黒の少年と白の少女 : 003
あたしと彼の距離
「……つまり、お前は任務を半分しか遂行出来なかったんだな?」「うん……」
ただただ会いたかったから彼の部屋に来たというのも紛れもない事実なのだが、それでも自分はラクツと同じ国際警察官なのだ。ここに来た目的の1つである彼との情報共有をし終えたファイツは、はあっと深い溜息をついた。何となく憂鬱な気持ちになって、彼のベッドから下ろした足を意味もなく動かした。
「プラズマ団の各地のアジトの場所や、活動内容とかはちゃんと調べたよ。構成員の情報も調査済みなんだけどね、肝心のメモリーカードの在りかが全然掴めなかったの……。やっぱりプラズマ団のアジトのどこかに隠してあるんじゃなくて、情報通り元団員の子に託されたみたい。今年で12歳になる女の子だって。何度も繰り返し確かめたから、これはまず間違いないよ」
「そうか……。ボクの5ヶ月間が徒労に終わらなかっただけでも、とりあえずは収穫だ。やはり、12歳の少女の手に渡ったのか……」
ファイツはプラズマ団に潜入して秘密裏に捜査をしていたわけなのだが、その成果はあまりなかったと言っても良かった。このイッシュ地方で主に活動しているプラズマ団は、この2年間でポケモンを思いのままに操る機械を開発した過激派とそれに反発する穏健派に分裂してしまったらしい。
その”ポケモンを意のままに操る機械”を妨害する為のデータを入れたメモリーカードは、2年前に失われたまま現在も行方知れずなのだ。2年間による潜入調査の成果といえばそんなもので、内部抗争のどさくさに紛れてプラズマ団を抜けたファイツにはそれ以上のことは分からなかった。
「ポケモンを操る機械を無効化する研究データが入ったそのメモリーカードって、いったいどこにあるんだろうね……?」
「……さあな。それが分かれば苦労はしないさ」
「うん、そうだよね……」
「ボクは件の少女を捜す任務を引き続き遂行するが、ファイツも手伝ってくれ。2人の方が効率的だ」
「あ、うん……」
5ヶ月前までイッシュ地方の各地を忙しく飛び回っていたらしいラクツは、今現在メモリーカードを密かに託されたという女の子を特定するという任務に就いているのだ。元はと言えば自分が与えられた任務を完遂していれば彼の手を煩わせることもなかったわけで、その罪悪感からファイツは曖昧に頷いた。
おまけにどういうわけか女の子達に親しげに話しかけるラクツを想像してしまい、胸がぎゅうっと苦しくなった。あれはあくまで作り笑いであって本心からの笑顔でないとは分かっているのだけれど、それでもやっぱり女の子達に黄色い声を上げられているラクツを見るのは嫌なのだ。どんどん暗い気持ちになっていく自分に気付いて、慌ててぶんぶんと首を横に振る。
(こんな暗い気持ちになっちゃダメだよね……。本物のラクツくんとこうして話せてるんだもん、それってすっごく恵まれてるってことなんだから!)
分かってるの、と自分自身に強く言い聞かせる。2年間も離れていたことで、自分がどれだけ彼のことを好きなのかをファイツは改めて思い知らされることとなったのだ。
口角を上げたファイツは胸中でふぁいとふぁいとと大声を上げた、幼い頃からの自分を鼓舞する魔法の呪文だ。気を取り直して、大好きな彼の名前を口にする。
「でも、学校内の女の子は調べ尽くしたんじゃないの?」
「そうだ。だがボクが見逃した可能性も否定出来ない。トレーナー養成校の名門であるこの学校に、元プラズマ団員の少女が在籍している可能性は確かにある。生徒の数も多いし、日々を隠れて過ごすにはまさに打ってつけの場所だろう」
「木を隠すなら森の中ってことかなあ……。確かに、過激派のプラズマ団員がその子を狙ってもおかしくないもんね……」
「もしかしたら、ただ単にポケモントレーナーとして学ぶ為に入学したのかもしれないがな。だがそんな理由はどうだっていい、ボク達は任務を果たせればそれでいいんだ」
「…………」
自分達国際警察官にとって、任務の遂行こそが全てなのだ。プラズマ団の現在の実情を探るという任務こそある程度達成出来たものの、肝心のメモリーカードを回収する任務は失敗してしまったことになる。
「これくらい1人で出来ます」と言い切った2年前の自分を、ファイツは出来ることならポカポカと殴りたい気分だった。例えラクツくんが近くにいなくても大丈夫なんて、まったくとんでもないと思った。ラクツの方は絶対にそんなことはないだろうが、自分には彼がいないとダメなのだ。
「あたし、頑張ってラクツくんをサポートするからね。ほら、誰かをサポートするのは慣れてるもん。だから、やって欲しいことがあるなら何でも言って。少しでもラクツくんの役に立ちたいの」
「何だ、急に。ボクの記憶が正しければ、2年前のお前はプラズマ団の好きにはさせないと息巻いていたはずだが。長官からも、いつになく情熱的に任務に取り組んでいたと聞いている。それなのに、何を意気消沈しているんだ?」
「だ、だって……。ラクツくんとあたしじゃ、あまりに差があり過ぎるんだもん……。同い歳で同じ人に育てられたのに、自分が情けないよ……」
与えられた任務1つまともに出来ない未熟な自分と、とうの昔に1人立ちして単独で任務を完璧にこなしている彼。この5ヶ月間で着々と情報を集めているらしいラクツの仕事ぶりを自分のそれと比較すると、あまりに情けない気分になる。
涙こそ出なかったものの、代わりに弱音が勝手に口をついて出た。それは以前から薄々感じていたことだった、何しろ自分はどうしようもないくらいの落ちこぼれなのだ。
「プラズマ団の件が片付いたら、いよいよあたしはクビを言い渡されちゃうかもね……。満を持しての初任務で満足に働けなかったわけだし、あたしは落ちこぼれだし……」
「潜入していたという事実が捜査対象たるプラズマ団員に露見したわけでもないし、与えられた任務がまったく果たせなかったわけでもないんだ。お前は長官に気に入られているし、命令違反をしない限りは解雇されることもないだろう」
「あたしが長官のお気に入りだなんて、そんなことないもん……。そりゃあ長官に拾われたのはあたしだって同じだけど、ラクツくんは警視であたしはまだ刑事なんだよ?それも、お情けでもらった立場に違いないよ……」
「今日はいつになく卑屈だな。そうでなければ、ファイツが2年前まで実践に出ていなかったことの説明がつけられないと思うが。防御スーツもボクと同じく最新型の物を支給されているんだろう?」
「そうだけど、それはあたしが抜けてるからじゃないの?」
「まあそれは否定しないが、決してそれだけの理由だけではないと思うぞ。お前を見る上層部の人間の目をもっと意識してみれば分かることだ。……まったく、下らないことで無駄に気を病むな」
「……うん」
他でもないラクツが唇から零れ落ちた弱音を事もなげに一蹴してくれたことで、ファイツの瞳には自然と涙が滲んだ。自分の言葉を彼に否定してもらいたくて弱音をぶつけたわけではないのだけれど、それでもそう言ってくれたのはものすごく嬉しかった。
「また泣くのか。その点に関しては、お前は少しも成長しないな。むしろ2年前より涙もろくなっているように思えるが」
「これは嬉し涙だよ、あたしはラクツくんの言葉に感動して泣いてるだけなんだから!だから、あたしは泣き虫じゃないもん!」
「どうだかな。ダケちゃんはそうは思っていないようだが」
「えっ!?ダケちゃん、何でそんな顔であたしを見てるの!?」
「自分の胸に理由を訊いてみればいいんじゃないか?」
「も、もうっ!意地悪言わないでよ!」
彼のベッドにちょこんと乗っている自分の大切なポケモンは、実に困ったような顔をしてこちらを見上げていた。つき合いが長いダケちゃんに自分の気持ちが筒抜けになってしまっているのはもう仕方がないにしても、そこはやっぱり知らない振りを貫き通して欲しかった。
何だか急に気恥ずかしくなって、ダケちゃんのぷにぷにとした頭を優しく指でつつく。椅子に座って自分と向かい合っていたはずのラクツがこちらに背を向けたことに気付いて、ファイツはダケちゃんから彼へと視線を移した。
「これから任務なのに、まだ調べるの?」
「データを入力するだけだ。大した手間じゃない」
「そっか……。じゃあ、静かにしてなくても大丈夫かな」
「大声を上げない限りは好きにしていて構わないぞ。寝たかったらボクのベッドで寝ても構わない。部下が来たら起こしてやる」
「ね、寝ないよ!」
顔が見る見るうちに真っ赤に染まっていくのを感じ取ったファイツは、自分の足を見ながら弱々しく反論する。ラクツのことを幼馴染以上に想っている身には、今の彼の発言はあまりにも刺激が強かった。
「朝まで一緒にいたい」と先程言った自分の気持ちに嘘偽りはないけれど、ベッドはちゃんと彼だけに譲るつもりでいたのだ。なのにそんなことを言われるなんて、まったくの予想外だった。
(そんなことを言われたら、余計にどきどきしちゃうよ……っ!)
もちろん、ラクツは深い意図があって言ったわけではないのだろう。自分が望むような気持ちを彼が抱いてくれていないことは、他でもないファイツが一番よく知っている。だからと言って、彼を想うことを諦めるつもりは少しもないのだけれど。
「一応告げておくが、ボクはファイツだから言っているんだぞ。今日まで調査対象たる少女達に親密に接して来たわけだが、それも全て任務遂行の為だ。ファイツ以外の人間にこのベッドを貸したことはないし、これからもするつもりはない」
「…………っ!」
ラクツの爆弾発言もとい殺し文句に、とうとうファイツは両手で顔を覆った。こんな台詞を照れもせずに言える辺りが実に彼らしいが、流石にこの発言には耐えられなかった。ダケちゃんがベッドの上でぴょんぴょんと跳ねているのを、身体に伝わる振動から感じ取る。
「ずるいよ、ラクツくん……っ」
「何がずるいんだ?ボクがお前に気を許しているといういい証拠になると思うんだが。いったいファイツは何が不満なんだ?」
「ふ、不満なんかじゃないよっ!ただ恥ずかしいだけ!」
「何が恥ずかしいのか理解出来ないな。……時々だが、ボクはお前が分からなくなる」
「あたしだってそうだよ……っ。ラクツくんが何を考えてるのか、全然分かんない!……あ、ダケちゃんっ!」
ファイツは慌ててダケちゃんを止めようとしたが、悲しいことに間に合わなかった。伸ばした手をするりと抜けたダケちゃんはどうやら酷く気分を害したらしく、ラクツに向かって大量に”きのこのほうし”を浴びせたのだ。胞子を浴びた相手を眠らせるわざだ。
「……おっと」
「あ……っ」
平常なら避けられていたはずだっただろうが、焦っていたこともあってファイツはまともにダケちゃんのわざを浴びてしまった。椅子に座っていたはずなのに”きのこのほうし”をいとも簡単に避けたラクツとは実に対照的だ。
結局は大好きな人のベッドを借りることとなったファイツが目を覚ました直後にきゃあっと悲鳴を上げたのは、それからちょうど30分が経過した後だった。