その先の物語 : 033

今日も元気に
自分で言うのも何だけれど、世間一般的な人に比べて自分は健康的な生活を送れている方だとファイツは思っている。起きてすぐ掃除や洗濯をする関係で早く寝ないと睡眠時間が取れないし、ヒオウギシティから勤務先のポケウッドまではかなりの距離があるから、早めに家を出ないと間に合わないのだ。

「う~ん……。温かくなって来たね、ダケちゃん!」

そんなわけで、今日も今日とて通勤コースである森の中を歩いていたファイツは、ぐぐっと大きな伸びをした。そのついでに、ライブキャスターで時間のチェックをする。現在の時刻は朝の7時前、家を出てからもう45分が経っていた。通勤時間は片道1時間半くらいだから、単純計算で後半分は残っている計算になる。交通機関を使えば半分程の時間で済むのだけれど、節約と健康の為になるべく歩いて通勤するようにしているのだ。先輩であるホワイトに何気なくそのことを話したら、ものすごく感心されると同時にものすごく心配された。

(心配してくれるのは嬉しいけど、ちょっと行き過ぎな気もするんだけどな……)

ホワイトにそれはもう思い切り抱き締められたことを思い出して、つい苦笑する。電車かバスを使ったらどうかと猛然と勧めて来た彼女に、ファイツは若干後ずさりながらもやんわりと断りを入れた。確かに肉体的にはかなり疲れるが、ちゃんといいこともあるのだ。

「……あ!ほら見て、ダケちゃん!」

定位置である肩の上に乗っていたダケちゃんの頭をつついて、少し離れた地面を指差した。日が差したことで、地面に立派な木漏れ日が描かれていた。

「すごく綺麗……」

木漏れ日を見つめて、ほうっと溜息をつく。長い距離を歩くことで生まれるいいことの1つは節約で2つは健康、そして3つ目がこれだった。疲れないかと問われたらそれは真っ赤な嘘になる。だけどそれでも、森林浴と地面に描かれた木漏れ日を思う存分楽しめるこの時間が、ファイツは大好きだった。周囲に人がいないことをいいことに、るんるんと好き勝手に歌を口ずさむ。

「今日は仕事が終わったら、美味しいケーキが待ってるからね!」

ひんやりとした空気を肌で感じながら、ダケちゃんに向かってにっこりと微笑む。今日は仕事終わりにホワイトに連れて行ってもらったケーキ屋に寄って、素晴らしい午後のひと時を楽しむ予定なのだ。森の中を歩いているおかげで空気が美味しいし、綺麗な木漏れ日も見られたし、仕事が終われば美味しいケーキが待っているわけで。そんなこんなで、ファイツのテンションは今や最高潮だった。

「……あ!!ち、違うよダケちゃん!あくまでラクツくんのお祝いが出来るから喜んでるだけで、ケーキが食べられるから喜んでるわけじゃないからね!?」

何だか盛大に呆れられたような気がして、慌てて声を張り上げて力説する。そうなのだ。午後にケーキを食べるのは、2週間も遅れてしまったラクツの誕生日祝いをする為なのだ。これはあくまでラクツくんの為なんだもんと、自分に何度も言い聞かせる。

(ラクツくんだって、ケーキを食べてみたいって言ってたもんね……。ブルーベリーのケーキだったら、甘い物が苦手なラクツくんでも食べられるかなあ?)

ケーキは甘いからダメだと決めつけていたけれど、よくよく考えれば全てのケーキが甘いわけではないのだ。後味がさっぱりしているあのケーキだったら、ラクツも美味しく食べられるのではないだろうか。彼の口からただの一度も美味しいという言葉が出て来たことがないのはもちろん分かっているけれど、ファイツは諦めてはいなかった。

「でも、”あの”ラクツくんがあんなことを言うなんて思わなかったなあ……。食べることに興味が出て来た証拠だよね!」

昨晩、食事が終わった後のことだった。「今後の参考にケーキを食べてみたいんだが」と、彼らしい古めかしい口調でラクツが申し出たことを思い出して、ファイツは微笑んだ。ケーキが大好きなファイツにとってはまさに願ってもないことで、ホットミルクを飲み干した後で二つ返事で頷いたことは記憶に新しい。ちなみに食後のホットミルクに関して特に何も言わなかったラクツだが、今日のケーキに関しては一言くらいあるのではないかとファイツは密かに期待しているのだ。

「前はお腹に入ったら何でもいいって感じだったもんね……。本当に良かったよ……」

ラクツが変わったのは、食べ物への意識だけではない。深く刻まれていた眉間の皺も最近は薄くなって来ているし、穏やかな笑顔を見せることが増えたような気がする。それこそ再会したばかりの頃とは比べ物にならない程に変化を遂げたラクツに対して、ファイツは何度も「良かったね」と声に出さずに呟いた。誕生日のお祝いも含まれてはいるけれど、彼が承諾してくれて良かったと心から思う。

「今日はいっぱい食べていいからね、ダケちゃん!」

何と言っても、せっかくのお祝い事なのだ。普段は夕飯につかえるからという理由で、ダケちゃんのおやつは控えめな量にしているのだけど、今日ばかりは羽目を外してもいいとファイツは思っていた。「お昼ご飯は少なめにしよっか」なんて、ダケちゃんに笑顔で話しかける。すると、どういうわけかダケちゃんは飛び降りてしまった。

「ど、どうしたの!?」

地面にバウンドしたダケちゃんを、慌てて拾い上げる。掌の上にちょこんと乗ったダケちゃんは、何故か仏頂面をしていた。

「ダケちゃんだって、ケーキは大好きでしょう?」

ダケちゃんの機嫌が悪いことは明らかだった。だけどどうして急に不機嫌になったのかが分からなくて、ファイツは困り顔で問いかける。自分に似たのか、それとも産まれつきそうだったのか。どちらかは分からないけれど、ダケちゃんはとにかく甘い物が好きなのだ。特にケーキには目がなくて、一欠片すらも残さずに食べることをファイツはよく知っている。それだけに、ダケちゃんの態度は不可解以外の何物でもなかった。

(本当にどうしたんだろう?)

眉根を下げて、相変わらず仏頂面を続けている友達を見つめる。そんなダケちゃんを見たファイツは、はっと息を飲んだ。1つの可能性に思い至ったのだ。

「……ラクツくんのこと、まだ怒ってるの?」

まさかと思いながら尋ねたら、勢いよく頷かれた。ダケちゃんは、今もなおラクツに対して強い敵意を抱いているのだ。

(あたしは全然気にしてないんだけどな……。毎日会ってるんだし、ラクツくんにだってもう少し懐いてもいいと思うんだけど……。やっぱり難しいのかなあ……)

つーんとそっぽを向いたダケちゃんをどうにか宥めすかしながら、ファイツははあっと溜息をついた。一緒にいる時間が増えるのだから、ラクツに対するダケちゃんの態度もその内柔らかいものになってくれるかもしれない。そんな自分の見立ては、どうやら相当甘かったらしい。

「ダケちゃん。今日はラクツくんが観に来るんだからね。もし見つけても、どさくさに紛れてラクツくんに攻撃しちゃダメだからね!」

他のお客もいるからまず大丈夫だとは思うけれど、釘を刺しておくのも忘れない。今日は何とラクツがポケウッドに来るという、自分にとっては一大イベントがあるのだ。そうは言っても彼を誘ったのは他でもないファイツ自身だった。ケーキを食べるついでにポケウッドを観てみないかと言ったら、ラクツは意外にもあっさりと承諾してくれた。ポケウッドを出てから少し離れたところにあるポケモンセンターで待ち合わせをして、それから一緒にケーキ屋に行く予定なのだ。反応が薄かったダケちゃんにもう一度念を押すと、ダケちゃんは頷いた。どう見ても渋々頷いたダケちゃんに、思わず苦笑いが漏れる。

「今日も1日頑張ろうね、ダケちゃん!」

自分が演技をしているところをラクツに見られるかもしれないと思うとちょっと緊張するけれど、仕事が終われば楽しい出来事が待っているのだ。それを思えば頑張れる。ファイツは両手を握り締めて、気合を入れるべく「今日もふぁいと!」と叫んだ。