その先の物語 : 038

てれやでいじっぱり
「だああああ!ちくしょう、またオレの負けかよ!」

ものの見事に敗北を喫したヒュウは、ただっ広い原っぱの中心で絶叫した。悔しさを隠しもせずに、泥だらけの地面に思い切り寝転ぶ。あまりに勢いをつけて寝転んだ所為で、小石が宙を舞ったのを感じ取った。おまけに「こんなに汚すなんて」と頬を膨らませながら文句を言う妹の声が脳内で聞こえたような気がしたが、ヒュウは構わなかった。確かに妹のことは大事だし困らせたくないのはやまやまなのだが、それとこれとは話が別なのだ。

「何なんだよ、お前のフタチマルの強さは!」

「ほとんどズルじゃねえか」と呟いて、人差し指をまっすぐに突き付ける。自分を見下ろしているラクツが実に涼しい顔をしているということが、ヒュウの敗北感を更に高めることとなった。ついでに、どうやら感動しているらしいペタシがしきりに手を叩いていることもこれ以上になく苛立たせた。拍手すんなよという言葉が勝手に口から飛び出たが、風に攫われた所為で多分誰の耳にも届くことはなかっただろう。

(ちくしょう……。今度こそは勝てると思ったのによ……)

ケーキを食べ終えたらラクツにポケモンバトルをしかけてやると固く決めていたヒュウは、即座にその考えを実行に移した。軽い調子で頷いたラクツの鼻を、絶対に明かしてやる。ケーキ屋から場所を移して、フライゴンと共に断固とした決意で臨んだポケモンバトルは、しかしものの数秒で終わった。ペタシのかけ声が終わると同時に放たれた、ラクツのフタチマルが放った”シェルブレード”がフライゴンに一撃。それで終わりだった。まずは小手調べに”すなあらし”を使うべきだろうか。それか、”りゅうのいぶき”を食らわせてやるのも手だ。いっそ、初手から”はかいこうせん”を撃って度肝を抜かせるのもいいかもしれない。頭の中で色々と考えを巡らせていたヒュウは、あまりにも呆気なく終わったポケモンバトルに、しばらくの間身動き一つ取れなかった。スローモーションで地面に倒れ込む相棒の姿を、呆然と眺める他なかった。まさに瞬殺だった。

「……あー……。そんなに気にすんなよ。お前は良くやったさ」

顔を覗き込んで来たフライゴンの頭を、慰めるかのように軽く撫でてやる。つい最近やっとのことで進化したばかりのフライゴンは、自分に負けず劣らず酷く落ち込んでいた。フタチマルに対して文字通り何も出来ずに負けたことが、相当ショックだったのだろう。じめんとドラゴンという2つのタイプを持っている分、フライゴンはこおりタイプの攻撃に酷く弱い。だから、例えば”れいとうビーム”なり”ふぶき”なりを受けた結果として、一撃でやられるのならまだ納得出来るのだ。しかし、相手が放ったわざはどう見てもみずタイプの技だった。それはつまり、ラクツのフタチマルが自分のフライゴンより実力的な意味でかなり先を歩いているということに他ならないわけで。素直には受け入れ難い事実を、ヒュウは顔を歪めて受け入れた。

「戻れ、フライゴン」

深い溜息をついた後で身体を起こしたヒュウは、フライゴンをボールに戻した。わずかに重みが増したボールを腰のベルトに装着してから、ゆっくりと辺りを見渡す。並んでポケモンバトルを観戦していたファイツとペタシの姿が目に入って、ヒュウは途端に気まずくなった。肉薄したバトルが出来なかったという現実が、容赦なく身体を突き刺した。

(次は……。次こそは、絶対勝ってやる)

ヒュウはラクツと、ついでにペタシを睨みつけた。心配そうな顔でこちらを見ているファイツはともかくとして、拍手こそ止めたものの「すごいだす」を連呼しているペタシの態度が鼻について仕方がなかったのだ。そんなヒュウの目に、正座をしたフタチマルが何かをやっている姿が止まった。

「なあ。あいつ、いったい何やってるんだ?」
「ホタチの手入れだよ。彼はいつも、戦いの後は手入れを欠かさないからね」
「へー……。お前と違って真面目なんだな」

”ラクツ”とは似ても似つかないやつだ。ラクツの本性を知る由もないヒュウは、フタチマルに対して的外れでしかない評価を下した。

「……で、この後はどうする?ペタシもボクとポケモンバトルをするのかい?」
「オラはしないだす!もうヒュウとラクツのバトルを見てるだけで、満足っていうだすか……」

ラクツに話を振られて、ペタシは首を慌てて横に振った。相変わらずとしか言えない友達の態度に、ヒュウは思い切り鼻を鳴らしてやった。今更だが、ペタシのラクツに対する信奉振りはいったい何なんだ。

「ふーん……。ファイツちゃんは?」
「あ、あたしも別に……っ」

そして続けて話しかけられたファイツはと言うと、ペタシ以上の慌て振りを見せていた。引き攣ったような表情でぶんぶんと首を横に振っているファイツを見て、ヒュウは顔を顰めた。かつて社会科見学で乗ったバスの中で、彼女をナンパしていたラクツの姿が色鮮やかに蘇る。目の前で繰り広げられているやりとりは、まさにあの光景の再来ではないか。今だってそうだ。ラクツにしつこく話しかけられたファイツが困っていることは、誰の目にも明らかだった。

「お前なあ、そのくらいにしとけよな。ファイツが困ってるじゃねえか」
「ヒュウくん、あたしは別に……」

この期に及んでそんな言葉を口にするファイツに、とうとうヒュウは盛大な溜息を送った。何考えてんだと呟いてから、おもむろに立ち上がる。そして、まっすぐにファイツの元へと向かった。

「なあ、ファイツ。お前、大丈夫かよ?」

彼女を困らせている元凶である人物、つまりラクツを腕ずくで引き剥がしたヒュウは、自由になったファイツにそっと耳打ちをした。当初こそ憎むべき存在と認識していたが、今やヒュウはファイツのことを友達であると同時に同い歳の妹として見ているのだ。兄としては、妹が困っているのに放っておくわけにはいかない。

「えっと……。大丈夫って、何が?」

引き攣った笑みを浮かべていたはずのファイツは、眉根を寄せて小首を傾げた。わけが分からないと言わんばかりにポカンと口を半開きにした彼女の反応に、ヒュウは困惑した。

「何がって……。だってお前、あいつに言い寄られてるじゃねえか。それにお前の家って、あいつが泊まってるホテルと一緒の方向なんだろ?」
「あ、えっと……。そ、そうなのかな……?」
「らしいぜ。ペタシと話してるのを聞いたからな。ラクツのことだから、一緒に帰ろうとか何とか言い出すに決まってんだろ。何なら、オレがお前の家まで一緒に行ってやろうか?」

あくまで、友達兼兄として。面食らいながらも小声でそう指摘すると、ファイツは目を見開いた。しばらくこちらを見つめていた妹のような存在は、やがてヒュウにとっては予想外の反応を示した。「お願いしてもいい?」と言われるとばかり思っていたのに、どういうわけか首を横に振ったのだ。それも、困ったように笑いながら。

「ありがとう、ヒュウくん。何度も言うけど、ヒュウくんって本当に優しいよね」

優しいねと、面と向かって言われた。その気恥ずかしさから、自然と顔が赤くなる。

「オ、オレは別に優しくなんてねえよ……!」
「ふふ……。そんなに謙遜しなくてもいいのに」

そっぽを向きながらそう返すと、ファイツはくすくすと笑った。そのまま、「でもね」と言葉を続ける。

「あたしは大丈夫だから」
「は?いや、でもよ……」
「ダケちゃんもいるし、本当に大丈夫だから。それに、ラクツくんがあたしに言い寄るなんてあり得ないよ。……そんなこと、あるわけないよ」

ファイツは小声で、しかし同時にやけにはっきりとそう言い切った。そのことが気にはなったが、あそこまで自信ありげにそう言うなら本当に大丈夫なのだろう。それに彼女の言葉通り、いざとなれば肩に乗っているタマゲタケがどうにかするだろう。そう言い聞かせてヒュウは無理やり自分を納得させたが、それでもどこか釈然としなかった。

「……!?」

曖昧に頷いた瞬間だった。突如として”何か”を感じたヒュウは、勢いよく振り返った。それは紛れもない敵意だった。一瞬野生のポケモンに出くわしたのかと思ったが、すぐに勘違いだと思い直した。視線の先にはポケモンのポの字も見当たらない。そこにはただ、話し込んでいる2人の友達がいるだけだ。

「ど、どうしたの?」
「いや……。何でもねえ」

困惑したファイツに、そう返す。どこをどう探しても周囲に野生ポケモンは1匹も見当たらないし、ペタシとラクツのどちらともが笑みとしか言えない表情をしているのだ。だから今感じた敵意は、きっと気の所為なのだろう。背筋から一筋の汗が伝うのを感じ取りながら、ヒュウはそう思った。