黒の少年と白の少女 : 005

強くなりたいその理由
そうであるらしいとは知っていたけれど、やっぱりこのヒオウギシティトレーナーズスクールはポケモントレーナーを養成する学校としてはかなりの名門であるらしい。まず校舎からして大きいし、その大きさに比例するように敷地も広かった。
様々な本が揃っている図書室を始めとした各種施設が完備されているというだけではなく、自然も豊富だという点もポケモントレーナーの腕を磨きたい生徒にとってはありがたいだろう。ポケモントレーナーを教育する環境が充実していると謳っているだけあって確かに自然も豊富であり、校舎の近くには多数の草むらや森が群生していた。
校舎内にある施設も校舎外にある自然も数多くの生徒達がこぞって利用しているわけなのだけれど、とある場所だけはその例に当てはまらないようだった。校舎からかなり離れたところに存在する大きな森がそうで、何でも草木が鬱蒼と生い茂っていて光があまり射し込まないらしく、様々な種類の草木が好き勝手に生えていることも相まって生徒達の間で専ら不気味だと評判なのだとか。
その場所に興味本位ではなくちゃんとした目的があって訪れていたファイツは、けれどぱちぱちと目を瞬きながらポカンと口を半開きにして立ち尽くしていた。絶対に誰もいないと思っていたその場所で、予想外にも1人の男子生徒に出くわしてしまったからだ。

「…………」
「…………」

実に予想外の展開にただただ驚いていたファイツだが、それは向こうも同じだったらしい。目を大きく見開いたままで立ち尽くしていたその男子生徒は、どう見ても驚いているとしか言えない表情をしていた。

(ど、どうしよう……っ)

内心でパニックになったファイツは、心の中でそう声高に叫んだ。出くわしたその生徒が自分と同じ性別であったなら色々な意味で良かったのだけれど、現実はそうではなかった。困るを通り越して最早恐怖心を抱いてしまっていることに気付いて、そっと目を伏せた。こんなにも臆病な性格をしているから、だからあたしは未だに半人前なんだと声に出さずに独り言ちる。たった1人の男子生徒を怖いと思ってしまうなんて、国際警察官としてあまりに情けないではないか。自分がこんな有様では、大好きな彼との差は広がる一方だ。

(助けて、ラクツくん……っ)

心の中で呟いたのは、大好きな人の名前だった。物心ついた時には既に自分のすぐ近くにいた、自分と同い歳の男の子。まるで鋭い刃物を思わせるような瞳をしていた彼のことが堪らなく怖くて、出会った当初はただただ泣いていたことを今でも憶えている。
あれから10年近くが経過した今でこそ言葉では言い表せない程に彼のことが好きになっているわけだけれど、最初の頃は本当に怖かったのだ。顔も雰囲気も全然違うのに、今目の前にいる男子生徒が出会った当初の彼に何故だか重なって見えて、思わずファイツは目をごしごしと何度も擦った。

「……い、おい!」
「ひゃあっ!?」

突如として聞こえた大声に両肩を大きく跳ね上げさせたファイツは、びくびくと縮こまった。大好きなラクツだけは例外だけれど、元々ファイツは人と話すのがあまり好きではないのだ。ただでさえ怖い場所で怖い顔をした男子生徒に出くわしたというのに、その彼に怒鳴りつけられたとあってはそうなるのも仕方がないと思った。自分でも実に情けないことだとは思うが、悲鳴を上げるに値する条件があまりにも見事に揃い過ぎていたのだ。

「おい、お前。そんなに怖がんなよ、まるでオレが悪いことしたみてえじゃねえか」
「あ、あの……。あの……っ」
「だから怖がんなって言ってんだろうが!」
「は、はいいいっ!」

彼の剣幕に両方の目をぎゅうっと瞑ってファイツはそう答えた。「はい」と言ったのは完全に勢いであり、内心では未だに彼が怖くて仕方がなかった。だけど曲がりなりにも国際警察官であるファイツは、彼の前から逃げることはしなかった。

(こんなことで逃げてちゃダメ!こんなんじゃ、いつまで経っても一人前の国際警察官になんてなれないもん……!)

そう、ファイツは未だに半人前の国際警察官なのだ。長官に拾われたという理由からか国際警察という組織にいる年数こそ長いものの、どう考えても自分は一人前の刑事ではないだろう。その証拠に、ファイツはまだコードネームを授けてもらっていなかった。他の国際警察官は皆コードネームを持っているというのに、自分だけは未だにそれがないのだ。自分より後に国際警察に来た人間が、自分より先にコードネームをもらって現場で活躍する。そんなことが、今までに何回あっただろうか。
自分達と同じような境遇の子供が国際警察にはそれなりにいるのだけれど、その中でコードネームを持っていないのはファイツだけと言っても過言ではないのだ。明確にそうだと決まっているわけではないだろうが、”コードネームを与えられることは国際警察官として一人前の証”だと勝手に思っている身としてはその現実はあまりにも辛かった。もちろんファイツだって遊んでいたわけではない、これでも自分なりに努力はして来たのだ。特にプラズマ団の潜入捜査を終えてからの5ヶ月間は死に物狂いで訓練を頑張ったつもりだ、それでも実力は他の皆より劣っていることは否めないけれど。

(ラクツくんはあたしが”長官に気に入られてる”って言ってたけど、そんなことないよね……。きっと落ちこぼれで危なっかしいから、だから中々実践に出してもらえなかったんだ……)

2年間に及ぶプラズマ団への潜入捜査が、ファイツにとっての初めての単独任務だった。それまでは事務処理を手伝うかただひたすら訓練を積んでいただけで、他の少年捜査官と違って単独で任務に出させてもらうことなどなかった。何かと抜けている自分が初めての任務で2年間も潜入捜査をしていられたというのは、まさに奇跡と言えるのではないだろうか。ちょっとしたミスをする度に、つくづくファイツはそう思うのだ。

(そういえば、ラクツくんは大丈夫かなあ……。怪我とかしてないかな……)

自分に心配されるというのも彼にとっては迷惑かもしれないけれど、ファイツはラクツが任務に出る度にそう思ってしまうのだ。だけどそれも仕方ないと思う、何しろ防御スーツを身にまとっているからという理由でラクツは躊躇なく攻撃を受けようとするのだから。ちなみにその防御スーツを着ているのはファイツだって同じわけなのだけれど、それでも彼と同じ行動を取る気には到底なれなかった。ラクツには恐怖心というものがほとんどない故にそんなことをするのだろうとファイツは思った。

「……おい、大丈夫か?」
「ふえっ!?」

ラクツのことを考えていたファイツの意識は、その声で強制的に現実へと引き戻されることとなった。眉間に皺を刻んだ彼が、様子を探るような眼で自分を見つめていた。

「何だよ、その間抜けな声は。何ていうか、お前ってすげえとろいやつだな」

目付きが鋭い彼に呆れ顔でそう言われて、ファイツははあっと肩を落とした。確かに彼の言う通りで、一言も言い返せない。「実はこれでも国際警察官なんです」と言ったところで、絶対に信じてもらえないだろう。いや、その事実を告げられるはずもないのだけれど。

「あの、あなたは……?」

先程まで感じていたはずの怖い雰囲気が薄まったこともあり、ファイツは思い切って名を尋ねた。彼には一応見覚えがある、同じクラスの男子生徒だ。だけどラクツのことしか目に入っていなかったファイツには、”ラクツくんと仲がいいらしい男子”ということしか分からなかったのだ。

「ああ、オレはヒュウってんだ。それで、お前はここで何してたんだ?」
「あの、鍛錬に来たんです……。他に生徒がいないところで、落ち着いてやりたかったから……」

嘘ではない、本当のことだった。授業が始まる5時間前に起きてこっそり女子寮を抜け出したファイツは、人目がないであろうこの森でダケちゃんと一緒に日課である早朝のトレーニングを行ったのだ。ヒュウと名乗ったその男子生徒は、「ふうん」と鼻を鳴らした。

「オレと同じってわけか。……おい転校生、オレと勝負しろ!」
「……え?ええええっ!?」
「何驚いてるんだよ、昨日の男女別の勝ち抜きバトルで優勝したお前はポケモン図鑑ってやつをもらってたじゃねえか。つまりは女子ん中で一番強かったってことだろ!?」
「そ、そうみたいですけど……」
「オレは強くなりてえんだよ、転校生がいくら強かろうが負けねえぞ!」
「……分かりました」

彼の射抜くような視線を黙って受けていたファイツだったが、少しの沈黙の後にそう答える。強くなりたいのは自分だって同じだ、強くなれば皆に認めてもらえる。強くなって、大好きなラクツの隣に胸を張って立てるような立派な国際警察官になるのだ。

「ダケちゃん、行くよ」

ヒュウがどうして強くなりたいのかは知らないけれど、自分だってその気持ちは同じなのだ。ラクツの隣に立つ為にも、こんなところで負けるわけにはいかない。意識を切り替えたファイツは、こちらに対してわざを繰り出して来るナックラーの攻撃をダケちゃんと共に迎え撃った。