その先の物語 chapter B : 014
失望
「……行ったな」「うん……」
ベンチに腰かけていたラクツは、腕組みをすると深い溜息をついた。同時に眉間に深い皺を刻む。ヒュウと、そしてペタシ。自分を”友達”と呼称した2人の姿が見えなくなった途端に心に浮かんだのは、紛れもない開放感だった。
(あの2人のおかげで余計な労力を使う羽目になった。まったく、早く去ってくれればいいものを……)
そうなのだ。ヒュウとペタシがようやく行ってくれて清々したというのが、ラクツの正直な感想だった。何せあの2人が見送りに来たおかげで、自分は”ラクツ”にならざるを得なくなったのだから。口でこそ「見送りに来てくれてありがとう」なんて告げたが、実のところはありがたいなどとは露程も思っていなかったりする。そもそもこちらが頼んだわけでもないのだし、むしろやらなくてもいい演技をする羽目になった分余計に疲れただけだ。にこやかに会話を続けながら腹の中では邪魔だと思い続けていたわけだが、これでようやく楽になった。見送りなら、この娘1人で充分なのに。
「…………」
生暖かい風が頬を撫でるのを感じ取りながら、ラクツはそれにしてもと思った。2人の、いやヒュウのあの態度は何なのだろう。しきりにこちらを振り返った彼の姿が蘇って、ラクツはこめかみに手を当てた。その拍子にライブキャスターが視界に映って、深く息を吐く。
(”ラクツ”の性格上そうせざるを得なかったが、あの2人と番号を交換したのは失敗だったな)
素直であるペタシはまだいい、やんわりと断れば性格的に連絡をして来ないという確証があるからだ。問題はヒュウだ。いいかげん諦めてもいいだろうに、フタチマルに何度もポケモンバトルを挑んで来たヒュウだ。手を出すに決まっていると言わんばかりに、何度も何度もこちらを振り返って来たヒュウだ。心底うんざりさせられると、ラクツは深い溜息と共に鬱屈感を吐き出した。あの諦めの悪さとしつこい性分からして、もしかしたら明日にでも向こうから連絡を寄越して来るかもしれない。何なら数時間後にでも、”ファイツに何もしてないだろうな”なんて、開口一番に苦言を呈せられるのかもしれない。根拠もないそんな未来が、しかし容易に想像出来るのはいったい何故なのだろうか。今から思えば適当な理由をつけて断れば良かったのだ。判断ミスをしたものだと、苦々しく顔を顰める。唯一の救いは、ライブキャスターが仕事用の物であるということくらいか。
「……ラクツくん」
ベンチに並んで腰かけている娘に控えめな声量で名を呼ばれたのは、ラクツが臍を噛んだ直後だった。彼女に名を呼ばれた途端に鬱屈感や苦々しさが霧散するのだから、恋愛とは本当に不思議でならないと強く思う。
「どうした?」
「ごめんね、ラクツくん」
「毎度のことだが、キミはよく謝るな。何が”ごめんね”なんだ?」
ラクツは苦笑した。最後の最後まで、この娘は謝ってばかりではないか。背中を丸めて見るからに浮かない顔付きをしている娘は、ともすれば泣きそうな雰囲気を醸し出している。
「……だって。結局、ヒュウくんとペタシくんに誤解されたままお別れしちゃったでしょう……?あたしがちゃんと言わなかったから……」
「何だ、そんなことか。キミが謝る必要はない」
「でも……。本当のラクツくんって、すっごく真面目な人なのに……。あたしの所為で、ラクツくんが悪く思われるのは嫌だよ……っ!」
「ボクは別に構わない」
「な、何で……?」
「ファイツくんが、本来のボクを知っている。ボクはそれでいい」
「え……」
瞳を揺らめかせる娘をまっすぐに見つめて、言葉を紡ぐ。しっかりと告げてしまってから、ラクツははたと気付いた。決定的な言葉を口にしたわけではないが、これはある意味告白ではないだろうか。
(……参ったな)
心なしか呆然としているようにも見えるファイツを見つめながら、ラクツは内心で冷や汗を流した。この娘のことは好きだ。ヒュウは危害を加えるに違いないと思っているようだが、むしろ護りたい存在であると認識しているくらいなのだ。大切で、特別で、護りたくて。ファイツに抱いている様々な気持ちが、間接的ではあるにせよ勝手に口から飛び出したわけで……。
「ラクツくん」
「あ、ああ。……何だ?」
物思いに耽っていたラクツは、彼女の声で思考を止めた。果たして何を言われるのだろうか?
「……ありがとう。すごく嬉しいな……」
「……っ」
頬を赤く染めたファイツが、瞳を潤ませながら言葉を紡いだ。その表情を間近で見たラクツの呼吸は止まった。心臓が、どくんと大きく跳ねる。視界の中心に映っている娘は、あまりにも可愛かった。
「ラクツくんがそう思ってくれるなんて思わなかった……。ラクツくんとこんなに仲良くなれて、あたし……すっごく嬉しくて……っ!」
「…………」
声を震わせたファイツは人差し指で目頭を押さえた。泣きそうな顔をしていた。しかし彼女は、ともすれば泣きそうなのににっこりと笑っていた。
「今日でお別れしちゃうけど……。これからも、あたしの友達でいてくれる?」
「……ああ」
「ありがとう……っ!」
頷くと、ファイツはホッとしたように胸を撫で下ろした。大方、断られたらどうしようなどと考えていたのだろう。友人だと告げた途端に見るからに安堵した彼女を、ラクツは無言で見つめていた。
「あ!あのね……。ラクツくんに渡す物があるんだけど……っ!忘れないうちに、今渡しちゃってもいいかなあ?」
「ああ」
答えるや否やごそごそと鞄の中に手を突っ込んだファイツを、ただひたすら見つめる。自分はやはり、この娘に友人以上の存在だとは思われてはいないらしい。その事実を改めて突き付けられたラクツは、一生懸命に何かを探しているファイツに気付かれないように溜息をついた。先程とは違う意味で、心臓が痛かった。