その先の物語 : 027

いつもの今日
「出来たよ、ラクツくん!」
「もう出来たのか。今日は早いな」
「そうでもないよ。久し振りに作ったから、結構手間取っちゃったもん。……そんなことより、冷めないうちにどうぞ!」
「ああ。……いただきます」
「うん!」

律儀に両手を合わせたラクツに倣って、ファイツもまた胸の前で両手を合わせた。この1ヶ月ですっかり習慣になった、お決まりのやり取りだ。

「今日はムニエルにしてみたんだよ!」

今日のメインディッシュは白魚のムニエルだ。つけ合わせにはサラダで、もちろんパンとスープも用意してある。自分が作った料理を口の中に入れたラクツが、無言で咀嚼する。それはいつもと何ら変わることのない、まったくもって通りの光景だった。ファイツは胸をどきどきさせながら、その様子を固唾を飲んで見守った。

(うう……。やっぱり緊張しちゃうよ……。上手く出来てるといいんだけど……)

目を閉じたラクツを見つめながら、ファイツは極々小さな溜息をついた。ラクツには気付かれているような気もするけれど、どうしたって吐かずにはいられなかった。いつものことだけれど、この瞬間は毎回緊張する。しかも今日のメニューは、前に作った時はものの見事に失敗したムニエルなのだ。重くのしかかる沈黙に耐えられなくて、ファイツは緊張を紛らわすかのように言葉を紡いだ。

「ど、どう……かなあ?今度はちゃんと本を見て作ったんだけど、実はあんまり自信がなくて……」

思い出されるのは2週間前の出来事だ。冷凍庫に眠っていた魚をムニエルにしたはいいが、思った以上に水分が出てしまった所為でべちゃべちゃになってしまったのだ。それでも彼は綺麗に食べてくれたのだけれど、ファイツとしては申し訳ない気持ちでいっぱいだった。つまり今日は2週間前のリベンジとなるわけなのだが、果たして今日のムニエルの出来はどうだろうか。やっとのことで目を開けたラクツは、訝しげに眉根を寄せている……。

「……ボクからしてみれば、見事な出来だとしか思えないが」
「本当!?」
「あ、ああ……」

思ってもみない言葉に、ファイツは目を見開いた。今回も何か失敗したかもしれないと覚悟していただけに、その言葉は嬉しいものだった。

「本当に本当!?」
「そこまで疑うのなら、キミも食べてみればいいだろう。普段素直な割に、妙なところで疑り深いな」

重ねて尋ねたら、はっきりと分かるくらいの苦笑いを浮かべられた。それもそうだ。彼の言葉に同意したファイツは、ようやくナイフとフォークを手に取った。切り分けたムニエルを口の中に放り込んで、もぐもぐと咀嚼する。きちんと下処理をしたのが功を奏したのか、まだ温かい白身魚からは前回とは違って余計な水分は出て来なかった。

「あ、本当だ……。今度はべちゃべちゃになってないね……」
「だから、見事な出来だと言っただろう」
「うん……。ちょっと、美味しいかも……」

ファイツは改めて、こんがりと色付いたムニエルを見下ろしてみた。衣も剥がれていないし塩味もちゃんと効いているし、何より衣を含めた全体の舌触りが心地良かった。自画自賛になるから直接口には出さないけれど、”ちょっと”どころではなくてかなりの美味しさだ。自分で作ったとはいえ、美味しい物を食べると自然と気分が明るくなるもので。ファイツは頬を緩めながら、つけ合わせのサラダに手を伸ばした。よく水気を切った生野菜に市販のドレッシングをかけただけのサラダなのだけれど、そんなお手軽サラダですら美味しいと思った。

(う~ん……。どうせなら、今度はドレッシングも手作りしてみようかなあ……。普通のドレッシングでもいいけど、にんじんを使ってみたら面白いかも……。それならすり下ろすだけで済むし、見た目も綺麗だし……。それに栄養だって摂れるもんね……)

ラクツが何でも食べることは知っているけれど、どうせなら野菜をたくさん食べて欲しい。何と言っても健康を維持する為には必要不可欠な食材なのだ、たくさん食べて損はない。ああでもないこうでもないと、ドレッシングのレシピをそれはもう色々と考えていたファイツの耳に、ラクツの声が飛び込んで来た。

「随分と上の空だな。考え事か?」
「うん……。せっかくだし、今度はドレッシングを手作りしようかなって……。ねえ、ラクツくんはどんなドレッシングがいい?ビネガー?それとも玉ねぎ?あたしはにんじんドレッシングなんていいかなあって思うんだけど……」
「答えるのは構わないが、それはキミが食事を終えてからだな。ムニエルが完全に冷めてしまったのではないか?」
「……はえ?」

脳内をドレッシングでいっぱいにしていたファイツは、ラクツに指摘されて間の抜けた声を上げた。自分が考え事をしているうちに食べ終えていたらしいラクツが、指を下に向ける。自分のお皿に目を向けたファイツは、「あ」と小さく言葉を漏らした。ラクツの言葉通り、食べかけのムニエルから立ち昇っていた湯気は最早見えなくなっていた。

「”冷めないうちに食べろ”と言ったのは、他でもないファイツくん自身だろう」

斜め上から振って来るのは、さっきより更に度合いが増した苦笑いだ。ラクツだけならまだしも、彼の傍にいるフタチマルにまで盛大な苦笑をされたファイツは思わず酷いよと抗議した。

「も、もう!フタチマルくんまでそんなに笑わないでよ……っ!……ああもう、ダケちゃんまで!」

ラクツにも、フタチマルにも、そしてダケちゃんにも。それぞれ度合いは違うものの、それはもうおかしそうに笑われるというのは何とも気恥ずかしいものだ。ファイツは涙目になりながらムニエルを口の中に放り込んだ。ラクツの指摘は間違っていなかった。切り分けてからかなりの時間を考え事に費やしていた所為で、ムニエルはすっかり冷めてしまっていたのだ。それでも美味しくないわけではなかったけれど、どう考えてもさっきの方が何倍も美味しかった。3方向から向けられる視線から逃れるように、ファイツは慌てて残りのメニューを胃の中に流し込んだ。

「ご馳走様、ファイツくん」
「お、お粗末様でした……」
「どうした?むせたのか?」
「だ、大丈夫……。ありがとう、フタチマルくん」

さっきとは別の意味で涙目になったファイツは、自分の背中を擦ってくれたフタチマルに「ありがとう」と言った。お礼とばかりに頭を撫でると、フタチマルは目を細めた。途端に不機嫌になったダケちゃんのぷにぷにとした頭を、宥めるかのように優しく撫でる。これもまた、お決まりの習慣になっていた。

「ラクツくん、まだ食べられそう?フタチマルくんは?」
「ボクは問題ない。彼は……聞くまでもないな」
「良かった!今日はデザートを作る予定だったの。すぐ用意しちゃうから、ちょっと待っててね!」

ファイツは立ち上がって、いそいそとキッチンへと向かった。フライパンを温めて、用意していた液を勢いよく流し込む。お気に入りのカフェであるくろねこの看板メニューのパンケーキを再現するつもりなのだ。最近買ったばかりの猫の顔をした型を取り出そうとしたファイツは、ふと視界に入ったカレンダーの日付けに目を留めてにっこりと微笑んだ。

(ラクツくんと一緒にご飯を食べ始めてから、もう1ヶ月以上になるんだよね……)

”ラクツくんに美味しい物を食べてもらいたい”。その一心で彼の為にご飯を作り始めてから、ファイツの生活は一変した。まず、早寝早起きをするようになった。掃除と洗濯は早朝の内に手早く済ませて、職場であるポケウッドに向かう。仕事を終えたらまっすぐ家に帰って、じっくりと時間をかけて料理を作る。そして料理が出来上がる前にラクツに連絡をして、自宅にやって来た彼と一緒にご飯を食べるのだ。たまの休日だって、ラクツと一緒にご飯を食べることだけは欠かしたことがなかった。

(ホワイトさんは”あたしが無理やりやらされてるんじゃないか”って言ってたけど、そんなことはないんだけどな)

ホワイトの勢いに押されたファイツが、彼女にかいつまんで説明をしたのは今から数時間前のことだった。事情を話し終えたすぐ後で、ホワイトには思い切り抱き付かれてしまった。その直後に「大変ね」とか「無理しないで」だとかそれはもう心配されたけれど、ファイツは少しも後悔などしていなかった。何しろこれは、自分から言い出したことなのだ。むしろ、いいことの方が多かった。早寝早起きを始めた所為か身体の調子はいいし、ついでに外食をしなくなった関係で貯金も捗るようになった。本当にちょっとずつだけど、料理の手際も良くなって来たように思う。ふつふつと固まって行くパンケーキを見つめながら、ファイツはこれまでの1ヶ月間に思いを馳せた。

(それに……。ラクツくんが前より笑うようになったんだもん……。フタチマルくんとも前よりずっと仲良くなれたし、毎日のメニューを考えるのは大変だけどやって良かったよ……)

変わったことは他にもある。以前は”さん”付けをしていたフタチマルのことは、今はくん付けで呼ぶようになった。毎日会っているというのに、いつまでも”フタチマルさん”と呼ぶのは余所余所しい気がしてならなくて。試しに”くん”付けで呼んでみたら、何だかすごく嬉しそうな顔をされたから。だから今は、遠慮なくくん付けで呼んでいるのだ。そして何より一番の収穫は、ラクツが前より笑う回数が明らかに増えたことにあった。1ヶ月前の彼はほとんど常に無表情だったことを思うと、これってかなりすごいことなのではないだろうか。そんな彼に自分の好き嫌いを自覚してもらうことが、目下の目標なのだ。いつの日か「美味しい」という単語がラクツの口から飛び出した暁には、多分嬉し泣きをすると思う。

「よし!完成!」

猫の形をしたパンケーキを焼き終えたファイツは、ラクツ達の元へと向かった。自分は今日もラクツの為にご飯を作ったが、最早それはファイツの生活の一部になっていた。きっと明日も、そしてそのまた明日も。至極当たり前になったいつもの今日が、きっと明日もまた繰り返されるのだろう。ラクツがいて、フタチマルがいて、ダケちゃんがいて。ラクツが任務に赴く日々が始まるまで、この幸せに満ちた日常がずっと続いていくに違いないとファイツは思った。