その先の物語 : 024

感じる視線
ドアを開けて店内に入った瞬間に、ラクツは深く嘆息した。混雑していることは店に入る前から分かっていたが、実際に見てみると想像以上の混雑振りだ。商売する気などないのではないかという疑念を抱かせた店の正体は、装飾品やら日用品やらが売られている雑貨店だった。見渡す限り、店内は女性客でひしめいている。それこそ、店員と自分以外に男はいないのではないだろうか。

(選択を間違えたな)

ファイツが問いかけに頷いた為に入店したわけだが、流石にこの混雑具合は度を超えているとラクツは思った。これでは目当ての物を探すだけで一苦労だ。それに加えて人の声やら足音やらで周囲がやたらと騒々しいのがまた不快感を煽って、ラクツは眉間の皺を深くさせた。ここにいたところで気疲れするだけだ。それに何より、彼女だって騒がしいのは苦手と言っていたではないか。眉をひそめたラクツは通って来たばかりのドアを一瞥した。今ならまだ出入口は比較的空いている、店を出るなら早い方がいい。

「ファイツくん、ここは……」

”止めた方が賢明だと思う”。そう続くはずだった言葉は、けれど口から発せられることはなかった。隣にいる娘の横顔を見た瞬間に、何故だか言葉に詰まってしまったのだ。

「…………」

その場に佇んだファイツは頬を紅潮させて、店内をきょろきょろと忙しなく見回していた。その蒼い瞳はまるで宝物でも見つけたかのように、きらきらと輝いている……。

「ラクツくん、どうしたの?」

こちらが言葉を発したことには気付いていないらしいファイツが、首を傾げながらそう言った。その声は、誰が聞いてもそうだと分かる程に弾んでいる。ラクツはそんな彼女を見つめて。そして、ゆっくりと首を横に振った。

「……いや。この店で選ぶのか?」
「うん!だって、どれもすっごく可愛いんだもん……!」
「……っ」

喜色満面の笑みでファイツがそう言った瞬間、ラクツの心臓がどくりと大きな音を立てた。何度目になるか分からない、正体不明の高鳴りだ。しかし同時に、自分の中で何かがものすごく腑に落ちたような気がする。いったいこれは何なのだろうか。

「ラクツくん?」
「ああ、いや……」

ラクツは我に返ると、無理やりに思考を切り替える。発するはずだった言葉を強引に飲み込むことになったわけだけれど、仕方ないかと胸中で呟いた。そもそも、店を選んでいいかというファイツの意見に同意したのは他でもない自分なのだ。その彼女自身がここに留まることを強く望んでいる以上、この娘の意思を汲んでやるべきだろう。ファイツを残して自分だけ外で待機するという手もあるが、出入口を一瞥したラクツは即座にその案を却下した。客の出入りが激しい所為で、今や出入口付近は酷い混み具合になっていたのだ。ここまで客で密集しているとなると、出入口を通り抜ける方が遥かに労力を使わされるに違いない。

「それで、あの……。み、見て来てもいい……?」

総合的に考えて店内に留まる方が得策だ、多少の不快感には目を瞑ろう。そう結論付けたタイミングで問わずともいいことを彼女が尋ねて来たものだから、自然と苦笑いが漏れた。こちらに構わず思うままに動けばいいものを、どうして彼女はわざわざ許可を取ろうとするのだろうか。

「えっと……。もしかしたら、すごく時間がかかっちゃうかもしれないんだけど……」

まるでこちらの思考を読み取ったかのようなタイミングで言葉を付け加えたファイツは、誰がどう見てもはっきりと分かる程におどおどとしていて。こちらが何も言っていないのにごめんねと謝りそうな気配を察したラクツは、謝罪を封殺する意味も込めて構わないと告げた。その瞬間に花が咲くように笑った娘を見て、またもや意図しない苦笑が漏れる。いつものことだけれど、ファイツの表情を変化させる早さにはまったくもって感心させられる。

「ボクは店内で適当に過ごしているから、キミは商品を選んで来たまえ。焦らなくていいぞ」
「うん、そうするね!ありがとう、ラクツくん……!!」

律儀にも頭を下げたファイツが、目移りしちゃうよなんて呟きながら弾むように足を前へと踏み出した。多少はマシになったとはいえ商品が陳列されている棚には大勢の客がいるわけだが、それでも彼女は人の波を掻き分けるようにして懸命に突き進んで行った。先程の発言といい、実に嬉しそうな足取りといい、どうやらファイツは余程この店の商品が気に入ったらしい。自分が連れて行った店で売られていた、高価な宝石が使われていた装飾品に対しての反応を思うと、まさに天と地程も違うと言っていいだろう。

(つまり、ボクの見立ては根本的に間違っていたということだな。それにしても……)

遠ざかるあの娘の背中を見送った後で、ラクツは壁に音もなく背中を預けた。喧騒の中で思考を巡らすには、こうするのが最善なのだ。これで背後からの気配に気を配ることなく、存分に思案出来る。

(先程もそうだったが、やはり気になるな。あの娘の言葉を聞いた瞬間、ボクの中で何かが腑に落ちたんだが……)

ファイツが発したとある単語に無意識に反応したことには気付かず、ラクツはその場では出ない答を求めて首を捻った。思考の海に漂ってどれくらいの時間が経ったことだろうか。自分に向けられる幾重もの視線に気付いて、ラクツは閉じていた目を開いた。

(流石に不審に思われるか)

商品を見もせずにこうして佇んでいるのだから、奇異の目を向けられたとしても仕方のないことだろう。しっかりと嘆息した後で壁から背中を離すと、ラクツは商品棚の方へと足を進めた。別にどこの誰に不審に思われたところでラクツとしては問題にもならないのだが、こうも視線を向けられるのは流石に気が散るのだ。この場で不快感を溜め続けるよりかは商品を選んでいる振りでもしている方が余程有意義に時間を過ごせることだろう。そう結論付けて当てもなく移動するラクツの目に、とある商品が留まった。

「…………」

それは、小さな蒼い石がついたペンダントだった。その蒼があの娘の瞳の色と重なって見えて、ラクツは無意識に手を伸ばした。手の中で光る小さな蒼色を見つめたまま、ラクツは1人思案する。

(うん、あの娘によく似合いそうだ。ファイツくんにはこれから世話になるわけだし、礼の意味も込めてこれを贈るのもいいかもしれないな)

蒼い石が、主張し過ぎない大きさであることも自分の考えを後押しした。おまけに値段も手頃だった。むしろ自分からすれば安過ぎるくらいだが、多分あまりに高価な物は受け取ってすらもらえないだろう。ペンダントをしっかりと手に持ったラクツは何気なく辺りを見回して、またもや足を止めた。よく見知った娘の後ろ姿を見つけたのだ。

「ファイツくん?」

様々な服が陳列されている棚の前で立ち尽くしていたファイツが、声に反応してゆっくりと振り返った。つい先程までは喜色満面の笑みを見せていたはずの彼女だが、今やその表情はすっかり暗くなっていた。

「……どうした?」
「あ、えっと……。な、何でも……」
「す、すみません!あの、ちょっといいですか……?」

突如として割って入ったその声で、ラクツは眉をひそめた。声がした方向に顔を向けると、1人の少女が立っているのが視界に映る。店員かとも思ったが、どうやら服装からしてただの客であるらしい。何故だかやけに落ち着かない様子の少女を眺めながら、ラクツは脳内のデータベースを検索した。少女の顔には見覚えがない。いくら検索したところで彼女とは面識がないという結果しか出て来なくて、ラクツは首を傾げた。いったい自分に何の話があるというのだろうか。

「ボクに、何か?」
「よ……。良かったら私とお茶でも行きませんか……!?」

少女がそう言った瞬間に、悲鳴にも似た歓声が周囲から湧き上がる。中には「私が狙ってたのに」という言葉を口にする女性客までいて、ラクツは眉間の皺を深く刻んだ。先程感じた幾重もの視線の正体は奇異を含んだものではなく、まったく別の種類のものだったのか。そう納得がいくと同時に、胸中には確かな不快感が湧き上がる。

「ボクには連れがいる。悪いが、他を当たってくれ」

そうにべもなく言い放って、ラクツは少女に背を向けた。確かにいたはずのファイツがいつの間にかいなくなっていることに気付いて、足早に店内を移動する。浮かない顔をしたファイツを店の奥でようやく見つけた頃には、声をかけて来た少女の存在などラクツの中からは完全に消え失せていた。