その先の物語 : 015

好きだけど好きじゃない
木が生い茂る道のど真ん中で、ファイツは声を上げて泣いていた。ただひたすら悲しいと思った。悲しくて悲しくて仕方なくて、抱き付いたラクツには構わずにわんわんと泣きじゃくる。

「うわあああん!ラクツくんのバカ!バカバカバカ!」

口を開けば泣くか彼への罵倒かしかしていないわけだが、ファイツはそれも仕方ないと思った。だって、だって。だって”いつ死んでも構わないと思っている”、なんて。あまりにも悲し過ぎる言葉ではないか。それに、”死んだところで悲しむ人がいるとも思えない”とラクツが言い切ったことも同じくらい悲しかった。もしも彼の命が潰えたとしたら、間違いなく悲しいと思う人間がここに存在しているというのに。これ以上ないくらいの悲しみに圧し潰されて、それこそ今の比でないくらいに大泣きすることは目に見えているのに。それなのにラクツは、”悲しむ人がいると思えない”なんて言い放ったのだ。その発言自体悲しいし、まるで自分の存在が彼に認識されていないように映ったことも、やっぱり悲しい。

「ひっく、うう……。うええええん!ラクツくんのバカ、酷いよお……っ!」

深い悲しみと、ちょっとだけ怒りの気持ちに襲われたファイツは、その感情のままにラクツの肩をポカポカと叩いた。彼の体調が本調子でないことはもちろん知っていたが、それとこれとは話が別だった。

「あ、あたしは!ラクツくんが死んじゃったら嫌だし、想像するだけですごく悲しいって思うのに!なのに、そんなこと言うなんて……っ!ラクツくんのバカ、大バカあ……っ」

ひっくひっくとしゃくり上げたファイツは、ラクツを縋るような目付きで見据えた。だけど視界があまりにもぼやけていることに気付いて、慌てて涙を拭う。考えてみれば、かれこれ1分間は泣いていたのだ。涙で見えなくて当たり前だ。まるで流れ落ちる滝のように止めどなく溢れて来る涙と格闘していたファイツは、不意にとある考えに襲われた。

(でも……。もしラクツくんが分かってくれなかったら……?この気持ちが、ラクツくんに届かなかったら……。もしそうだったら、あたしはどうすればいいんだろう……)

特殊な環境に身を置いていた所為なのか、ラクツが普通の感性を持っていないことはファイツにだってよく分かっていた。だからこそ、ファイツは不安だった。悲しくて悲しくて、これ以上ないくらいにさめざめと泣き腫らした。声が枯れる程の大声で、”ラクツくんが死んじゃったら嫌だ”と訴えかけた。だけどもしもそれらの効果がまるでなかったとしたら、いったいどうすればいいのだろうか……。

「…………」

暫しの間呆然としていたファイツは、我に返るとごしごしと乱暴に目を擦った。そして、自分の両頬を強く叩く。かわいそうなのは自分ではない。かわいそうなのは”死んだところで悲しむ人間がいるとも思えない”という考えを抱いた、いや抱かされたラクツの方ではないか。この状況で自分のことを考えているのは彼に対して真剣に向き合っていない証拠だと、ファイツは自身を叱咤した。

(あたしがここで逃げたら、ラクツくんは本当に1人ぼっちになっちゃうよ……!)

あの頃のようにラクツから逃げるのは嫌だったし、ラクツを本当の意味で1人ぼっちにするのはもっと嫌だった。正直なところ、悲しくも自分の嫌な予感が的中する可能性は大いにある。既に声に出していたファイツはそれ以外で気持ちをぶつける術を思いつかなかったが、そうなったらそうなったでいいではないか。また何度でも気持ちを伝えるだけのことだ。ファイツは気合を入れるかのように再び頬を叩いて、超がつく程の至近距離からラクツの顔を見つめた。

「…………」

真正面からラクツの瞳を捉えたファイツは、そこで初めて”あれ?”と思った。今のラクツは、いつもの無表情とは程遠い表情をしていたのだ。それに、何度か見せたような呆れ顔でもなかった。再会してからというものほとんど常に眉間に皺を刻んでいると言い切ってもいいラクツは、はっきりそうと分かるくらいに眉根を下げていたのだ。そう、それはまるで……。

「……ラクツくん?」
「…………」
「ラクツくん!」
「……あ、ああ……。……キミか」

どう見ても困り果てているようにしか見えないラクツはどうにか呼びかけに頷いたものの、その反応は鈍いとしか言えなくて。ファイツは不安を抱いていたことも忘れて、ラクツの顔をまじまじと見つめた。今の彼が、何だかものすごく子供っぽく見えるのは何故なのだろうか。そう考えたファイツは、そもそもラクツが自分と同い歳だという事実を今になって思い出した。落ち着いていて自分より遥かに大人びているように見えるから忘れていたけれど、彼はまだ14歳なのだ。14歳という年齢は、世間一般的に言って子供だと言える歳だ。

(そうだよね……。ラクツくんは警視さんだけど、あたしと一緒でまだ14歳なんだもんね……)

だけど、彼がこんなにも困るなんて思わなかった。単純に自分が大泣きした所為だろうか。はたまた、意見を真っ向から否定されたのが彼にとっては意外だったのだろうか。それともやっぱり、こちらの主張が理解出来なくて困っているのだろうか。いくつもの考えが、次々と浮かんでは瞬く間に消えていく。

(やっぱり、そうなのかな……)

泣きこそしなかったけれど、ファイツはまたしても悲しみに襲われた。誰かが傷付くのは嫌だ。誰かが死ぬのはもっと嫌だ。それが知り合いなら尚更だ。自分からすれば当たり前に抱く気持ちを彼が理解出来なくてもいい、それならそれで何度でも声に出して伝えるだけのことだ。そう決めたのはファイツだが、それでもやっぱり悲しいものは悲しかった。

「ラクツくん。ラクツくんが怪我するって考えただけであたしはすごく悲しいし、また倒れたらって思うだけで不安になるし、ラクツくんがもし死んじゃったらって想像するだけですごく嫌な気持ちになるの……。えっと、だからね……っ」
「……うん。それはもう、分かったから」

小さくもはっきりとした声でそう言ったラクツを、ファイツは飽きもせずに見つめていた。てっきり「理解出来ない」と言われるものとばかり思っていたから、彼がそう返したのは実に意外だったのだ。

「……え?」
「何だ、その顔は」
「えっと、本当に?」
「……あれだけ連呼されれば誰でも分かる。もっともボクはこれまでの人生で他人を案じたことなどないし、多分この先もないだろうと思っている。故に同感は出来ないが、キミがボクの身を案じていることだけは充分過ぎる程に伝わった」
「……そう、なんだ……」

やはりと言うべきか、ラクツは他人を心配する感情が分からないと言う。だけど、もっと斜め下の反応を返されるのではないかと密かに思っていたファイツにとって、ラクツの言葉は最悪と呼べるものではなかった。少なくとも、自分が彼を心配していることは伝わったらしい。今はそれで充分だと、ファイツはホッと息を吐いた。

「それにしても、ファイツくんの言動にはまったくもって驚かされるな……。例によって理解は出来ないが、まさかキミがボクを好いているとはな。……夢にも思わなかった」
「……え?」
「どうした?ボクを好きだと言ったのは、ファイツくんだろう。自分で言ったことを憶えていないのか?」

ファイツは瞬きをすると、ラクツの言葉を頭の中で3回は繰り返した。だけど、彼がいったい何を言っているのかがさっぱり分からなかった。呆然とするファイツの鼓膜を、風が駆け抜ける音が震わせた。好きって、誰が誰を?ファイツは、おそるおそる口を開いた。

「あのね、ラクツくん。今、あたしがラクツくんを好きって言ったって聞こえたような気がするんだけど……。その、あたしの聞き間違いかな……?」
「いや、聞き間違いではないぞ。確かにボクはそう告げた」
「……あたし、そんなこと言った?」
「言ったな。嘘だと思うなら、ダケちゃんにでも訊いてみたまえ」
「…………」

一縷の望みに懸けたファイツは、何も言わずにダケちゃんを見下ろした。すると足元にいる自分の大事な友達は、投げやりにこくんと頷いた。もしかしたら見間違えたのかもしれないというファイツの願いは、ダケちゃんがそれはもう不機嫌な顔で再度頷いたことで無残にも打ち砕かれた。

「……きゃあああああっ!」

どうやら聞き間違いでも見間違いでもないようだった。あまりよく憶えていないけれど、自分はラクツに対して爆弾発言をしたらしい。その事実をようやく認識したファイツは、超至近距離にラクツがいることも忘れてきゃあきゃあと絹の裂くような悲鳴を上げた。さっきとはまるっきり違う意味で涙目になると、その場にさっと蹲る。今は誰にも顔を見られたくはなかった。穴があったら入りたいと、こんなにも心から思ったのは初めてだ。

(す、好きって……。好きって!やだもう、恥ずかしいよう……っ)

好きだと言ってしまったらしいことも恥ずかしいし、それを相手から聞かされるのも恥ずかし過ぎる。おまけに、ラクツが未だに困惑しているように見えることもまた恥ずかしかった。せめていつものように落ち着いていてくれればまだ良かったのにどうしてと、声に出さずに声高に叫ぶ。彼からすればまさに愛の告白をされたと言っても過言ではないわけなのだから困惑しても仕方ないのだけれど、それをすんなり受け入れられる程自分は大人びてはいないのだ。

(ああああっ!あたしったら、ラクツくんに違うって言ってない!どうしよう、これじゃあ本当に、あたしがラクツくんを好きみたいじゃない!……えっと、好きは好きだけど、でも!そういう好きじゃないんだもん……っ。……そ、そうだよね!?あたしはラクツくんを好きじゃないよね!?)

混乱と羞恥の渦中にいるファイツは、自分が彼の言葉を否定していないことを光の速さで思い出した。さっさと声に出して伝えればいいものを、それがすぐに出来ないファイツはわたわたと腕を動かしながら心の中で叫ぶだけだった。

「ち、違うの!そういう意味じゃないの!ラクツくんのことは好きだけど、そういう好きじゃなくて!あの、だから!とにかく違うの、違うんだってばあ!!」

結局、声に出せたのはうずくまってからたっぷり30秒が経った後だった。夕陽なんて比べ物にならないくらいに顔を赤くさせたファイツは、何度も何度も違うのと言い続けた。