黒の少年と白の少女 : 009
あなたへの贈り物
ラクツの許可をちゃんともらったとはいえ、流石に女である自分が真正面から男子寮に行くわけにもいかない。例えどれだけそうしたくとも、頃合いになるまで我慢するしかないのだ。そういうわけで早々に夜ご飯を終えたファイツは立ち上がったのだが、その直後に身体をびくりと竦ませた。一緒にご飯を食べていた女子生徒達に、「もう帰っちゃうの」と口々に言われてしまったからだ。「えっと……」
食器が乗っているお盆に手を添えた状態で立ち尽くす、言うまでもなくファイツは今ものすごく困っていた。助けを求めてダケちゃんの顔を見てみたのだけれど、彼もまた困った顔をしていた。確かに大急ぎでご飯を食べた上に一緒に食べていた皆の中では自分が一番早く席を立ったのだから、そう言われるのも仕方のないことなのだろう。
だけどそれにしてもこんなにも盛大に、それも声を揃えて言われるのははっきり言って怖いとしか言えなかった。焼き魚定食を食べていたユキがぐぐっと乗り出すようにして話しかけて来て、ファイツは思わず一歩後退った。
「まだ一緒にいようよ!私、ファイたんともっと話したいもの!」
「そうそう、ユキの言う通り!」
「ねえ、皆もそう思うでしょう?」
ユキ・マユ・ユウコの通称3人娘の言葉に、一緒にご飯を食べていた女子生徒達が揃ってうんうんと頷く。だけどいくら熱烈に乞われたとしても、ファイツの意志は揺らがなかった。
「ご、ごめんなさいっ!あたし、やらなくちゃいけないことがあって……!」
嘘ではない、本当のことだった。遅れに遅れてしまったラクツへの誕生日プレゼントを今夜渡すつもりなのだけれど、実はそのプレゼントへの装飾がまだ終わっていなかったりするのだ。最後の仕上げをする為にも、どうしても部屋に戻らなければならない。
「そっか、じゃあ仕方ないね……。でも明日はもっとゆっくり話そうね、ファイたん!」
「そうそう!」
「約束だからね、ファイたん!」
「は、はい……っ!」
3人娘にずいっと詰め寄られて、ファイツは曖昧に頷いた。どういうわけか自分は同じクラスの女子生徒達に、とりわけ3人娘に相当気に入られてしまったらしい。例の女の子を特定しようとしているラクツの手助けをする為に女子生徒達と仲良くなっておくのは自分でも必要だと思うのだけれど、まるで昔からの友達であるかのようにぐいぐいと積極的に話しかけられると正直言って困ってしまう。
ただでさえ自分はかなりの人見知りで、普通に話せるようになるまでにはそれなりに時間がかかるのだ。クラスメイトである女子達に気に入られたことはありがたいが、今はまだ困惑の方が嬉しさよりずっと大きかった。彼女達の視線というよりこの空気から逃げ出したくて、食器を持って足早に歩き出す。
「また明日ね、ファイたん!」
そう言って手をぶんぶんと振ってくれた3人娘にやっぱり曖昧に手を振り返して、ファイツは更に急ぎ足で女子寮へと向かった。今はとにかく、早く部屋へと戻りたかったのだ。それでもラクツの手伝いをするのだと固く誓ったファイツは食事中にさりげなく聞き込みをしてみたのだけれど、その結果はお世辞にもいいとは言えないものだった。むしろ自分の方がやたらと質問をされていたような気がしてならなくて、軽く小首を傾げる。
(でも、よく考えればあたしは転校生なんだもんね。質問されるのは当たり前なのかも……)
一緒にご飯を食べた女子達の情報をあまり集められなかったのは、残念だけれど仕方がない。明日以降に少しずつ集めていく他ないよねと歩きながら自分に言い聞かせる。体力作りでも何でも、こういうものは地道に努力することが一番大切なのだ。早歩きの甲斐あって予想よりずっと早く部屋にたどり着いたファイツは、自分を鼓舞する魔法の言葉を呟いた。
「さあ、後少し!……頑張らなくちゃ、ふぁいとふぁいとファイツ!」
ベッドに腰かけたファイツは、同じくベッドにちょこんと乗っているダケちゃんに見守られながら必死に針を動かした。あまりにその作業に集中していた為なのか、それとも魔法の呪文を唱えて気合を入れたことが良かったのか。思っていたよりかなり短い時間でラクツへのプレゼントの装飾をやり終えたファイツは、机の上に置いてある時計に視線を移した。
「も、もう8時なの!?」
何度見ても時計の短針は8の数字を指していた、つまり自分の部屋に戻って1時間程が経ったことになる。気付けば外も真っ暗になっていた。
(そろそろいいよね)
プレゼントもようやく完成したことだし、この時間ならまず間違いなく彼も夕ご飯を食べ終えているはずだ。完成したばかりのプレゼントをもう一度綺麗に梱包し直して鞄にしまい込んだファイツは、ダケちゃんを定位置である肩の上に乗せた。そして音を立てずに部屋を抜け出す、彼の部屋に行く為の出入り口は言うまでもなく窓だ。昨晩と同じく屋根伝いに移動して、目的地である大好きな人の部屋の前でぴたりと停止する。その直後に「そこにいるんだろう」と声をかけられて、窓の影で思わず苦笑を漏らした。今回は上手く消したつもりでいたのだけれど、あえなく彼には気付かれてしまったらしい。
昨日の今日だしそもそも自分より遥かに気配の読みに優れているから仕方ないと言えばそうなのだが、彼との大きな差を感じてしまいやっぱり悔しさが滲み出てしまう。それでも自分なりに努力を続けていつか彼の隣に立てるように頑張る気でいるファイツは、姿を見せるとその部屋の主である彼に向かって笑いかけた。
「お邪魔します、ラクツくん」
「ああ」
昨晩と同じように窓から室内へと入らせてもらったファイツは、ラクツの名前を呼んで笑みを深める。彼は相変わらず眉間に皺を寄せていたけれど、やっぱり自分には今のラクツの方がずっとしっくり来るのだ。対照的にダケちゃんがまたもや彼を睨んでいることに気付いて、ファイツは慌ててダケちゃんの小さな身体を手のひらに乗せた。
「ダケちゃん、いい?ラクツくんに攻撃しちゃダメだよ、もう絶対やらないでね!」
「容易に避けられるから大した問題でもないが、室内でやたらと胞子を撒き散らすのは流石に勘弁して欲しいものだな。昨晩それをやられた際、掃除をするのに多少の時間を取られた」
「うう……。ごめんね、ラクツくん……。掃除までさせちゃうなんて……」
ファイツはがっくりと肩を落としてラクツにそう告げた。ダケちゃんを止められなかった上にその後始末をよりにもよって彼にさせてしまうなんて、ポケモントレーナー失格だ。おずおずと謝った自分に向けてラクツは「別にいい」と言ってくれたのだけれど、何だか気を遣わせているように思えてならなかった。いつも眉間に皺を寄せている彼が本当は優しい人間なのだということを、ファイツはちゃんと知っているのだ。
「ファイツ、お前……。今、ボクが気を遣っていると思っているだろう。まったく、どうしたらそんな発想になるんだ」
「……え、違うの?」
「違う。他の女子生徒ならともかくとして、ボクの素を知っているお前に今更余計な気は遣わない」
「そんなことをしても疲れるだけだからな」と締め括られた彼の言葉を反芻して、ファイツは頬を赤く染めて「そっか」と言った。ダケちゃんに攻撃させてしまったことは大いなる反省点だけれど、彼が自分には余慶な気を遣わないと言ってくれたのはやっぱり嬉しい。そういう意味ではないと分かってはいるけれど、自分がラクツに特別扱いをされているというのは悪い気はしなかった。
「……何を嬉しそうに笑っている」
「だって嬉しいんだもん。……でも、ダケちゃんのことは反省してるよ。綺麗にするの、大変だったでしょう?もう絶対させないからね」
「だから、別にいいと言っているだろう。同じことを言わせるな」
「……うん」
ファイツはこくんと頷いたものの、その数秒後には懲りずに口角を上げていた。真面目な話だと理解してはいるのだけれど、彼の言葉の裏にある確かな優しさを感じるとどうしてもそうなってしまうのだ。素っ気ない言い方ではあるのだけれど、やっぱりラクツくんは優しいよねと心の中で誰にともなく呟いてみる。
(ラクツくんは優しくないって言うけど、そんなことないんだけどな……。ただ素直じゃないだけなんだよね……)
笑っているこちらを一瞥したラクツは、しかしそれについては何も指摘せずに話を続けた。別に1人で掃除を終わらせたのではなく、手持ちのポケモンであるフタチマルと共に行ったと彼が言った瞬間、ファイツは控えめに声を上げた。大声を出すなと言われていたことはちゃんと憶えている、昨日のように大声を上げるわけにはいかない。
「何だ?」
「ラクツくん、ボールからフタチマルを出してくれる?あたし、あの子に挨拶をしておきたくて……」
「そういうことか、お前らしいな」
ポケモントレーナーであるにも関わらずモンスターボールがあまり好きではないファイツは少しだけ眉根を寄せたが、それも彼の手持ちポケモンが出て来るまでの間だった。モンスターボールの開閉スイッチが押された直後に、水色の体色をしたポケモンが煙と共に飛び出して来る。つぶらな瞳をしてこちらをじっと見上げて来たフタチマルに、ファイツはにっこりと微笑んだ。
「挨拶が遅れちゃってごめんね。あたし、ファイツって言うの。あなたがラクツくんのパートナーなのね?」
こくんと頷いたフタチマルの目の前に、鞄から取り出した小さな包みを差し出す。ちなみに中身はただのポケモン用のお菓子なのだが、フタチマルは困ったようにラクツを見つめていた。
(何か、この子ってラクツくんに似てるなあ……)
昨日の戦闘終了後に武器の手入れを勝手にし始めたことといい、差し出された物をすぐに受け取らないことといい、このフタチマルはラクツくんそっくりだとファイツは思った。きっと、性格は”まじめ”であるに違いない。
「受け取っていいぞ、フタチマル。中身はポケモン用の菓子だ、食べたければ今食べても構わない。まあ見た目はともかくとしても、味の方は正直保証出来ないが」
「あ、酷い!ちゃんと味見したから大丈夫だもん!良かったらどうぞ、フタチマル!」
自分の手から包みを受け取ってくれたフタチマルがお菓子を口に運ぶ様子を、固唾を呑んで見守る。自分が作ったお菓子があっという間にフタチマルの胃の中に収まったことで、ファイツは安堵の息を吐いた。ラクツにはああ言ったが、上手く出来たかどうか正直少し不安だったのだ。何を隠そう自分は一度盛大に失敗していたりするわけで、今度はそうならなくて良かったと心の底からホッとした。
ダケちゃんの為と、そして出来れば彼のポケモンにも食べさせてあげようと思って作ったこのお菓子は、本来なら昼間ラクツと出かけた時に渡せるはずだった。けれどその時に作ったお菓子は、怪我をしたラクツのことをずっと考えながら作った為にそれはそれは酷い出来になってしまったのだ。いくら何でも失敗作を贈るわけにもいかない。先生に「失敗したからもう一度作りたいんです」と頼み込んで、夕飯の前の自由時間に作らせてもらったのが今渡したお菓子なのだ。
「ラクツくんにもちゃんと作って来たんだよ。はい、どうぞ!」
「…………ありがとう」
「もう、その間は何?これだってちゃんと味見したから大丈夫だよ!」
「お前はそう言ったが、経験上その言葉を鵜呑みにする気にもなれなくてな。……まあ、ありがたく食べるとしようか」
「あ、あとね……っ。ラクツくんに、これも受け取って欲しいの……。すっごく遅れちゃったけど、誕生日プレゼントにって思って……っ」
お菓子を受け取ってもらったその流れでそう言ったファイツは、鞄から梱包し直したプレゼントを取り出してその勢いのままに突き出した。数秒の沈黙の後で確かにラクツの「ありがとう」が聞こえて来て、緊張から顔を伏せていたファイツはそのままの姿勢で「うん」と言った。ああ良かった、受け取ってもらえた。だけど感慨に浸る間もなく「お前はボクにプレゼントを渡す際はいつも緊張するな」と呆れ混じりの言葉を投げかけられることとなり、ファイツは軽く頬を膨らませた。
好きな人に誕生日のプレゼントを渡すのだから、自分でなくても緊張して当たり前のはずなのだ。相変わらずの彼に何か言ってみようかと思って、だけど結局何も思い浮かばなかったファイツは、「ラクツくんの所為だもん」と笑って言い返した。