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サンクスフォー・ユアヘルプ
少女が自分の感情を”気の迷い”であると結論付けてから数日が過ぎた。チェレンの説明をノートに書き取り、彼女は息を吐く。

(何だか嘘みたい……)

こうして授業を受けていると、自分が数ヶ月前まで事件の渦中にいたことがまるで夢であるかのように感じられる。しかし、あれは確かに現実の出来事なのだ。

(でも……。夢、じゃないのよね)

実のところ、ファイツは自分が加害者であるという実感があまりなかった。ファイツ自身がポケモンを直接”解放”したことがなかったというのも理由の1つだが、プラズマ団はポケモンにとって善いことをしているのだと信じていたのだ。だから、ヒュウに責められた彼女は驚きこそしたものの、彼に謝るようなことは一切しなかった。それは彼の怒りに油を注ぐことになるので、結果的には正解だったのだが。それでもヒュウから糾弾された事実は、ファイツの精神に影響を与えていた。綺麗な思い出を1人の少年に話すことにより何とか心の均衡を保っていた彼女だが、彼の”告白”が彼女の心を更に不安定なものにした。
ファイツは大いにショックを受けたが、それでも真正面から彼と向き合っていれば、事態はもっと早く終息しただろう。しかし、彼女は逃げることを選んだのだ。その結果、彼女は再びプラズマ団のアジトへと足を踏み入れることになった。強い人間不信に陥った彼女だが、プラズマ団の皆のことはまだ信じていた。けれどそこならば自分を受け入れてくれるはずだと思っていたそこには、暖かみなどまるでなかった。
”自分達の理想の為に人やポケモンを傷付ける組織”にしか、ファイツの目には見えなかったのだ。盲目的な少女は、ようやく現実を見たのである。当然怖くなった彼女はそこから逃げ出そうとしたが、”N派”であったファイツにそれが出来るはずもなく。結局人質にされた彼女を救い出してくれたのが、プラズマ団を追って来たラクツだった。ぼろぼろになりながら、それでも彼は笑っていた。アクロマが逮捕されてプラズマ団が壊滅状態になった後も、ファイツの過去が消えるわけではない。チョロネコは運良くヒュウの妹のところに戻って来たが、そうではないポケモンの方が多かった。
”ありがとうお姉ちゃん!お姉ちゃんのおかげで、あたしの友達が帰って来たわ!!”ヒュウの妹が口にした言葉がこれだった。確かにチョロネコを見つけたのは自分だ。せめてもの罪滅ぼしにそうしたけれど、お礼を言われる資格などない。ヒュウ兄妹を数年間苦しめた原因は、自分達プラズマ団なのだから。満面の笑みではしゃぐ彼女とは対照的に、涙を堪えてファイツは2人に謝った。そこにあるのは純粋な謝罪の気持ちだが、何も知らない妹は首を傾げて兄を見る。彼はしばらく無言のままだったが、小さく頷いた。

(でも、全部終わったわけじゃない)

むしろ、ここからが始まりだった。何年かかるか分からないけれど、自分達が”解放”したポケモン全てを元のトレーナーのところに返したい。そこに振って湧いた、ホワイトからのアルバイトをしないかという話。相手がラクツであることに動揺し、ファイツは一度は断ろうとした。しかし受けて良かった、と落ち着いた今では思っていた。目的を達成するには、何かと資金が必要だからだ。

「あれ?あたし……」

ふと疑問に思ったファイツは呟く。どちらかといえば少し大きめの声に反応したクラスメイトと目が合うが、すぐに逸らされる。それは好意と言う甘いものではあり得ない。何せ、自分が元プラズマ団だということは既にクラスどころか学校中に知れ渡っているのだから。……もっともこのクラスに対しては、ファイツ自らが言い出したことなのだが。残念ながらクラスの中にポケモンをプラズマ団に奪われたという人間はおらず、予想通り白い目で見られるのは避けられなかった。
しかしファイツをそんな目で見ないクラスメイトもいて、ファイツにはそれが嬉しかった。クラスは違うが、ヒュウの妹もその1人だった。彼女との交流は今でも続いている。彼女の”友達”を見る度、あるクラスメイトから距離を置いた接し方をされる度、胸に罪悪感が走る。けれどそれは仕方のないことだった。この痛みは忘れてはいけないものだ。そう、絶対に。

「…………」

(何だろう……。何か忘れてるような……)

確かに、自分は何かを忘れている。それはとても小さなことの気がする。けれどそれと同時に、とても大事なことのような。

(……ダメ、思い出せないわ)

諦めたファイツはおとなしく授業を聞くことにしたが、そのことが気になり中々集中出来なかった。

* * *

ラクツは前の席にいるファイツを注意深く見ていた。だから先程の声にも当然気付いていたが、声をかけるようなことはしなかった。そもそも距離が離れている。もう潜入任務の任は解かれており、彼女に必要以上に接する必要はない。それにもかかわらず彼がそうするのには理由があった。プラズマ団員だったファイツ。彼女が再び組織と関わることを危惧した上層部が、彼女を監視・護衛するように命じたのだ。意図せずとも行く先々でトラブルに巻き込まれてしまう人間にとって、それは幸運だったかもしれない。事実プラズマ団とは何も関係のないところで、彼女は色々と危険な目に遭っているのだから。

(……だが、彼女は疎んじているだろうな)

何せ、ファイツを護衛するのは彼女の”嫌いな人”なのだから。

『……嫌いよ。ラクツくんなんて、大嫌い!!』

彼女の言葉が蘇り、少年の眉間に皺が寄る。ファイツに名前で呼ばれたのはあれが最後だった。
”いつ如何なる事態が起きてもいいように、万全の状態を保つこと”。それが捜査官として最も大切なことだとラクツは思っていた。実際正体がばれるという事態はまったくの予想外であり、それでもラクツはその信条に従おうとして、けれどそれは叶わなかった。
翌日行われたクラス内ポケモンバトルで、ラクツはペタシに初めて負けたのだ。それも2戦とも。周りの皆はラクツの体調を心配し、彼に勝ったペタシでさえ喜びより困惑の方が勝っている始末だった。しかし、ラクツにはここでの敗北などはっきり言ってどうでも良かった。トレーナーズスクール生であるという身分は所詮仮初のもの。フタチマルにはすまないと思うが、”表”でどこの誰に負けようとも少年自身は一向に構わなかったのである。

(ただ、ボクは……)

「……くん、ラクツくん!」
「え?……えっと、何?」

名を呼ばれていることに気付き、思考を中断させたラクツは顔を上げる。ふと周りを見ると、3人娘を始めとしたクラスの女子が自分を囲んでいた。……彼女以外は、全て。

「次の時間は課外授業よ、ペアでポケモンを捕まえに行くんだって!!とっくに授業は終わったけど、ラクツくんは聞いてなかったの?」
「……うん。考え事、してたから」

別に隠す必要もないので、ラクツは頷いてみせる。

「何か悩みでもあるの?」
「ううん、特にないけど……」

今度は首を横に振り、にっこり笑って否定する。もちろん今の返事は嘘だ。わざわざ彼女達に教えてやる義理はない。

「……ところで、ペアは2人1組なんでしょ?キミ達は組まないの?」
「けっ。今回は男女で組むんだとよ」
「……ああ、だからペタシがあんな調子なのか」

ラクツは落ち着かない様子のペタシを見て苦笑する。女の子を必要以上に意識してしまう彼は、顔を赤くさせたまま挙動不審な行動を繰り返していた。

(それから……もう1人)

目の端で彼女を見やる。彼女の顔は見るからに青ざめているが、その様子に気が付いた者はいない。彼女と仲が良かった3人娘ですらそうだった。

「…………」

彼は内心溜息をつく。1人を除いたクラスの女子全てが自分と組みたがっているのは明白だった。基本的にフェミニストであるラクツだが、自分とて常に女の子に囲まれていたいわけではない。自分で蒔いた種とはいえ、正直鬱陶しいと思うのが本音だった。もちろん態度には露程も表さないが。

「何で女と組まなきゃいけねえんだ。オレ1人で充分だってのによ」

ヒュウはいかにも彼らしい台詞を口にする。チョロネコが戻って来たことで、ヒュウは以前と同じく妹と接するようになったらしい。けれどそれでも彼の女嫌いは完全には治らなかったし、強さを求める姿勢もそのままだ。

「しかもお前と組みたがってるやつばっかじゃねえか。……あーもー面倒くせえ!おいラクツ、お前が決めろ!」
「……ボクが決めていいの?」

念の為に訊いたが、反対する者はいなかった。それが一番手っ取り早いこともあるし、何より文句が出ないからだろう。

「だったら……。ボク……」

期待を込めて自分を見つめる女の子達の視線。それを綺麗に無視して、ラクツは悠然と歩き出した。

(ヒュウが言い出したのは好都合だったな)

”学校一女の子に優しく、分け隔てなく接する”自分。この案を真っ先に提案するのは出来ることなら避けたかった彼にとって、ヒュウの意見はありがたかった。ヒュウに言われなくても、どの道こうするつもりでいたけれど。

(分け隔てなく、か。まるで逆だな)

学校中の女子にそう評されているのはラクツも気付いていた。それは捜査に必要だったし、そう思わせなければ意味がない。しかし自分の素はそうではないのだ。
本当は優しくなんてないし、他人に平等に接するなんてあり得ない。世の中にはそんな性格の人間もいるだろうが、少なくともそれは到底自分には当てはまらなかった。表面上しか人を見ない人間達に、本当の自分の性格を知って欲しいとも思わない。そんな”理解者”など、要らない。

(”ボク”を知っているのは、たった数人でいい)

そう思うようになったことに彼自身が一番驚いていた。自分の正体など、誰にも知られなくとも構わなかったのに。ちなみに警察関係者以外で自分の素を知っているのは4人だけである。その内の2人は助けた時に、最後の1人は彼女を助ける時に。そして、最初の1人は。

「……ファイツちゃん」

自分にとっての”特別な存在”の名を呼ぶ。偶然知られた他の3人とは違い、ラクツは自ら正体を明かしたのだ。名を口にすれば、彼女は見事に肩を震わせる。彼女の目ははっきりと”嫌です”と言っていた。

(……分かりやすいな、彼女は)

観察目は人より優れていると自負している自分が、当然そのことに気が付かないはずがない。そんなことは声をかける前から分かっていた。彼女が自分を苦手としていることは知っている。むしろ苦手以上の感情だろう。それを理解していてなお、少年は口にするのだ。

「ファイツちゃんとがいいな、ボクは」
「あ……」

自分は明らかに彼女の望みに反する行動をしている。そのことに心が痛まなくはなかったが、これも仕方のないことだ。巻き込まれ体質の彼女の為に、任務の為に、そして自分の為に。

「ファイツちゃんと!?」
「いいなあファイツちゃん~!!」
「あ、あの!あたし……」
「……皆には悪いけどね。ボクとファイツちゃんは図鑑を持ってるから、博士の手伝いに役立つだろうし」

こう言えば、彼女以外の女子全員が納得する。

(……キミはボクが嫌いだろうが……すまないな)

心の中で小さく詫びてから、ラクツはファイツに向き直った。

「いいよね?ファイツちゃん」
「う……」

ファイツはおとなしい娘である。彼女の本質を見抜いていたラクツは、ファイツが断ることはないと確信していた。2人きりなら違うかもしれないが、今はクラス中の注目を浴びているのだ。ここで断ったら自分に恥をかかせてしまうことになる……。そんな考えが見えるようだった。

(これで、彼女は頷くしかない)

彼女の優しさにつけ込むようで悪いが、今の自分には余裕など欠片もないのである。数秒の沈黙の後、彼女はこくりと頷いた。ラクツの思惑通りに。

「……分かったわ」

自分の望みは叶った。名前は……まだ呼ばれないけれど。

* * *

(どうしてこんなことになったのよ……。この人と一緒にだなんて!)

ラクツと充分過ぎる距離を開けて歩く傍ら、ファイツは今日何度目になるか分からない溜息をつく。ファイツの気を重くする要因は他にもあった。

(ポケモンを”捕獲”する……)

ファイツはポケモンを捕獲するのが苦手だった。それはポケモンを傷付けるからという理由もあるのだが、最も大きな原因は捕獲するのに必要な道具そのものだった。そう、モンスターボールである。
ボールにしまえばポケットにだって入る、だから”ポケットモンスター”……、縮めてポケモン。ポケモントレーナーなら誰でも知っている道具。事件が解決しても、未だにファイツはそれが怖かった。

「……10回」
「え?」
「校舎を出てからここまで、キミがついた溜息の数だ」
「暇人ね、あなた」

冷ややかな目を向けるが、彼は動じない。

「……そんなに嫌だったか?」
「当たり前じゃない。だって、ポケモンを捕まえるなんて……」

モンスターボールは”友達”を閉じ込めて自由を奪うモノ。ファイツにはその思想が色濃く残っていた。

「あたしにとっては、すごく怖いことだもの……」
「……そうか」

彼はそれ以上何も言わなかった。

(何だかあの時みたい……)

自分がまだこの人を信頼していた時のことを思い出して、ファイツはふと懐かしくなった。あの時とは決定的な違いがあったが。

「……!!」

(やだ、あたしったら何考えてるのよ!!)

我に返ったファイツは頬を叩く。彼に自分の気持ちを打ち明けてしまうなんて。こちらを見て微笑んだ彼を思い切り睨みつけてやる。

「……何よ」
「キミが何を思っているのか、考えていただけだ」
「……本当に暇人ね。あたしのことなんてどうでもいい癖に」

ファイツがそう吐き捨てると、ラクツはピタリと立ち止まった。

「……それは違うな」
「……ああ、任務だものね。あたしの護衛を兼ねた監視、だったかしら?」

冷ややかに笑う。以前だったら、きっと嬉しかったはずだ。この人なら大丈夫、と安心しただろう。でも今は、あの時とは違うから。

「いや。キミの監視を兼ねた護衛だ」
「どっちでも同じことじゃない。あなたって本当に……」
「どうした?」

(何?あたしは……この人を”理解”したいの?)

ファイツは迷ったが、言いかけたものは仕方がない。

「別に。分からない人だって思っただけよ。まあ、完璧なあなたには苦手なものとか怖いこともないんでしょうけど」
「……それならボクにもある」
「え?」

あっけに取られたファイツは睨むことも忘れ、ラクツの顔をまじまじと見つめる。

「……知りたいか?」
「…………」

一度は迷ったが、結局好奇心に負けたファイツは曖昧に頷いた。

「ボクが苦手なのは、笑うことだ」

(何言ってるのよこの人。さっき笑った癖に……)

そう思っても口には出さない。言い争いをしたところで、彼に勝てる気がしなかったからだ。

(それにしても……。この人にも苦手なものがあるのね)

「意外か?ボクだって人間なんだ、苦手なものの1つや2つくらいあるさ」
「……そうは思えないけど」

苦手なはずの笑顔をクラス中の女子に振りまくラクツ。本性を見事に隠していることといい、彼はどこか人間離れしているように思える。

「怖いことだって、ちゃんとある」
「……ねえ」
「ん?」
「そんなこと……何であたしに話すの?」

小さな声でファイツは尋ねた。

「あたしを監視してるんでしょう。それなのに弱点なんて教えていいの?それを利用するかもしれないのに」
「…………」

本気で困惑しているファイツの態度で、ラクツは嘆息した。

(彼女は……自身をボクの監視対象でしかないと思っているのか)

最初は確かにそうだったが、今は違うのだ。本当ならばファイツを監視すること自体、したくなかったのだ。こうして任務を拝命した以上、口が裂けても言えないけれど。

「それなら大丈夫だ。口では言っても、キミは行動に移さないだろう?それに、ボクの怖いものはキミが関係しているからな」
「……何よ」

(何であなたにそんなこと言われなくちゃいけないのよ!)

ファイツは苛立ち、心中で毒づく。まるで自分の方がファイツの心を理解しているかのような物言いに、彼女の目は鋭くなった。

「あたしに関係していることって、何なのよ。任務に失敗すること?」
「……正確に言えば違うな。ボクが怖いのは……」

一瞬の沈黙の後、返ってきた答。それは彼女にとって思いもよらないものだった。

「ファイツ、キミが怪我を負うことだ」
「……は?」

数秒遅れてその意味を理解した瞬間、彼女の顔は赤く染まる。

「な……!?何言って……!」
「キミが知りたいと言ったんだろう」
「嫌……」

震え声でファイツは呟く。

「そんなこと、言わないで……。どうせ、それも任務だからなんでしょう?」

任務、だから。任務であたしを護るように命じられたから。だから彼はあたしに傷を負わせたくないのだ。
ファイツは自分に必死の思いで言い聞かせるが、ラクツは何も言わない。ただじっとファイツを見つめるだけだった。

「止めてよ、ねえ」

(そんな顔で……あたしを見ないでよ。そんな表情、されたら……。あなたの言葉を、あなた自身を……信じたくなるじゃない)

「ファイツ、ボクは……」
「来ないで!ダケちゃん、”あまいかおり”!」

彼には避けられるだろうが、その間に逃げればいいだけの話だ。

「え……」

しかし……ファイツは逃げなかった。正確に言えば、逃げることを忘れていたのである。

「どうして……?ダケちゃん……」

ファイツは自身の友達、タマゲタケを茫然として見る。彼はファイツの命令通りに技を繰り出さなかったのだ。ただ、困ったように彼女を見上げているだけだった。プラズマ団を抜けてから今まで、彼はずっとファイツと一緒だった。ファイツにとっては大事な友達であり、Nとの繋がりでもあったのだ。

「嘘でしょう……?あたしの言うこと、ちゃんと聞いてよ……」

(あ……)

ファイツは目を見開く。そして、気付いた。

「……!!」

全身が勝手に震え出す。自分は今、言ってはならない言葉を口にしたのだ。

「いやあああああああ!!!」
「ファイツ!?」

ラクツに呼び捨てにされたことなど、最早問題でも何でもなかった。

「待て、ファイツ!そっちは……!」

少女は少年から背を向ける。2年前に現実から逃げた、白の少女と同じように。

* * *

『……よろしくね、ダケちゃん!』
『これこれ、ニックネームはいかんよ。このポケモンもいずれは野山に放つのだ、名など付けては離れがたくなる。……いいな?ファイツ』

ロット様にそう言われたけれど、あたしはこっそりとニックネームを付けていた。だって、この子はもうファイツの”友達”だから。そう。あたしにとって、ポケモンは”友達”だ。今までもこれからも、ずっと……。

『……それでね、そうしたらN様がね……。……どうしたのラクツくん、急に笑って』
『何でもないよ。ファイツちゃんは本当にそのN様って人のことが好きなんだなあって思って、ね』
『……ごめんねラクツくん。でも、ラクツくんの気持ちは嬉しかったわ。ラクツくんさえ良ければ、今までみたいにお話したいんだけど』
『もちろんだよ!ボク、ファイツちゃんと話すの楽しいし。またプラズマ団の皆のこと、教えてくれる?』
『うん!』

彼は笑っていた。だからあたしは疑いもせずに彼の言葉が真実だと思ったけれど。本当に、彼は心から笑っていたのだろうか。

* * *

「う……」 

ファイツは薄らと目を開ける。最初に見えたのは少年の顔と、大切な友達の姿だった。

「気が付いたか?ファイツ」
「……あ……。ここは?」
「崖下だ。キミは崖から落ちたんだが、覚えていないか?」
「ううん……」
「怪我はしていないが、身体を打ったことに変わりはない。学校まで運ぶから」
「…………」

(彼、怪我してる……)

自分の身体には目立った傷はない。

「……もしかしてその怪我、あたしを庇って……」
「大したことじゃない。キミを助けたくて、ボクが自分の意思でしたことだ」
「……それでも、ごめんね」

ファイツの目から涙が零れ落ちた。

「……ダケちゃんも。酷いこと言って、ごめんね……」

ポケモンは大切な友達だから、命令なんてしたくなかったのに。彼が技を出さなかったことに動揺した彼女はつい口走ってしまったのだ。……一番言いたくなかった言葉を。

「あたし……。この子の友達、失格だわ」
「そんなことはないさ。キミはダケちゃんが好きだろう?」
「それはそうだけど……」
「気に病む必要はない。ファイツ、キミはポケモンが好きな普通の女の子だ。ポケモンと友達になることに資格がもし必要だとしたら、最も大切なのはその気持ちじゃないのか?」
「…………」

以前彼がかけてくれた言葉が蘇る。

(……ああ、やっと思い出したわ)

それはとても大事なことだったけれど、決して小さなことではなかった。確かにあの時、彼の言葉に救われたはずなのに。

(どうして忘れていたんだろう、あたし。こんな大切なこと)

「……ラクツくん」
「!」

久し振りに呼ぶ彼の名前。それは思った以上にすんなりと自分の口から発せられた。

「ありがとう、ラクツくん」
「……ファイツ」
「あたし、ラクツくんに何回も助けられたわ。今日だけじゃない。ケルディオと出会った時も、ポケウッドの時も。それからアクロマに人質にされた時も。数え切れないくらい助けてもらったのに、あたしは意地を張って、お礼も言わずに逃げちゃったから」
「…………」
「本当に今更だけど……ありがとう」

沈黙した彼が返したのは、思いもよらない言葉だった。

「礼を言うのはボクの方だ」
「え。どうして?」
「……ファイツ。ボクが学校で何と評されているか知ってるか?」
「ええと……。確か”学校一女の子に優しく、皆に分け隔てなく接する男の子”よね?」
「……まあ、そうだな。キミも気付いているだろうが、それは幻だ」
「……うん」

皆が知ったら驚くだろうなあ。そんなことをぼんやりと考えながらファイツは頷く。

「全ての人に平等に接するなんてことは…ボクには無理だ。そう出来る程、ボクは優しい人間じゃない」
「……?」
「ボクが優しくするのは、ただ1人で充分だ」

ファイツは目を瞬いた。

「まさかボクにそんな感情が生まれるとは思わなかった。……ありがとう」
「…………」

彼女は無言だった。おとなしくラクツに横抱きにされたまま、ファイツは目を閉じる。
少女の頭の中で、少年の言葉だけが鳴り響いていた。