闇を照らす光 : 001

神のパズル
「昼休みだぜーバスケやるぞー!女子も混ぜてやるぜー!」

授業の終わりを知らせるチャイムが鳴ると同時に、クラスメイト達が連れ立って校庭へと駆け出して行く。そんなクラスメイト達を見送った武藤名前は、兄の武藤遊戯と向かい合ってゲームに勤しんでいた。休み時間を兄とこうして過ごすのが、名前の日常なのだ。

「……おい遊戯!妹とゲームばっかやってないで、たまにはバスケでもやらねー?」

兄である遊戯が教室から出ようとしていた男子に話しかけられたのは、名前が突き刺したおもちゃの剣によって黒ひげを生やした人形が樽から飛び出した瞬間だった。自分とのゲームに勝ったことで得意げに微笑んだ遊戯は、クラスメイトに誘われたことで困ったように笑った。

「いいよお~……。ボクの入ったチーム、負けちゃうから……」
「まあそれもそうだな。……名前、お前は?お前だって、昼休みはゲームばっかだろ?」
「えっと……っ!あ、あたしもいいです……っ」

まさか名指しで誘われるなんて思いもしなかった名前は、盛大につっかえながらも首をぶんぶんと横に振った。お世辞にも運動神経がいいとは言えない兄に似て、名前もスポーツ全般が苦手なのだ。そんな自分がバスケを楽しめるわけがない。もちろん、自分が行けば間違いなく1人ぼっちになってしまう遊戯を気遣ったというのもあるのだけれど。

「ボク達だけになっちゃったね、名前。……いつものことだけど」
「うん……」
名前とゲームをするのもすごく楽しいんだけど、たまには皆でゲームをやりたいな……。鞄にたくさん入れて学校に来てるんだけどなあ……」

さっきまでやっていたゲームを鞄にしまい込みながら、遊戯がぽつりと零した。クラスメイト達と一緒になって大好きなゲームを楽しむ兄の姿を想像して、名前はそっと眉根を寄せた。兄の望みが実現したならばどれ程いいだろうとは思うが、それが難しいことはよく知っていた。このクラスではゲームよりもスポーツの方が人気であるらしく、スポーツに目もくれずゲームばかりやっている自分達はものの見事に浮いてしまっているのだ。

名前、次は何のゲームで遊びたい?今度は名前が選びなよ」
「……ゲームじゃなくて、”あれ”がいいな」
「ボクの宝物のこと?でも、名前がつまらないんじゃ……」
「ううん、あたしはつまらないなんて全然思ってないよ。あたし、遊戯が”あれ”に夢中になってるのを見るのが大好きだから……」

嬉しそうに微笑んだ遊戯が、鞄から金色の箱を取り出して机の上に置くのを名前はじっと眺めていた。今言ったことは嘘ではない、心からの言葉だった。宝物を完成させようと真剣に取り組んでいる遊戯の姿を見ていると、名前の心には不思議と熱い何かで満たされるのだ。

「よし、名前の為にも今日こそ完成させるぞ!”見えるんだけど見たことないもの”を!」
「あ……っ」
「え?……あ!!」
「へへ、何言ってやがんだ、遊戯~?”見えるんだけど見たことないもの”だと?」
「か、返してくれよ本田くん!!それに、城之内くんも!ボクの宝物なんだから!」

遊戯の手から強引に箱を奪い取ったのは、クラスメイトの本田ヒロトだった。彼も、そして彼の隣にいる城之内克也も、いわゆる不良と言える生徒だ。金色の箱が不良達2人の手によって何度も宙を舞う光景を、名前はおろおろと見つめていた。自他共に認める程におとなしい性格である名前にとって、不良はまさに苦手なタイプど真ん中の人種なのだ。天敵と言ってもいいだろう。遊戯に向かって「男の指導をしてやるぜ」と叫んだ城之内の手には、兄の宝物が握られている。

(こ、怖いよ……。でも、あたしが言ったから遊戯は”あれ”を出したんだもの……。あたしも、勇気を出さなくちゃ……っ!)

心の中で何度もそう唱えた名前は、意を決して「あの」と言った。叫んだつもりが思っていたよりずっと小さくなってしまったそれを聞き取ったのは、城之内だけだった。「遊戯に返してあげてください」と続けるはずだった言葉は、彼に睨まれたことで呆気なく霧散した。無意識に左手首を押さえた名前は、がたがたと身体を震わせながら背の高い城之内を呆然と見上げた。心の中では返して欲しいと言えるのに、いざ言葉にすると思うとどうしても出来ない。城之内の目が怖くて、何よりも臆病な自分が嫌で、名前の視界はだんだんとぼやけていく……。

「あんた達!いいかげん返してあげなさいよ、遊戯に!」
「杏子!」
「遊戯をつまんないとか言ってたけど、弱い者いじめをするあんた達の方がずーっとつまんないよ!あっち行きな!!」

宝物を取り返そうと必死になっていた遊戯と、あわや泣き出すところだった自分を救ったのは、1人の幼馴染だった。小学校からの幼馴染である真崎杏子だ。気が強い杏子は、自分と兄が言えないことをはっきりと口に出来る性格をしているのだ。そんな杏子に感謝と尊敬の眼差しを向けた名前は、ぺこぺこと頭を何度も下げた。

「杏子、ありがとう……っ」
「いいのよ、私もあいつらにはムカついてたんだから!はい、遊戯!大事なものなんでしょ?」
「サンキュー杏子!杏子の一言で2人共逃げて行っちゃったね!」
「ああいうのはね、こっちがおとなしくしてるとつけあがるんだよ!遊戯もたまにはガツンとかましてやらなきゃ!」
「で、でも……。城之内くんも本田くんも、そこまで悪い人じゃ……。ボクを男らしくしてくれようとしただけみたいだったし……」
「あんたねえ、あんなことされたのに何言ってるのよ!ほんっと遊戯ってお人好しなんだから!」

呆れ混じりにそう言った杏子に対して、名前は苦笑した。兄がお人好しというのには完全に同意だ。

「杏子、そういえばバスケはどうしたの……?あたしと違って運動神経いいのに、もういいの?」
「すぐ抜けて来たわよ。だって男子連中、シュートする女子のスカート覗いてやがんのよ!?もう最低!……名前も気を付けてよ、もしそんなことされたらビンタしてやんなさい!」
「う、うん……」

杏子の勢いに押された名前は、曖昧に頷いた。男子との日常会話すらままならない自分が、そんな真似を出来るとはとても思えなかった。だけど杏子は一応納得してくれたらしく、満足そうに頷いた。

「……で、遊戯。これって何なの?」
「そっか。杏子にも見せたことなかったっけ、ボクの”見えるんだけど見たことないもの”。秘密を守るなら見せてあげるけど……」
「よし、守る!見せて見せて!」

しっかりと頷いた杏子の目の前で、遊戯は箱の蓋を開けた。教室の窓から射し込む太陽に照らされて、箱の中身が眩い程の金色の光を放っている。

「へー綺麗じゃん、金色に輝いてる……。これって何かの部品なの?ばらばらだけど……」
「これはパズルなんだ!完成させたことがないからどんな形になるかは分からないけどね!……つまり、”見えるんだけど見たことないもの”なんだ!」
「それで”見えるんだけど見たことないもの”、か……。なるほどねー」
「ほら、ボク達の家ってゲーム屋でしょ?店の片隅で埃を被ってたんだけど、ボクが見つけてもらっちゃったんだ!これはエジプトの遺跡で見つかったみたいなんだけどね。……それで、ボクが思うに……」
「思うに?」
「”このパズルを解いた人にはもれなく願いを1つ叶える!”この箱に書かれてる文字は、きっとこう書いてあると思うんだ!」

会話のキャッチボールを黙って聞いていた名前は、声高にそう言い切った兄をにこにこと見つめていた。本当に遊戯の言う通りであって欲しいと思う。願い事が叶うというのは、パズルを完成させる為に長年頑張っている遊戯へのご褒美にぴったりではないか。

「遊戯、その願いって何なの?」
「ダメダメ、こればっかりはいくら杏子でも教えられないよ。名前にだって教えてないんだから!」
「きっとその通りになるよ、遊戯……。だって、遊戯は8年も頑張ってるんだもん……!」
「8年!?そんなにかかってるの!?あんたってゲームとか得意なのにねー……」
「あはは……。ゲームは大好きなんだけど、このパズルはすごく難しくて……。ほとんど毎日やってるんだけど、半分も出来たことないんだよね」

「たまに落ち込んじゃうよ」と言って頭を掻いた遊戯の背中を、杏子は思い切り叩いた。彼女に喝を入れられた兄は口でこそ「痛いよ」と言ったが、その口元はしっかりと上がっている。

「こら、文句言わない!男だろ!……がんばりな、願いがこもってるんでしょ?」
「うん、頑張るよ!……ありがとう、杏子!パズルが完成したらちゃんと見せるからね!どんな形になるのか楽しみだなあ……」

自分が考えるパズルの完成図をああでもないこうでもないと色々と幼馴染に話している兄の声を聞きながら、名前は金色に輝くパズルの1ピースにそっと触れた。今はばらばらになっているこれが組み上がるのは、いったいいつになるのだろうか。

「このパズルが願いを叶えてくれるとしたら、まるで神様のパズルみたいだね……」
「神様の……パズル?」
「へ、変かな……?」

それは何気なく口にした言葉だったのだけれど、よくよく思えばちょっと恥ずかしいことを言ってしまったかもしれない。顔を赤らめた名前はそろりと目線を逸らそうとしたが、両肩をがしっと掴まれたことで失敗に終わった。おずおずと顔を真正面に向けると、そこには遊戯の顔が映っていた。自分がよく知っている優しい兄が紫の瞳を柔らかく細めて、それは優しい笑みを向けてくれている。

「ボクもそう思う!きっと、これは神のパズルなんだよ!名前、ボクは諦めないからね!例え10年かかったって、ボクはこれを完成させてみせるよ!」
「うん!頑張って、遊戯!」
「……あんた達って、本当に仲がいいわよねー。私、2人が喧嘩してるところ見たことないかも」
「そりゃそうだよ。だって、名前はボクの家族で、大事な妹だもの!ね、名前
「……うん!」

にっこりと笑った遊戯を見て、名前は泣きそうになりながらこくんと頷いた。血の繋がりがない自分を妹として扱ってくれる遊戯の言動に、名前はいつだって救われているのだ。

「家族、か……。名前が遊戯の家族になってから何年になるんだっけ?」
「8年だよ。8年前の6月4日、ボクの誕生日!じーちゃんが家の前に倒れてた名前を助けたんだ。……そういえば、このパズルを見つけたのも8年前だったかなあ……」
「もしかしてさー。名前と遊戯のパズルって、何か関係があったりするんじゃない?……ほら、名前が付けてるそのブレスレット。それも金色だし、何だかデザインも似てる感じだしさ!」

杏子が指差したのは、名前の左手首だった。この場にいる全員の視線が向けられたブレスレットは、パズル同様日光に反射して金色の光を放っている。

「…………」

名前はブレスレットを見つめて、そっと息を吐いた。兄の宝物がこのパズルなら、自分の宝物はこのブレスレットだと言い切れる。この金のブレスレットは、優しいおじいちゃんに拾われた時には既に身に着けていたらしい。遊戯の家族になる以前の記憶がない自分にとって、これは唯一の手がかりだった。もしかしたら、これは顔も知らないで死に別れた両親の形見なのかもしれない……。

「どうしたの?もしかして、何か思い出したの?」
「あ……。ううん、何も……」
「そっか……」
「でも、思い出したらちゃんと杏子に話すから……っ。子供の時からの約束だもんね……」
「ありがと!例え記憶が戻った名前がどんな子でも、私は名前の友達だからね!」
名前、ボクだってそう思ってるからね!」
「ありがとう、遊戯……っ。ありがとう、杏子……っ」

名前が声を震わせながらお礼を言った瞬間に、昼休みの終わりを知らせるチャイムが校内に響き渡った。次の授業の準備をするべく自分の席に戻っていく兄と幼馴染の背中に向かって、名前は何度も何度も「ありがとう」と呟いた。

* * *

「ボク……。”名前の記憶が戻りますように”ってパズルに願おうかなあ……」
「……え?」

昇降口で靴を履き替えながらそんなことを言い出した遊戯の声で、夕飯のメニューのことを考えていた名前ははっと我に返った。今日の夕食作りは名前の当番なのだ。遊戯の好きなハンバーグにでもしようか、つけ合わせは人参とジャガイモでいいだろう。食べ物に向かっていた意識が、あっという間に現実に引き戻される。

「な、何言ってるの……?」
「だって、そうすれば名前が苦しまなくて済むようになるかもしれないでしょ?ボク、さっきの授業中にずっと考えてたんだ」
「ダ、ダメだよ!あたしのことは気にしないで……っ!」

どこまでも優しい兄を、名前は必死になって説得した。妹である自分にすら言わない兄の願い事を、自分などの為に変えさせるわけにはいかない。”パズルを解いた者の願い事が叶う”というのは、これまで頑張って来た遊戯へのご褒美なのだ。

「記憶がなくたって、あたしはすっごく幸せなんだよ?優しいお兄ちゃんもいるし、やっぱり優しい友達だっているんだもん……。それにほら、おじいちゃん達だっているんだし!」
名前……」
「だから、遊戯は自分のことを考えて欲しいの!お願い!」
「わ、分かったよ……。名前がそこまで言うなら……」
「本当!?や、約束だからね……っ!」
「おい、キミ!遊戯くんと名前ちゃん……だよな?」
「……え?」

割り込んで来た声によって会話を中断させられた名前は、遊戯と一緒になってきょろきょろと辺りを見回した。声の出所はすぐに分かった。校門に寄りかかっている大柄な男子生徒が、片手を上げたのが目に映ったからだ。自らを風紀委員の牛尾と名乗った彼は、腕を組みながら自分達を見下ろしている。

「キミ達に聞きたいことがあるんだが、キミ達は特定の生徒にいじめられてるんじゃないのかい?ほら、例えばクラスメイトとか……」

突然そんなことを言い出した牛尾の言葉で、名前は思わず兄をちらりと見やった。まさに今日の昼休みに遊戯はいじめを受けていたように自分には思えたのだけれど、その兄は「違う、そんなことない」と牛尾の言葉を真っ向から否定していた。被害に遭っていた遊戯自身が違うと言ったのだから、自分が口を挟むのは間違っている。そんな思いで遊戯と牛尾のやり取りを眺めていた名前は、微笑んでいる男をおずおずと見上げた。

(何だろう……。この人、何か怖い……。関わっちゃいけないような気がする……)

口元にこそ笑みを浮かべているが、目は笑っていないようにしか見えない。責任を持って今日からボディーガードをすると申し出て来た牛尾と、名前の目線がしっかりと結ばれた。慌てて目を逸らそうとしたが既に遅かった。牛尾の両手が自分の肩に添えられたことを認識した名前は、びくりと肩を大きく震わせた。昼休みに同じことをされたが、兄のそれとは比べ物にならない程の力だ。逃げられないと、名前は反射的にそう思った。

名前ちゃん!……そうだ、キミからも遊戯くんに言ってやってくれ!キミ達にはオレのような人間が必要なのだ!悪いことは言わないから、オレの言う通りにしたまえ!」
「えっと……。す、すみません!あ、あたしは遠慮しておきます……っ!」
「牛尾さん、ボク達本当にそんなことないですから……。それじゃあ、ありがとうございます……。行こう、名前

牛尾の申し出をやんわりと断った遊戯は、困ったように笑いながら自分の手を引いて歩き出した。優しい兄が、自分の手を優しく握ってくれている。いつもならこうされると次第に落ち着いてくるのだけれど、名前の身体の震えは止まらなかった。

名前、大丈夫?痛くない?」
「う、うん……。大丈夫……」
「何なんだろうね、あの人……。急にわけ分からないこと言って来るなんて、変な人だなあ……」
「変っていうか……。その、怖い人だよね……。顔は笑ってたけど、あたしはすごく怖くて……。ゆ、遊戯は怖くなかったの?」
「そりゃあ名前の肩を掴んだ時はびっくりしたけど、ボクは別に悪い人には見えなかったな。多分、風紀委員の仕事に真面目に取り組み過ぎてるだけなんじゃないのかなあ」
「そう、なのかなあ……」

名前は左手首をぼんやりと見つめながら思案した。自分の性格が内向的だからそう感じてしまっているだけなのだろうか。この怖いという気持ちも、単なる思い過ごしなのだろうか。

「さあ名前、早く帰ろう!今日こそパズルを完成させなくちゃ!」
「う、うん!」

よくよく考えれば、自分はおとなしい兄以上におとなしくて、はっきり言ってしまえば怖がりな性格なのだ。だから多分、変な思い違いをしただけなのだろう。そう結論付けた名前は牛尾にごめんなさいと心の中で謝った。残された牛尾が爽やかとはとても言えない笑みを浮かべていることなど知らない名前は、自分の手をそっと離して歩き出した兄の後を慌てて追いかけた。