school days : 172
父の直感
「あの……。本当に良かったんですか?」ラーメンのメニュー表を眺めていたハンサムは、その声で顔を斜め横に向けた。メニュー表には碌に目もくれずにそう尋ねて来たホワイトは、実に申し訳なさそうな表情をしている。
「良かったって、何がだい?」
「あ、えっと……。その、成り行きでアタシ達までご馳走になっちゃって……。それに、せっかくの家族団欒だったんじゃ……」
「いやいや、どうせなら皆で食べた方が美味いからね。同じ言葉を返すようだが、私達が邪魔して本当に良かったのかい?……どうせなら、もっと高い物でも……」
「ラーメンがいいんです。ハンサムさんの話を聞いてたら、急に食べたくなっちゃって……。ほら、また降って来たみたいですし……」
ホワイトはそう言いながら窓ガラスを指差した。白い雪が降っているのがガラス越しでも確認出来る。この勢いだと、帰る頃には大降りになるだろう。ハンサムはガラス越しの雪を眺めている彼女に同意しながら内心で嘆息した。生憎今日は傘を持っていないのだ。こんなことなら、コンビニで缶ビールを買ったついでにビニール傘でも買っておくんだった。
「とにかく、代金については気にしなくていいんだよ。キミ達姉妹……いや、キミ達従姉妹に息子達が世話になった礼だと思ってくれ。それに、これは私が言い出したことだしね」
気を取り直してひらひらと手を振ったハンサムは、朗らかな受け答えが出来ていることを内心で願った。この子に不審者だと思われたことは記憶に新しい。ちなみにラーメン屋に来る途中で彼女に盛大に謝られたのだが、ハンサムとしては不審者扱いをされたことはあまり気にしていなかった。むしろ怖がらせて申し訳ないと思ったくらいなのだ。焼け石に水な気もするが、横着せずに無精ひげを剃っておくべきだったかと今になって後悔した。まとめて代金を払うと言い出した理由には、怯えさせてしまった詫びも含まれている。多分彼女が気にするだろうから、口には出さないことに決めているけれど。
「そうだぞ社長、一緒に食おうぜ!オレもラクツも、社長達には世話になってるんだしさ」
「そんな……。ファイツちゃんはともかく、アタシはお世話なんて……」
「謙遜しなくてもいいよ。キミとブラックは同じクラスだし、よく話しているそうじゃないか。……そうなんだろう?」
援護射撃をしてくれた息子に問いかけると、ブラックは即座に頷いた。食い入るようにメニュー表を見つめていたというのに、こちらの話にきちんと耳を傾けていたらしい。
「ああ。テスト前によくノートを見せてもらったりしてたんだ。今更だけど、すっげえ助かったよ。サンキューな、社長」
「え?……ええ……」
「ほらな。社長だってオレの世話してんじゃん。父さんがいいって言ってんだから、遠慮しないで甘えちまえよ」
自分とブラックに見つめられたホワイトは、言わば針の筵だった。とうとう観念したのかこくんと頷いたホワイトは、「ご馳走になります」と言った後で頭を下げた。刑事である自分ですら綺麗だと感じる程の礼だった。姉妹揃って礼儀正しい子だと内心で思ってから、ホワイトとファイツは従姉妹なのだと思い直す。「好きな物を頼みなさい」と笑顔で応えながらハンサムは苦笑した。顔がかなり似ているおかげで、どうも2人は姉妹だと勘違いしてしまうのだ。
「んじゃ、この話はこれで終わりだな!……で、社長は何にするんだ?」
「……え?うん、そうね……。……どれも美味しそうで、迷っちゃうわねえ……。ブラックくんはもう決めたの?」
「オレ?オレはこれだよ、”スペシャル醤油ラーメントッピング増し”の大盛り。ここに来た時はいつも頼むんだ」
「…………」
メニュー表を指差しているブラックは、まだ頼んですらないというのに厨房をちらちらと見ている。そんな息子がおかしくて、ハンサムは目を細めた。息子達は高校生になったとはいえ、いくつになっても子供は子供なのだと強く思わされる。
「社長もオレと同じやつにしようぜ!チャーシューもメンマも煮卵も普通のラーメンより多くてさ、その上にトッピングを全部乗せたラーメンなんだよ。すっげえ美味いんだ!」
「む、無理よ!絶対に無理!」
「え?何でだよ?……あ、もしかして醤油ラーメンがダメなのか?」
「違うわよ!こんな多いの、食べ切れるわけないじゃないっ!」
「…………ああ、そっか。女の子には無理かあ……。すっかり忘れてた」
「ちょっとブラックくん。それ、いったいどういう意味?」
「あ!いや、違えって!ここって美味いし安いからゴールドやレッド先輩と時々来るんだけどさ、女の子と来たことはなかったんだよ。それに2人共同じメニューを頼むから、ついいつもの調子で……」
「……まあそういうことにしてあげるわ。とにかくアタシには……というか女子には多過ぎて無理よ。普通サイズので充分だわ」
「へー。普通サイズで腹が膨れるのか。それでよく足りるなあ……」
「ブラックくんやゴールドくんが食べ過ぎなのよ」
目の前で交わされるブラックとホワイトのやり取りを、ハンサムは何も言わずに眺めていた。仕事の関係上、自分が息子と一緒に食事をする機会はそう多くない。その限られた機会で息子のクラスメイトに出会えたことが、そして2人の自然体そのもののやり取りを間近で見られたことが、堪らなく嬉しかったのだ。胸に熱い何かが広がって行くのが分かる。口には出さないけれど、2人は仲睦まじい雰囲気を醸し出しているようにしか見えなくて。ここが人の目があるラーメン屋でなければ、ブラックに将来的にホワイトという名の恋人が出来るかもしれないと感涙していたに違いない。
「……あの、おじさん。……その……っ」
「ん?どうした、ファイツちゃん」
感慨に耽っていたハンサムは、実に声を潜めたファイツに目を留めた。真正面に座っているファイツは、メニュー表を眺めていたはずだった。しかし今は、酷く落ち着かない様子を見せている。
「あ……。あの、やっぱり何でもないです……っ」
「…………」
そわそわと落ち着かない彼女を真正面から眺めていたハンサムの脳内に、突如として閃くものがあった。どうしたものかと一瞬逡巡した後で、未だにメニュー表と睨めっこしているブラック達を見やる。2人共ああでもないこうでもないと議論を交わしている様子だった。ラーメン選びに熱中しているこの様子なら大丈夫だろう。
「……ラクツなら、今日は来ないよ」
「え……っ」
「ラクツが来るかどうかを気にしていたんじゃないのかい?」
「……そ、それは……っ」
もう1人の息子の名を出した瞬間に、ファイツの顔が真っ赤に染まった。単刀直入に訊いたら更に赤くなった。分かりやすいその反応に、ハンサムはただただ”微笑ましい”と思った。こんなに微笑ましくて可愛いらしい子に好かれている息子は幸せ者だと、自然と目頭が熱くなる。そして先日の一件からしても、ラクツがこの子を好いていることは明らかだ。幼い頃に純粋に仲良くしていた男女が成長して互いに惹かれ合うだなんて、素晴らしい以外の何ものでもないとハンサムは思った。だからこそ、この場にもう1人の息子がいないことが残念でならない。
「キミ達と出会う前にラクツからメールが来てね。帰宅する前に男友達と食べたから行かないそうだ」
「……そう、なんですか……」
か細い声でそう言ったファイツは、それきり黙ってしまった。そのままメニュー表に目を落とした彼女の顔には、どう解釈しても”淋しい”と書かれている。きっと、いや間違いなくこの子が困るだろうから実際にはやらないけれど、ハンサムは”ラクツも呼ぼうか”と言いたくて仕方がないと思った。