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変わるもの、変わらないもの
本当、変わったよね……。彼といる時、ファイツはこう思うことが増えた。相変わらず眉間に皺を寄せてはいるし、自分に対する厳しい言動も変わらない。けれどそれでも……ファイツがそう思うのは理由があった。
「ファイツ」
「!」
見上げたら、彼の顔が近くにあった。ただそれだけのことなのに、ファイツの心臓は音を立てる。
「な、何?ラクツくん」
「今日の鍛錬はここまでだ」
「え?」
「集中出来ていない。そんな状態で鍛錬しても意味がないし、怪我の元になるだけだ」
「う……」
「何か……あったのか?」
彼に見つめられたまま10秒が過ぎ、ファイツはようやく声を出した。
「ちょっと疲れてるだけよ。少し休めば大丈夫だから、心配しないで」
「…………」
「あ……」
ラクツの眉間の皺が増えたことに気付いたファイツは目を伏せる。ポケモンバトルの実力がラクツに劣り、彼女自身も非力である為に、ファイツはバトルの相手からよく狙われていたのである。その相手がプラズマ団ともあればそれは当然とも言えた。そしてそんな時、少女を庇うのはいつだって彼だった。
「真面目にやらなくてごめんなさい……。ラクツくん、忙しいのに……」
”自分を鍛えて欲しい”と言い出したのはファイツだった。少しでも彼の役に立ちたいという気持ちがそう言わせたのだ。
「それに……”心配しないで”なんて言って……。そんな資格、あたしにないのにね」
「何故、そう思うんだ?」
(怒ってる……)
彼から発せられる雰囲気はピリピリとしている。刀を突き付けられたような威圧感を覚えながら、震える声で心情を吐露した。
「だって……。ラクツくんに鍛えてもらってから1ヶ月も経つのに、あたし、全然成長してないんだもの……。足手まといになるだけで……」
「……そうか」
言葉少なにそれだけ言って、ラクツは自分よりずっと華奢な手首を掴んだ。
「!!」
1秒間が空いたが、それでもファイツは”教え”通りに動き、すぐにラクツの手から逃げ出した。数歩離れて距離を取る。
「……キミは自分が成長していないと言ったが、これでもか?」
「あ……」
今見せた動きは、確かにひと月前までは出来なかったものだ。ファイツは自分の手のひらを見る。
「あたし……」
「……すまない」
「え?」
いきなりの謝罪に要領が掴めず、ファイツはラクツの顔を見た。
「怖がらせるつもりはなかったんだが……。卑下するキミを見ていたら、つい」
「ごめんって……。怒ってたこと?」
「ああ。随分と怯えていただろう」
「それは……。うん、ちょっと怖かったわ」
「いいか、ファイツ。キミを足手まといだと本当に思っているなら、最初から頼みなど引き受けない。まだ1ヶ月しか経っていないんだ、焦らなくていい」
「……うん」
ラクツの言葉で、ファイツは微笑んだ。
「……だが、先程は反応が遅れたな。今のキミならもっと早く抜け出せたはずだが。やはり、相当疲れているのか」
自分が彼女に厳しく接しているのには自覚があった。ファイツの為を思えばこそで、彼女もそれは分かってくれていた。だから時間の許す限り、こうしてファイツを鍛えてはいる。しかし、彼女は自分とは違ってあくまで一般人なのだ。
(少し……厳しくし過ぎたか)
「確かに疲れてるけど、これからパフェを食べに行くから大丈夫よ」
「……1人でか?」
「うん。そうだけど……」
黙り込んだ彼を見て、ファイツもまた無言になる。
(……どうしよう)
訓練の後、ファイツは毎回パフェを食べに行っていた。彼を誘わなかったのは理由がある。自分と甘い物を食べる時間を作るくらいなら彼に休んで欲しかったし、何より彼は甘い物を好かない。そんなわけで……誘いたい気持ちはあるものの、ファイツは実行に移したことはなかったのだが。
(誘ってみようかな……)
けれど、中々声が出ない。時間ばかりが過ぎていく状況を打破したのはラクツの一言だった。
「……ボクも一緒に食べてもいいか?」
「え……!!」
ファイツは勢いよく顔を上げる。
「もちろんいいけど……。ラクツくんはパフェが嫌いなんじゃ……」
「好んで食べないだけだ、たまには甘い物も悪くない。それに、キミに倒れられたら困るからな」
「……あたしのこと、心配……?」
「ああ。だがキミが気に病む必要はない。ボクが勝手に心配しているだけのことだ」
心配されるのは、自分が彼より弱いからだ。それは悔しかったが、同時に嬉しくもあった。
「……やっぱり変わったね、ラクツくん」
「ファイツ?」
「あたしを心配してるって言ったり、あたしにも分かるくらいに怒ったり……。気持ちを表情に出すようになったわ」
「変わったのは、キミもだろう」
「え……?」
「ボクと話す時、笑うようになった」
そう言えばファイツは瞬く間に赤面した。
「そもそも、キミからボクに話しかけること自体が大きな変化だな」
ラクツの言葉にファイツは顔を赤らめたまま答える。
「だって……。あの時はあなたのこと、ただの女たらしだって思ってたから。今は違うけど」
「……ファイツ、本当のボクはどんな性格だと思う?」
「真面目で誠実な人、だと思ってるわ」
「……そうか」
ラクツは肯定も否定もしなかった。
「行こうか、ファイツ」
「……うん」
彼の後ろを歩きながら、ファイツは内心溜息をついた。確かに彼は、出会った時と比べたら遥かに表情豊かとなった。しかし、一番見たい表情は見えないままだ。
(ラクツくんの笑顔が見たい)
彼の作り物の笑顔は今まで何度も見てきたが、ファイツが見たいのはその顔ではないのだ。
(いつか、見せてくれるといいな)
とりあえず、今はこの後のことに意識を集中させなければならない。大好きなパフェを彼と一緒に食べたら、いつもより美味しいはずだ。2つの”好き”に想いを馳せながら、ファイツはラクツの後を追おうと歩を早めた。
「待って、ラクツくん!」
振り返ってファイツを見る。彼女は見るからに嬉しそうで、ラクツは素直だな、と改めて思った。彼女の素直さは相変わらずだ。最初の頃と何も変わらない。
(この素直さは……危ういが、嫌いじゃない)
彼女にはずっと素直なままでいて欲しい。そんな思いで、駆け寄って来たファイツの手を取る。彼女はびくりと反応したが、それでも繋いだ手を振り解くことはしなかった。
「ラ、ラクツくん……?」
「もう少しだけ、こうさせてくれないか」
「う、うん……」
自分の観察眼が人一倍あるということを差し置いても、彼女は分かりやすかった。ラクツが笑顔で歩み寄れば、ファイツは引き気味に後ずさる。プラズマ団の情報を得ようと近付けば近付く程、彼女は離れていった。
(どうしたんだろう、ラクツくん)
手と手を重ねたまま動かない彼に、ファイツはただ困惑していた。
「あの……」
彼女にじっと見つめられても、ラクツは手を放さなかった。その目には最早嫌悪感は含まれていない。非難の感情も見られない。あるのは多分、自分と同じ感情だ。まっすぐな少女の目を見た少年は呟く。
「……だからかも、しれないな」
「え?」
「すまないな、ファイツ」
ようやく手を離したラクツだが、ファイツは立ち尽くしていた。自分の行動はさぞや彼女を戸惑わせたことだろう。そのことに対する謝罪をすれば、ファイツは首を横に振る。
「謝るようなこと、してないわ」
「……そうか」
ほんの少し沈黙した後、ラクツはそれだけを返した。
(彼女はどこまでも、ボクとは正反対だ)
彼女の素直さがラクツには眩しかった。厳しい訓練を重ねるうちに、自分を偽るうちに、それは彼から失われていった。
「だから、ボクはキミを……」
「……え、何か言った?」
その言葉は、風に流れて消えていく。
「いや、何でもない。……ただの独り言だ」
「そう?早く行こうよ、ラクツくん!!」
「……ああ」
素直に感情を出せるようになるまでは、やはり時間がかかりそうだ。そう思ったラクツは目を細めて、ファイツの隣へと歩を早めた。