その先の物語 : 034

再会
「は~……。すごい人だすね……」

感嘆の溜息を漏らしたペタシの言葉に、ヒュウは顔を顰めて「そうだな」と同意した。せっかく都合が合ったのだからと、ペタシを誘ってポケウッドに来てみたらこれだ。色々と施設内を見て回ったから分かっていたことだけれど、とにかく人が多過ぎる。

「何だよ、結局最後までこんなに人だらけなのかよ。ここまで来ておいて何だけどよ、別の日にすりゃあ良かったぜ……」

自分とペタシが今いる場所はポケウッドの劇を上映する会場なのだが、見渡す限り人、人、人だった。何だか、ここにいるだけで気分が悪くなって来る始末だった。こんなことなら適当に街をぶらついていた方がまだマシだったぜと、ヒュウは悪態をついた。

「なあペタシ。オレ、もう帰ってもいいか?」
「ダメだすよ、ヒュウ!まだファイツちゃんの雄姿を見てないだべな!」
「分かってるつーの。ちょっと言ってみただけだ」

そうは言ったものの、即却下されなかったら回れ右をしようと半ば本気で考える程度には、ヒュウのテンションはガタ落ちしていた。溜息をついて、入口で配られたパンフレットに目を落とす。自分に倣って手元のパンフレットを見ていたペタシが、鼻息荒く声を上げた。

「ヒュウ!ほら、ここ!ファイツちゃんの名前が並んでるっぺよ!」
「……あー、確かにな。主演女優・ファイツ……か。あいつ、本当に本名で出てんだな」
「ほとんど出ずっぱりじゃねえっぺか……。オラ、やっぱり心配になって来ただす……」

その言葉通り、ペタシは「大丈夫だべか」と呟いて肩を落とした。見れば、彼の顔色は一目瞭然で青くなっているし、パンフレットを持つ手は小刻みに震えている。ペタシらしいと言えばそうなのだが、ヒュウはまたしてもはあっと溜息をついた。何せ、ペタシの「心配だす」という言葉を聞くのはこれが初めてではないのだ。ここに来るまでに、間違いなく10回は耳にしている。よくもまあそこまで心配出来るものだと、ヒュウは呆れ混じりの視線を向けた。

「またそれかよ。ペタシは本当、気が弱いっつーか……。何ていうか、心配性だよな」
「ファイツちゃんはオラの友達だすから、心配するのは当たり前っぺよ。ヒュウの方こそ心配じゃないんだすか?」
「まあ、ファイツはすげえドジだからな。そういう意味では心配だぜ。あいつのことだから、また何もないところでこけたりするんじゃねえの?」
「怪我しないといいんだすが……」

普段は何かとファイツの味方をするペタシも、自分のこの意見は流石に否定出来なかったらしい。それでも人の善さが溢れたペタシらしいコメントをはいはいと聞き流しつつ、ヒュウは手首につけたライブキャスターを見やった。ファイツが出演する劇が始まるまでにはまだ時間があるのだが、この後のことを考えると早めに行動する方がいいだろう。

「今のうちに出来るだけ前に行こうぜ。また人が増えてるしよ」
「そうだすね!……きっとこれ、ファイツちゃん目当てに来た人だすよ!オラ達のこと、ちゃんと気付くだべか?」
「いくらあいつでも流石に気付くんじゃねーの?これで気付かなかったら鈍いってレベルじゃねえだろ」

ファイツがこの場にいたら絶対に怒りそうなことを口にしながら、ヒュウは人の波を縫って前へと進んだ。その途中できゃあきゃあと固まって騒いでいる女子達を目にして、思わず顔を顰める。昔のように直接文句を言う気はないが、それでも女子特有の甲高い声は自分にとっては耳障りでしかないのだ。うぜえと内心で毒づいていると、ペタシがぼそりと呟いた。騒がしい中でその呟きをしっかりと聞き取ったヒュウは、足を止めずに声を張り上げた。

「”懐かしい”って、何がだよ?」
「ラクツのことに決まってるっぺ。ほら、あんな風に女子達に囲まれてただす。だども、あの子達が何で固まってるのかは分からねえんだけど……。ヒュウは何だと思うだべか?」
「どうせ、どっかの芸能人を見つけてはしゃいでるとか、そんなとこだろ。つーか、オレに訊くなよ。そんなに気になるんなら直接訊きに行けばいいじゃねえか」

そう切り返すと、ペタシは大袈裟に首を横に振った。焦っていると丸わかりのペタシの顔は、赤と青が入り混じった変としか言いようがない色をしていた。

「む、無理無理!とにかくオラには無理だす!オラはラクツでもねえし……!……ラクツ、今どこで何してるんだべな?」
「……それこそオレに訊くなよ。ラクツが今どこでどうしてるかなんて、オレだって知らねえよ」

ペタシの口から定期的に出る人物の名を自分もまた口にして、ヒュウは溜息と共にそう返した。自分だって知らないし、知れるものなら自分だって知りたい。そうすれば、ラクツにリベンジ出来るのに。ラクツにポケモンバトルで一度だって勝ったことがないヒュウは、1人のポケモントレーナーとしてそう思った。

「まあラクツのことだ。どうせ、どこかでナンパでもしてるんだろ」

ラクツが自分と同じ地方に身を置いていることも、そして彼の本当の身分も性格も知らないヒュウは、2年前のラクツのイメージをそのまま口にする。ペタシは自分のラクツ評を聞いて、「そうだべな」と笑っていたけれど、ヒュウはとてもそんな気分にはなれなかった。女好きを絵に描いたような軽い男であるラクツに、自分は一度だって勝てやしなかったのだ。ラクツがポケモンバトルで自分の遥か上にいるという事実が、悔しくてならない。もしどこかで会った時には、絶対にポケモンバトルを持ちかけてやる。そう心に決めた瞬間に会場の灯りが消えて、ヒュウは意識を切り替えた。

『あたしはファイツ。極普通のポケモントレーナーで、お姉ちゃんと一緒に暮らしてるんだけど、お姉ちゃんったらすっごくうるさいの!』

ステージに姿を現したファイツに、スポットライトが当たる。普通の映画もやっているのだが、ステージ上で行われる劇を間近で見られるというこのイベントは、ポケウッドの中でもかなりの人気イベントであるらしいのだ。普段とは違う髪型をしたファイツの語り口から劇は始まった。どうやらこの話でのファイツは、過干渉な姉を疎ましいと思っている妹という設定らしい。

『もうっ!ファイツったら、またそんな無駄遣いして!』
『いいじゃない!お姉ちゃんのケチ!これはあたしのお小遣いで買った道具なんだから、お姉ちゃんは口を出さないでよ!』
『そんな口を利くなんて……!今日という今日は許せないわ!』
『あたしだって!今日という今日はお姉ちゃんに勝って、この家を出てやるんだから!!』

目の前で繰り広げられるポケモンバトルという名の姉妹ゲンカに、ヒュウは演技と分かってはいても魅入ってしまった。小声で「すごいだすね」と口にしたペタシに、頷きだけで返す。月並みな表現だけれど、ファイツの演技はすごかった。マイクを持っているとはいえ声もよく通っているし、何より”口うるさい姉に対して本気で反抗する妹”という役に完全に成り切っているのがすごい。普段は絶対に言わないような口調で姉を罵るファイツの姿は、演技だと分かっていても怖かった。

『やったわ!!やっとお姉ちゃんに勝てた!……これであたしは自由になれるんだわ!』

姉役の女優が引っ込んだことで、観客達の注目を一心に受け止めたファイツは、スポットライトを浴びながら長い台詞を喋った。劇が上演される前は何かしらの失敗をするのではないかと言ったことをふと思い出したヒュウは、自分の発言を深く反省した。失敗するだなんてとんでもない。気付けば誰も彼も、ファイツの演技に魅入っているではないか。あくまで友達として、ファイツのことが心の底から誇らしかった。柄にもなくそんなことを思うヒュウの目の前で、ファイツを照らしている照明ががたりと揺れた。”何だよ、危ねえな”。ヒュウがそう心の中で呟くのと、ファイツの真上で固定されていたはずの照明が落ちるのは、ほとんど同時だった。

「危ない!」

そう叫んだのは、果たして誰だったか。ステージの床に激突した照明を呆然と見ながら、ヒュウはその場に立ち尽くしていた。目の前で、事故が起こった。それも被害者は自分の友達だった。最悪の状況だ。

「ファイツちゃん、ファイツちゃん!!」

誰かの悲鳴が響き渡るのと同時に、姉役の女優がステージの端から飛び出して来た。泣き叫ぶ彼女の姿を目にしてもなお、ヒュウはその場から動けずにいた。ペタシが何かを言っているのが感じ取れたものの、その言葉すらよく分からなかった。最悪の事態が否応なしに頭の中に浮かんだヒュウは、ペタシに激しく揺さ振られたことで我に返った。

「ヒュウ、ヒュウ!」
「あ……。ああ……。早くファイツを助けねえと……」
「違うだす!ファイツちゃんは無事だすよ!」
「……は!?」

ヒュウは耳を疑った。信じたくはないが、あの照明はまず間違いなくファイツに直撃したはずだ。避けられるような状況ではなかった。良くて大怪我、悪くて命を落とすような事故であることは、誰の目にも明らかだった。まさかと思いながらも、ステージに目を向ける。ヒュウの眼前に飛び込んで来たのは、人が人を抱えている光景だった。

「……ラクツ……!?」

右腕から血を流したラクツが、放心しているファイツを横抱きにしている。ラクツが立っている場所は、照明から数センチと離れていなかった。突然現れた友達兼ライバルの名前を、ヒュウは呆然と呟いた。