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「どういうこと……?」

ファイツは混乱していた。今日もいつもと変わらない1日が過ごせると思っていた。授業を受けて、未だに帰って来ない彼の帰りを待ち続けて、そして自分に好意を向けて来る少年を避ける。そんな”日常”が、今日も過ごせると思っていたのに。

(あたしは課外授業をしてたはずなのに……)

それは野生ポケモンと戦うという、珍しくも何ともない授業だった。

『皆!一緒に行っていい?』
『もちろん!』
『良かった……。ありがとう!』
『でも……ファイツちゃんは私達と一緒でいいの?』
『そうそう!ラクツくん、ファイツちゃんのこと見てるし』
『たまには2人で行動したら?』

彼女達の”口撃”を何とか躱して、3人娘と行動したところまではいつも通りだった。ファイツの日常が壊れたのはそれからすぐ後だった。同じ服を着た集団に襲われ、意識を手放した所までは覚えている。気が付いたら男と2人、部屋の中にいたのだ。

「どういうことと尋ねられても、今私が話した通りですが」
「…………」
「あなたには、人質になってもらいます」

”人質”。聞き慣れない言葉だった。少なくとも、ファイツは今まで人質になったことはない。男は笑顔で口調も丁寧だったが、それが却ってファイツの恐怖心を更に増大させた。

「どうして……」
「私が何故あなたを選んだのか、ということですか?」

あの場には自分の他に3人いたのである。同い歳の少女で条件は同じはずなのに、何故自分だけが攫われたのか。ファイツは疑問に感じていたのだ。

「その理由は単純です。あなたがマイクロチップを所持しているからですよ。私がせっかく開発したアクロママシーンを無効化する、忌々しいチップをね」
「……え?」

わけが分からなかった。自らをアクロマと名乗ったこのプラズマ団員の話を信じるなら、自分は彼にとって余程重要な物を持っているらしいが、ファイツにはその覚えがまるでなかった。

「そんな物、知らない……」
「そうでしょうか?あなたは持っているはずだ。常に肌身離さず」
「!」

ファイツは目を見開いた。

「その反応、どうやら心当たりがあるようですね。もっとも、今は手元にないようですが」
「あ……」
「まったく、あれ程あなたを傷付けないようにと注意したのに」

(攻撃された時に落としたんだ……)

自分の宝物にそんな物が隠されていたこともショックだったが、ファイツにとっては”それ”を失くしたことの方が衝撃だった。……しかし。

「彼が拾っていなければ、団員には罰を与えるところでしたよ」
「え?」
「人質と引き換えにチップを渡すよう、彼に取引を持ちかけましてね」
「……彼?」
「あなたもよく知っている人物ですよ。……あなたも運がいい。これで何事もなく学校に帰れます」

そのマイクロチップがこの人物の手に渡ったら大変なことになる。事情はよく呑み込めないが、それだけは理解出来た。

「その人が本当に来るかなんて、まだ分からないわ……!」
「……あなたは自分の立場が分かっているのですか?」
「…………」

まあいいでしょう、とアクロマは言葉を続ける。

「彼は来ますよ。何しろ人質を取られているんですから」
「そんな……」
「さあ、もうすぐ取引の時間です。では、行きましょうか」

取引が成立しなければ自分が解放されないことも忘れて、ファイツはその人物が来ないことを祈った。

* * *

「どういう、こと……?」

ファイツは混乱していた。彼女の願いも空しく、彼は現れた。その人物は確かにファイツが知っている人で、けれど今の彼はまるで知らない人間のようだった。

「お久し振りです、国際警察の警視さん。こちらの要求通りに1人で来ましたね?」
「ああ。チップもここにある。……彼女を渡してもらおうか」
「もちろんそうしますよ。チップと引き換えに、ですがね。……ああ、ポケモンは出さないで下さいね。あの時のように邪魔をされたら困りますから」
「ラクツくん……」

(……警視って、この人が?)

ファイツはラクツを見たが、その表情は見えない。

「迷っていますね。……少し意外でした。あなたはそうせざるを得ないはずだと思っていたのですが」
「渡しちゃダメ、ラクツくん!」

(……ボクは、どうするべきか)

この手にあるのは、自分が数年間探し続けたマイクロチップ。そしてアクロマの手にあるのは、それを得る為に近付いた標的だ。

「さあ、どうしますか?」
「ラクツくん……」
「ボクは……」

少しの沈黙の後、少年は1つの決断を下す。……そして、天秤は傾いた。