その先の物語 : 008

新たな任務
ホテルの一室でライブキャスターでの通話を終えたラクツは、真っ暗になった画面を呆然と見つめていた。今しがた拝命した任務の内容が、到底信じられるものではなかったのだ。

「3ヶ月間の休暇、か……」

”3ヶ月間の休暇を与える、故にその期間は充分に静養せよ。これは任務だ”。ラクツが休暇の申請をした際に、親代わりである長官に告げられた言葉がこれだ。任務だと言われてしまった以上は全うするつもりだが、それでも心に浮かんだ疑念は消えてはくれなかった。国際警察官の人手が常に不足していることは長官だってよく分かっているはずなのに、何故ここに来て長期間の休暇を与えたのだろうか。休暇を取れたとしても精々3日程度だろうと考えていたのに、まさか予想した30倍の日数を休む羽目になるなんてまったく予想外にも程があるとラクツは思った。

「……お前はどう思う?フタチマル」

日課であるホタチの手入れを行っていた相棒に顔を向けながらそう尋ねると、フタチマルの眉根が下がっているのがはっきりと見えて、ラクツは小さく嘆息した。自分には長官が何を思ってあのような命令を下したのかがまるで理解出来なかったが、フタチマルもフタチマルでさっぱりわけが分からないらしい。

「やはりお前にも分からないか。ボクも同意だ、長官が何を考えているのかが皆目見当がつかない」

唯一考えられるのはイッシュ地方に蔓延る盗賊団の幹部を逮捕した褒賞として休暇をもらったということくらいだが、任務をまともに休んだ記憶がないラクツにとって、3ヶ月間の休暇は褒美だとは言いがたかった。この長期間、自分は何をして過ごせばいいのだろうか。そんな問題に直面したラクツは、眉間に深い皺を刻んで思案した。産まれてこの方、文字通り仕事漬けの毎日を送って来た身だ。3日間ならそれこそ身体を休めるだけで終わるだろうが、3ヶ月となるとそうもいかなくなる。いきなり休めと言われても、どうしていいか分からないというのが正直な感想だった。

「フタチマルはどうだ?お前、何かしたいことはあるか?」

やりたいことなどないラクツは欠片も思い浮かばないが、フタチマルはそうではない可能性もあるわけで。けれど神妙な顔付きで考え込んでいた彼がとうとうお手上げだとばかりに目で訴えたことを確認したラクツは、ライブキャスターを枕元に置いて部屋の灯りを消した。そして、静かにベッドに身を横たえる。自分も彼も思いつかないのなら、この件に関していくら頭を捻ったところで時間の無駄にしかならないだろう。それならば寝てしまった方がいいに決まっている。正直言って腑に落ちたわけではないし、いくら何でも3ヶ月間丸々寝るというのは非現実的だ。それでも静養せよとの命を順守するつもりでいるラクツは両目を閉じた。睡眠を取れば、明日には妙案が首尾よく思い浮かぶかもしれない。

「…………」

しかしその意思に反して、普段ならば来るはずの眠気は何故だか微塵も湧いてはくれなかった。目を閉じた途端に眠気がやって来て、気が付いたら朝になっているというのがお決まりだったはずなのに、どうしてか今日に限ってはそのパターンが当てはまらないらしい。おそらく、今日は昼近くまで寝ていたから眠くならないのだろう。そんな結論に至った瞬間にとある少女の姿が脳内に薄らと浮かび上がって、ラクツは思わず目を開いた。

(何故、あの娘の姿が浮かぶんだ……?)

何の前触れもなく脳内に浮かんだファイツは明らかに困った表情をしていたのだけれど、ラクツもまた当惑していた。分からない、どうしてこのタイミングで彼女の顔が浮かぶのかがまるで理解出来ない。新たに命ぜられた任務の内容といいあの娘のことといい、分からないことが連続して起きるものだと眉を強く潜める。前者もそうだが、特に後者に関しては自分の理解の範疇を完全に超えているとラクツは思う。花が咲くように綺麗に笑ったかと思えば次の瞬間には困り果てたり、挙句の果てには泣き出したりするから本当に不思議でならない。それにこちらを「かわいそう」だと評した際にあの娘がしていた、大泣きしているとしか言えない表情がやけに鮮明に脳裏に蘇るのもラクツにとっては理解不能だった。

(……そういえば、ファイツくんに礼をしていなかったな)

食事をするという用が済んだ以上、自分達がここに留まる意味は最早ないに等しいだろう。そんな考えから、ラクツは泣いているファイツを尻目に彼女の家を後にしたのだ。涙を零しながらどこか縋るような瞳でこちらをじっと見つめていたファイツと、反対にこちらを睨みつけていたダケちゃんを置いて出て行ったことに対しては何とも思っていなかったが、それでもあの娘には礼の1つでもするべきだったとラクツは思った。食事の方は向こうが言い出したことだとはいえ、自分達が少なからずあの娘の世話になったことは確かな事実なのだ。その礼として常日頃から持ち歩いている札束でも渡してやるべきだったのに、それをしなかったことが今になって強く引っかかった。

「……そうだな。明日にでも渡しに行くか」

こちらを見たフタチマルに何でもないと首を振ることで応えたラクツは、思考を再開する。どうせ、手元には使う暇も預ける暇もないおかげで貯まった資金が潤沢にあるのだ。わざわざ手渡しというのも色々な意味で面倒な気がしてならないし、メモを添えた札束入りの封筒でも彼女の家の郵便受けに入れておけば一宿二飯の充分な礼になるだろう。その後どうするかはまだ決めていないけれど、少なくとも明日朝一番の予定はこれで決まったわけだ。

(それと……。いい機会だ、フタチマルに何か買ってやるか……。彼のことだから、能力値が上がる道具辺りが無難だろうか……)

自分自身のことはどうだっていいけれど、同じく働き詰めだったフタチマルに対しての礼はしておきたい。自分が手持ちポケモンに対しての愛情を注いでいることにすら気付かないラクツは、無意識に目を細めた。そして、遅れてやって来た睡魔に逆らうことなく目を閉じた。