その先の物語 chapter B : 011

てをつなぐ
(どうしよう……)

そう心の中で呟いたファイツは、木が生い茂る森の中を歩いていた。何だかここ最近は”どうしよう”と思ってばかりだと、誰にともなく唇だけで呟いた。ぶつくさと1人で愚痴を零したところで何の解決にもならないことは分かっているのだけれど、吐かずにはいられなかった。だって、この状況はあまりにも気まず過ぎる。

(……いいなあ)

耳に届くさえずりからしても、近くに何かしらの鳥ポケモンがいることは明らかだった。警戒しているのか姿を現さない鳥ポケモンに対して、ファイツは羨望の気持ちを向けた。羨ましいと、強く思った。

(あたしにも、鳥ポケモンさんみたいに翼があったら良かったのに……。そうしたら、空を飛んで行けるのに……)

叶うことのない願望を声を出さずに呟いて、そっと目を伏せる。その途端に視界にはとある光景が否応なしに映し出されて、自分でそうしておきながらファイツはぐぐっと眉根を寄せた。視線の先には、自分の手を引いているラクツの手が見える。森に入った途端、彼に手を繋がれたのだ。別に嫌だというわけではないのだけれど、それでも酷く落ち着かない気分になるのは否めない……。

「…………」

自分のそれよりずっと大きい彼の手と、背筋がすっと伸びた彼の背中を見つめながら、1人思いを馳せる。今から1時間くらい前のことだ。フタチマルの頭を撫でようとしたファイツは、そのフタチマルに手を強く引かれたのだ。それが原因でバランスを大きく崩した結果、ラクツに抱き留められる羽目になってしまった。彼に密着した記憶が蘇って来て、ファイツの顔は自然と赤くなった。

(やだもう……。また顔が赤くなっちゃってるよ……っ。心臓だってどきどきしてるし……っ)

”どうかどうか、ラクツくんがこっちを振り返りませんように”。そう何度も願いながら、ファイツは高鳴った心臓を必死に宥めた。だけど何度目かの深呼吸をしたところで、ファイツはきゃあっと悲鳴を上げた。神様に強く願ったのにも関わらず、ラクツがこちらを振り返ったからだ。

「な、な、何、ラクツくん……っ」
「いや……。それはこちらの台詞なんだが……」
「ふえ?」
「キミに害意がないことは理解しているが、こうも視線を浴びると流石に気になってな。ファイツくん、ボクに何か言いたいことがあるなら遠慮なく言っていいぞ。……今ならまだ大丈夫だ」
「……っ」

彼が最後に付け加えた言葉に首を傾げつつも、ファイツは何も言わなかった。早い話が言葉に詰まったのだ。”この手を放して欲しい”というのがまさに言いたいことの内容であるわけなのだが、本人を前にしてなおその言葉を口にする勇気は自分にはなかったのだ。それでも何か言わなくちゃと視線を彷徨わせていると、ラクツの隣にいるフタチマルと目が合った。実につぶらな瞳を向けているフタチマルは、心なしか落ち込んでいるようにしか見えない。リビングでラクツに叱られていたフタチマルの顔が頭の中に蘇って、ファイツの心はずきんと痛んだ。

「もう一度念を押しておく。あのような危険極まりない行動は二度とするな。……いいな、フタチマル」

重々しく頷いたフタチマルを見ていたファイツは、またしても”どうしよう”と思った。この場の空気が重いのだ。はっきり言ってしまえば気まずくて仕方がなかった。まして、自分も無関係でないとなれば尚更だ。おずおずと言葉を発する、彼の声色は実に冷ややかだった。

「ラ、ラクツくん……。フタチマルくんももう充分反省したと思うし、それくらいで終わりにしてあげて……?それに、危険極まりないって言う程じゃ……」
「何をのんきなことを言っているんだ、キミは。彼が軽率な行動をしたおかげで、一歩間違えれば怪我をしていたところだったんだぞ。……まあ、軽率なのはファイツくんも同じだが」

ファイツは説教の矛先がこちらに向いたことを感じ取ったが、反論する気はまったく起こらなかった。それは、彼の声が真剣そのものだった所為なのかもしれない。自由な方の手をぎゅっと握り締める。

「まったく、ファイツくんの言動には実に驚かされるな。こんな森に単身入ろうとしていた、か。……いったいどういう神経をしているんだか」
「…………」

ファイツはラクツが発した言葉を黙って聞いていた。定位置である肩の上に乗った、ともすれば攻撃しそうなダケちゃんを、やんわりと制止する。耳が、心が痛かった。どちらともがずきずきと痛む中で、彼に抱き留められた後のことをぼんやりと思い返す。ラクツに底冷えするような声色で叱られていたフタチマルがあまりにもかわいそうで、だからファイツは”きのみを採って来るね”と言ったのだ。それは話題を変えたかったというのもあるけれど、フタチマルに元気を出して欲しかったからこそ出た言葉だった。
”たくさんの人に迷惑をかけるに違いない”という直感に耳を傾けたファイツは、お菓子用のきのみを採る為に深夜帯の森に入るのは綺麗さっぱり諦めていた。だけど、森に入ること自体を諦めたわけではなかった。うっかり寝過ごした所為で結局は叶わなかったけれど、早起きしてダケちゃんと一緒に行こうかなと考えていたくらいだったのだ。そう、森に入るという考えは元々ファイツの頭の中に存在していたわけで、つまりは単なる思いつきで言ったわけでは決してなかった。だけどラクツにとってはそうではなかったようで、苦笑しつつも「唐突だな」と言われてしまったのだ。
確かに苦笑いを浮かべていたはずのラクツの表情が一変したのは、それからすぐのことだった。行先を尋ねられたファイツが何気なく答えた途端に、彼はどういうわけか血相を変えて。そして、矢継ぎ早に尋ねて来たのだ。「何に使うつもりだ」と問われて「フタチマルくん用のお菓子に使うの」と言ったら、眉をひそめられた。「どうしてもこの場所でないと嫌なのか」、「すぐに出るのか」に対して素直に頷いて見せたら、盛大な溜息をつかれた。「1人で向かうつもりなのか」と問われて尻込みしながら「ダケちゃんと一緒に」と答えたら、「何を考えているんだ」と返されてしまった。何かを考え込むかのように押し黙ってしまったラクツのことをわけも分からず見つめていたファイツは、「ボクも着いていく」と告げられたことで我に返った。そしてそれが確定事項でもあるかのように、猛烈な勢いでご飯を食べ始めたのだ。ファイツも不本意ながら彼に従った。せっかく作ってもらったご飯を流し込むようにして食べるのは正直気が引けたのだが、”早く食べろ”とでも言わんばかりにこちらを見つめて来る彼には勝てなかった。大急ぎで身支度を済ませて、食器洗いもせずに家を飛び出したのだ。

「ファイツくん。ここがどういう場所か分かるか?」
「え?……えっと……」

ちょっとだけ現実逃避をしていたファイツは、静かに問いかけられて思わず口篭もった。いつの間にやら繋がれていた手は放されていたが、戸惑いは消えなかった。どういう場所なのかと問われても困る。周りには鳥ポケモンがいて、鬱蒼と草木が生い茂っていて、ところどころから木漏れ日が差し込んでいて。そして何より、珍しいきのみが摂れる森だ。どういう場所だと訊かれても、普通の森だとしか言えない。いったい何がどうしたんだろうと、ファイツは困惑しながら口を開いた。

「ただの……。普通の森でしょう?……空気が綺麗で、立派な森だってことは分かるけど……。あ、綺麗なのは木漏れ日もだよね。森林浴にぴったりかも」
「……そうか。ファイツくんの目にはそう映るのか」
「……え?」
「……ああ、長居し過ぎたな。急いだ方がいい」

言葉通り、ラクツはすたすたと歩き出した。ラクツは何も言わなかった。どうしたのと尋ねても、何も返してはくれなかった。ただひたすら、前を歩いているだけだ。

(い、いったいどうしちゃったんだろう……っ。ラクツくん、何か変だよ……っ!)

ラクツが自分の目の前でフタチマルを𠮟りつけた時から薄々感じていた言葉を、ファイツは心の中で口にした。上手く言えないけれど、彼はどこかがおかしいように思えてならない。ファイツは頭に延々と疑問符を浮かべながら必死で歩いた。繋いだ手から伝わる彼の体温を、その身に感じながら。