黒の少年と白の少女 : 012

神のみぞ知る
社会見学に向かうバスの中で、座席に座っていたヒュウは思い切り顔を顰めた。今に始まったことではないが、後ろの方にいる女子共の話し声がやけにうるさく聞こえて来るのだ。

(ああもううるせえ、いいかげんにしやがれってんだよ……!)

きゃあきゃあとうるさい話し声に、ヒュウのイライラは募るばかりだった。思わずがしがしと頭を掻きむしる。普段の授業とは違って社会見学に行くわけだからテンションが上がってしまうのも理解出来るが、あれはあまりにもうるさ過ぎやしないだろうか。まったく喋るなとは言わないが、せめてもう少し静かに話して欲しいとヒュウは思った。
いっそのこと盛大に怒鳴りつけてやろうかと思ったところで、うるさい女子共を注意するチェレンの声が飛んで来て内心ホッとする。何かにつけてクラスメイトの女子共と衝突する機会の多いヒュウだ。今更言い争うことに罪悪感も何も感じやしないが、怒鳴りつけずに済むならそれに越したことはない。そうしたくてしているわけでもないし、そもそも怒るというのはそれだけで結構疲れるのだ。

「何だか疲れた顔してるだすね、ヒュウ」

自分の隣に座っているペタシが、心配そうな顔をしながら尋ねて来る。そんな彼にヒュウは「まあな」と答えた。少し素っ気ない言い方になってしまったような気もするけれど、ペタシは特に気にした様子もなく「そうだすか」と頷いただけだった。つき合いがそれなりに長いだけあって、自分のこんな物言いには慣れているのだ。

「よく眠れてないだべか?無理は良くねえだすよ」
「あ?違えよ、ちゃんと寝てるっつうの。……後ろの女子共にムカついてたんだよ」
「ああ、そうだべか!オラはてっきり寝れてねえのかと思って、すっかり勘違いしちまったっぺよ。何しろ、ヒュウは1人部屋に行っちまったべな……」
「何だよペタシ。まさかお前、オレがいなくて淋しいとか言うんじゃねえだろうな?……ガキじゃあるまいし」

呆れ混じりにそう言うと、ペタシは「そりゃあそうだすよ」と大きく頷いた。まさかこんなにも素直に自分の言葉に頷かれるとは流石に思わなかったヒュウは、自分の顔に熱が集まったことに軽くそっぽを向いてやる。
それは明らかな照れ隠しだったわけだが、都合のいいことにペタシは何やらぶつぶつと独り言を言っていてこちらの様子に気付くことはなかった。自分とは違って実に素直な性格をしているとヒュウは思った。捻くれまくっている自分とは、まったくもって大違いだ。

「確かに部屋は移ったけどよ、それって1週間も前のことじゃねえか。いいかげん慣れろよな」
「うう……。何か、部屋が広くなったみてえなんだすよ……」
「そりゃあオレの荷物がなくなったんだから当然だろうが。……だいたい、オレが移ったおかげでペタシも結果的には1人部屋になれたんだからいいだろ?1人っつーのは気楽じゃねえか、誰にも気を遣わなくていいんだしよ」

半ば言い聞かせるようにそう告げても、ペタシの顔色は明るくならなかった。眉が八の字に下がった、実に情けない表情をしている。

「確かにヒュウの言う通りだども、1学期は一緒の部屋だっただすからやっぱり淋しいっぺよ……。それに……」
「それに、何だよ?」
「……ヒュウが部屋を移りたいって言い出したのは、オラに何か問題があったんじゃねえがって……。それが、どうすても気になっちまって……」
「……あのなあ、ペタシ」

またもやがしがしと頭を掻きむしりつつ、ヒュウは友達の名前を呼んだ。今度はペタシの言葉にイラついたわけではなく、単純に言葉を探していた為によるものだった。結局上手い言葉が見つからなかったから、仕方なくヒュウは思ったままに言うことにした。

「この学校って、寮の部屋割りを成績順で決めてるだろ?オレが1人部屋に移ったのは、チェレン先生にその話を振られたからだよ」

ヒュウが担任であるチェレンに「寮の部屋が空いたから、1人部屋になりたかったら移っても構わないよ」と言われたのは、今から1週間程前のことだった。急な話に内心ではかなり驚きながら、「そういうことなら移ります」とヒュウはチェレンに頷いて見せたのだ。

「詳しい理由はよく知らねえけど、個人の都合で夏休み前に学校を辞めたやつがいたらしいぜ。で、そいつが使ってた部屋が空いたんだとよ。もし断ってたら、オレの次に成績がいいやつにその話が行ってたはずなんじゃねえか」
「なるほど、そういうことだすか……」
「ああ。別にお前と一緒にいるのが嫌だとか、そういうんじゃねえから。……だから、そんなに気にすんなよな」

ヒュウはあらぬ方向を見ながらぼそぼそと喋った、こんな恥ずかしい台詞を面と向かい合って言う気にはどうしてもなれなかったのだ。慣れないことを口にしたことで恥ずかしさに襲われたヒュウは、またもや頭を掻きむしった。

(……まあ、あいつならこんな台詞だって普通に言えるんだろうけどよ。何たって、年がら年中こっ恥ずかしいことを言ってるわけだし)

嬉しそうに頷いたペタシの反応に何となくいたたまれなくなって、意味もなく頭の後ろで腕組みをする。そんな自分の頭の中にふっと思い浮かんだのは、ラクツの顔だった。全ての座学で自分より成績が良く、そして悔しいことにポケモンバトルの腕も自分より優れている男だ。そんなラクツの成績は堂々の学年1位であり、彼がポケモンバトルで負けたところをヒュウは今までで一度たりとも見たことがなかった。

(ラクツのやつも、もっと真面目になればいいのに……)

授業中に質問を投げかけられれば例え授業とは関係ないお喋りをしていたとしても即座に正解を答えるし、ポケモンバトルの実力はクラスの中でも抜きん出ていることは確かだ。それでいてラクツの性格が真面目だったなら素直に実力を認められたであろうものの、そうではないからヒュウは歯痒く思うのだ。ラクツは確かにすごいが、女と見ればすぐさま歯の浮くような台詞を並べ立てるのはいかがなものだろうか。

「あ、ラクツが来ただすよ!珍しく、一番最後だすね」
「そうか?別に珍しくも何ともねえだろ。どうせ、他の学年の女とでも喋ってたんじゃねえの?」
「そ、そうだすか……。それはそれですごいっぺね……」

ペタシは深い息を吐き出しながらそう言ったが、それは感嘆の溜息だろうなとヒュウは横目で友達を見ながら勝手に推測した。ペタシは色々な意味でラクツに憧れているようだけれど、ヒュウは未だに彼の実力を素直に称賛出来ないでいた。
せっかくあれだけ高いバトルセンスを持っているのに、どうして女子なんぞに執着するのだろうと軽く首を捻る。ラクツのことが理解出来ないのは今に始まったことではないが、彼が真面目でないのが本当にもったいないと思った。

「ねえ、ファイツちゃん。キミの隣の席って空いてるよね?ボク、隣に座ってもいいかな?」
「ど、どうぞ……。ダケちゃん、座席じゃなくてあたしの肩の上に乗ってくれる?」
「あ。わざわざボクの為にごめんね、ファイツちゃん。本当キミは優しい娘だよね、そんなファイツちゃんと知り合えてボクも嬉しいよ!」
「そ、そうですか……っ」

「何と滑らかに女子の隣に」なんて隣で言っているペタシにはまるで構わずに、ヒュウは軽く舌打ちをする。集合時間に少し遅れて来たというのに、ラクツは反省する素振りをまるで見せずに女子の隣の席に腰を下ろしたのだ。いつものことだが、本当にもっと真面目になればいいのにと思った。本来のラクツの性格は自分が密かに望んだ通りの真面目にも程がある性格なのだが、そんなことはヒュウは知らない。

(ラクツの隣にいるのは、あの転校生か……)

バスが走り出したことで後ろに流れる景色をぼんやりと眺めながら、ヒュウは彼の隣にいる女子のことを考えていた。別に深い意味はないが、ファイツのことが何となく気になるのだ。ラクツの言葉に若干引いていたことといい、あの女は他のうるせえ女子共とは違うらしいと自分の勘が言っていた。実際には自分が思っているのとは違う意味でファイツはラクツの言動に引いていたわけなのだが、ヒュウはその事実を知るはずもなかった。

(あいつもあいつで座学の成績は良さそうだし、バトルのセンスもあるんだよな……。……何つーか、すっげえとろいやつみてえだけど)

1週間程前に自分達のクラスに転校して来たファイツは、そのおとなしそうな性格とは裏腹にポケモントレーナーとしてかなり高い実力を持っていた。彼女が転校して来た翌日の朝の出来事を思い出して、ぐっと眉根を寄せる。一見して弱そうなファイツのタマゲタケに勝負を挑んだヒュウは、しかし結局その強さに手も足も出なかったのだ。

「おい、転校生!」

ファイツと、ついでにラクツがいる席は自分達よりそれ程離れていなかった。そのこともあってヒュウが前の方に座っている女子に呼びかけると、びくりと身を震わせてファイツがゆっくりと振り返る。「何ですか」と投げかけられたその声は、明らかに震えていた。

「明日の放課後、オレと勝負しろ!オレのナックラーだって進化したんだ、次こそはお前に勝ってやるからな!」
「ええっ!?……また、ですか……?」

おずおずとそう言われて、ヒュウは思わずぐっと言葉に詰まる。この1週間でヒュウは何度もファイツにポケモンバトルを挑んでは、その度にコテンパンにされたのだ。「またですか」と言われてしまうのも無理はなかった。隣にいるペタシからの何か言いたげな視線を感じたが、ヒュウは気にせず「当たり前だろ」と言葉をぶつける。
ラクツにだって当然勝ちたいと思ってはいるが、とりあえずあの転校生に勝つことが自分の今の目標だったりするのだ。ファイツの本来の立場を思えば自分が手も足も出ないのは当然なのだが、やっぱりヒュウはそれを知る由もなかった。

「やだ、ヒュウったらまたファイたんに挑んでるー!」
「もう諦めなさいよ、どうせ勝てないんだから!」
「そうそう、ファイたんってば強いもんね!それも、ヒュウより圧倒的に!」

どこから話を聞きつけたのか、途端に飛んで来た3人娘の野次にヒュウは「うるせえ」と怒鳴り散らす。自分と3人娘による言葉の応酬は、担任であるチェレンが自分達をまとめて説教するその瞬間まで続いた。