log

結末
少年が選んだのは、1人の少女だった。

「……分かった」
「え……」

ラクツが投げたチップを受け取ったアクロマはそれを一通り眺めた。

「確かに本物のようです。流石のあなたでも、偽物を用意する時間はなかったようですね。……それでは約束通り、彼女を解放するとしましょうか」

満足げに笑い、アクロマは少女を突き飛ばす。

「きゃあ!」

よろけた彼女は目を瞑る。しかし、ファイツが倒れ込んだのは冷たい地面ではなかった。

「大丈夫か」
「……う、うん」

目を開けたファイツはラクツに受け止められていることに気付き、思わず赤面する。

(温かい……)

「あなたのおかげで私のアクロママシーンは完全な物になった。……礼を言っておきましょう」
「あ……!」
「次に会う時こそ、あなたを抹消してみせます。……では」

初めて会った時と同じく、オーベムの”テレポート”で彼は消えた。後には自分達だけが残される。

「…………」
「あ、あの!!……ラクツくん……!」

ラクツに抱えられたままだったことに気付き、ファイツは声を上げる。しかし、これで離してくれるだろうという彼女の予想は裏切られた。

「……ファイツ」
「え……」

名前を呼ばれ、そのまま強く抱き締められる。

「ラクツ、くん……?」

普段からスキンシップが多い彼だが、今はあまりに様子がおかしい。彼女がされるがままだったのは……そういった戸惑いもあった。

「……すまなかった」

抱擁は少しの間だけで、すぐに身体は離された。今まで抱き締められたことなどなかったファイツは気まずさを覚えながらも尋ねる。訊かないわけにはいかなかった。

「あの人が言ってたことって、本当?その……ラクツくんが警視って話」
「ああ。国際警察官、警視ラクツ。……それがボクだ」
「じゃあ、あたしを逮捕するの?」
「いや。キミには前科がないし、元プラズマ団員といっても直接犯罪には加担していないからな」

それを聞いて安堵したのも束の間、更なる疑問が湧いた。

「……どっちが本当のラクツくんなの?学校での姿と全然違うけど」
「キミに近付いたのはマイクロチップを手に入れる為だ。キミの知るボクなど、最初から存在しない」
「!!」

ファイツは一歩後退った。

「……じゃあ」
「…………」
「それじゃあ、どうしてチップを渡したの?あたしよりチップが大切なんじゃないの?」
「そうだな」

ラクツは即答する。数年間追い求めていたマイクロチップが失われたというのに、何の感情も湧いて来なかった。

「このチップを渡せば、ポケモンを操るアクロママシーンは無効化出来なくなる。プラズマ団の壊滅も難しくなるだろう」
「それが分かってて、どうして……?」
「ボクの中の優先順位が変わったというだけのことだ。どうやらキミは、ボクにとって特別な存在らしい」
「……!」

それが”マイクロチップを所持していたプラズマ団員だから”という意味でないことを感じ取り、ファイツは口に手を当てる。

「ボクにもよく分からないんだ。……すまないな」
「う、ううん……」

(何て言えばいいの……?)

「迷っているということは、少しは望みがあると考えていいのか?」
「…………」

ファイツはNが好きで、ラクツのことは苦手だった。彼の言葉からは何の気持ちも込められていない感じがして、だから彼の告白からも逃げていたのだが、今のそれからは背を向けてはいけないような気がした。多分、彼の言っていることは本気だ。

(本気であたしのことを……?)

けれど、すぐには答は出せない。出せるはずもなかった。今日があまりにもいつもと違う1日だった為、ファイツの頭は未だに混乱しているのだ。

「……ラクツくん。あたし、何が何だか分からないの。だから、落ち着いたらちゃんと返事をするから……」
「いや、それは無理だろうな。キミがボクに会うことは二度とないはずだ」
「え……?」

混乱状態だったファイツの頭は麻痺する。彼の言っていることが理解出来なかった。

「ボクはチップをアクロマに渡してしまった。……警視どころか、警察官失格だ」
「そんな……」
「その責任は取らなければならない。トレーナーズスクール生でいるのも今日限りだ」
「……そんなのって、ない……」

ファイツの目から涙が零れた。

「皆によろしく伝えておいてくれ。学校にいたのは短い間だったが、悪いものではなかったな」

ラクツは口角を上げた。確かに演技をしていたが、本当に笑っていることがあったのも事実だ。

「これを返す。鎖は直しておいたから、またかけられるぞ」
「あたしのペンダント……」
「まったく……。これ目当てでキミに近付いたのに、な」

泣きじゃくる彼女を見て、けれどラクツは微笑んだ。任務を失敗したというのに、不思議と後悔はなかった。

「……キミに会えて良かった」

せめて、最後だけは自分の本当の気持ちを言いたかった。嘘ばかり言っていた彼女に、自分の本音を。

「さよなら、ファイツ」

(ラクツくんが行っちゃう……)

少女は迷った。ここで彼を追わなければ、自分は日常に戻れる。クラスメートと笑い合い、Nを待つ日々。マイクロチップを奪われた自分には、プラズマ団の魔の手は及ばないはずだ。それは元通りの、安全な日々だった。

(だけど……)

少しの間迷って、少女はついに答を出した。自分の気持ちに嘘はつけなかった。

「……ラクツくん!!」

精一杯の大声を出し、ファイツは走る。

「待ってよ、ラクツくん!」

自分の声は届いているはずなのに、彼は振り返らなかった。諦めずに彼へと近付こうとして、ファイツは石に躓いてよろけた。

「きゃあ!」

今度こそ地面にぶつかる!と目を瞑った彼女は、しかし今度もぶつかることはなかった。

「……あれ?」
「……何をしているんだ、キミは」

さっきと同様、ラクツに受け止められている。ファイツは赤面したが、今度は離れなかった。

「怪我をしたらどうする」
「忘れ物、したから」
「忘れ物……?何だ?」
「助けてくれたお礼、まだ言ってないわ。……ありがとう」
「……ああ」
「…………」
「…………」

その場に沈黙が落ちる。先に口を開いたのは彼の方だった。

「ファイツ、その手を離してくれないか」
「嫌よ。だってあたしがそうしたら、あなたはどこか遠くに行っちゃうじゃない。たった独りで、アクロマを止めるつもりでしょう」

ラクツの手をしっかりと握り、ファイツは告げる。

「あたしの所為でラクツくんが責任を取らされるなんて、そんなのおかしいと思う。だって、あたしを助けてくれたのに」
「ボクはキミを責めるつもりはない。ボク自身が決めたことだ」
「……あたしも決めたことがあるの」
「何を?」
「あたしもラクツくんと一緒に行くわ」

ラクツは目を見開いた。

「……何を言っている?」
「ラクツくんに付いて行くって言ったの」
「キミは、ボクが苦手だと思っていたんだがな」
「そうよ」
「Nが好きなんだろう?」
「うん」
「……分からないな。何故、ボクを選んだ?」

本当に、この少女は予想外だ。ラクツは眉間に皺を刻んだ。

「あなたと同じよ。あたしだってよく分からないわ」
「…………」
「確かにあたしはあなたが苦手で、N様が好きだけど!でも仕方ないじゃない。だって今のラクツくん、放っておけないんだもの。何でも1人で背負い込んで、いつか潰れそうな感じがするから」
「…………」

ラクツは彼女と視線を合わせた。

「ボクを追わなければ、キミは日常に戻れるんだ。……まだ間に合う」
「ラクツくんのいない日常なんて、もう日常じゃないわ」
「……危険だぞ」
「うん。だから、あたしにポケモンバトルを教えて欲しいの。足手まといにならないように頑張るから」

ラクツは数分間黙っていたが、ついに溜息を吐いた。

「それだけでは不充分だ」
「え?」
「身体1つである程度身を護れるよう、護身術も教える」
「じゃあ……!」
「嫌と言っても付いて来る気だろう。近くにいてくれた方が護りやすいし、それに……」

ラクツはいたずらっぽく笑った。

「返事を……聞かせてくれるんだろう?」
「……!あ……あたしは苦手だって……!」
「”嫌い”とは言われていないからな」
「ラクツくんのバカあ!」

(あたしは、N様が好きなんだから……)

しかし……後にファイツはNに向けている気持ちと同じものを隣にいる彼にも抱くことになる。彼女がようやく答を返したのは、2人の活躍によってプラズマ団の事件が解決してからだった。結局彼らの名は歴史に残ることはなかったが、それでも2人は後悔などしなかった。隣には、互いの一番大切な人がいる。2人には、それで充分だった。