育む者 : 047
解放する者は打ち明ける
「ラ……。ラクツくん、だよね……?」「おい、お前……。本当にラクツなのかよ……?」
長い長い沈黙の後でヒュウとユキが発した音は、聞こえる限りでは困惑そのものの声色であると言えた。久し振りに旧友と顔を合わせた所為なのか、最早遠い昔に感じられるトレーナーズスクールでの日々が色鮮やかに脳裏に蘇る。ヒュウは文句を言いつつも”ラクツ”と一緒に行動していたし、ユキもユキで”ラクツ”が何かする度にきゃあきゃあと黄色い声を上げていたはずだ。2人が知っている”ラクツ”が世界のどこにも存在しないことをよく理解しているファイツは、おずおずと視線をヒュウとユキに移してみた。
「…………」
「…………」
ヒュウもユキも何も言わなかったけれど、やはりと言うべきなのか2人とも揃いも揃ってそれは驚いた顔をしていて、ファイツはこんな時なのに少しだけ口角を上げてしまった。”正反対の性格をしているはずなのにリアクションがまったく一緒だ”と思ってしまったのだ。
「…………っ」
何を訊いても押し黙ったままのラクツの反応をどう解釈したのか、まったく同じタイミングで自分を見つめて来た2人と目が合って、ファイツはびくりと両肩を跳ね上げさせた。本当は、この場から逃げ出したかった。ラクツ以外の誰の目も声も届かないところへと行ってしまいたかった。怖くて堪らなかったファイツは押し黙ったラクツを仰ぎ見た。何でもいい、助け舟を出して欲しかったのだ。
「…………」
だけど彼は何も言わなかった。目線はこちらに向いているのに、何も言ってはくれなかった。”自分で決めろ”と目で言われているような気がした。当然だ、情けないことに家事全般をラクツに肩代わりしてもらってはいるものの家主はあくまでファイツ自身なのだから。それをちゃんと分かっているからこそ、彼も来訪者達の対応を自分に任せることにしたのだろう。
(逃げちゃダメ、だよね……。ヒュウくんとユキちゃんに、ちゃんと言わなくちゃ……)
何しろラクツが本性そのままの表情をしているのだ。態度が180度変わってしまった彼のことをかつてのクラスメイト達に言いふらされても困るし、こうなった以上はヒュウとユキにきちんと説明する他ないだろう。本当は逃げ出したくて堪らなかったのだけれど、ファイツは右手をぐっと握ると未だに呆然としているように見えるヒュウとユキに向けて震え声で「上がって」と告げた。今すぐ消えてしまいたい、そう思いながらファイツは踵を返した。まるで槍のように突き刺さる2人の視線には全力で気付かない振りをした。
「…………」
「…………」
「…………」
リビングのソファーに崩れ落ちるようにして腰かけたファイツは、ヒュウとユキを家に招き入れておきながら沈黙を貫き通していた。所在なさげに立ち尽くしているヒュウとユキの視線が、そしてこれから話すことで自分に浴びせられるであろう言葉が、ただただ恐ろしくて仕方がなくて。自分の膝を延々と見続けていたファイツは、リビングに2人を通すや否や「少し席を外すぞ」と行ったきり戻って来ないラクツに向けて、心の中で「助けて」と言い続けていた。彼が同じ空間にいないという現実が、今にも押し潰されそうなファイツの心を更に押し潰していく……。
「きゃっ!」
「何だ!?……おい、止めろ!」
怖くて怖くて堪らない。早く彼に戻って来て欲しい。そんな思いで膝を見続けていたファイツは、不意に沈黙を破ったヒュウとユキの声で弾かれたように顔を上げた。今までいなかったはずのマフォクシーがどういうわけか視界に映っていたから、ファイツは反射的に「ダメ」と叫んだ。今にも攻撃しそうに見えたマフォクシーの腕をぐいぐいと引っ張って、ヒュウとユキから必死に遠ざける。出来れば知られたくなんてなかったけれど、それでも2人は大事な友達なのだ。招き入れておいて怪我をさせるわけにはいかない。
「心配はいらない。マフォクシーくんは”おや”であるキミに危害を加える人間かどうかを判断するべく2人の思考を読み取っていただけだ。その気があるなら超能力でとうに家から追い出している。……そうだろう、マフォクシーくん」
いつの間に戻って来たのだろうか。またしてもこの場の雰囲気を一瞬で支配したラクツの声で、ファイツははっと我に返った。そうだった、彼が初めてこの家に来た時も同じようなことをした気がする。興味を失くしたのか、それとも気が済んだのか、ふいっとそっぽを向いたマフォクシーは跡形もなく消えてしまった。”テレポート”を使ったのだ。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
再び静けさが満ちたリビングで、音を立ててソファーに座ったファイツはかたかたと全身を震わせていた。ラクツが戻って来た、マフォクシーもこの場からいなくなった。話すなら今だ。むしろ今しかないでしょと言い聞かせて、ファイツはぐぐっと両の拳を握った。
「……あ……。……あた……っ」
何度も深呼吸をしたはずだった。何度もイメージトレーニングをしたはずだった。だけど唇から飛び出したのは声にならない声で、ファイツはどうしようもなく弱虫な自分を心の中で罵った。「上がって」と言ったのは自分なのに、この期に及んでその2人に説明出来ないでいる。そんな自分が嫌で嫌で堪らなかった。
「…………ファイツくん。ボクが代わりに話そうか?」
「…………え?」
壁に寄りかかったまま押し黙っていたラクツが、不意に言葉を発した。いつも通りの静かな、だけどよく通る声だ。「何なら席を外してもいい」と告げられたファイツは、彼を凝視しているヒュウとユキの視線を綺麗に無視しているラクツの顔をまっすぐに見つめて、そしてゆっくりと首を横に振った。日頃から散々ラクツに頼っておいて言えることではないが、今ここで彼の言葉に甘えるわけにはいかない。これはファイツ自身が話さなければならないことなのだ。
「本当にいいのか?」
「……うん。これは、あたしが言わなきゃいけないことだから……」
「キミがそう言うならボクはそれでいい。……だが、隣には座らせてもらうぞ」
言うが早いが、ラクツは音もなく歩き出した。ソファーに座る所作までどこか優雅が滲み出ている彼は、ヒュウとユキの存在などまるで意にも介していないようにこちらを見つめている。この世界に存在しているのは自分と彼の2人だけなのではないだろうか。一瞬だけとはいえ、そんな錯覚さえ覚えてしまう程だった。
「……いいの?」
「ああ。ボクが隣にいればキミも話しやすいだろう?それでも不安だというなら手を握っても構わない」
その言葉でファイツはホッと息を吐き出して、ラクツの左手にそっと触れた。最後まで彼に頼りっぱなしであることを自分でも情けないと思うけれど、こればかりは仕方ない。だって、本当にその通りなのだから。
「ごめんね、ラクツくん。……それに、ヒュウくんとユキちゃんも。……待たせてごめんね」
まずはいつも通り迷惑ばかりかけているラクツに向けて、次に待たせてしまった2人へ向けて。3人に「ごめんなさい」を言ったファイツは、彼の手を握っている右手に力を込めた。大丈夫、ラクツくんがいてくれるならあたしはちゃんと話せる。そう何度も心の中で呟いたファイツは伏せていた顔をゆっくりと上げた。そしてヒュウとユキの顔をまっすぐに見つめて、ファイツは「あのね」と言った。