その先の物語 : 021

はりきり
お弁当を食べ終えたファイツは、紙コップにお茶を注ぎながらそっと息を吐き出した。ピクニック日和としか言い表せないくらいに晴れ渡る空からは、暖かな日差しがふんだんに降り注いでいる。実に過ごしやすい午後のひと時だとは思うのだけれど、ファイツの気持ちはどうにも落ち着かなかった。温かいお茶をひと息に飲み干しても、やっぱりその結果は変わることはなくて。どうにか気を紛らわせたくて視線を宙に彷徨わせたその時、ラクツの側に置かれている紙コップが目に留まった。

「えっと……。ラクツくんも飲む?」

話しかけると、向かい側に座ったラクツが小さく頷いた。良かった、これでやることが出来た。そんなことを思いながら、彼から受け取った紙コップにお茶を注ぎ入れる。お茶から微かに立ち昇る湯気をぼんやりと見つめて、ファイツはまた小さく息を吐き出した。

(はあ……。落ち着かないよ……)

脳裏に蘇るのは、お弁当を食べている時のラクツの姿だ。”ラクツくんには少しでもご飯を味わって食べて欲しい”。そう思ったからこそ食事中はあえて話しかけないようにしていたのだけれど、まさかここまでラクツが何の反応も見せないとは思わなかった。反応らしい反応と言えば、精々「ご馳走様」と言ってくれたことくらいだろうか。そんな彼に、慌てて「お粗末様でした」と返したのはついさっきのことだ。それから少なくとも3分程度は経っているのだけれど、それでもラクツは何も言ってはくれなかった。ただひたすら何かを考え込んでいるような感じだ。そんなラクツが今何を考えているのかが気になる、ものすごく気になる。

(やっぱりあたしが作ったお弁当、どこか失敗してたのかなあ……。味見はしたつもりだったんだけど、本当は砂糖と塩を間違えてたとか……?)

もう少し自信を持ってもいいのではないかとラクツに告げられたことは記憶に新しいが、そう簡単に意識が変えられるはずもなかった。それに加えてラクツがあまりに無言を貫いているものだから、とうとう後ろ向きな考えが浮かんで来てしまった。ああ、やっぱり自分にはお弁当作りはハードルが高かったのだろうか……。

(ううん……。そうだったとしても、このまま黙ってるのは良くないよね。せっかくラクツくんとフタチマルさんがお弁当を食べてくれたんだもん……。怖いけど、ラクツくんに訊いてみなきゃ……!)

マイナス思考の海に沈みかけていたファイツは、空になったお弁当箱を見て意識を切り替えた。そうなのだ。あれだけ大量にあったはずのお弁当の中身は、綺麗さっぱりなくなっていたのだ。それも、サンドイッチの山までなくなっているのだから驚きだ。パンくずのひと欠片すらも残らなかった。もしかしたら失敗していたのかもしれないし、もしかしたらラクツには無理を強いたのかもしれない。そう思うとどうしたって怖いけれど、実に綺麗に食べてくれたラクツを信じたいとファイツは思った。彼が何を考えているのか気になるなら、直接訊けばいいだけのことではないか。

「あの、ラクツくん……。ど、どうだった……?その、お弁当……」
「ああ……。そうだな、何と言えばいいのだろうか……」

おずおずと尋ねたら、間を置かずに言葉が返って来た。やっぱり何かを考え込んでいるらしいラクツに「焦らなくていいからね」と前置きしてから、ファイツは固唾を呑んで彼のことを見守った。

「うん……。上手く説明出来ないが、妙な気分だということは確かだな」
「みょ、妙……?」
「ああ。ボクはそもそも、食事に時間を割く習慣がないんだ。今日のように落ち着いて食事を摂るなんて、いったいいつ以来だろうか」
「…………」

そう呟いたラクツの言葉でファイツはそっと目を伏せたが、心には痛みとは別の何かが湧き上がった。それはつまり、”ラクツくんは普段何を食べているんだろう”という疑問だった。

「ラクツくん、訊いていい?」
「何だ?」
「ラクツくんって、いつも何食べてるの?」
「携帯食だ。これなら時間がかからないからな。キミが弁当を用意しなかったら、今日だって携帯食で済ませる予定だった」
「……携帯食って、どんな?」
「これだ」

ラクツが鞄から取り出した携帯食の包みを破る様子を、ファイツは眉をひそめながら眺めた。個包装になっている携帯食の正体は、何の変哲もない棒状のクッキーだった。見た目は極普通のクッキーなのに、だけどものすごく嫌な予感がするのはいったい何故なのだろうか。

「気になるなら、キミも食べてみるか?ボクは構わないぞ」
「じゃあ、半分だけもらってもいい?」
「ああ」

1本丸ごともらうのは流石に気が引けたファイツがそう提案すると、ラクツが半分に折った携帯食を差し出した。それを受け取ったファイツは、彼がもう半分のクッキーを食べ終えた後も手の平に乗せたクッキーをまじまじと見つめていた。

(このクッキー、どんな味がするんだろう……)

間近で見ている所為なのか、嫌な予感がさっきより大きくなったような気さえする程だった。一瞬頭の中を後悔が過ぎったけれど、自分から言い出した手前彼に突き返すわけにもいかない。それに何より、食べ物を粗末にするわけにはいかなかった。ファイツはようやく覚悟を決めると、クッキーを口の中に放り込んだ。

「……っ!」

自分がどういうわけか感じた嫌な予感はものの見事に的中した。放り込んだ瞬間に、自分がイメージするクッキーの味にはそぐわない苦みが口内に広がったのだ。その衝撃の事実に目を見開いたファイツは、慌てて飲んだばかりのお茶を勢いよく胃の中に流し込んだ。それを数回繰り返した後で、やっとのことで苦さから解放されたファイツはほうっと深い息を吐き出した。

「……どうした?」
「そ、それはこっちの台詞だよ……っ!ラクツくんてば、何食べてるの……っ!」

訝しげな視線を向けるラクツに対して、涙目になって反論する。一度お茶を飲んだくらいでは苦みが消えないクッキーなんて、ファイツにとってはまさに前代未聞だ。

「だから、携帯食だと言っているだろう。キミに約束した通り、必要な栄養素はこれでちゃんと賄えている。これなら問題はないだろう?」
「よ、良くないよ……っ!」
「何故だ?」
「だ……。だってこれ、全然美味しくないんだもん……」

苦さ100%のクッキーを食べても平然としているところからすると、ラクツにとっては自分が口にする物の味など最早重要なことではないのだろう。だけど自分にとってみれば、この美味しくないクッキーを彼が食べているという時点で大問題だった。美味しくないというか、はっきり言って”まずい”以外の何物でもないというか。ラクツが言うように栄養は摂れるのかもしれないけれど、それではダメなのだ。

「……ラクツくん。あたし、決めたから!」
「決めたって、何を?」
「今日からラクツくんのご飯はあたしが作るから!お休みしてる間は、あたしの作ったご飯を食べて!」
「…………は?」

”このクッキーをラクツくんに食べて欲しくない”。その一心でそう宣言すると、ラクツはわけが分からないという顔を見せた。自分から言い出しておいて何だけれど、ファイツ自身だってとんでもないことを言ったものだと思う。彼に頼まれてもいないのに「あなたのご飯はあたしが作ります」などと言うなんて、まさに押し付け以外の何物でもない。だけどラクツにどう思われようと、ファイツは意見を変えるつもりはなかった。ご飯作りに自信があるわけではないが、それでもあのクッキーを食べ続けさせるよりは絶対にいいはずだ。

「何故キミは、そんな突拍子のないことを……?」
「だって、ラクツくんには少しでもちゃんとした物を食べて欲しいんだもん!あ、もちろんフタチマルさんの分も作るからね。これならいいでしょう?」

フタチマルに顔を向けると、彼の顔が心なしか輝いているように見えて、ファイツは内心で「やった」と声を上げた。思い上がりかもしれないけれど、フタチマルが食べたそうにしている以上はラクツが自分の申し出を断るとも思えなかった。後は、ラクツ自身の許可だけだ。ファイツはラクツが返事をするのをじっと見守った。

「……ファイツくん。キミは忘れているかもしれないが、休暇は今日1日ではないんだぞ?」
「うん。3ヶ月でしょう?ラクツくんが嫌じゃなければ、毎日でも作るから!……ね、どうかな?あたしの作るご飯じゃ、ラクツくんは不満?」
「……いや。キミさえ良ければ、ボクは別に……」
「じゃあ、決まりだね。これからよろしくね、ラクツくん!」
「あ、ああ。……よろしく頼む……」

ファイツはずいっと詰め寄ると、ラクツの手を両手で取った。良かった、頷いてくれた。料理は得意ではないけれど、それでも誰かの為なら頑張れる。さあ、ラクツにどんなご飯を作ってあげようか。それはそれは意気込んだファイツは、両手で拳をぎゅっと握った。