店だ。
(でも、もう穴場なんて呼べないよね……。見つけにくい場所にあるお店なのに、あんなに女の子達が並んでたんだもん。お店の中だって、すっごく混んでたし……)
ホワイトと一緒に人の波に攫われたことを思い出して、ファイツはぐぐっと眉根を寄せた。ホワイトと一緒に買い物に行ったことは確かに楽しかったが、あれだけは嫌な思い出だった。手作りのサンドイッチをごくんと飲み込んで、勢いのままに空を見上げる。雲1つない澄み切った青空は、まさに旅立つには打ってつけの天気だ。天から降り注ぐ太陽の日差しを全身に浴びながら、ファイツはそんなことを思った。その直後に胸の奥がずきんと痛んで、慌てて首を横に振る。
「……ん?どうした?」
「ううん。何でもないの!」
ファイツは努めて明るい声を出して、ベンチに並んで腰かけているラクツに向けてひらひらと手を振ってみせた。それでも訝しげにこちらを見ていた彼は、静かに息を吐くとひと口サイズのサンドイッチで出来た山に手を伸ばした。卵だけのサンドイッチを食べている彼を横目で見ながら、ファイツもまたホッと息を吐き出した。
(良かった……。ラクツくんのことだから、きっと気付いてて言わなかっただけなんだろうなあ……)
自分が今泣きそうな顔をしていることはちゃんと分かっている。ラクツがそのことを深く追究しないでくれたことがありがたいと思ったのだ。追究されたら最後、”淋しい”だとか”ラクツくんに行って欲しくない”という本音を、きっと吐露してしまっただろうから。そしてそれは、泣き出しそうになるのをギリギリのところで堪えていた自分へのとどめにもなるわけで……。
(言っちゃったら、大泣きしちゃいそうだもんね……)
そうなのだ。気持ちを声に出してしまったら、多分自分は赤ちゃんのように大泣きしたことだろう。そうなったら、きっとラクツを困らせることになる。もう散々迷惑をかけている以上今更と言えばそうなのだけれど、最後の瞬間くらいは彼を困らせることなく綺麗に終えたいではないか。ファイツは心の中で自分自身を叱咤した。よくよく考えてみれば、淋しさに捕らわれるのは後でいくらでも出来るのだ。ファイツはもう少しで泣き出しそうになった自分に強く言い聞かせた。せっかくお喋りする許可をもらったというのに、今のうちに彼とのお喋りを満喫しないでどうする。
「しかし……。その有様では、店内を物色するのでさえ苦労したのではないか?」
まず間違いなく気付いていながら指摘しないでいてくれたであろうラクツが、言葉を紡いだ。静かな、それでいて穏やかな声だとファイツは思った。それと同時に、日差しを浴びているのとは無関係に心がポカポカと温かくなる。彼が脱線しかけていた話題を元に戻してくれたことが、ファイツには嬉しくてならなかったのだ。
(ラクツくんも……。少しはあたしとお喋りしたいって、思ってくれてるのかな……)
”ラクツくんとお喋りしたい”。これから忙しくなる彼に対して、そう告げたのは他でもないファイツだ。無意識に口から飛び出した言葉を構わないと快諾してくれたラクツは、差し出した包みの中身を確認した後で”一緒に食べないか”と言ってくれたのだ。”良かった、これでもう少しラクツくんと一緒にいられる”。心の中でそう思ったことは否定出来ない。彼の申し出が素直に嬉しかったファイツは、悪いと思いながらも「ありがとう」と返したのだ。
(うん……。ヒュウくんとペタシくんに向ける態度とは、やっぱり違う感じがするもんね……。もし本当にそう思ってくれてるんだったら、嬉しいな……)
ファイツは先に帰ってしまった2人の友達を思い浮かべた。もしかしたら、2人はラクツの話をしているのかもしれない。だけど彼らが知る”ラクツ”は、本来の彼ではないわけで。そう、本来のラクツはそれはそれは真面目な人なのだ。クラスメイトの中では自分だけが知っている彼を頭の中にしっかりと刻み付けるかのように、ラクツの顔をまっすぐに見つめた。
「ファイツくん。そんなに見つめられたら食べ辛いんだが……」
「……ご、ごめんなさい……っ!」
質問した直後に手に取った、チーズとハムのサンドイッチを飲み込んだラクツが、あからさまに目を逸らしながら呟いた。じろじろと見つめてしまった申し訳なさと気まずさをごまかすかのように、ファイツもそろりとサンドイッチに手を伸ばす。水気をしっかりと切ったレタスと、こんがりと焼いたハムのサンドイッチだ。サンドイッチが残りわずかとなっていることに気付いて、ファイツはそっと目を伏せた。それはもちろん、サンドイッチを食べ足りなかったからという理由では決してなかった。
「ファイツくん?」
「……あ、ううん……。そうだ、まだ答えてなかったよね。あのね、ホワイトさんと一緒にもみくちゃになっちゃったんだよ。もうすごかったんだから!」
もうすぐいなくなってしまうラクツに向けて、大袈裟なくらいに首を縦に振った。その拍子に髪の毛がものの見事に乱れて、ファイツは慌てて髪の毛を直した。だけど、どういうわけかちっともまとまらない……。
「うう……、ボサボサになっちゃった……。……その時も、今みたいになっちゃったんだよ……っ」
はあっと深い溜息を交えながら呟いたら、ラクツが「それは災難だったな」と言って穏やかに微笑んだ。ぱちぱちと目を瞬いたファイツは、彼の顔をまじまじと見つめた。やっぱり思い違いではなかった。飾り立ててはいない笑みを、自然そのものの笑みを、ラクツが自分に向けてくれている。そう思うと、心には熱い何かが広がった。
「……それで?」
「はえ?”それで”、って……何が?」
「ああ。髪を酷く乱しただけの収穫はあったのか、と思ってな」
「…………」
たった今感激した事実はどこへやらで、ファイツはちょっとだけ恨めしいと思いながらラクツを見つめた。くすくすと忍び笑いを漏らしているところからすると、彼の中ではあまりにもボサボサになったと思われているらしい。
「そ、そこまで酷くなかったもん!」
「そうか?」
「そうだよ!……それに結局、何も買わなかったし……」
「……アクセサリーを買う為に、キミは店に行ったんだろう?」
「そのつもりだったんだけど、止めることにしたの。今月結構使っちゃって苦しかったし……。ホワイトさんは、”良かったら買ってあげようか”って言ってくれたんだけど」
「ホワイトさんらしいな。彼女はキミのことを妹のように思っているようだからな」
「あ、うん……。何か、そうみたいだね……」
曖昧に頷いたファイツは、どうしたものかと苦笑した。ホワイトが自分を可愛がってくれているということは指摘されるまでもなく知っているが、他人の口から改めて告げられるとどうしたらいいか困ってしまうのだ。
「ホワイトさんがそう言ったのなら、素直に甘えれば良かったのではないか?」
「そんな……。ホワイトさんに悪いよ……っ。それに、アクセサリーならたくさん持ってるもん。だから別に、今買わなくてもいいの!」
ラクツに、というよりかは自分自身に言い聞かせるように言葉を発したファイツは、またしてもサンドイッチに手を伸ばした。マスタードと蜂蜜のサンドイッチだ。
(……でも、やっぱり可愛かったなあ……。……って、何考えてるの!?今買わなくてもいいんだってばっ!)
ファイツは噛み砕いたサンドイッチをごくんと飲み込むと、アクセサリーへの未練を断ち切るかのようにぶんぶんと首を横に振った。その勢いのまま卵とハムのサンドイッチを手に取って口内に放り込む。それを何度か繰り返したところで、ファイツは我に返った。そこに確かにあったはずのサンドイッチの山は、気付けば跡形もなく消え去っていたのだ。
「…………」
ファイツは背中からだらだらと冷や汗を流して固まった。だけど、今更気付いてももう遅かった。今飲み込んだばかりのレタスとトマトのサンドイッチが、まさに最後の1個だったのだ。瞬く間に、さあっと顔が青ざめる。
(あたしのバカ!何やってるの!?)
声にならない叫びを上げる、そもそもこれはラクツとフタチマルの為に作ったサンドイッチなのだ。いくら彼に「一緒に食べないか」と告げられたとはいえ、流石にこれは食べ過ぎだとファイツは思った。だってラクツは、どう考えても片手で数えられる程の個数しか食べていないのだ。しかも、どういうわけかボールにこもっているフタチマルの分まで食べてしまった……。
「ご、ごめんなさいいいっ!!」
一瞬で涙目になったファイツは、必死に手を合わせて頭を下げた。その拍子に、肩に乗っていたダケちゃんがベンチの上に転がり落ちた。だけどそれでもファイツは謝り続けた。最後の最後くらい迷惑をかけないで終わりたかったのに、結局こうなってしまった。本当に、どうしていつも失敗ばかりなのだろう?恥ずかしいやら申し訳ないやら情けないやらで、ファイツはさっきとは違う意味で泣きたいと強く思った。