その先の物語 : 016
きょうだいあい
夕食後の、とある夜のことだった。それは混んでいるスーパーで買い物をしていたヒュウは、お目当てのアイスを取ろうとしていた手を思わず引っ込めた。自分のすぐ隣を通り過ぎた人物に、ものすごく見覚えがあったのだ。特徴的な髪型をしておまけに肩にタマゲタケを乗せている女子なんて、ヒュウの知る限り1人しかいない。「よう、ファイツ」
そう声をかけると、こちらに背中を向けていた彼女はくるりと振り向いた。きっと自分がいるとは想像もしていなかったのだろう。元からして大きいファイツの蒼い目が、更に大きく見開かれる。
「ヒュ、ヒュウくん!?……えっと、こんばんは!」
律儀にも挨拶をした後で「びっくりしたよ」と胸に手を当てたファイツに、ヒュウは苦笑を返した。わざわざ教えられるまでもなく、びっくりしたという6文字が彼女の顔にしっかりと書いてあるのだ。
「でも、ヒュウくんがこっちまで来てるのって珍しいね。ヒュウくんの家って、ここから随分遠くなかったっけ?」
「ああ、まあそうなんだけどな。オレの妹が、食後にアイスが食いたいって言うからさ。どうしても食いたいって言ってたアイスが、このスーパーのオリジナルブランドなんだとよ。ほら、そこのチョコまみれのやつ。あいつ、最近アイスにはまってるんだ」
沈黙の後で理由を明かしたヒュウは、照れ臭さから左手で頬を掻いた。口にするのは気恥ずかしいけれど、自他共に認める程のブラコンだという自覚はある。そんな自分が妹の頼みを断れるはずもなく、食べたがっているアイスを求めてここまでやって来たというわけなのだ。正直に打ち明けると、ファイツはにこにこと嬉しそうに微笑んだ。
「それで、わざわざ遠くまで買いに来たんだ。やっぱりヒュウくんって優しいね!」
「そうか?」
「そうだよ!きっと妹さんも、ヒュウくんみたいなお兄ちゃんがいて幸せだって思ってるんじゃないかな」
「いや、それは流石に大袈裟過ぎねえか?」
「そうかなあ。そんなことないと思うけど……。ヒュウくんはすごくいいお兄ちゃんだよ!」
そう意気込むファイツは、うんうんと力いっぱい頷いていた。これ以上この話題を続けるのは気恥ずかし過ぎる。そう直感したヒュウは、強引に話題を変えることにした。実際、これは本当に気になっていたことなのだ。
「あー……。にしてもよ。お前、すげえ量を買うんだな」
ファイツが持っている買い物かごを指差したヒュウは、かごに入っている食材を繁々と眺めた。もしこの場に妹がいたとしたら、「人が買っている物をじろじろ見るのは行儀が悪いよ」と絶対に言われてしまうだろう。ヒュウ自身もそう思うが、どうしたって目を引かれてしまうのだ。何しろファイツのかごには、パンを始めとした肉やら魚やら野菜やらの食材がそれはもう山積みに重ねられていたのだから。パッと見で、3人分はあろうかという量だ。
「うん!ちょうど割引してたし、色々考えてたらあれもこれもってなっちゃって。でも、もうこれ以上入らないよね?」
「いやお前、そりゃいくら何でも無理だろ。……って、まだ買うつもりなのかよ!?」
「う、うん。ちょっとね……。だって、せっかくだから……」
驚くべきことに、ファイツはまだ買い物を続けるつもりのようだ。彼女が言葉を濁したことに気付きつつも深くは詮索しなかったヒュウは、はあっと溜息をついた。
「そこで待ってろ。お前の代わりにカート取って来てやるから」
「え、いいの?でも、ヒュウくんに悪いんじゃ……」
「悪いことは言わねえから、オレに任せとけって。お前に持って来させたら、かごの重さに負けてこけそうな気がするんだよ」
「あ、酷い!あたし、そこまでドジじゃないよ!?」
「いや、ドジはドジだろ。いいからそこで待ってろって」
ファイツの制止を聞き流したヒュウは、カートを取りに行くべく歩き出した。目的の物は出入口に置いてあるからそれなりの距離があるわけだが、どうせ元々結構な距離を歩いて来たのだから今更だ。人の波を泳ぐようにして大股でずんずんと歩いたヒュウは、並べられているカートをむんずと掴む。そして一目散でアイス売り場へと急ぐと、所在なさげに立っていた彼女がぺこりと頭を下げるのが見えた。
「ありがとう、ヒュウくん。おかげで助かっちゃった」
「別に礼なんていいって。それよりお前、その荷物はどうするんだ?それ以上買うんだったら結構重くなるだろ。何だったら、オレが家まで運んでやろうか?」
断じて変な意味ではなくて純粋にファイツを心配したヒュウが申し出ると、彼女は慌てて首を横に振った。それは申し訳なさそうな表情だ。
「え、いいよ!?それこそヒュウくんに悪いもん!それに、妹さんにも悪いし……!」
「いや、そうは言ってもよ……」
「あたしは大丈夫だよ。ポケモンさんには悪いけど、そらをとぶタクシーを使うつもりだから!ほら、ちょうどそこにポスターが貼ってあるでしょう?」
ファイツが指差したのは、”そらをとぶタクシーはいかがですか”と大きく書かれているポスターだった。壁に貼られているポスターを見て、ヒュウはなるほどと納得した。言うまでもなく有料だが、大量に買い込んだ客の為に、鳥ポケモン達が家まで荷物を運んでくれるサービスのようだ。どうやらこのスーパー特有のサービスであるみたいだが、それならこれ程の客で店内が賑わっているのも頷ける。
「へー……。確かにそれなら大丈夫だな。それにしても便利なもんだぜ」
「本当!……それじゃあ、あたしはもう行くね。色々ありがとう、ヒュウくん!妹さんによろしくね!」
小走りでその場を離れて行くファイツに返事をしたヒュウは、ファイツに仕事の予定を訊いていなかったことを思い出した。ちょうど今朝、ペタシに今度遊びに行こうと誘われたところだったのだ。どうせならファイツも誘おうと言われたから、だからヒュウは戻って来たら予定を直接訊こうと思っていたのに。だけど生憎なことにファイツは急いでいたらしく、最早影も形もなかった。
(ま、いいか。あいつ、何か急いでたみたいだしな。誘うのは止めにしとくか)
そう結論付けたヒュウは、妹が食べたがっているアイスをかごの中に入れた。それは大事にしている妹が満面の笑みを浮かべる様子が浮かんで、自然と口元が綻んだ。