その先の物語 : 011

パンケーキ・パニック
(うん、やっぱり美味しい!ここのパンケーキって、本当美味しいよね……)

お気に入りであるカフェの片隅でパンケーキを頬張ったファイツは、心の中でそう叫んだ。何を食べようかと迷った挙句に結局はいつものメニューを頼むことにしたのだけれど、やっぱりこれにして良かったと強く思った。きつね色に焼きあがったパンケーキの表面はさっくりとしているのに中はふわふわで、口の中でとろけるような舌触りをしているのだ。添えられたアイスクリームの冷たさも相まって、焼きたてのパンケーキは本当に美味しい。それに”くろねこ”という店名の通り、パンケーキが猫の形をしているのも可愛い。これならいくらでも食べられちゃうよと思いながら、ファイツは向かい側に座るラクツに笑顔で呼びかけた。

「……どう?ラクツくん!ふわふわしてて、すっごく美味しいでしょう?」
「すごく美味しいかどうかはよく分からないが、確かに柔らかい食感ではあるな」
「…………えっと、それだけ?」
「そうだな……。強いて言えば、甘いということくらいだろうか。……ああ、そういえばかなりの客がこれを頼んでいるな。つまり、これは人気メニューということか」
「う、うん……。看板メニューなんだけど……」

ラクツが美味しいと言ってくれることを期待していたファイツは、思っていたよりずっと薄い反応を示した彼に内心でがっくりと肩を落とした。自分が初めてこのパンケーキを食べた時はあまりの美味しさに叫んだものだが、ラクツは美味しいと声を上げるどころか実に淡々とパンケーキを口の中に入れているのだ。それは味わうというよりただ単に放り込んでいるという感じにしか見えなくて、ファイツはそっと目を伏せた。期待が大きかった分、裏切られた時の落胆はそれはすさまじいものだった。もちろん、勝手に期待を寄せた自分が悪いのだけれど。

(はあ……。こんなに美味しいパンケーキなのに、すごく淡々と食べてるよ……。これなら絶対に美味しいって言うと思ったのになあ……)

自分が知る限りでの一番美味しい食べ物をまさに今この瞬間食べているというのに、彼はというと実に機械的に食事をしているわけで。やっぱりラクツの言葉通り、彼にとって食事とは単なる行為でしかないのだろうか。信じたくない事実を改めて思い知らされたファイツは、真正面に座るラクツを見つめながら眉根を下げた。

「ファイツくん、ボクの顔に何かついているのか?」
「あ、ううん!何でもないの……っ。ごめんね、じろじろ見ちゃって……。ラクツくんは病み上がりなんだし、ゆっくり食べてね!」
「いや、悠長に食べるわけにもいかないだろう」
「え、どうして?あたしは全然急いでないし、時間のことなら別に気にしなくても……」
「そういう意味で言ったんじゃない。キミを護ると言った以上は、食事中でも気を抜くわけにはいかないだろう」
「…………」

大真面目にそう言い放ったラクツを前に呆然としていたファイツは、はっと我に返ると拳を握った。ラクツが自分を護ると言ってくれたこと自体はありがたかったのだけれど、いくら何でも食事中まで護ってもらうわけにはいかない。

「そ、それは今いいから!ご飯の時くらい、ゆっくり休んでよ……っ!」
「ファイツくんはそう言うが、その要求を呑む気にはなれないな。この店に辿り着くまでの道中を忘れたのか?」

その言葉で、自分が仕出かした失敗の数々が色鮮やかに蘇る。思い出したくない記憶を掘り起こされた結果になったファイツは、ぐっと言葉に詰まった。野生ポケモンにこそ襲われなかったものの、何もない地面で転びかけたり生い茂る木にぶつかりかけたりで、ここまでの道のりは平和とはとても言えないものだったのだ。ちなみにどちらも未遂で済んだのは、そうなる寸前にラクツが止めてくれたおかげだ。ラクツに手を引いてもらわなければ、せっかくの可愛いワンピースは間違いなく泥だらけになっていたことだろう。

「た、確かに感謝してるけど……っ!それとこれとは話が別だもん!ラクツくんだって、ずっと張りつめてると疲れちゃうでしょう?」
「いや、別に。むしろ、食事中でも気を張っていないと落ち着かないくらいだ。潜入捜査をしていた頃からずっとそうしていたからな。今更気を抜けと言われても調子が狂うし、そもそもどうすれば気を抜けるのかが分からない」
「で、でも……。それでもあたしはラクツくんに安らいで欲しくて……っ」

ここに来るまでの道のりだけで、ラクツは何度も自分を助けてくれた。迷惑をかけた分、せめてご飯の時くらいはゆっくりと休んで欲しかったのに。いつも眉間に皺を刻んでいるラクツに、ホッと安らいで欲しかったのに。そう思ったからファイツはこのカフェを選んだし、何を選べばいいのか分からないと言った彼にパンケーキを勧めたのに。しかし、そのどちらもラクツにとっては重荷にしかならなかったというのだろうか。何かを言わなければと思うのだけれど、今の自分が何を言っても気持ちを押し付けてしまうような気がしてならなくて。その歯痒さを自分にぶつけるかの如く、ファイツは思い切り唇を噛んだ。

「ん?……どうした、フタチマル?」
「……え?」

伏し目がちになっていたファイツは、ラクツの言葉で顔を上げた。すると、ラクツの隣で同じくパンケーキを食べているはずのフタチマルが彼の服の裾をくいくいと引っ張っているのが見えた。気付けば、フタチマルの分のパンケーキは綺麗さっぱりなくなっていた。

「……もしかして、このパンケーキが気に入ったのか?お前が望むなら追加で注文するが、どうする?」

自分には催促しているように映ったのだけれど、ラクツも同じことを感じたらしい。思い浮かべた疑問を肯定したフタチマルに向けて「そうか」と言った彼を眺めていたファイツは、思わず声を漏らした。自分と話している時はほとんど常に眉間に皺を刻んでいるラクツが、とても優しい表情をしていることに気付いたのだ。

(すごく優しい目……。ラクツくんのあんな顔、初めて見た……。ラクツくん、フタチマルさんをすごく大切にしてるんだ……)

それは優しい眼差しが自分に向けられたわけでもないのにどきどきと胸を高鳴らせたファイツは、半ば放心状態になりながらラクツを見つめていた。何だか、顔がものすごく熱くなって来たような気がする……。

「……ファイツくん?」
「…………」
「ファイツくん!」
「えっ!?な、な、何!?」
「”何”はこちらの台詞だ。放心しているようにしか見えなかったが、どうした?」
「そ、それは聞かないでえええ!」

我に返ったファイツは、ラクツの視線から逃げるように激しく首を横に振った。彼の表情に完全に目を奪われていたなんて、恥ずかし過ぎて絶対言えない。そして当の本人は、納得がいかないと言わんばかりに眉間を深い皺を作っていた。

(……あ。戻っちゃった……)

それ以上追究されなかったことには心の底からホッとしたけれど、ちょっとだけ淋しい気持ちになったファイツは、アイスクリームをパンケーキに乗せて頬張った。放置していた所為でアイスクリームはどろどろに溶けてしまっている上にあんなに熱かった焼きたてのパンケーキは完全に冷めてしまったけれど、それでもものすごく美味しい。変わらないパンケーキの美味しさに頬を緩めたファイツは、おかわりを懸命に食べているフタチマルを見て目を細めた。正直言うと相変わらず静かに食べているラクツにこそフタチマルのような反応をして欲しかったところなのだが、それでもポケモンが嬉しそうにしているのは嬉しいものだった。

「あ!そうだ、ダケちゃんももう食べ終わったよね?いつも通り、おかわりを頼んでおくから……。……あれ?ダケちゃん?」
「どこを探しているんだ?ダケちゃんならここにいるぞ。ボクの傍で、パンケーキを頬張っている」
「ダ、ダケちゃんっ!!何やってるの!?」

ラクツが指し示した通りだった。ダケちゃんは確かにラクツの傍にいて、彼の分のパンケーキを一心不乱に食べていたのだ。そして残り全てのパンケーキをあっという間に食べ尽くされたラクツが至って落ち着いているのを他所に、ダケちゃんは満足そうにお腹を擦っていた。

「ご、ごめんねラクツくん!!ダケちゃんもラクツくんに謝りなさい!!」
「いや、ボクは別に気にしていないんだが……」
「ああもう、何でそっぽ向いてるの!?こら、ダケちゃんってばっ!!」
「そんなことより、ファイツくん。キミの大声で店中の注目を浴びているぞ。声量を下げてくれ」
「……え?」

知らず知らずのうちに店内に響き渡るような大声を上げていたファイツは、おそるおそる辺りを見回した。自分と目が合うや否や、さっと視線を逸らす客の何と多いことだろうか。まさしく店中の注目を浴びていたことに今更気付いて、テーブルにへなへなと突っ伏したファイツは目を固く閉じた。冷たいテーブルに押し付けた頬が燃えるように熱かった。情けないやら恥ずかしいやらで、ファイツはそのまま大泣きしてしまいたいと思った。