闇を照らす光 : 005
見えるんだけど見えないもの
「おい、遊戯に名前!お前ら、何でオレに言わねえんだよ!」祖父が経営するゲーム屋の店先に響き渡ったのは、まるで雲を吹き飛ばすような大声だった。朝の挨拶もそこそこに大声を上げた城之内は、それはそれは険しい顔付きをしている。妹と揃って「行って来ます」と祖父に告げた遊戯は、思わず名前と顔を見合わせた。
「えっと……。おはよう、城之内くん。ボク達、城之内くんに何かしちゃった……?」
まずは挨拶をした遊戯は、首を傾げながら城之内を見つめた。どうやら城之内は怒っているようだけれど、遊戯には心当たりがまるでなかったのだ。そして、それはどうやら名前も同じだったらしい。同じように小首を傾げながらバス停までの道を歩いている妹の頭上には、いくつもの疑問符が浮かんでいる。
「おいおい、本当に分からねえのかよ……。C組の騒象寺のことに決まってるだろ、はた迷惑なリサイタル野郎だよ!花咲のやつに聞いたぜ、あいつのライブに無理やり参加させられたんだろ?オレがあれだけ”困ってんなら力になるぜ”って言ったのによー!」
「兄妹揃って薄情なやつらだぜ」という言葉で会話を締め括った城之内は、見るからに機嫌が悪かった。むっつりと黙り込んでいる城之内の言葉で彼が怒っている原因を理解した遊戯は、頬を掻きながら口を開いた。
「あはは……。ごめんよ、城之内くん……。だってそれを言ったら、騒象寺くんのクラスに殴り込みに行っちゃうでしょ?」
「当たり前だぜ、あいつにはオレだって迷惑してたんだ!とにかくよー、次こそはオレに頼れよな!いいか遊戯、今度オレをハブりやがったら絶交だからな!絶交!」
「う、うん!約束するよ!」
「男に二言はねえな、遊戯!」
「うん!」
「……よっし!赦してやらあ!!」
ウインクをした城之内が、背中をバシバシと叩いて来る。その勢いはすさまじいものだった。遊戯は涙目になりながら唇を尖らせた。
「い、痛いよ城之内くん……」
「あ、悪い!つい力が入っちまったぜ!……それで、名前!」
「は、はいっ!」
「オレは腕っぷしなら自信があるからよー、遊戯で解決出来なさそうなことがあったらオレに言えよな!……いいな、約束だぜ!」
「は、はい……っ!約束します……っ」
ずいっと詰め寄った城之内の勢いに押されたのだろう。身を縮めた名前は、こくこくと何度も頷いていた。しかし、そんな妹を見た城之内は納得がいかないと言わんばかりの険しい顔付きをしていて。不意に城之内が吐いた深い溜息の音が、遊戯の耳に強く残った。
「あのなー、名前。いいかげん、それを止めろって!」
「え……。あの、えっと……?」
「ああもう!敬語だよ、敬語!オレ達は同級生だろ?そんで、オレとお前はダチだろ?だったら敬語なんて使うなよな!」
「う、うん……。気を付けるね……っ」
下降していた機嫌がようやく直ったのだろう。大きく頷いた城之内は、わしゃわしゃと乱暴に名前の頭を撫でた。そんな城之内に対して文句を言いつつも笑みを見せた妹の姿を目の当たりにした遊戯の心には、熱い何かが広がった。妹に新しい友達が出来るのは兄としては大歓迎だ。自分以上におとなしい妹のことをはっきりと”ダチ”だと言ってくれた城之内に、遊戯はありがとうと心の中でお礼を言った。
(友達、か……。もしかしたらこの千年パズルには、本当に願いを叶える力があるのかもしれないなあ……)
祖父が言うところの千年パズルは、自分の首にぶら下がっている。不思議とそこまで重さを感じないそれを、遊戯は両手で持ち上げてみた。何日か前までは確かにばらばらの部品でしかなかった宝物は、太陽の光に照らされて金色に輝いている。
(”見えるんだけど見えないもの”、か……)
妹と友達を庇って牛尾に殴られていた時、遊戯は”どんな時でも裏切らない、裏切れない友達”が出来ることをただひたすら祈っていた。そして、その結果がこれだ。自分にとっては宝物を指している”見えるんだけど見えないもの”は、城之内にとって友情を指すらしい。パズルを完成させた翌日に友達宣言をしてくれた城之内と遊戯は、その日から一緒に登下校するようになったのだ。密かに友達が欲しいと願い続けて来た遊戯にとって、まさにそれは夢にまで見た光景だった。
「ところでよー、お前ら大丈夫なのかよ?3日間も寝込んでただろ?騒象寺の所為でよー!」
「うん……。ボクはまだマシだったけど、名前は高熱を出しちゃってね……。騒象寺くんの歌声って、やっぱりすごいよね……」
「すごいよね、で済む問題かよ!あーちくしょう、やっぱり一発殴ってやるべきだったぜ!あの迷惑ライブ野郎が入院してさえなけりゃ、今からだって殴りに行くのによー!」
城之内が悔しそうにそう言った瞬間、遊戯の心臓はどきりと高鳴った。騒象寺が入院したらしいということは、寝込んでいる間にお見舞いに来てくれた杏子から聞いて知っていた。童実野屋のプリンを持参して来てくれた幼馴染の、酷く困惑した顔が遊戯は忘れられなかった。ちなみに童実野屋というのは遊戯が気に入っているスイーツ店だ。
(怪我したとか病気とかじゃないみたいだって杏子は言ってたけど、いったいどうしたんだろう……)
あまり思い出したくもないけれど、自分達に対してライブをしていた時の騒象寺は至って健康体だった。だからこそ分からない、いったい何が騒象寺の身に起こったというのだろうか。
「あいつのことはどうでもいいけどよー、入院した理由ってやつが気になるぜー!名前、お前は何か知らねえか?」
「ううん……。あたし、気を失ってて……。気が付いたら自分の部屋で寝てたから、何も憶えてないの……」
「あー……。あいつの歌はマジで酷えからな……。……遊戯、お前は心当たりとかねえの?」
「ううん、ボクにも全然分からないんだ……」
更に胸をどきりと高鳴らせながら、遊戯はどうにかそう返した。一筋の冷や汗が頬を伝って地面へとぽたりと落ちる。気の毒にも名前が気を失ったことは憶えているけれど、それ以降の記憶がまるでないのだ。気が付いたら遊戯は自分の部屋で寝込んでいた。布団の中で懸命に思い出そうとしたけれど、どうしても何があったのかが思い出せなかった。どういうわけか自分の記憶がなくなるのはこれで三度目だ。しかもこの記憶の喪失は、パズルを完成させてから度々起きている。だからこそ遊戯は怖いと思った。記憶がない間に自分が何かをしているのではないか。このパズルの所為で、自分の身に何かが起きているのではないか。そんな考えがどうしたって頭を過ぎって、遊戯は慌てて首を横に振った。
(このパズルが原因だなんて、そんなことあるわけないよね……。最近色々あった所為で、疲れが溜まってるだけだよね……?)
幸いなことに思い切り首を横に振った場面は妹にも友達にも見られていなかったようで、遊戯はそっと息を吐いた。もしもまかり間違って記憶が時々なくなることが知られたら、せっかく出来た友達も自分から離れて行ってしまうだろう。妹だって、自分のことを気味の悪い兄だと感じるに違いない。それは絶対に嫌だった。
「ったくよー、最近変なことが起こってばっかだと思わねーか?牛尾のやつだって休学してるみたいだしよー。あの風紀委員にリベンジしてやるつもりだったのに、オレの計画が丸潰れだぜ!」
「じょ、城之内くん……っ。牛尾さんを殴るつもりだったの……!?」
「ああ!やられっぱなしは性に合わねえからな!……っていうか、名前!お前、あいつに殴られといて牛尾さんはねえだろ!あんなやつ、呼び捨てにしりゃいいんだ!……ほら、言ってみろ!せーの!」
「う……。牛尾……。……さん……」
「お前なあ……。よし、名前!牛尾を呼び捨てにしなかった罰ゲームだ!これでもくらえ!」
呆れ混じりの溜息をついた城之内が、またもや名前の髪の毛を勢いよく撫でた。ボサボサになってしまった髪の毛を慌てて整え終えた妹が、不意にくるりと振り向いた。眉根を寄せた妹は、何か言いたそうな表情をしている。
「……名前?」
名前の大きな青い瞳を見つめ返した遊戯は、妹の表情に戸惑いながらも「どうしたの」と言った。これが杏子だったなら別の意味でどぎまぎしただろうが、名前は大事な妹だ。純粋に兄として妹を案じながら、遊戯は何も言わない妹の顔を見つめていた。
「ううん……。何でもないの……」
何か言いたそうな目をしている妹にそう告げられたのは、これで二度目だった。一度目はパズルを完成させた翌日のことだ。遊戯は嬉々として妹にパズルが完成したことを知らせたというのに、名前の反応はどこか薄いもので。絶対に声にも態度にも出さないと決めているけれど、遊戯は密かに妹の反応に肩を落としたものだった。絶対に「おめでとう」と言ってくれると思っていたのに、返って来たのは「そうなんだ、良かったね」という言葉だけで。堪らずどうしたのかと訊いたら、「何でもないの」と返された。そのことで首を捻ったことは記憶に新しい。ちなみに杏子に完成したパズルを見せたら、それは嬉しそうな顔で「おめでとう」と祝われた。そんな幼馴染に惚れ直したのには秘密だ。
「……お、バス停が見えて来たぜ!それにしても、授業ってかったりいよなー!」
大あくびを噛み殺しながら城之内がそう言ったが、遊戯も彼とまったく同じ意見だった。今日の授業は数学、英語、更には体育と、揃いも揃って苦手教科ばかりが集まっているのだ。心なしか、バス停に並んでいる人間も浮かない顔をしているように見えた。
「明日も学校があるしよー、憂さ晴らしに今日の帰りにでも買い食いしよーぜ!」
「じゃあボク、ハンバーガーがいいな!……あ、そうだ!バーガーワールドってハンバーガー店が明後日オープンするんだって!杏子も誘って皆で行こうよ!」
「うん!杏子にはあたしから言っておくね!」
「おっしゃ、そうするか!それにしてもよー。お前って本当ハンバーガーが好きなのなー、遊戯!」
「うん!名前が焼いてくれたホットケーキと同じくらい好きだよ!」
憂鬱な授業も、ハンバーガーが待っていると思えば乗り切れる。皆と食べるハンバーガーの味は格別に違いない。遊戯はにっこりと笑って、人がひしめくバスの中へと乗り込んだ。