黒の少年と白の少女 : 007
この幸せをあなたと
世界で一番好きな人であるラクツと一緒にお昼ご飯を食べているというのに、だけどファイツははあっと大きな溜息をついた。確かにお店の雰囲気もいいと思うし、彼と一緒に頼んだこのサンドイッチだって美味しいはずなのに、このどんよりとした曇り空のような気分は少しも晴れてくれなかった。先程目の前で交わされた彼と女子達とのやり取りが脳裏に蘇って、どうしても憂鬱な気分になってしまう。そんな自分の心情が顔に出ていたのだろう、向かい側に座っていたラクツが怪訝そうに「どうした」と問いかけた。
「随分と盛大な溜息だな、ファイツ」
「……だって。すっごく憂鬱なんだもん……」
「憂鬱?」
「さっきのことを思い出してたの。ラクツくんったら、あたしの目の前で女の子をあんなに褒めちぎるんだもん……」
「……ファイツ。何度も言うが、あのボクはあくまで潜入捜査用の人格だぞ。本心からあのような物言いをしているわけじゃない」
「うん。あたしだって、それはちゃんと分かってるつもりだよ……」
最後のひと口になったサンドイッチをごくんと飲み込んで、曖昧に頷く。店の中にいるとはいえ周囲には誰もいないこともあって、ファイツはいつもの調子でラクツと会話していた。そんな自分に応じてか、ラクツもまた素の口調で答えてくれる。クラスメイトの女子達に先程見せていたような笑顔はない上に眉間には深い皺が刻まれていたが、幼い頃からラクツとつき合いのあるファイツには今の彼の方がずっと馴染みがあるのだ。
学校内ではまさしくファイツだけが知っていると言ってもいい、飾らないラクツの姿だ。自分にはあの子達にしていたような演技を彼がしないのだと思うと、単純に嬉しかった。だけどその嬉しさもすぐに萎んでしまう、言うまでもなくその原因はここに来る途中で出くわしたあの3人組にある。
「……でもね、あたしはどうしても気にしちゃうの……。あの金髪の子の……えっと、何て言ったっけ?」
「ユキくんのことか」
「そう、そのユキちゃん。……ラクツくんだってあの子の顔は見たでしょう?他の2人もそうだけど、ユキちゃんは特にラクツくんのことを好きみたいだから。やっぱり気になっちゃうよ……」
顔を真っ赤に染めていたあの子の顔は今でもはっきりと思い出せる、まさに”あなたに恋しています”としか言いようのない表情だった。自分にもものすごく覚えがあるからよく分かるのだけれど、あの中ではユキが一番ラクツに好意を抱いていると言えるだろう。
分かっていたことだが、やっぱり彼は女の子達にモテる人間なのだ。ラクツには自分だけを見て欲しいと思っているファイツとしては、どうしたって憂鬱になってしまう。感じるこのもやもやを吐き出すかのように、ファイツはまたはあっと深く溜息をついた。
「ユキくんに好意を抱かれていることは当然ボクも気付いているが、何故お前が気に病む必要があるんだ?彼女達は、いわば虚像に好意を抱いているようなものなんだぞ」
「だって、あたしは本気でラクツくんのことが好きなんだよ?」
「……ああ。それこそとうの昔から知っていることだ。それでお前が気に病むことと何の関係があるというんだ?ボクにはまるで理解出来ないな」
「ラクツくんが他の女の子に笑いかけるのも見たくないし、ラクツくんと話してる他の女の子達に妬いちゃうの。だって、本気で好きなんだもん」
「それが偽りのボクでもか?」
「うん……。頭ではこんなことを思っちゃダメだって分かってるんだけどね、こればっかりはしょうがないよ。ラクツくんにも心から好きな子が出来たら、あたしの気持ちが理解出来ると思うな。もうね、すっごくもやもやした気持ちになるんだから!……あ、来た!」
ラクツが頼んだパフェを持ってこちらにやって来る店員を見たファイツは、思わず声を上げた。何しろパフェは自分の大好物なのだ、世界で一番好きな食べ物と言ってもいいだろう。空になったお皿を下げた店員に頭を下げたファイツは、目の前に置かれたデラックスパフェを瞳を輝かせて見ていた。隣に座っていたはずのダケちゃんもテーブルの上にぴょんっと飛び乗って、自分と同じようにそれをしげしげと眺めている。
「この店の名物らしいが、確かにかなりの大きさだな」
「本当!あたしもメニューを見た時はびっくりしちゃったもん。こんなに大きなパフェを食べるのって、久し振りだよ……!」
「全部食べていいぞ。そのパフェの代金はボク持ちだ」
「えっ?ラクツくんとあたしの2人で半分こするんじゃないの?」
「いや。ボクは最初から、お前に全て食べてもらうつもりでいたが。……何しろ、約束を守れなかったからな」
「そんなあ……」
ファイツは弱々しく声を漏らす。いくら大好物のパフェを全部食べていいと言われても、素直に喜べるはずもなかった。目の前にいるラクツは、顔にいくつもの絆創膏を貼っているのだ。その光景が痛々しくて、ファイツはそっと目を伏せた。
「何を浮かない顔をしている?パフェはお前の好物だろう」
「そうだけど、やっぱり喜べないよ……。だってラクツくん、怪我してるんだもん……。もう、すっごく心配したんだからね!痛かったでしょう?」
「こんなもの、怪我のうちには入らないがな。……それでも約束は約束だ。早く食べないと溶けるぞ」
「うん、ありがとう……」
いつまでも浮かない顔をしていたら彼に悪いと、半ば無理やりに笑顔になったファイツは「いただきます」と言って手を合わせた。溶けかけているアイスクリームをスプーンで掬って口の中に入れると、途端に甘さが口いっぱいに広がった。細かく刻まれたブラックチョコレートのほろ苦さも合わさって実に美味しい。先程までの憂鬱はどこへやらで、自然と笑顔になったファイツは夢中でパフェを頬張った。ラクツの視線を大いに感じたのだけれど、それでもファイツは無心でパフェを食べていた。
「…………」
「…………」
「……ラクツくん」
こちらをじっと見つめて来るラクツの視線にとうとう耐え切れなくなったファイツは、スプーンを置いて降参とばかりにぼそりと彼の名前を呼んだ。一拍置いた後に「何だ」ととぼけられて、ぐっと眉根を寄せる。
「もうっ、分かってるでしょう?そんなに見られてると食べにくいよ!……あたしが食べてるところを見るの、そんなに楽しい?」
「楽しいというより興味深い。パフェを食べるという行為1つでお前が何故それ程までに嬉しそうにするのかが、ボクには分からないから」
「だって、あたしはパフェが好きなんだもん。このパフェってすっごく美味しいし、そりゃあ嬉しくもなるよ……。ラクツくんも好きな食べ物くらい作った方がいいと思うな。”食欲を満たせれば何でも同じだ”っていうのは、今でもそうなの?」
「ああ」
淡々と頷いたラクツをじっと眺めていたファイツは、未使用の小皿を彼の席の前に置いた。そして、同じく未使用のスプーンを「はい」と言って目の前に差し出した。すぐには受け取ってくれない彼に向けて、「一緒に食べようよ」と言ってにっこりと微笑む。
「せっかく大きいパフェを頼んだんだもん。半分こしようよ!」
「……お前が全部食べていいと、ボクは先程告げたはずだが」
「うん。でもこのパフェってすっごく大きいし、あたし1人だけだと食べ終わるのに時間がかかっちゃうもん。急いで学校に戻るのも嫌だし、ラクツくんだって甘い物は嫌いじゃないでしょう?……あ、ダケちゃんも食べてみる?」
催促するようにつぶらな瞳でこちらを見上げて来た大切なダケちゃんに尋ねると、即座にこくんと頷かれる。そんなダケちゃんの素直な反応に笑みを深めて、ファイツは期待を込めた眼差しで真正面からラクツを見つめた。数秒の沈黙の後で、ラクツがはあっと溜息をつく。
「……仕方ないな」
「もう!こんな美味しいパフェを今から食べるんだから、そんなことを言っちゃダメだよ。それに、そんな表情をしてたら幸せが逃げちゃうよ!」
「意味が分からないが」
そう言いつつも確かにパフェを食べているラクツを、ファイツは頬杖を付いて眺めていた。大好きな人と大好きな物を半分ずつ食べているというだけのことなのだが、だけどものすごく嬉しい。つんつんと手に触れて来るダケちゃんに自分が催促されていることにも気付かずに、ファイツはパフェを食べるラクツを微笑んだまま見つめていた。