その先の物語 : 036
本音と建前
天から降り注ぐ陽の光を浴びながら歩いていたファイツは、不意に右頬に感じた感触に動かしていた足を止めた。柔らかい感触の出所は、特等席である肩の上にちょこんと乗っているダケちゃんだった。目線をやると、撫でて欲しいと言わんばかりにダケちゃんが何度も頬をつついているのが見えた。(そっか……。あんまり構ってあげられなかったもんね)
実はスタッフルームにいる時も何度かダケちゃんの視線を感じたのだけれど、事故後のショックとラクツの手当てでそれどころではなかったファイツはその求めに応じなかったのだ。決して意図的に無視をしていたわけではないのだが、ダケちゃんはそう思わなかったらしい。心なしか非難めいた目でこちらを見上げて来るダケちゃんに、ファイツは申し訳なさと愛おしさが混じった目線を返した。
「ごめんね、ダケちゃん」
そうは言っても、少し前を歩いている男子3人の会話を邪魔するわけにはいかない。小声で謝ってから、今や身体全体でたいあたりを繰り出しているダケちゃんのぷにぷにとした頭を何度も撫でる。一しきり撫でると、ダケちゃんも満足したようだった。ファイツは定位置の上でおとなしくなったダケちゃんに微笑みかけると、前方に目線をやった。
(すごいよ、ラクツくん……)
心の中で、ヒュウとペタシに挟まれて歩いている彼にかけ値なしの称賛を贈る。月並みな言葉だけれど、本当にラクツの演技力はすごいと思う。自分なんかよりずっと、彼は俳優に向いているのではないか。卑下でも何でもなく、素直にファイツはそう思った。だってペタシと話し込んでいる”ラクツ”は、自分の知っているラクツと何もかもが違っているのだ。
「……じゃあラクツは、つい昨日戻って来たばっかだべか?」
「うん、家の都合でね。ボクも暇だったし、懐かしのポケウッドに寄ってみようかなって思ってさ。一通り見たところで帰ろうとしたんだけど、あの人だかりが見えてね。気になったからその場に留まってたんだ。偶然ファイツちゃんを見かけるし、おまけにあの事故だろ?ボクもびっくりしたよ」
嘘八百を並べている”ラクツ”の横顔を見ながら、ファイツは本当にすごいよと声に出さずに独り言ちた。自分の知っているラクツは、あんなに笑顔を振り撒かないし、あんなに声のトーンも高くないし、あんな口調ではないし、それに何より”ファイツちゃん”なんて呼ばないのだ。強烈な違和感を覚えながら2人のやり取りを聞いていると、ヒュウが納得したように頷いた。
「へー、そりゃあすげえ偶然だな。オレ達もだいたい似たようなもんだ。……あ、じゃあ何だよ?女達に騒がれてたのって、もしかしなくてもお前かよ!」
「あ、うん。ボクかな?」
「何でそこで首を傾げるんだよ!どう考えてもお前じゃねえか!そうじゃねえかとは思ってたけど、相変わらずナンパしてんだな」
「えっと……。ボクはただ、女の子達に軽く世間話をしただけなんだけど」
「それがナンパしてるって言うんだよ!」
直感的に、ファイツは嘘だと思った。ラクツは話の流れに合わせた台詞を言っただけで、実際のところは女の子達から話しかけられただけなのだろう。しかしヒュウとペタシは、”ラクツ”の言葉をそっくりそのまま信じ込んでいるようだった。無理もないが。
「まあお前らしいと言えばらしいけど、もっと真面目になってもいいんじゃねえの?そうしないとお前、いつか刺されるぜ」
「あはは……」
「やっぱりラクツはすごいだす!」
「おいこらペタシ!感心すんな!」
呆れを隠しもしないヒュウと、憧れと感嘆が入り混じった溜息をつくペタシ。そして、ヒュウの言葉と視線を受けて苦笑いをするラクツ。三者三様の男子を眺めていたファイツは、そっと目を伏せた。ペタシはともかくとして、ヒュウのラクツに対する印象は良くないものであることは明らかだ。ファイツは、ヒュウとペタシに「違うの」と言いたかった。ラクツのことを、女好きで不真面目な人間だと誤解して欲しくはなかった。自分の知っているラクツがどんなに真面目な人間であるかを、2人にきちんと説明したかった。だけど、そもそものラクツがそれを望んでいないことも知っている手前、声高に説明するわけにもいかない。ファイツは臍を噛んだ。
「でも、本当にいいのかなあ……」
ラクツ自身がそれを望んでいると知ってはいても、軽薄な人間だと2人に思われるのはファイツからすれば気持ちのいいものではなかった。やるせなさから、そんな音が唇から零れ落ちる。誰にともなく呟いた言葉を耳聡くも聞き取ったのは、ラクツとペタシの女の子に関しての会話を呆れ顔で聞いていたヒュウだった。頭の後ろで手を組んだ彼が、肩越しに振り返る。
「”いいのかなあ”って、何がだよ?」
「えっと……。ほ、ほら!……ホワイトさんが渡してくれたでしょう?良かったら皆で行って来ればって……」
ごめんね、ヒュウくん。心の中で彼にしっかり謝った後で、鞄の中を指差したファイツはしどろもどろにそう言った。流れるように嘘をついたラクツとは大違いだ。
「ああ、そういやケーキ代をもらったんだってな」
「うん……」
ホワイトへの負い目とヒュウへの罪悪感を強烈に覚えたファイツは、眉根を寄せてこくんと頷いた。ファイツだって事故が起こった直後はショックを受けていたが、ホワイトのそれは自分より遥かに顕著だった。顔面蒼白で、半狂乱になって自分の名を呼んでいた先輩の姿が、ぼんやりと脳内に浮かび上がる。ラクツが声をかけるまで、自分の存在にすら気付いていないようだったホワイトに、それはもう心配されたことは記憶に新しい。その後で、ホワイトは「ファイツちゃんを助けてくれて本当にありがとう」と、ラクツに何度も何度も頭を下げていた。
「でも、あたしだってポケウッドで働いてるのに……。やっぱり、ホワイトさんを手伝った方がいいんじゃないかなあ……」
半ば無理やりにお札を握らせたホワイトは、当たり前だがここにはいない。自分達がこうしてケーキ屋を目指して歩いている今も、ポケウッドの責任者として忙しく対応しているに違いないはずなのだ。ホワイトの気持ちを無碍にしないだけにもケーキだけ急いで食べて、食べ終わったらすぐに戻った方がいいのではないか。心の中に燻ぶった思いを打ち明けたら、ヒュウは眉をひそめて首を横に振った。
「止めといた方がいいんじゃねーの?オレ達を見送ったホワイトさんの顔、お前も見ただろ。今にも死にそうな表情だったぜ」
「う、うん……。ホワイトさんって、ちょっと心配性だから……」
「いや、誰でも心配すんだろ」
「そうかなあ……。でも、あたしだけ1週間のお休みなんて……。ホワイトさんにも他のスタッフさん達にも申し訳ないよ……」
ファイツは食い下がった。そうなのだ。ケーキ代をもらうだけでも負い目を感じるのに、あろうことか自分だけ休みをもらったのだ。それも、その間の給料はきちんと振り込まれるという好待遇で。ちなみに照明が落ちたこと自体は経年劣化によるもので、事件性は一応ないとのことらしい。大切な役者を恐怖と危険に晒したお詫びだとホワイトは言っていたが、それにしたって心苦しい。申し訳なさが募って仕方がなかった。それをヒュウに告げると、彼は呆れ顔で溜息をついた。
「いいから素直に甘えとけよ。お前、ここんとこずっと働き詰めだったんだろ?」
「う、うん……。それはそうなんだけど……」
「お前の顔見たら、きっと力ずくでも帰らされるぜ。それこそケーシィの”テレポート”とかでな」
「そんなこと……っ。……あるかも」
「だろ?ちゃんと1週間まるまる休んで、元気になったお前の顔を見せた方が、ホワイトさんだって安心するだろうよ」
「……うん、そうだよね……。ありがとうね、ヒュウくん」
「な、何だよ急に!オレは当たり前のことを言っただけだっつーの!」
まず間違いなく照れているのだろう。顔を赤くさせてそっぽを向いたヒュウの態度を目の当たりにしたファイツは、くすくすと笑った。口が悪い彼は、だけどすごく優しい。
「ヒュウくんって、やっぱり優しいよね」
「あのなあファイツ!お前、真顔で恥ずかしいこと言うなよな!」
「だって、本当にそう思ってるんだもん。……あれ?どうしたの、2人共」
いつの間にか、”ラクツ”とペタシのお喋りも終わっていたらしい。揃ってこちらを見ている2人に、ファイツは小首を傾げてみせる。反応したのはペタシの方だった。
「何でもないだす。やっぱりヒュウとファイツちゃんは仲良しだべなって思っただけだすよ!ケーキを食べたら、オラ達お邪魔虫は退散するっぺ」
「何言ってんだよペタシ!?変なこと言うなよな!!」
何でもないと言いつつもそんな言葉を付け足したペタシに、ヒュウが顔を更に赤くさせて怒鳴った。ヒュウとペタシのやり取りを聞きながら、ファイツは苦笑いを浮かべた。ヒュウとはあくまで友達なのに、時折ペタシはこういうことを言うのだ。
「あ、ファイツちゃん。そのワンピース、よく似合ってるだすよ!」
「はえ?……あ、ありがとう……?」
ペタシが、ヒュウとの会話が途切れたタイミングで唐突にそんな言葉を投げかけた。脈絡もなく服装を褒めてくれたペタシに、ファイツは呆気に取られながらもお礼を言った。今着ているワンピースは、ファイツのお気に入りの一着だった。ラクツが買ってくれた、あの薄い青色のワンピースだ。
「ラクツが女の子の褒め方を教えてくれただすよ!……あ!オラは大真面目にそう思ってるべな!本当だすよ、ファイツちゃん!」
「うん。ありがとう、ペタシくん」
どういうわけか、ヒュウに目配せをしながら必死にそう訴えるペタシに、ファイツははにかんだ。お気に入りの服を似合ってると評されるのは素直に嬉しい。
「あー。まあ、悪くねえんじゃねえの?」
「ヒュウくんもありがとう」
無理に言わせてしまった感が強いような気もするが、それでもヒュウの言っていることは嘘ではないのだろうとファイツは思った。彼が嘘が苦手な人間であることは、ファイツだってよく知っていた。
「…………」
服装を褒めてくれたペタシもヒュウも、そしてファイツも、2人に釣られて残りの1人に目線を向けた。黙っていた”ラクツ”が唇を開いたのは、その数秒後のことだった。
「ファイツちゃん。ボクもずっと思ってたけど、本当によく似合ってるよ。その服、すっごく可愛いね」
「う、うん……」
ファイツは引き攣った笑みを浮かべた。そして、そう言ってくれた”ラクツ”に対して、心の中でごめんねと手を合わせた。きっと、おそらく、多分。いや、どう考えても間違いなく、心にもないことを言わせてしまったに違いない。彼に無駄な嘘をつかせるのは、やっぱり気が引けた。
(だって、ラクツくんがそう思うわけないもんね)
他の女の子ならいざ知らず、自分が彼に可愛いだなんて思われるはずがないのだ。だって、ほら。彼は今、仮初の笑顔を貼り付けているではないか。あたしの所為で、心にもないことを言わせてしまってごめんね。”ラクツ”に向けて、ファイツは声に出さずに呟いた。