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芽生え
振り向いた彼は、ファイツがよく知る表情をしていた。慌てて自分もラクツくん、と呼びそうになるが、それを寸前で押し止める。「何だ、ユキくん」
「え、ええと……。このきのみの使い時なんだけど、タイミングが上手く掴めなくて。もし良かったら教えてくれる?」
「ああ」
ラクツはもう身分を隠さない。もう自分を偽らない。彼の正体がばれるかも、とファイツが心配する必要もない。そもそも自分がラクツを心配するなんて、とんだ筋違いだ。プラズマ団の残党から自分を護った所為で彼は身分を明かすことになったのだから。クラスメイトの前以外では今まで通りだ、だから気にするなとは何度も言われたけれど、罪悪感はファイツの中で燻り続ける。
「……ファイツ?」
「……え?」
ふと気付くと、ラクツとユキが自分を見つめていた。
(違う……。見つめてたのはあたしの方だわ……)
「どうした、キミも分からないのか?」
「……ううん。大丈夫」
ファイツは逃げる様に教室を出て寮へと向かう。今はラクツを見たくなかった。他のクラスメイトに自分と同じ様に接するラクツを見たくなかった。理由は分からないけれど、2人を見ていたくなかった。今が放課後で良かったと思う。この後授業を受けても集中出来そうにない。憂鬱な気分で自分の部屋に入ったファイツは鞄を椅子の上に投げて、そのままベッドに寝転んだ。普段なら揃える靴がばらばらの方向を向いていたけれど、直す気にもなれなかった。
「はあ……」
ファイツは溜息をついた。まるで転校初日みたいだ、と懐かしさが込み上げて来る。転校して来た自分に最初に声をかけてくれたのがユキだった。自然とマユ、ユウコとも話すようになり、ファイツは彼女達3人と仲良くなった。
トレーナーズスクールに通う様になるまで、ファイツには人間の友達がいなかった。物心ついた時には既にプラズマ団にいたからかもしれない。母親以外で周りにいた人といえばヘレナとバーベナだが、2人は自分と歳が離れている。何より2人はNのお世話をしている人間だ。友達になろうだなんて大それた考えをファイツは実行出来なかった。
例え淋しくても、自分にはダケちゃんがいる。それに、Nがいる。彼を想うとそれだけで心が温かくなった。けれど初めて出来た人間の友達は、自分にとって特別な存在らしい。ダケちゃんといる時だってもちろん楽しかったが、彼女達3人といる時はまた別の楽しさがあった。
「……今頃、ラクツくんに教えてもらってるんだろうなあ……。……良かったね、ユキちゃん」
ラクツがまだ正体を隠していた頃、”ラクツくんに呼び捨てにされたい”とユキに言われたことがあった。流石に”あたしはされている”とは言えず、適当に話を合わせてその場は乗り切ったけれど。
いつの間にか、ラクツは自分を呼び捨てていた。ファイツと呼んでいた。クラスでは敬称を付けていたが、2人きりの時は呼び捨てだった。もう長いことそう呼ばれていたからファイツの中ではそれが当たり前になっていた。ラクツの裏の顔を知っている人間はファイツ以外に存在しなかった。それが、少し嬉しかった。
でも、今は違う。クラスメイトだけとはいえ、ラクツの正体は知られている。そして、自分の正体は未だに知られないままだ。
「…………」
ラクツは警察官で、ファイツはプラズマ団だ。そんな自分がラクツに護られていていいのだろうか。
(ラクツくんから離れなきゃ……)
そう思ったその瞬間、ずきりと胸が痛んだ。
「え……」
ラクツから離れる自分。ただ想像しただけなのに、何故だか胸が苦しかった。
「何で……?」
自分の心に芽生えた”何か”に、ファイツはただ戸惑うばかりだった。