その先の物語 : 032

おいわい
「ラクツくん、何か欲しい物はない?」
「欲しい物?」
「うん!ラクツくんのお祝いがしたくて……」

いつも通りファイツの家で彼女の手料理を食べていたラクツは、彼女の言葉で眉をひそめた。食事中、やけに彼女からの視線を感じると思ったらこれだ。首を傾げたラクツは、程良く焼かれた肉を切り分けていたフォークを置いた。

(いったい何の話だ)

この娘が言葉足らずな発言をするのは今に始まったことではないけれど、これでは余計な混乱と誤解を生むだけではないか。実際、ラクツは現在進行形で混乱の渦中にいた。何の脈絡もなしに祝いたいなどと言い出したのだから、自分でなくとも理解に苦しむだろう。ファイツの発言も気になるが、それ以上に気になるのは例によって激しく音を立て始めた心臓の鼓動だった。心臓がうるさくて耳障りだし、何故だか妙に息苦しい。この状況から抜け出したいのに、どうすればいいのかが分からない。その歯痒さから、自然と眉間の皺が深くなる。

「その前に、ファイツくん」
「う、うん……」
「そもそも、何故そういう話になったんだ?ファイツくんは祝いと言ったが、何の祝いだ」
「あれ?……あたし、言ってなかったっけ?」
「微塵も口にしていなかったぞ。今日に限った話ではないが、キミの言葉は不足していることが多い。脈絡もなしに祝いをしたいと告げられても、大抵は混乱するだけだと思うんだが」

「改めた方がいい」と付け加えると、しおらしく眉根を寄せたファイツはこくんと頷いた。頑固なところはあるが、彼女が基本的に素直な性格をしているのはこういう時にありがたいとラクツは思った。時間を置いたおかげで、息苦しさから解放されたのもありがたかった。

「これから気を付けるね……。……それで、お祝いっていうのはね」
「ああ」
「ラクツくんの嫌いな食べ物が分かった記念のお祝いだよ!」

おそらくは高揚しているのだろう。ひと息でそう言い切ったファイツの唇からは、普段より遥かに大きな声が放たれた。しかし声高に説明されてもなお彼女の意図が理解出来なかったラクツは、フタチマルと顔を見合わせた。

「……何だ、それは」
「だからっ!ラクツくんの嫌いな物が分かった記念のお祝いだってば!」
「説明が説明になっていないぞ。そもそも、たかがその程度のことでわざわざ祝う必要など皆無だろう」
「そんなことないもん……!だって、ラクツくんって好きな物も嫌いな物も分からなかったんでしょう?嫌いな物が分かったってだけでもすごいことだと思うよ!その程度のことなんかじゃないよ!」

首を勢いよく横に振ったファイツは、ぐぐっと両手を握り締めた。食事を中断して色々と力説し始めた彼女を、ラクツは唖然として見つめていた。

「……って、あたしは思うんだけど……」

多少なりとも落ち着きを取り戻したのか、はたまた視線に晒された所為なのか。先程までの勢いはどこへやらで、どこか恥ずかしそうに頬を染めたファイツはぶつぶつと独りごちた。ラクツはいつもの調子に戻った彼女を見つめて、はあっと息を吐き出した。

「あの……。やっぱり、変かなあ……?あたしの言ってることって、やっぱりおかしい?」

わざわざ問われるまでもない。この娘の主張はやはり理解が出来ないし、はっきり言ってしまえば変以外の何物でもなかった。しかし、眉根を下げたファイツを「おかしい」と切って捨てる気には何故だかなれなかった。

「……まあ、ファイツくんがどうしても祝いたいと言うなら、ボクは構わないが」
「本当!?」
「……ああ。別に不都合でもないしな」
「嬉しい!」
「祝う側のキミが、何故そこまで嬉しそうにしているんだ?……まったく、キミを見ていると、色々と頭を使わされることが多いというか……。とにかく、退屈だけはしないな」

決まりが悪そうに、けれどどこか同時に嬉しそうにはにかんだファイツは、脇に置かれたナイフとフォークを手に取った。ラクツも彼女に倣って、中断した食事を再開させる。

「今日のお肉には、玉ねぎをすり下ろしたソースをかけたんだよ。……このソースの味付けなんだけど、どう思う?」
「どう思うと言われてもな……。精々塩辛いという感想しか浮かんで来ないが」
「ごめんね……。わざと塩加減を強くしてみたんだけど、ちょっとやり過ぎだったかなあ……。あ!食べられなかったら、残していいからね!」
「いや、食べられない程ではない。……不快感なら、先日店で食べたパンケーキの方が上だと思うぞ」

眉間に皺を寄せながら、ラクツはそう返した。過剰とも言えるパンケーキの甘さが蘇って、思わず顔を顰める。すると、向かい側に座ったファイツがにっこりと微笑んだ。

「何だ?」
「ううん。ラクツくんって、本当に甘い物がダメなんだなって思って。……あ!ごめんねラクツくん……!」
「またしても唐突だな。何の謝罪だ」
「だって、ラクツくんは嫌な思いをしたのに……。なのにあたしったら、こんなに笑っちゃって……。もう!」

反省しなきゃと言わんばかりに自身の頬を叩き始めたファイツを見て、フタチマルが慌てて椅子から飛び降りた。相棒の手を煩わせるまでもない。既に食事を終えていたラクツは身を乗り出して左手を伸ばすと、彼女の細い手首を掴んだ。

「……え?」
「そのくらいにしておいたらどうだ。自らを叩く必要もないだろう」
「そ、そうかなあ……?」

納得がいっていない表情だったが、それでも一応は矛を収めてくれたらしい。曖昧に頷いたファイツの傍では、ダケちゃんが残った肉に熱い視線を送っていた。

「それより、キミはダケちゃんの動向に注意した方がいい。先程からずっと、ダケちゃんはキミの肉を凝視している。このままだと食べられるぞ」
「あ、ダメだよダケちゃん!これはあたしのお肉なんだから!だいたい、ダケちゃんの分もちゃんと用意したでしょう?」

口の端から涎を垂らしているダケちゃんには効果が薄いような気もするが、ファイツはそれでもダメでしょうと言い聞かせていた。言い聞かせるより先に早く食べてしまえばいいものを。そんな言葉を胸中で呟く。ようやく食べ始めた彼女が肉の最後の1切れを飲み込んだタイミングを見計らって、ラクツは口を開いた。

「しかし、欲しい物か……。特にこれといった物は思い浮かばないんだが」
「え、そうなの?」
「ああ。ちょうど今日の昼に、必要な道具を買い足したところだったんだ」
「そっか……。じゃあ、やっぱり食べ物かなあ……。でも、ケーキはダメだよね?」
「さあ?ボクはケーキを食べたことがないからな。ダメなのかどうなのかが判断出来ない」
「う……嘘でしょ!?ラクツくん、ケーキ食べたことないの!?」

何気なく答えたラクツは、彼女の叫び声で顔を顰めた。慌ててごめんねと謝ったファイツは、信じられないといった顔をしている。

「事実だ。こんなことで嘘をついてどうする」
「で、でも!誕生日のお祝いに食べたことくらいはあるんじゃ……!」
「憶えている限りでは皆無だ。そもそも、誕生日を祝われた経験がボクにはない。何しろ訓練漬けの毎日だったからな。誕生日自体は、長官から聞いて把握しているが」

厳しい訓練の日々が、脳内に蘇る。信じられないといった顔をしていたファイツは、今や泣きそうになっていた。

「……ラクツくんの誕生日って、いつなの?」
「5月4日だ。正確に言えば拾われた日だがな。便宜上、この日を誕生日ということにしている」
「5月4日って……。もう過ぎてるじゃない!」
「ああ。2週間前だな」
「ラクツくんてば、何でそんなに他人事なの!2週間も過ぎちゃったけど、ちゃんとお祝いしよう?あたしに出来ることなら、何でもするから……」

縋るような目を向けて来るファイツをこのまま見続けていると、またしても胸が高鳴るような気がする。せっかく解放されたというのに、謎の息苦しさに襲われるのは流石に勘弁して欲しい。そう思ったラクツは、彼女の視線から逃れるように俯いた。腕組みをして10秒程思案する。

「そうだな……。ファイツくんがそこまで言うのなら、フタチマルの為に何か作ってもらおうか」
「え……?」
「キミの料理の腕はボクも把握しているし、フタチマルには世話になっているからな。彼の為に、菓子でも作ってやってくれるか」
「ラクツくんは、それでいいの?」
「ああ。現状ではこれしか思い浮かばない」

そう告げると、ファイツはおずおずと頷いた。どこか納得がいっていない顔だ。それでも申し出を了承してくれた彼女に、ラクツは「ありがとう」と告げた。