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亀裂
「お前、いいかげんに止めろよな」ヒュウは眉間に皺を寄せる。告げられた方は淡々と「何が」と問い、そのことがヒュウの苛立ちを更に深めた。今は休み時間だった。本来であればポケモンバトルの自主トレをしているところだが、今日に限ってはその気が起きない。日課が出来ないというのは、ヒュウにとっては嫌なことである。けれど、それ以上に嫌だったのが。
「……その顔だよ。今日のお前、変だぜ。何にイラついてるんだ?」
……少年の、ピリピリとした雰囲気だった。
* * *
「ラクツ。1つ確認するが、オレ達は友達だよな?」
口に出して尋ねたのは、そう思っているのは自分達だけなのではないかと危惧したからだ。幸いその心配は杞憂だったようで、少しの沈黙の後、ラクツは頷いた。固唾を呑んで見守っていたペタシが大きく息を吐く。
「良かっただす……」
「そう、だよな。じゃあオレ達に相談してみろよ」
「相談?」
「お前にとっては抵抗があるかもしれねえがな、いつまでもその顔だと迷惑なんだよ」
「……それはすまなかったな」
ラクツの表情が少しだけ和らいだ。
「もしかして……お前、あの女と喧嘩でもしたのかよ?」
「彼女は関係ない。これはボク自身の問題だ」
「……そうかよ」
彼の答に、ヒュウの声が低くなる。
「ヒュ、ヒュウ!」
ペタシの制止を振り切って、ヒュウはラクツに詰め寄った。
「ペタシは黙ってろ!……なあラクツ、お前はまたそうやって独りで抱え込むつもりかよ。少しはオレ達を信用しろよな」
「そ、そうだす!オラもヒュウも、ただラクツが心配なんだすよ!」
「分かっている。……ありがとう」
ラクツは2人の友人に感謝の気持ちを述べる。
「……だが、すまない。これはボクが解決しなければならないことなんだ」
「…………」
彼のやんわりとした”拒絶”に、ヒュウとペタシは何も言えなかった。
「気持ちだけはもらっておく」
ラクツはそう言い残して立ち去った。ヒュウは彼を追うこともせず、ただその場に立ち尽くしていた。
「バカ野郎……」
ヒュウが零した言葉を聞くことが出来たのはペタシだけで、彼は無言のままだった。それは単にかける言葉が見つからなかっただけなのだが、今のヒュウにはそれがありがたかった。
* * *
ファイツは困惑していた。
「……ラクツくん、あの……」
「何?ファイツちゃん」
放課後に誰もいない廊下で彼を呼び止めてみれば、振り向いた彼はいつもと同じ笑顔だった。裏の彼を知らない女子が見れば、きっと黄色い顔を上げるであろう笑み。それを見て、ファイツはおずおずと尋ねる。
「どうかしたの?」
「どうかって……。別にどうもしないけど……」
即答されたファイツは目を伏せる。
(せっかく……ラクツくんに近付けたと思ったのに)
彼の正体を知って、時には一緒に戦って。だから彼の秘密を知っている分だけ、自分は彼に近いはずだと思っていた。少しは心を許してくれていると思っていた。けれど、どうやらそれは勘違いだったらしい。
「……嘘でしょ。だって、最近いつもイライラしてるじゃない」
「ヒュウかペタシから聞いたのか?」
彼の口調が急に変わるが、既に慣れていたファイツは驚かなかった。ふるふると首を横に振る。
「ううん」
「それなら、何故分かった?」
「何でって……見れば分かるよ」
「……何?」
見開かれた彼の瞳を見て、ファイツは戸惑う。彼は演技ではなく本気で驚いている様子だったからだ。
「クラスの子は気付いてないみたいだけど……。この頃のラクツくん、何だかイライラしてるから」
「…………」
「あたし、何かしちゃった?」
「……キミの所為じゃない。ボクが勝手にイライラしているだけだ」
ただ謝るのは嫌だったから尋ねたのだが、彼は理由を言わなかった。そのことに淋しさを覚えながら、それでもファイツは笑いかける。
「……そう。でも、もし話したくなったら言ってね。あたしに出来ることがあったら協力するから」
「……ああ」
「!」
彼を見た途端、ファイツの顔が赤くなる。
「どうした?」
「な、何でもない!お、おやすみラクツくん!!」
「…………」
しばらくの間ラクツは立ち尽くしていたが、やがて踵を返した。
* * *
「……フタチマル」
静かな部屋に、ラクツの声が響く。
「考えてみれば、お前に胸の内を明かしたことなどなかったな」
少年にとってただの手持ちではない彼は、こくりと頷いた。
「お前も知っているが、ボクは仮面を被っている。これからも被ったままだと思っていたが……どうやらボクの心はそうしたくないらしい」
感情を隠すのは自分の得意技だったはずなのに、最近は上手くいかないのだ。そのことにイライラしていたところ、ヒュウとペタシに不機嫌な顔を偶然見られたのが今朝のことである。隠しておくに越したことはないと、これまで以上に”ラクツ”であろうと心がけたはずだった。情報を得ていなかった彼女に気付かれたのはその矢先だ。ヒュウもペタシもファイツも、自分を心配してくれている。それは嬉しかった。しかし、だからこそ自分は3人と距離を置かなくてはいけないのだ。彼らと自分は住む世界が違うのだから。
「フタチマル。お前はどうするべきだと思う?」
そう問いかけても、答は返って来ない。そのことは分かっているが、そうせずにはいられなかった。どれだけ嬉しくても、自分は感情を素直に出すべきではない。”友達”といえど心の内は明かせない。それは国際警察官として当然のことだった。その当たり前が、彼らといると崩れていく。……特に、彼女に対してはそれが顕著だった。
「ボクは、どうやらあの時笑ったらしいな」
それが何を意味するかは容易に想像がつき、少年は息を吐く。完璧少年、ミスターパーフェクトと警察でもクラスでも囁かれた彼は、自身に生まれた初めての感情に悩んでいた。悩んだ末に結局自分の意志では抑えられないと判断した彼が、ひびが入った”仮面”を外すのはもう少し先の話である。