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鬼事
……プラズマ団。あたしが所属していたその組織は、犯罪を犯していた。あたしは直接ポケモンを”解放”したことはなかったけれど、それを知らない人からすればあたしは”犯罪者”と同じだ。ただ、プラズマ団に属していたというだけで。

* * *

あたしがトレーナーズスクールを抜け出してここに来てから、いったいどれくらい経ったのだろう。学校にいた期間はそう長くないのに、何だか遠い出来事のように思えた。

「どうしてるのかな、皆……」

一番仲が良かった3人の女の子を思い浮かべた。マユちゃん、ユキちゃん、ユウコちゃん。転校して来たあたしに声をかけてくれた彼女達は、今頃何をしてるんだろう。それから、ペタシくんとヒュウくん。彼らとはあまり話をしたことはなかったけれど、それでも他の男子よりは仲が良かったように思う。

「あたしが元プラズマ団だと知ったら……ヒュウくんは怒るかな」

ヒュウくんはプラズマ団を憎悪していた。きっと、彼は過去に大切なポケモンを奪われたのだろう。ペタシくんはどうだろう。あたしを見たら、いつものように固まるかも。懐かしくなって、くすりとあたしは笑う。こんな時なのに、いやこんな時だからこそあたしは笑っているのだ。クラスメートの顔を順番に思い浮かべる。……そして、最後にあたしの脳裏に浮かんだのは。

「……ラクツくん」

彼の名を呼ぶことに抵抗感がなくなったのはいつからだろう。最初はとにかく苦手で、彼からずっと逃げていた。あたしを見かける度に笑顔で話しかけて来て、あたしは彼のその笑顔が何だか怖かった。その理由が分かったのは、あたしが転校して来てから半年後のことで。今でもその日のことはよく思い出せる。

「……警視、かあ……」

最初にそうだと聞いた時は耳を疑った。信じられなかった。それでもあたしが彼の言葉を信じたのは、そう告げた彼の顔が見たことがない程真剣なものだったからだと思う。しばらく経ってから、ラクツくんはあたしに必要以上にまとわりつかなくなった。他の女の子と同じようにあたしのことを褒めるけど、2人きりの時はそうしない。追う彼と追われるあたし。……ラクツくんとあたしの鬼ごっこは終わりを告げたのだ。

「これで良かったのよね……」

ラクツくんはプラズマ団の情報目当てであたしに近付いたと告白した。だからもう、あたしが彼に会うことはないのだ。国際警察の警視さんは、今も他の任務でイッシュ地方を飛び回ってるに違いない。そのことに、少しだけ残念だという気持ちがあるのは否定できなかった。1人になった今だから言えることだけど、あたしは彼を嫌ってはいなかったから。

「星……」

壁の隙間から流れ星が見えた。星を見るのはあたしの趣味で、だからあたしは星に願おうと両手を組もうして、けれどそれは叶わないのだと思い直す。何故ならあたしの両手は鎖で繋がれていたからだ。しかもそれだけではなく、両足も同じ有様だ。ポケモンを持たない非力な少女でも、念には念をいれて、ということだろう。だから、あたしは心の中で祈った。

「ママと、皆が……無事でありますように……」

あたしはラクツくんだけではなく、心の中に浮かんだ誰とももう二度と会うことはないはずだ。正確には会えないのだけれど。……だって、あたしは”組織の裏切り者”なんだから。
いくら”元”プラズマ団といえど、かつての身内を売ったも同然の行為をあたしはしたのだ。それを知っていてここに来たあたしを残党達が見逃すはずがなく、あたしは四肢を鎖で繋がれたまま、この小さな牢屋に閉じ込められているのだ。

「かごの中のマメパトの気持ちが分かったわ……」

そこから出たいと思っても、石で出来た堅牢な部屋は固過ぎて……ただの子供には脱獄など無理な話だった。ぼんやりとこれからのことを考えているあたしの耳に、カツカツと足音が聞こえて来た。あたしとは違うプラズマ団の服を着た現団員が近付いて来る。どんなにお腹が空いても、五感は機能するらしい。

「話す気になったか、裏切り者」
「何のこと……?」

ずかずかと牢に入られても、あたしはとぼけて見せた。プラズマ団が、あたしがいた2年前のままなら。N様がいたなら、きっとあたしは口を割っていたと思う。でも今のプラズマ団は、あたしが知っているそれではなかった。……あたしがちゃんと見ていなかっただけで、2年前でもそうだったのかもしれないけれど。

「とぼけるな、もう調べはついているんだ!」
「……!」

あたしの嘘は通じなかったらしい。団員に顔を叩かれた衝撃で、唇から血が滲み出るのが分かった。痛みを堪えながら、あたしは”女優にはなれないかも”などとのんきなことを考えていた。こんな時なのにそんな考えが浮かぶのも、彼が手加減していることを頭では分かっているからだ。

「…………」
「どうしても、話す気にはならないようだな」

話す気がないなら仕方ないよな、と男が呟く。それを聞いたあたしは、顔中の血の気が引くのを感じた。どうやら彼は、”力ずく”であたしに情報を吐かせることに決めたらしい。これまでは女の団員だったのに、今回に限って男の団員が来たのは、つまりそういうことで。さっきのが最終警告だったのだと後悔しても、もう遅かった。

「身体が震えてるぜ、ようやく話す気に……」
「嫌……っ」

怖い、嫌だ。恐怖で心臓が嫌な音を立てている。

「……嫌。絶対に、言わない……っ!」

これはあたしの意地だった。口を割ったところで、あたしはどうなるか分からない。最後まで彼らに利用されてそれで終わりだ。それならば、とだんまりを決め込むことにしたのだ。

「気が強いな。だが、それもいつまで持つかな?」

男の手があたしに伸びる。

「……!」

助けて、N様!声にならない叫びを上げ、恐怖であたしは目をぎゅっと瞑った。……けれど。

「ぐえ!!」

男は妙なうめき声を上げた。驚いたあたしはおそるおそる目を開ける。見えたのはその場に崩れ落ちて動かなくなった彼と、もう1人。

「助けに来たよ、ファイツちゃん」

その人物は、この場にそぐわない笑みを浮かべて、あたしに告げた。あたしが知っている、相変わらずの”笑顔”を浮かべながら。

* * *

「…………」
「女の子に酷いことするなあ」

もう二度と会わないのだと思っていた彼は普段通りだった。ここが学校で、彼と話しているのだという錯覚さえ覚えてしまう。

「あ、あの……。彼は……」

そこに伸びている団員のことを先に訊く辺り、あたしは本当に恐怖を感じていたようだ。まだ震えが止まらなかった。

「ああ、これ?」
「これ……って……」

彼が人を物呼ばわりするなんて……と何だか違和感を感じた。

「気絶させただけだよ。……それより」
「!」

彼の表情が変わる。それと同時に、口調さえも。

「……何か、されたか?」
「……え?」

あたしは彼の意図が掴めなくて訊き返したけれど、彼は無言のままだった。しばらくの沈黙の後、あたしは叩かれただけだと答える。それは確かに事実だった。

「……そうか」

彼は深い溜息をついた。何だろう、意味が分からない。

「ね……。ねえ、ラクツくん!」
「何だ?話なら後にしてくれ」

あたしの鎖を切ろうとしてくれた彼の名を呼ぶ。ラクツくんはそう言うけれど、あたしは彼に訊きたいことがあった。

「そうはいかないわ。今答えてくれないなら、大声出すから」
「誤解を招く発言は止めてくれ。……無駄だとは思うが、いいだろう。何が訊きたい?」
「何であたしがここにいるって分かったの?あたしは誰にも言わないで来たのに」
「プラズマ団のアジトの場所は既に分かっている。……実際の突入には時間を要したがな。キミは3日間ここにいたんだ」
「3日も……」
「キミが普段の服だったら、もっと早く助けられたんだが」
「……え?それってどういうこと?」
「服に発信機を付けておいた」
「嘘!?」

あたしは驚いて叫んだ。そんなの初耳だ。

「知られたら発信機の意味がないだろう」
「う……。……じゃあ別の質問。ママは、皆は無事?」

そういう間にも彼は鎖を切っていく。

「……ああ。クラスメートも無事だ。安心してくれ」
「良かった……」

最後の鎖が切られ、あたしは2つの意味で安堵する。

「行くぞ」
「ま……待って!!」
「何だ?」

これだけは、逃げる前に訊いておきたかった。そう、どうしても。

「何で……助けに来たの?」
「…………」
「だって……マイクロチップはあなたに渡したのよ?国際警察の警視さんがあたしを助ける理由なんて、もうないのに」
「…………」
「あなたはプラズマ団の情報目当てであたしに近付いたのに、どうして?」

彼の目とあたしの目が合う。ラクツくんははあっと深い溜息をついた。

「……キミはその理由を知っているはずだ」
「え?」
「とにかくここから出よう。……離すなよ」
「え……きゃあ!」

彼はそう言うと、あたしの手を取って走り出した。あたしからすれば結構な速さなのだけれど、彼にしてみれば全力ではないのだろう。地下牢から出ても、ラクツくんは息1つ乱さなかった。

「まったく、キミは無茶をする。自分1人でプラズマ団に立ち向かって、本気で何とかなると思っていたのか」
「だ、だって……!仕方ないじゃない。あたしはプラズマ団にいたんだもの。だからあたしが止めなきゃ……」
「…………」

彼は数度目の溜息をついた。

「これ以上、ボクに心配をかけるな」
「何で?どうしてあなたがあたしを心配するの?」
「……ファイツ。本当に分からないのか?」

ラクツくんは最早呆れ顔だった。

「うん」

あたしは首を縦に振る。何しろ本当に分からないのだ。

「鈍感だな、キミは。……人が何度も言っていたのに」
「何度もって……?」
「お喋りは終わりだ、走るぞ」

彼に手を引かれて走りながら、けれどあたしは頭では別のことを考えていた。”彼が何度も言ったこと”で、あたしが思い浮かぶのは1つしかない。……だけど、それはあり得ないとあたしは否定する。だって、彼自身がそう言ったのだから。

「ここを抜ければ出られる。もう少しの辛抱だ」
「……うん」

繋いだ手は温かかった。それと同時に心も温かくなっていく気がする。

「……これはこれは。いつかの警視さんではないですか」

急に上から声がして、あたしはそこを見た。そこには、ポケモンに乗った男が1人。

「ファイツは返してもらう、アクロマ」
「彼女は元々こちら側の人間ですよ。彼女はプラズマ団員だったのですから。思想は私達と同じです」

アクロマと呼ばれた男は笑っていた。その笑みにあたしは背筋が寒くなったけど、はっきりと口にする。

「あたしは確かにプラズマ団だったわ。ポケモンと友達になりたい、そう思ったからあたしはこの組織に入ったの。でも、今のプラズマ団は前とは真逆のことをしてるわ。だから、あたしは戻らない」
「そうですか」

あたしはあの男を気味悪く感じた。あたしの意志を聞いても、その表情は変わらなかったからだ。アクロマはラクツくんに向かって口を開いた。

「ここは引かせてもらいます。あなたと今戦っても何の得にもなりませんしね。姫を救う為に単身乗り込んで来たところ、大変申し訳ありませんが」
「単身って……」

あたしは絶句した。逃げる時、アクロマ以外の団員には1人も会わなかったのだ。

「だって、20人くらいいたはずよ?それなのに……」
「やはりあなたは油断なりませんね。この次は本気で相手をするとしましょうか。……あなたにも、弱点があると分かったことですし」
「弱点……?」
「…………」

あたしは驚いてラクツくんを見る。彼は信じられないことに無傷だった。ポケモンバトルの腕も超一流で、勉強だって出来る彼。完璧に見える彼に弱点があるなんて……。

「では、私はこれで」

それだけを言い残してアクロマは消えた。彼の姿が見えなくなった途端、あたしの意識は沈んでいった。

* * *

「……何だか、随分長いこと来てない気がするわ……」

あの後あたしは気を失ったらしく、目が覚めた時は病院のベッドの上だった。容体が安定するまで入院を余儀なくされたあたしは、そこにいる間ラクツくんのことを考えていた。することがなかったということもあって、彼のことを考えざるを得なかったのだ。野生ポケモンに襲われた時も、そしてプラズマ団のアジトにいた時も。あたしは心の中でも外でも、N様に助けを求めた。けれど、何回祈っても彼はあたしの前には現れなかった。あたしを助けてくれたのは……。

「ラクツくん……」

……結局、彼があたしを助けてくれた理由は分からなかった。ラクツくんに会ったら、それとなく聞き出してみよう。そのこともあって、あたしは学校に戻る日が楽しみだった。もう会えないと思っていたので尚更嬉しかった。

「……ファイツちゃん!!心配したのよ!」
「プラズマ団に誘拐されたんだって!?」
「ラクツくんが警察の人と一緒に捜してくれてたんだよ!」
「もう大丈夫なの、ファイツちゃん!?」

教室に入ると、皆があたしに駆け寄って来た。

「……うん。心配かけてごめんね」

まさかラクツくんが警察の人で、あたし自らアジトに行ったとは言えない。きっとラクツくんが裏で手を回してくれたんだろう。あたしは適当に話を合わせることにした。

「ラクツくん、ありがとう」
「ファイツちゃんが無事で良かった」

彼に礼を言う。自分の机に向かう前に、こっそりメモを渡すことも忘れなかった。だって、どうしても自分で彼に礼が言いたかったのだ。……仮面を被らない、彼に。

* * *

「ラクツくん。あたしを助けてくれて、本当にありがとう」
「……ああ」

2人しかいない屋上で、あたしはラクツくんに改めてお礼を言った。

「ママに怒られたの。危ない真似をするなって」
「正論だな」

風に吹かれながら、あたしは気になっていたことを尋ねる。

「ねえ、あたし……考えても分からなくて。教えて欲しいんだけど」
「何がだ?」
「あなたが助けてくれた理由。まだ教えてもらってない」
「……あの答で、教えたも同然だろう」
「あれじゃあ分からないから訊いてるんじゃない」

どうしても知りたいか、との言葉にあたしは頷いた。その途端、急に手首を引っ張られる。

「!」

彼に抱き締められていると気付いたのは、しばらく後だった。

「……無事で、良かった」

先程と同じ言葉なのに、こんなにも胸が高鳴るのは何故だろう。

「あの、ラクツくん……?」
「何だ?」
「あたしね、もしかしたら……って思ったの。でもラクツくんはそんな素振り全然見せなかったから……今まで信じられなかったんだけど」

まさか、あたしが彼にこの質問をする日が来るとは思わなかった。

「ラクツくんって、あたしのこと……。その、す……」
「……そこまで分かっていればわざわざ言う必要はないな。キミの想像通りだ」
「え……っ!」
「やはり、キミは鈍感だな」
「そんな……!だって、あれだけ演技だって言ってたじゃない!情報目当てにあたしに近付いたって!」
「最初はそのはずだった。途中からボクの気持ちが変わったのは……本当に予想外だったがな」

まだ彼の腕の中にいることに気付き、あたしは何とかそこから脱出する。

「じゃ、じゃあ……。正体がばれる少し前に、あたしに言ってたことって……」
「半分は演技だ」
「ごめんなさい!そうとは知らずにあたし……。……え?」

そこまで言って、あたしは固まった。

「……後の半分は?」
「……本気だ」

彼の真剣な顔を見られなくて、あたしは俯く。

「明日からは、本気でキミに迫る」
「…………」
「だから、覚悟しておいてくれ」

言うだけ言って、彼はそこから立ち去った。

「あたしが好きなのは、N様なのに…」

しばらく立ち尽くしたまま、あたしは呟いた。彼のことを拒絶出来なかったとあたしが気付いたのは、その日の夜だった。

* * *

「ファイツちゃん!ボクとつき合ってよ」
「いやああああ!来ないでえええ!!」

逃げるあたしと、追う彼と。あたしにとっての日常が戻って来た。

「……捕まえた」
「離してよお!」
「断る」
「何で!?あたしはN様が……」
「それは知っている。だが、ボクのことも嫌いじゃないだろう?」
「う……」
「キミは素直に反応するんだな」

その時彼が笑ったから、あたしは反論も忘れて黙り込んだ。だって、あまりに自然な笑顔だったんだもの。

「は……離して!ラクツくんなんか嫌いよ!」
「顔が赤い。そんな顔で言われても、説得力ゼロだ」
「だから、来ないでってば!」

終わったはずだった、ラクツくんとの鬼ごっこ。今では意味がまったく違ってしまったそれは、あたしが自分の気持ちに向き合うまで続きそうだ。……自分自身に、正直になるまで。