da capo : 003

出会った瞳
「あーあ。振られちまったべな、ラクツ」

形だけの告白を済ませて、逃げるように去る彼女を無言で見送って。そして背後から聞こえて来た”友人”の声で振り返ったラクツは、参ったと言わんばかりに眉根を寄せた。

「うん、振られちゃったね」

身を潜めていた茂みから姿を現したペタシが、「元気出すっぺよ」なんて言いながら肩を叩いて来る。おそらくは慰めからであろうその行動に内心で眉をひそめつつ、しかしラクツは「ありがとう」と返した。面と向かって口に出来ないが、他人に気安く触れられるのは好きではないのだ。

「あの子、泣いてたっぺよ。本当はラクツと別れたくなかったんでねえか?」
「いーのいーの。これで良かったんだよ」
「…………」

痩せ我慢しなくてもいい。物言いたげなペタシの顔にはそんな文字が書いてあったが、ラクツは素知らぬ顔で話を続けた。実際、本当に気にしていないのだ。

「実を言うとね、ボクの方から身を引いたんだ。だって、ルリちゃんは現役のアイドルだからデートなんて出来ないし」

アイドル・ルリ、芸名ルッコ。彼女がプラズマ団とは何の関係もないただの一般市民だということは、”前回”の調査で既に判明している。今をときめくアイドルだろうが何だろうが、その事実を知っている今となっては自分の貴重な時間を割く価値のある娘だとはとても思えなかったのだ。

「ア、アイドルだっただか!?」
「あれ?知らなかったのか、ペタシ?」
「初耳だすよ!アイドルとつき合えるだなんて……あ、チャイムが鳴っただす!まずいっぺよ、午後の授業が始まっちゃうだす!」

脱兎の如く駆け出した彼とは対照的に、ラクツは実に悠然と歩いた。どれ程急いだところで遅刻が確定している以上、いや急ぐ気が最初からない以上、最早走る意味がないではないか。

「何やってるだすか、ラク……」
「きゃー、ラクツくん!」
「急いで!午後の授業、401教室に変更なの!」
「新しい先生が来るんだって!」
「ユキちゃん、マユちゃん、ユウコちゃん。キミ達は今日も可愛いね!」
「やだもう、可愛いだなんて……!」

最後の台詞を全く同じタイミングで発した、3人のクラスメイト達。ペタシの存在を綺麗に無視したユキ・マユ・ユウコの通称3人娘を適当な言葉で褒めたラクツは、「早く早く!」と急かす彼女達を片手を上げて見送った。別について行っても良かったのだが、”ラクツ”の性格的にものの見事にフリーズしているペタシを置いてはいかないと判断したまでのことだ。顔から不自然な汗をだらだらと垂らしている彼の背中を、先程のお返しとばかりに強く叩く。ペタシはかなりの奥手なのだ。

「ほら、しっかりしろよペタシ!」
「いたたた……。ラクツは相変わらずすごいだすね」
「すごいって、何がだよ?」
「上手いこと褒めるもんだと思って……。オラ、女子が近くにいたら動けなくなってしまうだす……」

そんなことはとうに知っている、とは言わない。言う義理も必要性もない。前回同様「もっと自信持ちなよ」とアドバイスを送ったものの、ペタシは浮かない顔付きをしていた。ポケモンリーグ中に起きた事件のインパクトが大き過ぎて、自分のベスト8入りが掠れたという事実が不満であるらしい。

「……なあ、ペタシ」
「ああ、こんだらとこで油売ってる場合じゃねえべ!401教室に行がねえと!!」

言いかけた言葉を胃の中に収めて、ラクツはペタシの後を追った。”ボク達はもう友達じゃないか”という言葉は今回も告げる暇がなかったなと思いながら、遅刻に焦る生徒らしく今度は素直に走り出す。いや、既に遅刻は確定しているのだが。

(……うん、やはり大筋の流れは前回と同じようだな。問題は”あの娘”の記憶があるかどうかだが……)

寮に帰る道すがらで質問にすらすらと答えてくれたユキも、401教室までの道を全力疾走するペタシも、前回の記憶は持ち合わせていないらしい。そしてその他のクラスメイト達にも別段おかしな点は見受けられなかったことから、2周目の学園生活を送っていると自覚しているのは現時点ではラクツ自身とフタチマルだけなのだろう。”あの娘の姿がこの目で確認出来るまでは、前回と同じ道筋を辿る”。睡眠時間と午前中の授業時間を費やして出した結論に従おう、ラクツはそう思った。今後の方針を決めるのは、彼女の記憶の有無が判明してからでも遅くはない。

「とりあえず、後ろからこっそり入ろう」
「……だべな!」

新任であるチェレンのシルエットを401教室の窓ガラス越しに確認したラクツは、ペタシにそう耳打ちした。彼が黒板に板書しているタイミングを見計らって、抜き足差し足で歩を進める。空いている席を目指す途中で後ろに倒れ込んだのは、男子生徒の横槍が入った為だ。現役の警察官であるラクツにとって回避することは容易かったのだが、今は流れに身を任せた方がいいだろう。

「……ふぎゃ!」
「こそこそしてんじゃねえ、ラクツ!ペタシ!授業の邪魔だ、出て行け!」
「ヒュウ、そこを何とか。今度、可愛い女の子を紹介するから」
「ふざけんぬああ!!」

記憶通り、ペタシが着ている服を踏み付けて来たヒュウに両手を合わせて懇願する。自分の態度が気に入らなかったのか声を荒げて罵倒する彼を、内心で冷ややかに見つめる。「キミの方こそ授業の邪魔をしているだろう」と胸中で呟いたところで、チェレンのお説教が飛んで来た。これも全て、前回と同じだ。

「3人共、授業が終わるまで廊下で正座!」
「えー!?」
「ラクツくん悪くなーい!」
「100%、ヒュウだけが悪いのよ!」
「サンキュー、麗しの3人娘!」
「マジでか!?てめーら、マジで言ってんのか!?」

麗しの、もとい姦しい3人娘からの援護射撃に一応礼を告げてから、ラクツは背筋を伸ばして正座した。廊下の冷たさなどはまるで気にならなかった。今はとにかく、あの娘が姿を現すかどうかが何よりも重要なことなのだ。1人で騒いでいた所為で追加の説教を食らったヒュウを尻目に、ラクツは無言で廊下のとある方向に意識を集中させていた。

「あー、オレも早く強くなりてえ!!」
「…………」
「どうしたべな、ラクツ?」
「しっ!!誰か来る!」
「あん?」
「これは香水の匂い!……女の人だ!」

そして、その瞬間はやっとのことで訪れた。1人の女の子が、親である女性を伴ってこちらに近付いて来るのが見えたのだ。言うまでもなく、元・プラズマ団員のファイツだ。

「………………」

彼女の顔を、その瞳を、油断なく観察する。そのファイツが、すれ違いざまにふと顔をこちらに向けた。執拗に突き刺さる視線が流石に気になったのだろう。

「…………?」

ファイツが小首を傾げながら会釈をしたことで、抱いていた予想が確信に変わる。海を思わせる彼女の青い瞳に映るのは、まごうことなき困惑の色だ。その瞳に、以前のような怯えの色は欠片も見られない……。

(そうか……。彼女は憶えていないんだな)

目は口程に物を言うとはまさにこのことだ。ファイツの瞳は、自分達が初対面でしかないことを雄弁に語っていたのだ。さあ、どうしようか。今度はどのような手段であの娘に接しようか。2周目の世界の中で単身生きるラクツは、そう声を出さずに呟きながら教室に入った彼女に鋭い視線を向けた。