その先の物語 : 023
運命の出会い
「ご来店ありがとうございました」店員が発したその言葉が、背中にぐさりと突き刺さる。店を出る時に告げられるお決まりの挨拶だ。よく耳にする極々普通の挨拶に、だけどファイツは心の中でごめんなさいと謝った。
(うう……。ごめんなさい、店員さん……)
悪いことをしたという後ろめたさから、足が自然と速くなる。ダケちゃんを肩に乗せていなかったら、間違いなく猛ダッシュしていたに違いない。自分が店内にいたのはわずか数秒だ。店員の顔すら見ていなかった。脱兎の如くとは言うが、文字通り店内から逃げ出したファイツは意味もなく両手を合わせた。ごめんなさいと1回謝っただけではとても足りない気がしたのだ。碌に品物を見ずに店から出るなんて、これではまるで冷やかしだ。しかも、自分が逃げ出したのはこれが初めてではないという事実も、ファイツの罪悪感に拍車をかけていた。1回だけならまだしもこれで通算3回目ともなれば、顔から汗がだらだらと流れるのも仕方のないことではないだろうか。
「またか。これで3軒目だな」
”だって”とか、”でも”だとか。誰にともなく小声でぶつぶつと弁明していたファイツの背中に、またしても言葉の棘がぐさりと突き刺さった。自分の後ろを悠然と歩いて来たラクツを、ファイツは涙目で睨みつけた。もちろん本気で彼が憎いわけでは決してないけれど、こうも完璧な追い打ちをかけられて無反応でいられる程、ファイツは大人ではなかった。
「ファイツくん。キミはいったい何が不満なんだ?ボクはちゃんと、女性に人気の店を選んだはずだが。店内は女性客で混雑していたし、装飾品の種類も豊富だっただろう」
怪訝そうに首を傾げたラクツは、心の底からわけが分からないといった表情をしていた。確かに彼の言うことは事実だったが、問題はそこではない。訝しげなラクツに対して「別に不満ってわけじゃないけど」と口ごもりながら告げると、彼の眉間の皺は更に深みを増した。
「ならば、何故店内を物色しない?」
「だって!いくら何でも高過ぎるんだもん!!」
ラクツから指摘されて、ファイツはとうとう声高に叫んだ。ここが往来であることは分かっていたけれど、そんなことはどうでも良かった。そうなのだ。ファイツがラクツに連れられて入った店からすぐに逃げ出した最大の理由は、並べられている品々がどれもこれも高価なことにあった。
「そうか?別に普通だろう。むしろ手頃な値段だと思うが」
「ラクツくんにはそうでも、あたしには高過ぎるの!せっかく買ってもらっても、あれじゃあ恐れ多くて使えないよ……!」
「そういうものか?」
「そういうものなの!」
納得がいかないとばかりに首を傾げたラクツに対して、涙目になりながら反論する。滞在時間は酷く短かったけれど、手に取ったヘアピンの値段は脳裏にしっかりと焼き付いていた。値札に書かれていたのは、庶民派のファイツにとってはおおよそ縁のない数字だったのだ。
(すごく綺麗なヘアピンだったけど、いくら何でも高過ぎるよ……!ラクツくんてば、いったいどんな金銭感覚してるの……!)
ファイツがおそるおそる手に取ったそれは、小さな石が埋め込まれていてヘアピンとは思えないくらいに綺麗なものだった。だけど同時に、ヘアピンとは思えないくらいの値段だった。あんな高いヘアピン初めて見たよ、と心の中で呟く。ラクツ自身は気にも留めていないようだけれど、流石にあんな高価な物を買ってもらうわけにはいかない。ただでさえ、ファイツは折れたヘアピンを弁償すると言い出した彼に対して、酷く申し訳ないと思っているのだから。
「えっと……。ラクツくんには悪いけど、あたしがお店を選んでもいい?」
「ああ。ボクも同じことを考えていたところだ。どうやらこの件に関しては、キミに任せた方が良さそうだな」
「ご、ごめんね……」
おずおずと提案したら、あっさりと頷かれた。そんな彼に謝ってから、ファイツは辺りをぐるりと見回した。同じヒオウギシティでも、ここは町の外れに当たる場所だ。この辺にはほとんど足を運ばないファイツにとっては中々に新鮮だったが、生憎この近くにはアクセサリーを取り扱っている店はなさそうだ。新鮮さはないけれど、やっぱりいつもの店にしようかなと踵を返しかけたファイツは、その途中でぴたりと足を止めた。お揃いの手提げ袋を下げた女の子達が路地裏からぞろぞろと出て来る光景が、何だかやけに目についたのだ。どういうわけか何人かの女の子達と次々に目線が合って、慌ててさっと視線を逸らす。何も言われなかったけれど、知らない人間にじっと見つめられるのはあまり気持ちのいいものではないだろう。いっきに気まずくなったファイツは、何もない地面を見ながら呟いた。
「な、何だろうね?向こうに店でもあるのかなあ……」
「ボクも気になるな。行ってみるか?」
「うん……」
店がいくつか立ち並んでいるとはいえ、あまり人気がない路地裏に入るのは何だか怖いような気もしたが、怖さよりも好奇心の方がずっと強かった。ラクツに先んじて狭い路地裏を抜けたファイツは、開けた場所に立っている店の前で様子を窺った。白い屋根の、小ぢんまりとした店だ。大きさからしてあまり広くなさそうに見える店内は、外からでもお客でいっぱいだと分かる程に、たくさんの女の子達でごった返している。
(知らなかった……。こんなところにこんなお店があったんだ……)
まさに”レンガの家”という店名の通り、外壁がレンガで出来ている店を見ながらファイツは首を傾げた。まるで、お客に見つからないようにわざと意地悪な場所に建てたという印象だ。実際、路地裏から出て来る女の子達の集団を見かけなかったら絶対に気付かなかったと思う。お店なのに、どうしてこんな分かり辛いところにお店を建てたんだろう。そんなファイツの疑問は、入口に飾られているマネキンを見た瞬間に吹っ飛んだ。
「か、か……。可愛い……!!」
唇から、思ったことがそのまま零れ落ちる。黄色のリボンが巻かれている白い帽子も、薄い水色のワンピースも、茶色い小さなバッグも、そして足元を彩る白い靴も。マネキンがつけている商品は、何もかもが可愛かった。一瞬にして目を奪われたファイツは、頬を上気させながら呆然とその場に立ち尽くした。全てが可愛いらしいが、特に気に入ったのが裾がふんわりと広がったワンピースだった。元々青系の色が好きである上にワンピースをよく着るということもあるが、それを差し引いても可愛い。以前衝動買いした桜色のワンピースに負けないくらいの可愛さだ。おあつらえ向きに風を通しやすい素材で出来ているようだから、これからの暑い季節にぴったりではないか。
「ファイツくん。先程からずっと立ち止まっているが、どうした?」
「きゃあ!」
完全に放心していたファイツは、肩をびくりと大きく震わせた。マネキンを着飾っている装飾品にあまりに見つめていた所為で、ラクツがすぐ後ろに来ていたことにまったく気付かなかった。
「マ……。マネキンが着てる服がすっごく可愛かったから、つい見とれちゃってたの……」
「…………」
振り返ったファイツは正直にそう言ったが、ラクツは眉をわずかに潜めただけで何も返さなかった。子供っぽいと呆れられただろうかとファイツは肩を落としたが、それでも心はあのワンピースに囚われていた。
(すっごく可愛いし、そこまで高くなかったら買っちゃおうかな……。売り切れてないといいけど……)
値段はまだ確認していないけれど、それでもいいかとファイツは思った。人目があるところでマネキンを脱がすのは何となく気が引けたし、ここまで来たら店内をじっくり見てみたかった。あれだけ可愛い商品ばかり取り扱っている店なのだ。きっと、自分が気に入るアクセサリーも売っているに違いない……。
「相当混んでいるようだが、中に入るか?」
ラクツの問いかけに、こくこくと必死に頷く。これから”可愛い”が詰まった店に入るのだと思うと、どうしようもなく気分が弾んだ。ちょっと言い過ぎかもしれないけれど、この店を見つけられたのはまさに運命の出会いだとファイツは思った。