黒の少年と白の少女 : 006

何だかんだで特別扱い
昨日行われたクラス内の男女別ポケモンバトルで当然のように勝ち抜いたラクツは、その結果ポケモン図鑑という代物を手にすることとなっていた。その名の通り、どうやらポケモンを捕獲する毎にそのデータが図鑑に登録される仕組みになっているらしい。随分とハイテクな機械だと思ったその数秒後には、一転して何とも面倒なことになったという結論に至っていた。例えどれだけすごい機械であろうとも、国際警察官として日々を忙しく過ごす身である自分には無用の長物だとしか言えないからだ。
本来の目的である潜入捜査に加えてアララギ博士の手伝いもしなければならなくなったわけで、ますます睡眠時間が削られる羽目になったとラクツは笑顔で頷いた裏で密かに嘆息した。この図鑑を手にしてしまった以上はそれなりに真面目に取り組むつもりではいるけれど、データの集まり具合を逐一報告しなければならないのかもしれないと思うとどうしても鬱屈した気分になってしまうのは否めない。

(唯一の救いは、ファイツもまたこの図鑑を手にしたことだな)

ファイツが昨日転校して来ることも勝ち抜きバトルの優勝者にはポケモン図鑑が渡されることも、そのどちらもラクツは知らなかった。もちろん、彼女だって後半部分は知らなかったに違いない。
普通のポケモントレーナーとして不自然でない範囲で実力を出した結果、自分達2人共がポケモン図鑑をもらうに相応しい人物という評価を下されたというだけのことなのだろうが、その片割れがファイツで良かったとラクツは素直に思っていた。転校したての彼女と行動を共にする機会はこれから先も増えるだろうが、ポケモン図鑑のデータ収集という名目があるから他人に怪しまれることはないだろう。”使えるものは何でも利用する”というのがラクツの主義なのだ。

「はあ……」

耳に飛び込んで来たのはそのファイツによる盛大な溜息で、ラクツは彼女を一瞥した。「ポケモン図鑑に登録する為にデータ集めをしようよ」と言って校内を出たラクツは、ファイツと一緒に学校の敷地内を歩いているところなのだ。そうは言っても本当にデータを集めに行くのではなく、この娘にパフェを奢るつもりで目的地へと向かっているわけなのだけれど。
大抵の施設が整っているこの学校には当然食堂も設置されているのだが、昼休みは基本的にどこに行っても構わないことになっているのだ。現に自分達以外にも、何人かの生徒が連れ立って歩いているのがちらほらと見受けられる。

「あ、ラクツくん!」

聞き覚えのある声に振り返ると、クラスメイトである3人組の女子達が笑顔をこちらに振りまいているのが視界に入る。何かと姦しいことで有名な、ユキ・マユ・ユウコの通称”3人娘”だ。どうやら3人共が自分にご執心であるらしく、特にユキからの熱い視線を感じたもののラクツは何も指摘しなかった。
潜入捜査をしやすくする為に軽薄な男を演じる必要があり、彼女達のことをやたらと褒めちぎったのも全て任務遂行が理由なのだ。口でこそ可愛いだの何だのと言ったものだが、その実内心では注意深く観察しているだけだったりする。

(……やはり、この3人ではないな)

3人娘の方からこうして積極的に話しかけて来る関係で彼女達についての様々な情報を手に入れたわけなのだが、この3人がプラズマ団に関与している可能性はどう考えてもなさそうだった。もし自分が件の少女を見逃したというのなら、間違いなくこの3人ではなく他の誰かに違いない。
その結論を出した以上は最早彼女達のことなど自分にとってどうでもいい存在になるわけなのだが、今まで演技をしていた以上は無視するわけにもいかない。作り笑顔を顔中に貼り付けたラクツは、爽やかに片手を上げた。

「やあ、麗しの3人娘達。キミ達も外でお昼を食べに行くのかい?」

自分の隣にいるファイツから何か言いたそうな視線をものすごく感じるわけだが、ラクツは構わずに3人娘に話しかけた。この潜入捜査用に作り上げた自分のもう1つの人格は、本心とは真逆の台詞を流れるように口にするのだ。甘い言葉を告げた途端に顔を真っ赤にする3人娘達を、ラクツは実に冷めた目で見ていた。

「やだ、麗しのだなんて……!」
「そうなの!今日は外で食べたくて、そのお店を皆で話し合ってようやく決めたところなのよ!新しく出来たお店で、パンケーキがすごく美味しいんだって!」
「あ、そうだ。ラクツくん、これどうぞ!」

話の腰を折って腕を伸ばしたユキの手の平には、小さな袋が乗っていた。ラクツには簡単に予想がついたのだけれど、一応ユキを見ながら「それは何?」と尋ねる。代わりに答えたのはマユとユウコで、彼女達も鞄から小さな袋を取り出していた。

「今日の1時限目は調理実習だったでしょう?人間が食べても大丈夫なお菓子を作ったのよ。ラクツくんは怪我の手当てでほとんどいなかったけど……」
「そうだよ!私達、すっごく心配したんだからね!」
「本当!だって、綺麗な顔が傷だらけなんだもん!」
「あ、これ?……あはは、ちょっとドジ踏んじゃって……」

またもやファイツからの物言いたげな視線を全身で感じつつ、ラクツは笑ってそう答える。主に傷を負ったのが顔である以上は任務遂行に支障が出るとも思えないが、次はもっと上手く躱そうとラクツは思った。こうして色々と詮索をされるのは面倒だ。

「えっと…。良かったらこれ、食べて?私達、ラクツくんの怪我が早く良くなりますようにって気持ちを込めて作ったの」
「そっか。ありがとう、3人娘達!」

ユキ・マユ・ユウコからそれぞれお菓子を受け取ったラクツは、それらをまとめて鞄にしまい込んだ。しかし彼女達は何やらまだ自分に用があるらしく、その場を動こうとはしなかった。

「ねえ、良かったらラクツくんも一緒に行かない?」
「そうそう!男の子も入りやすい雰囲気のお店らしいから、一緒にご飯を食べようよ!だって私、ラクツくんともっと仲良くなりたいし……」

3人娘の中ではとりわけユキに好印象を抱かれているという自分の見立ては、おそらく間違っていないことだろう。先程よりも赤い顔をしてこちらを見つめて来るユキの視線を真正面から受け止めて、しかしラクツは彼女ではなく自分の傍らに佇んでいる娘の手をおもむろに取った。

「……え?」

呆然と言葉を漏らしたのはファイツで、その彼女に自分以外の視線が容赦なく突き刺さる。3人娘達の目が大きく見開かれたところからすると、彼女達がこの娘の存在に気付いたのはまさに今なのだろう。目が節穴だなと思いつつ、ファイツがびくりと身を震わせたことにも気付いてラクツは内心で「本当に変わらないな」と呟いた。この娘は相も変わらず自分以外の人の目が苦手であるらしい。

「あ、あの……っ!」
「ごめんね、3人共。ボク、今日はファイツちゃんと一緒に食べに行くつもりなんだ!」
「ええっ!?」
「嘘っ!?」
「ラクツくん、ファイたんと2人で食べに行くの!?」
「……ファイたん?」

聞き慣れない呼び名に眉をひそめたラクツは、その呼ばれ方をした娘をじっと見やった。ファイツがさっと目線を逸らしたのはおそらく素の反応で、”2人きりでない時は普通の転校生らしく振舞ってくれ”と告げた自分の言葉を忠実に守った結果というわけではないのだろう。その証拠にファイツもまた顔を赤く染めていた、ユキに負けず劣らずと言ってもいい程に。

「そう、ファイたん!ファイツちゃんって呼び方はちょっと長いから、そう呼ばせてもらうことにしたの。私達がつけたあだ名なのよ、可愛いでしょ?」
「でもいいなあ、転校して来て2日目でラクツくんと2人きりになれるだなんて!……すっごく羨ましい!」
「ねえラクツくん、ファイたん。私達も交じっちゃダメ?」
「ごめんね、ユキちゃん。このポケモン図鑑のことについて、ファイツちゃんと2人でお昼を食べながら色々話し合っておきたくてね。ほら、ファイツちゃんもボクと一緒に図鑑をもらったから」
「あ、そっか……。偉い博士の手伝いをしなくちゃいけないんだっけ?」

これ見よがしにポケモン図鑑を掲げてみせれば、マユとユウコは納得した顔を見せてくれた。残ったユキは最初こそわけの分からないことをぐちぐちと呟いていたが、2人に説得されたのか最後には「うん」と小さく頷いた。

「そういうわけだから、本当にごめんね。でも、誘ってくれてありがとう」
「ううん、いいの!」
「それじゃあね。ラクツくん、ファイたん!」
「午後の授業で会おうね!」

マユとユウコはどうやら納得してくれたようだが、ユキだけは未練がましくこちらを何度もちらちらと見ながら走って行った。彼女達の姿が完全に視界から消えたことを確認してから、ラクツは静かに嘆息する。

(正直、勘弁して欲しいんだが)

特にユキを筆頭とした彼女達がこちらに好意を向けてくれていることはわざわざアピールされるまでもなく分かっているが、正直困るという感想しか抱けなかった。どうあっても自分が彼女達の好意に応えられるはずもないし、そもそもあの3人は任務でなければまずお近付きにはならない人種だと言えるだろう。

「あの、ラクツくん……」

ファイツに控えめに呼びかけられて我に返ったラクツは、彼女の手を静かに放すと笑顔で「行こうか」と告げた。早く行かないと昼休みが終わってしまうことになる。にこにことした笑顔の裏で、ラクツは余計な時間を取られたものだと密かに毒を吐いた。それを見抜ける人間など、まさに自分の隣にいる娘以外にはいないと言ってもいいだろう。

「美味しいパフェを出すお店があるらしいから、そこにしようか」
「……うん」

ファイツもまた自分に好意を向けてくれていることを、ラクツは重々理解している。それでもあの3人娘のように不快な気分にならないのは、この娘が自分の本質を深く理解してくれているからなのだろう。そんな彼女と一緒にいるというのは、ラクツにとって実に楽なことだった。
自分と同じく国際警察官である彼女をわざわざ調査する必要はまったくもってないわけで、同時に一緒にいる必要もないと言えばないのだけれど、出来るだけこの娘と行動を共にしようとラクツは思った。抱いている感情こそ違うものの、ラクツもまたファイツのことを大切な存在としてしっかりと認識しているのだ。