その先の物語 : 019
知り合い以上友達未満
「ほら、ここだよラクツくん!……早く早く!」歩き始めて40分くらいは経っただろうか。ピクニックの目的地である草原にたどり着いたファイツは、自分よりかなり後ろを歩いているラクツに向けて声を張り上げた。最後の方は全力で駆けた所為で息が上がってしまっていたけれど、そんなことはどうでも良かった。
(本当、綺麗だなあ……)
ほうっと感嘆の溜息を漏らしたファイツは、改めて広大な草原をぐるりと見回した。緑色の海にも思える程に生い茂る草に交じって、色とりどりの可愛らしい花が咲いている。それだけでも充分綺麗なのに、草花についた水滴が日光に反射してきらきらと輝いていた。その様子はまさに絶景だと言えるだろう。
「ラクツくん!……ラクツくんてば!」
”ラクツくんにもこの感動を早く味わって欲しい”。その一心で何度も手招きをしたのだけれど、彼はというと急ぐ素振りを少しも見せなかった。こちらがぶんぶんと腕を振っても、名前を呼びかけても、大地を踏みしめるかのように悠然と歩いている。
「……ラクツくん、来ないね……」
フタチマルと顔を見合わせて、ファイツはそっと溜息をついた。ラクツのポケモンであるフタチマルは自分に倣って駆け出してくれたから、尚更ラクツが来ないことにやきもきさせられてしまう。けれど、だからといって彼の手を無理やり引っ張るわけにもいかない。
(でもでも、すっごく綺麗なのに……。う~、早く来ないかなあ……)
そんなことを思いながらラクツを見つめていると、耳元で小さな音が聞こえた。肩に乗っていたダケちゃんが拗ねた為に鼻を鳴らしたのだと悟って、ファイツは後ろを振り向いたまま苦笑した。
「……ほら、ダケちゃん!向こうにダケちゃんの好きな花があるよ。後で花冠を作ってあげるからね!」
きっと、フタチマルをたくさん撫でた所為でもあるのだろう。すっかりやきもちを妬いてしまったらしいダケちゃんも、この言葉でどうにか機嫌を直してくれたらしい。定位置となっている肩から飛び降りてぴょんぴょんと跳ね回るダケちゃんの姿を、ファイツは優しい気持ちで見つめた。
「風が気持ちいいね!フタチマルさんもそう思わない?」
こくんと頷いてくれたフタチマルに微笑みかけてから、ファイツは空を見上げた。視界に映るのは雲1つない青空だ。それに加えて温かい日差しも降り注いでいるから、本当に気持ちがよかった。
(もしかして、今日はすごくラッキーな日なのかも……!)
天気はいいし風は気持ちいいし他の人はいないしで、まさに最高の気分だ。寝坊した瞬間は最悪の気分だったことも忘れて、高揚感に駆られたファイツはその場でくるりと一回転した。
「何をやっているんだ、キミは」
「あ、ラクツくん!……遅いよ、もう!」
「ファイツくんが勝手に駆け出しただけのことだろう。キミが走らずとも、草原は逃げないぞ」
何度も手招きをしたのにも関わらず悠然と歩いて来たラクツが、呆れ顔を隠しもしないでそう言った。ものすごく子供染みている娘だと彼に言われているような気がして、ファイツはぐっと言葉に詰まった。
「そ、それはそうなんだけど!でも色々な花が咲いてるし、水滴がきらきら光ってるし、とにかく綺麗なんだもん……っ!……って、あたしは思うんだけど……。あの、ラクツくんはどう思う?」
もし”そうは思わない”と彼に否定されたらどうしよう。ファイツは不安を覚えながら、草原をじっと見据えているラクツの返事を固唾を呑んで見守った。
「……まあ、確かに色彩豊かな光景ではあるな」
「でしょう!?」
ラクツがそう言ってくれたことが嬉しくて、ファイツはずいっと前のめりになった。もしかしたら否定されるかもしれないと感じていただけに、その喜びは大きいものだった。
「この草原はね、あたしのお気に入りの場所なの。ダケちゃんと一緒によく来るんだよ!」
ホワイトフォレストで産まれた影響で、ファイツはどちらかといえば人々で賑わう町より自然豊かな場所で過ごす方が好きなのだ。この草原でのんびりと過ごす時間は、ファイツにとっては宝石のように煌めいている時間だと言っても過言ではなかった。かなりの距離を歩くけれど、それだけの価値はあるとファイツは思っている。
「町から離れたところにあるからなのかな、ここって自然の音しかしないでしょう?だから、本当に落ち着くの。賑やかな場所が嫌いなわけじゃないんだけど、やっぱりあたしは静かなところで過ごす方が好きだなあ……」
「……そうなのか?」
「うん!」
「そうか。ではやはり、ボクは過ちを犯していたんだな」
「過ちって?」
「以前、キミをライブに誘っただろう。憶えているか?」
ラクツの言葉で、2年前の記憶が鮮明に蘇る。トレーナーズスクールに通っていた頃、ファイツは彼と一緒にライブに行ったことがあるのだ。行ったと言うより、強引に連れて行かれたと言う方が正しいのだけれど。
「うん。ちゃんと憶えてるよ」
「あの時のファイツくんは、ボクに対して露骨に距離を取っていた。ガードが固い故だろうと然して気にもしていなかったが、今ならキミの態度も頷ける。ファイツくんに近付く手段として年頃の女性が好みそうなライブを選んだボクの選択は、最初から間違っていたというわけだな」
「……うん」
隠す意味もないので、ファイツはこくんと頷いた。誘ってくれたラクツには悪いと思ったが、あのライブは正直言って最悪だった。人々の声も楽器の音も、自分にとっては騒音以外の何物でもなくて。寮に帰ってからも酷い耳鳴りで悩まされたことを、ファイツは今でもよく憶えている。
「あたし、ライブなんて初めてだったから……。だから、よく憶えてるよ」
「……そうか」
冗談めかして「すごい音だったからびっくりしちゃった」と苦笑しながら続けると、ラクツはまたもや「そうか」と言った。ファイツはそんな彼の横顔を見ながら口を開いた。果たしてラクツは答えてくれるだろうか。
「ねえ、ラクツくんはどう?」
「どう、とは?」
「賑やかな町と静かな草原だったら、どっちが好き?」
途端に困ったような顔をしたラクツに気付いて、ファイツは慌てて「ごめんね」と謝った。そうだった。ラクツは、”好き”がよく分からない人なのだ。
「う~ん……。じゃあ、ラクツくんにとって落ち着く場所はどっち?気を張り詰めない方とか、楽な方って言った方が分かりやすいかなあ……」
「なるほど、そういうことか。それならば後者だ」
どう言えば分かりやすいのかと思案しながら言葉を紡ぐと、ラクツはあっさりと頷いた。あまりにも淡々と頷いた彼を見て、ファイツは眉根を下げた。
「あたしの説明で、ちゃんと伝わった?」
「ああ。雑踏の中でも情報を得られるように訓練している関係で、町中をただ歩いているだけでも神経を使うからな。もちろん草原にいたところで気を張り詰めないわけではないが、少なくともその2択なら間違いなく後者だ」
「そっか……。じゃあラクツくんも、静かなところが好きなんだ!」
「そう、なのだろうか……」
「きっとそうだと思うよ。あたしと一緒だね!」
いつの間にやらラクツの両手を自分のそれで包み込んでいることにも気付かずに、喜びを爆発させたファイツはにこにこと満面の笑みを振りまいた。ラクツも自分と一緒で、賑やかな場所より静かな場所が好きなのだろう。こんな小さなことが、だけどこんなにも嬉しかった。
「……ファイツくん」
「うん。なあに?」
「”何”、はこちらの台詞だ。そろそろ放してくれないか」
「はえ?」
「だから。ボクの手を放して欲しいんだが」
「え?……きゃあ!」
ラクツの指摘でようやくこの事態を把握したファイツは、きゃあっと悲鳴を上げて飛び退いた。ラクツに言われるまで、自分が彼の手を握っていることに全然気付かなかった。まったくの無意識でそうしたのだと思うと、途端に恥ずかしさが込み上げて来る……。
「ご、ごめんね!あ、あたしったら何やってるんだろうね……っ。……あ!ど、どうしたのダケちゃん!?」
大袈裟な程に勢いよくしゃがみ込んだファイツは、何かを訴えるかのように何度も地面を跳ねているダケちゃんと視線を合わせた。ダケちゃんの可愛らしいつぶらな瞳から向けられた視線を、そろりと辿ってみる。それはラクツではなく、彼が持ってくれている鞄に全力で注がれていた。
「ダケちゃん、お腹空いたの?」
そう尋ねると、ものすごい勢いで頷かれた。1秒でも早く食べたいと言わんばかりにぴょんぴょんと何度も跳ねるダケちゃんがおかしくて、ファイツはくすくすと笑った。この小さな友達のことが、愛おしくて仕方がなかった。
「そうだよね。もうお昼になるんだし、ご飯にしよっか。ラクツくんもフタチマルさんも一緒に食べよう?あたし、お弁当作って来たんだよ!」
「ボクは構わないが、少し待ってくれ。フタチマル、お前はここにいろ。ボク1人で充分だ」
「えっと……。あの、どこに行くの?」
「確認をするだけだ。すぐに戻る」
「……はえ?確認って、何の……?」
「だから、周囲の状況確認だ。この草原には野生ポケモンがいないようだが、あちらの林はまだ確認していない。獰猛なポケモンが身を潜めている可能性もある。警察官として、状況把握を怠るわけにはいかない」
そう言い残して自分達から遠ざかるラクツの背中を、ファイツは呆気に取られて見送った。状況確認をすると言った彼は、言葉通りに辺りを注意深く見回している。
「フタチマルさん……。ラクツくんって、いつもあんな感じ……なん、だよね?」
そんな彼の姿を遠くから眺めていたファイツは、傍で佇んでいるフタチマルに問いかけた。答を聞く前からそんな気がすると思ったけれど、やっぱりその予想は裏切られることはなかった。フタチマルにあっさりと頷かれたことで、ファイツはそっと目を伏せた。
(ラクツくん、パンケーキを食べた時と同じことしてるよ……。こんな時くらい、お仕事のことは忘れて欲しいのにな……)
もちろん、これが自分のエゴでしかないことは理解している。だけど、今は自分が警察官であることは忘れて欲しいとファイツは思った。万が一にも恐ろしい野生ポケモンが隠れていたとしたら、きっと自分はラクツに感謝すると思う。けれどそれでも、今は楽しい楽しいピクニックの最中なのだ。こんな時くらい普通の男の子として過ごしても罰は当たらないと思うんだけどな、とファイツは声に出さずに呟いた。
(さっきのラクツくんは、あんなに穏やかに笑ってたのに……。きっとフタチマルさんのことを考えてたんだろうけど、すごく優しい目だったなあ……)
頭の中に勝手に浮かんだのは、「ありがとう」と言ってくれた時のラクツの顔だった。いつも眉間に皺を刻んでいるラクツは、だけどあんな風に穏やかに笑える人なのだ。あのラクツを見て、どれだけ嬉しかったことか。
「…………」
もちろん、あの優しい目を自分に向けて欲しいなんて言わない。自分達は単なる知り合いであって、断じてそういう関係ではないのだ。どう都合良く解釈しても、自分達が知り合い以上友達未満の関係でしかないことは否めない。そんなラクツにそんなわがままが言えるはずもないことは、ファイツにだってよく分かっている。
(でも、いつか……。いつかはラクツくんと、友達になれるといいなあ……)
出来ることなら、明日のラクツくんは今日より穏やかでいられますように。そして出来ることなら、ラクツくんといつか本当の友達になれますように。今はまだ知り合い以上友達未満の関係である彼を遠くで見つめながら、ファイツは1人想いを馳せた。