その先の物語 : 020

鼓動
「……まだあるのか。随分と数が多いな」

周囲の状況把握を終えて花柄模様のシートに腰を下ろしたラクツは、ファイツが置いたプラスチック製の容器を見て眉をひそめた。1つ1つの大きさこそそうでもないが、やたらと数が多いのが気になる。シートの上には既に容器が複数並べられているというのに、彼女はいそいそと鞄に手を突っ込んでいた。

「うん。本当は、ちゃんとしたお弁当箱に入れたかったんだけど……」

「小さいサイズのお弁当箱しか持ってなくて」なんて言いながら、ファイツがまたしても容器を差し出して来る。そんな彼女に、ラクツはそういうことじゃないと息を吐き出した。これで通算6個目だ。

「ファイツくん。今の手持ちはフタチマルだけだと、ボクは以前告げたはずだが」
「そ、それは分かってるんだけどね!でも、ラクツくんとフタチマルさんにたくさん食べて欲しかったから……。……もしかして、お腹が空いてないとか……?」
「いや、そういうわけではないが……」

嘘ではなかった。ラクツは多少なりとも空腹感を覚えていたし、フタチマルに至っては珍しくも容器から視線を外さない始末だ。しかし、いくら何でもこれは多過ぎだ。

「流石にこれは作り過ぎだろう。キミとダケちゃんを勘定に入れたとしても、単純計算で2つは余る。消費には協力するつもりだが、残る可能性が高いと思うぞ」
「えっと……。実は、まだあるんだけど……」

話すうちに決まりが悪くなったのだろう。眉根を下げたファイツが両手でおずおずと差し出したのは、ラップに包まれたサンドイッチの山だった。卵とハム、レタスとトマト。更にはチーズとベーコンを挟んだ物や、苺ジャムやらピーナツバターやらがふんだんに使われているサンドイッチまで見受けられる。

「小さいけど、サンドイッチをたくさん作ったんだよ。色々種類があるから、ラクツくんとフタチマルさんには気になったのを食べて欲しいな」

”好きなのを”ではなく”気になったのを”と言ったファイツの気遣いには気付きもせず、ラクツは淡々と頷いた。正直なところ、具材よりサンドイッチに使われているパンの方が遥かに気になる。同じ種類でも焼き目がついている物とそうでない物が存在しているという事実に興味を惹かれたラクツは、サンドイッチの山を指差しながら口を開いた。

「何故焼き目を付けた物とそうでない物が混在しているんだ?」
「……”好きな食べ物が何か分からない”って言ってたでしょう?ラクツくんは気にしてないみたいだけど、それってすごく淋しいことだから……」

言葉通りにどこか淋しそうに笑ったファイツは、「だからね」と続けた。口角は上がっているけれど、彼女は明らかに無理に笑っているとラクツは思った。

「フタチマルさんもなんだけど、特にラクツくんには好きな食べ物を見つけて欲しいなって思ったの。色々な物を食べ比べてみれば、ちょっとは好みが分かるかもしれないでしょう?」

「味付けだけじゃなくて、食材とか食感にも色々拘ってみたんだよ」という言葉で会話を締め括ったファイツは、咲き誇る花のように柔らかく笑った。例によってまたしても心臓が激しく高鳴っていることを自覚して、内心で盛大な溜息をつく。

(”これ”はいったい何なのだろうか……?)

他人には鼓動が聞こえていないはずだが、こうもうるさいと流石に困る。眉間に皺を刻んだラクツは会話を進めることにした。気を紛らわす意味ももちろんあるのだが、単純に彼女の真意がいまいち汲めなかったのだ。

「……そんなことの為に、キミはわざわざ手間をかけたというのか?好き嫌いが理解出来ないボクに、食の好みを探させる為だけに?」
「”そんなこと”じゃないよ、すっごく大事なことだもん!好きな物を食べるとすごく幸せになれるんだよ。心がポカポカするみたいな、温かい気持ちになれるんだから!」

紙で出来た食器を手拭きを取り出しながら、ファイツはそう力説した。その言葉で、奥底に沈んでいたラクツの記憶が蘇る。

「好物か。確か、ファイツくんはパフェが好きだと言っていたな」
「うん。自己紹介の時に言っただけなのに、よく憶えてるね」
「一度憶えたことは忘れない。キミはパフェを食べる度にそのように感じているのか?」
「そうだよ。好きな食べ物が見つかれば、ラクツくんだってあたしと同じ気持ちになると思うんだけどな」
「……そうだろうか」
「そうだよ!」

2回目の「そうだよ」は、1回目のそれよりずっと力が入っていた。意味もないのに拳を握った彼女を、ラクツは何も言わずに見つめていた。

「……はい、どうぞ。ラクツくんとフタチマルさんの分だよ。飲み物は水筒に入ってるから、自分で注いでね」
「ああ。分かった」

ファイツから食器と手拭きを受け取ったラクツは、片方をフタチマルに手渡した後で内心嘆息した。ファイツの言い分は理解出来たが、自分が彼女のように感じる日が来るとはとても思えなかったのだ。

「ちょっと作り過ぎちゃったけど、出来れば食べてくれたら嬉しいな」

押し付けになっちゃったらごめんね。ぺこりと頭を下げながら、ファイツが並べられていた容器の蓋を次々と開けて行く。そんな彼女に対して、しかしラクツは何も言わなかった。何の感想も抱かなかったというわけではなくて、ただただ唖然としていたのだ。

「…………」

ラクツは無言で弁当を眺めた。多いのは弁当箱にしている容器の数だけではなく料理の品数もだった。それはそれは様々な料理が、それぞれの弁当箱に綺麗に詰められている。揚げ物1つ取ってもコロッケや魚のフライ、更には野菜の素揚げまであるという凝りようだ。そしてこの娘が先程口にした言葉を信じるなら、料理の味付けも多岐に渡っているはずだ。容器のスペースを半分程占領している色鮮やかな黄色の卵焼きに目を留めて、ラクツは溜息をついた。切れ目が入っているだけの極普通の卵焼きだったが、多分これも一切れ毎に味付けを変えているのだろう。手間も時間も相当にかかっているであろうことは、想像に難くなかった。

「……見事なものだな」

口からは、自然とファイツを称賛する言葉が零れ落ちる。かけ値なしの、嘘偽りない本心からの言葉だった。

「えっ!?」
「既製品ではなく、全て手作りなのだろう?実に見事だ」
「あ、でも……。もしかしたら、何か失敗しちゃってるかも……」
「ファイツくん。キミはもう少し、自分に自信を持ってもいいと思うぞ。料理の腕は人並み以上にはあると思うんだが」
「そう、かなあ……?」
「ボクはそう思う。少なくともボクとは比べ物にならないことは事実だ。これと同じ物を作れと言われても、ボクには到底出来る気がしない。重ねて言うが見事な腕だ。一応告げておくが、他意はないぞ」
「あ、ありがとう……。良かったら、たくさん食べてね……っ」

恥ずかしそうにはにかんだファイツにまたしても心臓を強く揺さぶられたラクツは、目付きを鋭くさせた。先程は心臓の鼓動が高鳴るだけで済んだのに、今度は顔まで熱を持ったのだから不思議なものだ。本当に分からない、いったいこれは何なのだろう?

(気になるのは確かだが、今はこちらに集中するべきだな)

ファイツが、期待と不安が入り混じった視線をまっすぐに向けて来る。そんな彼女に応えてやるべきだろう。自然とそう思ったラクツは、弁当に向かっておもむろに手を伸ばした。