黒の少年と白の少女 : 017

明かされた真実
最初は、目の錯覚かと思った。だからヒュウは目を擦ってみたのだけれど、結局何度擦ってもその結果は変わらなかった。どう見たって、あれは手錠としか言いようのない物体だった。テレビドラマなどでよく目にする、刑事が悪人を逮捕する時に使うあれだ。それもおもちゃではなく本物の手錠だ、どうしてそんな物が転校生のバッグの中から出て来たのだろう?

「お前……」

ヒュウは呆然とそう呟いたが、その後に続く言葉が出て来なかった。結局そのまま黙りこくっていたわけなのだけれど、ファイツもファイツで何も言わずに立ち尽くしていた。そんな彼女の顔は、自分以上に呆然自失であると言っていいだろう。あまりに予想外の出来事に、先程まで抱いていたはずの激しい怒りはすっかり消え去ってしまっていた。

(いったい何がどうなってるんだよ……!?)

最早、ヒュウの心は困惑でいっぱいになっていた。だいたい昨日から色々なことが起こり過ぎなんだと、誰にともなく心の中で呟いてみる。社会見学に行った帰りに女子共と言い争いになったのはまあ珍しくも何ともないわけだが、その後がいけなかった。その言い争いで妹を引き合いに出されたヒュウは、思わず女子共に向けて攻撃してしまったのだ。
他の誰かならあそこまで怒りはしなかっただろうが、よりにもよって可愛がっている妹を話題に出されたのは流石に我慢ならなかった。殺気立った彼女達に「出ていけ」と言われて「お前らが出て行け」と言い返した後で、チェーンが切れたペンダントが落ちていることに気が付いたのだ。それはまず間違いなくクラスメイトである女子共の持ち物で、おそらくはビブラーバがわざを放ったからそうなってしまったのだろう。つまり、その誰かは自分の所為でペンダントを落としたということになる。妹以外の女は嫌いだと自称しているヒュウだけれど、拾っておいて知らない顔をするのはいくら何でも気が引けた。

(ペンダントの中から落ちて来たこのメモリーカードには、あのプラズマ団のデータが入っていやがった……。……ってことは、オレのクラスにプラズマ団に関係してるやつがいるってことでいいんだよな……)

ズボンのポケットから取り出したのは、昨日拾ったペンダントとメモリーカードだ。持ち主の手がかりを探す為に寮に備え付けられているパソコンでカードのデータを見たのだけれど、まさか憎むべきプラズマ団の情報が入っていたなんて夢にも思わなかった。偶然にも得たこの貴重な手がかりを絶対に無駄にはするまいと、ペンダントを力いっぱい握り締める。
混乱した頭でこのペンダントの持ち主の情報を手に入れられないかと考えて、何とか出した答は実に単純明快なものだった。その”誰か”は、ペンダントを落としたことにすぐに気付くに違いない。これが大事な物なら、ペンダントを落とした可能性のある場所を必死になって探しに行くだろう。そこを狙えば自然と正体が掴めるとヒュウは思った、つまりは待ち伏せだ。

(オレの考え通り、この場所にやって来た転校生は明らかに焦ってた。どう見たって、あれは何かを探してる感じだった。この女がプラズマ団に関係してるに違いねえんだと思ったからオレは攻撃したのに、この違和感は何なんだ……!?)

頭に血が上ったヒュウは、あの転校生を狙えとビブラーバに命じたのだ。絶対に命中すると思った攻撃をものの見事に躱しててみせた彼女は今、草むらの上にある手錠を呆然と見つめている。おまけに自分のビブラーバと彼女のタマゲタケも、揃って手錠を見つめていた。そう、あれは紛うことなき手錠だった。夕陽に照らされて、草むらの上にある銀色のそれが鈍く光る。

「…………」
「…………」

ヒュウは目の前にいるファイツを見つめたが、彼女は決して自分と目を合わせようとはしなかった。重苦しい程のこの沈黙が、身体にビシビシと突き刺さるような気さえ覚える。痛い程の沈黙だった。

「まさか、お前……」

ようやく口から出たその声は、いつもの自分のものとは思えない程に静かだった。その声を聞き取ったらしいファイツの肩がびくんと大きく震えたのが、ヒュウの目にはっきりと見えた。プラズマ団に関係しているはずの彼女は、しかし刑事が使う手錠を持っていたのだ。その疑問を簡単に説明出来る仮説が、ヒュウの頭に浮かんでは弾けて消える。頭ではあり得ないと思うのに、だけど自分の頭に浮かんでは消えるこの仮説をバカバカしいと一蹴出来ないのは何故なのだろうか。

「もしかして……」
「…………」
「刑事……なのか?」
「……っ!」

そう呟いたその瞬間に、ファイツは思い切り顔を引きつらせた。半信半疑だった自分の考えが、彼女のその反応で確信へと変わる。長い長い沈黙の後で「はい」と蚊の鳴くような声で返事をしたファイツに向けて、「マジかよ」と呟いた。

「あなたの言う通りです。……コードネームはまだありませんけど、これでも一応国際警察官なんです」
「国際警察官にコードネームだと?……おい転校生、まじのガチで刑事なのか?まさかとは思うが、オレをからかってるんじゃねえよな?」
「えっと、本当です……。プラズマ団にだって、潜入捜査をする為に入っただけで……っ」

彼女が自分の仮説を肯定した瞬間を目の当たりにしても、そしてファイツに首を目の前で違う違うと横に振られてもなお、ヒュウは信じられずにいた。だって、この転校生はどう見ても自分と同じ子供なのだ。その歳で刑事なんて、そんなの非常識だ。だけどファイツは非常識にも本当に刑事であるらしく、今や必死に「信じてください」なんて言っていた。

「……信じらんねえ。国際警察官って、お前みたいにとろいやつでもなれるもんなんだな……」
「う……。……それはあたしが鈍いだけで、他の人は皆優秀なんです……っ!それより、あなたにお願いがあるんですけど……」
「……何だよ?」
「あの、あたしが刑事だってことは誰にも話さないで欲しいんです。この学校には理由があって来てて、あたしのことがばれるとすっごく困るんです……っ」

眉根を寄せてそう懇願するファイツに、ヒュウははあっと溜息をついた。彼女が実は刑事だという現実を知った今では”確かに納得出来る”と思えることがいくつかあったわけだが、それでもこの転校生からはとてもそういう雰囲気は感じなかった。今目の前にいる彼女は、どう控えめに見てもただの子供であるようにしか見えない。そんな目でオレを見るなよな、とヒュウは心の中で呟いた。

「……まあ、秘密にしてやってもいいぜ」
「ほ、本当ですか!?」
「ああ。その代わりにオレを鍛えてくれたらな」
「鍛えるって……?」
「そのまんまの意味だよ、オレはとにかく強くなりたいんだ。国際警察官のお前に鍛えてもらえたら、オレだって今より強くなれるだろ?」

プラズマ団に妹のチョロネコを奪われたヒュウは、ポケモンを取り戻す為に何よりも強さを求めていた。そしてどこかとろいこの転校生は、国際警察官だからあそこまでの強さを持っているのだろう。自分が出した条件を聞いた彼女は、少しの沈黙の後で「分かりました」と言った。

「えっと……。あたしの時間がある時にしか出来ないと思いますけど、それでも良かったら……」
「それで充分だ。礼を言うぜ」
「その代わりに、あたしのことは内緒にしてくれるんですよね……?」
「ああ、約束は守る」
「良かった……。あの、ありがとうございます!」

ホッとしたように深く溜息をついたファイツは、次の瞬間に花が綻ぶような笑顔を見せた。突然自分に向けられたその笑顔にはっとしたヒュウは、一瞬言葉を失った。どこかおどおどしている彼女が、まさかあんな風に綺麗に笑うなんて思いもしなかったのだ。何かを言わなければいけないとは思うが、しかし何を言えばいいのかが分からない。ヒュウが違和感を覚えたのは、言葉を探そうと頭に手をやったまさにその瞬間だった。

「何だよ、これ……!?」

自分の右腕に何重にも巻き付いているそれは、どう見てもロープだった。ヒュウは事情が呑み込めずにまたもや呆然とその場に立ち尽くした、何が何だかさっぱり分からなかった。そんな自分とは対照的に、ファイツが弾かれたように前へと躍り出る。

「ダ、ダメだよそんなことしちゃ!乱暴しちゃダメ!」
「ただバリアブルロープを巻き付けただけだ。暴力を振るったわけでもないし、そもそも彼が怪我をしたところでボク達には何の関係もないことだろう」
「それでもダメ!とにかく、ラクツくんはそんなことしちゃダメなの!」
「意味が分からないが」

目の前で繰り広げられるやり取りに、ヒュウは呆然と「マジかよ」と呟いた。ファイツが刑事だと知った時も衝撃を受けたが、今度はそれ以上だった。何しろ自分の腕に巻き付いているロープを持って木陰から自分達の前に姿を現したその人物は、ヒュウのよく知る彼とはまるで違っていたのだ。例え自分でなくても驚くだろう。

「ラクツ……」

彼の名前を呼んだ後で「もしかしてお前も刑事なのか」と掠れ声で問いかけると、ラクツは目線だけをこちらに向けた。やや間があった後に「ご名答」と言い放たれたその声は、普段とはまるで違って淡々としていた。

「コードネーム・黒の2号。国際警察警視だ」

やっぱり淡々と続けられたその言葉を聞いて、しかしヒュウは今度は何も言えなかった。その現実は自分にとって、あまりに衝撃的だったのだ。そんな自分に対して、ラクツは実に興味なさげな視線を向けた。