その先の物語 chapter B : 005
器用だけど不器用で
無残にも原型を留めない形になってしまったハンバーグと、投入した食材のほぼ全てが黒焦げになってしまった野菜炒め。それはどう控えめに解釈したとしても、失敗したとしか言えない2品目だった。ハンバーグは見た目に目を瞑った上で火を通せばどうにか食べられそうだが、野菜炒めは完全に炭と化していた。作ってもらっておいてものすごく申し訳ないけれど、極々一部以外炭化した野菜炒めを脇に置いやったファイツは、困り果てていたラクツに対してもう一度作り直そうと提案したのだ。幸いなことに食材はまだ残っている上、時間は充分にある。この際作り直した方が却って早いのではないかという考えは彼も同じだったようで、自然な流れで夕飯づくりの第2ラウンドは始まった。本当に本当に申し訳ないけれど、彼が手がけたメニューがもののの見事に失敗したことは多分誰の目にも明らかで。だけどファイツは、彼を責めようなどとは微塵も思わなかった。元はと言えば料理そっちのけで放心していた自分が悪いのだ。それに料理が出来ないと言っていたラクツに焼き加減を担当してもらったこと自体が、そもそも間違っていたのだろう。そう考えたファイツは、彼と役目を交換した。つまりは自分が火加減を調整する方に回ったのだ。もちろん自分が料理上手などとは露程も思っていないが、少なくとも彼よりは料理に慣れている分失敗する確率は下がるだろう。彼には比較的簡単な仕事を担当してもらえばいいと、ファイツは思っていた。その考えは多分間違っていなかったと思う。その考えは夕飯を食べ終えた今でも変わっていないのだけれど、どういうわけか第2ラウンドもハプニングの連続だった。もう1本にんじんを切って欲しいと頼んだら、その全てが繋がっていたにんじんを見せられた。卵を割って欲しいと頼んだら、殻だらけの卵液が入った容器を差し出された。調味料の分量を伝えた上でサラダのドレッシング作りを頼んだら、酸味しか感じないドレッシングが出来上がった。じゃがいもの皮を剥いて欲しいと頼んだら、剥かれた皮にやたらと厚みがあるのが確認出来た。おまけに芽が完全に取り除かれていなかった。ラクツの動向が気になった結果として結局卵焼きを見事に焦がしてしまったことも含めて、本当にハプニングだらけだった。何か失敗する度に、お互いに謝り合って。そしてどうにか夕飯を作り終えた時には、既に夜10時が過ぎていた。
元はハンバーグの形をしていた、ところどころが黒焦げの挽肉。妙に不揃いのミニトマトが盛り付けられた、1枚1枚がかなり大きいレタスのサラダ。やっぱり不揃いに切られた元・ハンバーグのつけ合わせであるにんじんと、やけにサイズが小さいじゃがいも。細か過ぎて、取り切れなかった卵の白い殻が混ざった黒い焦げが目立つ卵焼き。見た目に何の問題もないのは焼いただけのパンくらいのもので、それ以外のメニューはどこかしらがおかしかった。多分、気落ちしていたのだろう。食卓に並べられたメニューを神妙な顔付きで見つめて席に着こうともしなかったラクツに、ファイツは「本当にありがとう」と頭を下げた。彼を無理に気遣ったわけではなくて、それは心からの謝意だった。
「綺麗……」
風が窓を叩く音をBGMにして、ファイツはソファーに座って食後のひと時を過ごしていた。何気なく振り返ってみれば、カーテンの隙間から見える窓からは燦然と輝く星々と白い月が覗いていた。知らなかった、どうやら今夜は満月らしい。そして知らなかったといえば、もう1つ……。
「知らなかったな……。ラクツくんって、結構不器用なんだ……」
何だか信じられないと思いながら、一緒に料理に励んでいる最中や食事中には決して口にしなかった言葉を呟いた。ラクツがこの場にいないからこそ言えることだ。真面目で落ち着いていて、すごくしっかりした人で。ファイツはそんな彼のことを、器用な人なんだろうなと思っていた。だって、真逆にも程がある表の顔と裏の顔を瞬時に切り替えられるのだ。少なくとも、器用か不器用かで言えば器用であるはずだと思っていた。ところが、蓋を開けてみればあの不器用さだ。何の変哲もない野菜に悪戦苦闘していたことを思い返して、思わず苦笑する。結果的には怪我こそしなかったけれど、あれはかなり危ない包丁裁きだった。”ラクツくんの方がよっぽど危なっかしい”と思ったのは秘密だ。
ちなみにそんな彼はというと、キッチンで洗い物をしてくれている最中だ。もちろんファイツは、あと片付けだってちゃんと自分でやるつもりでいた。何と言っても彼はお客さんなわけだし、それに彼は慣れない作業で疲れているに違いないと思ったのだ。事実、食事中のラクツは普段より更に口数が少ないように思えた。そんなファイツが後片付けを任せる気になったのは、単に「洗わせて欲しい」と言い張った彼の勢いに押されたからだった。ラクツの好意を無碍にするのも何だか悪いような気がして、結局はお願いすることにしたのだ。
「それにしてもラクツくんがあんなに不器用だったなんて……。何か、すっごく意外かも……」
「そうか、意外か。それこそ意外だな」
「……ふえっ!?」
「ボクは別に、自分が器用だなどとは思っていないんだがな」
闇を思わせるような黒い夜空に、白い月と星が輝いている。自分好みの綺麗な夜空を見ながら零した言葉は、自分以外の誰の耳にも届かないはずだった。だけど直後に聞こえて来るはずのない声が聞こえて来て、ファイツは素っ頓狂な悲鳴を上げた。そろりと振り返ると、こちらを見下ろしているラクツとしっかりと目が合った。
「ララララクツくん!?ど、どうしてここにいるの!?」
「どうしてって……。食器洗いが終わったから、としか言えないが」
「もう終わったの!?だって、あんなにあったのに……」
普段は洗い物を多く出さないように気を付けているのだけれど、今日は日頃の心がけに反してしまったわけで。特に鍋肌に食材が焦げついたフライパンは、男の人でも綺麗にするのに苦労するだろうと思っていた。だからファイツは何気なく、思ったことを軽い気持ちで口にしたというのに。なのにまさか彼に聞かれていたなんて、本当に本当に夢にも思わなくて。ファイツは焦った、大いに焦った。顔から冷や汗がたらりと垂れたことをぼんやりと感じ取る……。
「一応言っておくが、ボクはきちんと洗ったぞ。何なら確認してみるか?」
ハンカチで冷や汗をしっかりと拭った後で、ファイツはゆっくりと立ち上がった。もちろんラクツが嘘をついたと思っているわけではない。だけどこの短時間で洗ったと言われても、とても素直に信じられるものではなかったのだ。彼の言葉が真実でしかないと分かったのは、キッチンに足を踏み入れた瞬間だった。お皿を始めとした食器はもちろんコンロ台からシンク、更には壁のタイルに至るまで。目に見える物全てがそれは綺麗に輝いていたからだ。ものの見事に焦げがこびりついていたフライパンも、新品かと見違える程ぴかぴかで。その完璧具合と来たら、むしろ忙しさを理由にして掃除を怠っていた自分が恥ずかしく思えて来る程だった。
「やっぱりラクツくんって、わけ分かんない……」
その光景に圧倒されたファイツは口を半開きにして呟いた。料理を手伝ってくれていた時はあんなにも不器用で、危なっかしい手付きで、お世辞にも仕事が早いとはとても言えなかったというのに。その一方で、あの短時間にどうやったらここまで綺麗に掃除が出来るのかと首を傾げざるを得ない程に仕事が早いという一面を覗かせている。器用な人なのか、それとも不器用な人なのか。本当の彼はいったいどちらなのかがまるで分からなかった。とりあえずここまで綺麗にしてくれたお礼と、労いの意味も込めて蜂蜜入りのホットミルクでも作ろう。冷蔵庫から牛乳を取り出しながら、ファイツはわけが分からないよと思ったままの言葉を漏らした。