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白の少女達の憂鬱
「ファイツちゃん」

その声で、少女は振り返った。彼女の瞳に映るのは、にこやかに笑う彼の姿だ。

「ラ、ラクツくん……」

ラクツの顔を見た瞬間、ファイツの顔には熱が集まった。例え、今の彼が偽りの姿だとしても。

「お、おはよう……」
「おはよう。それ、どうしたの?」

それというのは、自分の手に握られている物のことだろう。

「何でもないの……。……あ!!」

(やだ、どうしよう……!!)

何とかごまかそうと焦っていた為に、ファイツはそれを床に落としてしまった。慌てて拾おうとしたファイツだったが、自分の手にラクツの手が重なって、思わず手をさっと引っ込める。

(あたし、今絶対顔赤いよね……)

しばらくの間ファイツは放心状態だったが、ラクツの声で我に返った。彼の手には自分が落としたチケットが握られている。

「遊園地のチケット?今度の日曜日だね」
「ホワイトさんから分けてもらったの……。……あ、あの!」
「何?」
「良かったら……。良かったら、あたしと一緒に行かない……?」
「ファイツちゃんと?いいよ!!」

ファイツは面食らった。自分はこんなに緊張して告げたのに、彼は間髪入れずに返答したからだ。

「……今日の夕方5時に、いつもの場所で」

しかしラクツにそう囁かれて、ファイツはすぐにその理由を理解する。

(あ……!)

ファイツは愚かな発言をしたことを後悔した。ラクツは自分を”好き”だと公言していたのだ。この場では、彼が自分の誘いを断るわけがなかったのである。彼の背中を見て溜息をついたファイツの元に、姦しい3人娘が駆け寄った。

「ラクツくんとデート出来るなんて羨ましい~!」
「本当!!」
「良かったね、ファイツちゃん!!」
「うん……」

彼女達の言葉に頷きつつも、ファイツは内心項垂れた。

(あたしの、バカ……)

今の彼とそういった約束をしても、何の意味もないのだ。始業を知らせるベルが鳴ったが、ファイツはその日授業にまるで集中出来なかった。

* * *

「おい、お前!!」
「ラクツ!」
「…………」

放課後。ラクツは呆れ半分に、自室に駆け込んで来た来訪者達を招き入れた。

「ヒュウ、ペタシ。2人共落ち着いて」
「これが落ち着けるかよ!!ファイツのやつと遊ぶ……いや、デートの約束したって聞いたぜ!」
「デ、デート……!ラクツはOKしただすか?」
「もちろん。ボクがファイツちゃんの誘いを断るわけないじゃないか」
「オレ達といる時にその喋り方すんな!!」

ヒュウの言葉が合図にでもなったかのように、ラクツのまとう雰囲気が一変する。

「……すまない、まだ癖が完全には抜けていないんだ」
「最初からそう喋ってりゃいいんだよ!オレ達はダチだろ!?」
「……そうだな。キミ達2人は、ボクの最初の友人だ」

幼い頃から国際警察官の訓練をして来たラクツには、友達と呼べる存在などなかった。スクールに入ったのも仕事の為であり、数ヶ月間は上辺だけのつき合いをしていたのだ。それはこの2人も例外ではない。正体が彼らに露見してからは、流石に裏の自分を曝け出してはいるが。

(別段必要性がないと思っていたが……。実際に出来てみると、悪くないな)

口には出さないが、ラクツは心地良さを感じていた。迷いなく言い切った彼に、ヒュウは問う。

「……じゃあ、あいつはどーなんだよ?」
「あいつ?」
「とぼけるな。あの女だよ」
「ファイツのことか。ヒュウ、キミは彼女を赦したのか?」
「質問に質問で返すなあああ!」

(相変わらずすごいだべな、ラクツの変わりようは)

ペタシはヒュウを止めるでもなく、ただ感心していた。ラクツの正体を知ってから随分経つが、未だに”ラクツといえばプレイボーイ”の印象が強かった。しかし、本当の彼はそれとは程遠い人間なのだ。

「そんなの、自分でも分かんねえよ。あの女はオレの大切なポケモンを取り戻す為に必死になってくれた。それは感謝してるけど、だけどあいつはプラズマ団だったんだ」
「…………」
「……ああもう、こんな話は止めだ止め!ここまで話したんだからお前も答えろよな!あの女のことを、ラクツはどう思ってるんだよ!?」
「……悪いが2人共、もう帰ってくれ。ボクはこれから用事がある」

ヒュウとペタシを半ば強引に戻らせて、ラクツはファイツとの待ち合わせ場所である屋上へと急ぐ。案の定彼女はそこにいて、神妙な面持ちで1人考えている様子だった。

「待たせてすまない」
「ううん、今来たところだから」

まるでデートの待ち合わせのようだと、ファイツは薄く笑った。

「あの、今朝のことだけどね……」
「ああ」
「その、ごめんなさい」

伏し目がちに彼に詫びる。一瞬の沈黙の後で、ラクツは眉をひそめた。

「キミは人を誘っておいて、約束を反故にするのか?随分と勝手だな」
「え……!?あ、違うの!」
「何が違うんだ?」
「あたしがラクツくんを誘いたかったのは、本当。でもラクツくんの都合も考えずに、しかも皆の前で誘っちゃって……。あれじゃあ断れないよね、ごめんなさい!」

ラクツはしょげ返る彼女の姿を見て、軽く嘆息した。

「謝るのはボクの方だ。……悪かった」
「ううん、誤解させるような言い方をしたあたしがいけないの。それで、その……。ゆ、遊園地のことだけど、一緒に行かない……?」
「…………」

震える手でチケットを差し出して、ファイツは改めてラクツを誘った。今朝とは違って彼は長い間黙っていたが、やがて重い口を開いた。

「……分かった」
「……え?」
「仕事が急に入るかもしれないから、確約は出来ないがな」
「ほ、本当にいいの?あたしと2人で行くんだよ……?」
「ああ。待ち合わせ時間は午前10時、場所はライモンシティでいいか?」
「うん、楽しみにしてるね。じゃあ、また明日!」

ファイツは笑顔でラクツと別れた。誘っておいてなんだが、実は断られるだろうと思っていたのだ。

「OKしてくれるなんて思わなかった……」

(ラクツくんって、あたしをどう思ってるんだろう)

「考えてても仕方ないか。パフェでも食べに行こうかな」

トレーナーズスクールから出て、行きつけのお店までの道のりを歩く。考え事をしながら歩いていたので、ファイツは名前を連呼されていることに気が付かなかった。肩を叩かれて、ようやくファイツはそのことを自覚する。

「……ちゃん!ファイツちゃんってば!!」
「え……?あ、ホワイトさんにベルさん!?お久し振りです」
「どうしたの?何か悩み事でもあるの?」
「ええ……。まあ……」
「ようし!それならこのベルちゃんに任せなさい!」
「え?ちょ、ちょっと……っ」

ベルに背中を押され、ファイツは近くのカフェへと入った。その後にホワイトが続く。猪突猛進なベルちゃんらしいわね、と苦笑しながら。

* * *

「美味し~い!!このパフェ!」

ホワイトとファイツとベル。白の少女達はファイツいち押しのパフェを食べながら、しばらく談笑を続けていた。しかし、ホワイトの溜息でそれは中断される。

「……ふう」
「どうしたの?ホワイトちゃん」
「あ、何でもないの」

2人に見つめられて、慌ててホワイトは取り繕った。

「ごめんね、溜息なんてついて」
「あの、何か悩みでもあるんですか?」
「ええ、ちょっとね……」
「ホワイトちゃんの悩みって、ブラックのこと?」
「!!」

ベルに言い当てられて、ホワイトは顔中真っ赤になった。おまけにその拍子に飲み物が気管に入り、ケホケホと咳き込む。

「きゃ~!大丈夫!?」
「うん、もう平気……。びっくりしただけだから……」
「ホワイトちゃん。あなたが悩んでること、どうせなら今ここで話してみたら?解決するかもしれないし」

もちろん強制はしないけど、と付け加えるのも忘れない。ベルの心に浮かぶのは幼馴染で恋人でもある少年の姿だ。彼は本当に他人に気を配っていて、そんな彼のようになりたいとベルは思っているのだ。

「でも……。ファイツちゃんにだって悩みがあるのに……」
「あたしのことはいいんです。ホワイトさんさえ良ければ、あたしにも相談に乗らせてください!!」
「……じゃあ、お言葉に甘えるわ。……あのね、アタシってわがままなのかしらって思って」

ホワイトはブラックを想い、ぽつりぽつりと言葉を零した。ブラックは2年もの間行方不明となっていて、ホワイトの前に姿を現したのがつい最近のことなのだ。彼に会えた時、ホワイトは嬉しかった。確かに嬉しいと思ったのだけれど、それが今は……。

「ブラックくんを捜し続けていた時は、ただ再会出来ればいいって思ってたのに……。いざ会ったらそれ以上を求めちゃって……。アタシ達、つき合ってるのにね」

ただ会うだけでは、もうホワイトの心は満たされないのだ。もっと話していたいし、何よりもっと傍にいたいという気持ちが溢れて仕方がなかった。自分の悩みを吐露したホワイトに、ベルがぎゅうっと抱き付いた。

「ホワイトちゃん、可愛い!!」
「ベルちゃんっ!?ななな何するの!!」
「えへへ。だって、今のホワイトちゃんがすっごく可愛かったから!ねえ、ブラックにそのことを話してみたら?きっと、すぐ解決するよ」

のほほんと笑い、ベルはもう1人の悩める乙女へと顔を向けた。

「さあ、次はファイツちゃんの番だよ!」
「……え?あたし、ですか?」

正直に言うと恥ずかしかったが、自分が悩んでいるのは事実だったファイツは素直に口を開いた。

「あたし……。ラクツくんが、好きなんです」
「……ええと、あたしが図鑑を渡した子だよね?」
「そういえば、ポケウッドでお姫様抱っこされてたわね。あの映画、評判良かったわよ」
「は、はい。その時はラクツくんが苦手だったんですけど、いつの間にか……。あたしはずっと、N様だけを好きでいると思ってたのに……」

ホワイトは顔を赤くしているファイツを見つめた。初めて会った時はNを崇拝していて、とても彼以外の男に心が動かされるようには見えなかったのに。

(人間、変われば変わるものね)

「それで今日、ラクツくんをデートに誘ったんです。仕事が入らなければ、今度の日曜にライモンの遊園地に行く予定で……」
「あら、今度の日曜日なの?実はアタシとブラックくんも遊びに行くつもりなのよ。都合がつけばそこまで一緒に行かない?1人より2人の方が楽しいし!」
「はい!」

ホワイトの提案にファイツは二つ返事で頷いた。そんな彼女達を見ながら、今度はベルが大きな溜息をついた。

「いいなあ。あたしもチェレンと遊園地に行きたーい!」
「えっと、チェレンくんはジムリーダーになったのよね?」
「そう!いつも忙しそうにしてるよ。あたしもアララギ博士の手伝いで忙しいから、滅多にデート自体出来ないの。わがままだって分かってるけど……。あれ?」
「どうしたんですか?べルさん」
「チェレンからだ!!ごめんね2人共。もしもーし!」

先程の表情から一変して輝くような笑顔で話すベルを見ていたホワイトとファイツは、顔を見合わせて微笑んだ。

「……うん、うん。それじゃあ、切るね」
「……ベルちゃん、チェレンくんは何て言ってたの?」
「今度の日曜日、良かったらどこかに遊びに行かないかって。どうしよう……」
「良かったじゃないベルちゃん!チケットはまだ余ってるからあげるわ」
「ありがとうホワイトちゃん!……そうだ、ファイツちゃんは告白しないの?」
「え……?えええええ!?」

(告白?……あたしがラクツくんに?)

「で、でも……。迷惑かもしれないし……」
「ファイツちゃん、やる前から諦めてちゃダメよ!」
「あたしもそう思う!!デートの誘いを断らなかったんだから、ラクツくんもあなたを気にしてるんだと思うよ」
「……そう、でしょうか……?」
「絶対!絶対そうだって!!」
「そうそう!」

押し問答を繰り返すこと数分間。結局白の少女2人の勢いに押され、ファイツは告白すると約束してしまった。それから1時間程取り止めのない話をして、2人と別れたファイツはトレーナーズスクールへと戻った。

* * *

それからの数日間は、まるで矢のように早く過ぎて行った。ファイツはいつも以上にラクツを意識していたが、彼の方は至って平静に見えて仕方がなかった。

(ベルさんは”気にしてる”なんて言ってたけど……)

思い違い、もしくは勘違いなのではないかと思ったが、それを声には出さなかった。口に出すと本当にそうなってしまいそうだったから。気付けば、ファイツがラクツにデートを申し込んでから4日が過ぎていた。

「どうしよう……」

その日の夜、学生寮に戻ったファイツはベッドに横たわった。早く眠らなければならないと思うのだが、緊張と不安で目が冴えてしまい中々寝付けなかった。その数時間後に自分の想いが実ることを知らないファイツは、はあっと溜息をつくばかりだった。