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why……?
「……N様!」自身の声で、ファイツは目を覚ました。横たえていた身体を起こして辺りを見回すが、当然彼の姿はない。
「……夢、だったんだ」
(N様……。どこにいるのかしら?)
ヘレナとバーベナに貰ったペンダントを握り、ファイツは胸中で呟く。Nという青年は、プラズマ団の王様だった。ただの一団員でしかなかった自分には遠い存在だったが、それでもファイツはNを崇拝していた。彼に向ける感情が単なる憧れを超えていることを、ファイツはちゃんと自覚していた。
(あたしはN様が好き。……そう、そのはず……よね)
でも、とファイツは独り言ちた。
「それなのに……。あたしはどうして嬉しくないんだろう」
夢の中ではあったけれど、大好きな彼に会えた。言葉も交わした。数ヶ月前の自分なら、それは確かに嬉しい出来事であるはずなのだ。
「……どうして?」
授業が始まるまではかなりの時間があったのだが、二度寝をする気にはどうしてもならなかった為、ぐるぐると回る思考を打ち切ってファイツは着替え始めた。たまには授業の予習でもしよう、と自室を後にする。……しかし、ファイツはその選択をしたことをすぐに後悔する羽目になった。
* * *
(嘘……)
時刻はまだ朝の5時である。ここに来る途中だって、ファイツは誰にも会わなかった。だから当然教室は無人のはずだと、そう予想していたのだが。
(何でラクツくんがいるのよ!?)
同じ男子でも、ヒュウやペタシならまだ良かった。いや、正直言って目の前の彼以外なら誰でも良かった。よりにもよって、彼と2人きりになってしまうとは。”あの日”からファイツはラクツを何となく避けていたのだ。しかし、会ってしまったものは仕方ないと、とりあえず笑顔で挨拶をする。
「え……ええと。お……おはよう、ラクツくん」
(ああ、今日は何て言われるのかしら?)
”いつも可愛いね”だの、”こんな朝早くからキミに会えるなんて”だの……ラクツは歯の浮くような台詞を口にするのだ。……それも、クラスの女子全員に。
(毎日毎日、本当に飽きないわね……。……って、あれ?あたしから挨拶するのって、そういえば初めて……)
目が合ったというのに押し黙ったままの彼を疑問に思い、ファイツは彼を見る。見つめ合って数秒後、ラクツはようやく口を開いた。
「……おはよう、ファイツちゃん。今日は随分早いんだな」
「……え?」
ファイツは固まったまま、ラクツを凝視した。
「顔色が悪い。あまり寝ていないだろう」
「そうだけど……。って、そうじゃなくて!!」
「どうした?」
「あ……あなた、何よその喋り方!?もっと普通に……、……あ」
……ああ、そういえば。
(こっちが本当のラクツくんなんだっけ……)
ファイツが少年の本性と身分を知ったのは、つい最近のことだった。最初は信じていなかったが、国際警察官と自称するどう見てもラクツより年上の人物が、彼に敬語を使っていて。それに何より彼の変わり様を見て、ファイツも信じざるを得なかった。
「……やっぱりいいわ。それがあなたの”普通”なんでしょう?」
「ああ」
「何だか信じられないわ……。だって、その歳で警視だなんて……」
「信じられなくても、それが事実だ」
そう言葉少なに返す彼には、笑顔がなかった。クラスメートが彼の特徴として真っ先に挙げるであろう、笑顔が。
「ね、ねえ。どうして急に話し方を変えたの?」
「……必要がないからに決まっているだろう。周りには人がいないし、キミに正体が露見した今は尚更な」
無表情で告げられて、ファイツは思い知った。彼が話しかけて来る際自分に見せた笑みも、優しさも、そして……告白も。全ては偽りだったのだろう。……全ては、彼の目的達成の為。
「そう……なんだ」
そう呟いて、ファイツは逃げるように踵を返す。授業の予習をする気にはどうしてもなれなかった。
「あたし……。やっぱり、部屋に戻るね」
彼は何も言わなかった。次に会う時は、授業が始まる頃だ。だからきっと、笑顔で自分に話しかけてくるのだろう。皆が知っている、ラクツの姿で。ずきり、と。胸が痛んだ、気がした。
それから1日が過ぎ、2日が過ぎ、瞬く間に1週間が過ぎた。ファイツは部屋のベッドに寝転んで、天井をただ見つめていた。ラクツの言った通りだった。2人きりの時、自分が彼に言い寄られることはなくなった。
(何だろう……。この気持ち……)
2人きりになった時のラクツの態度は、相変わらず素っ気ないままである。ファイツは彼のことが苦手だった。彼に言い寄られる度、Nに助けを求めていた。しかしそれがなくなった途端、ファイツは確かな淋しさを感じたのだ。自分の望みが叶ったという嬉しさでも、嘘の告白をされていたという怒りでもないことにファイツは戸惑いを隠せなかった。
(あたしが好きなのは……。N様、なのに………)
彼との再会を祈ることは、2年前からのファイツの日課だった。けれどここ1週間程、ファイツは星に願うことを止めていた。
「まさか、あたし……。あたしは……」
ファイツはある1つの可能性にたどり着くが、その先は言葉に出来なかった。
(N様……。N様に会ったら、あたしは何を思うんだろう)
2年前のような、温かな気持ちになるならいい。……しかし、もしそうならなかったら?あれ程再会を望んでいたというのに、ファイツは少しだけ恐怖を感じていた。どこか変わっていくような自分が、怖かった。……そして、そう感じているのはファイツだけではなかった。
* * *
「ラクツ警視!申し訳ありませんでした!!」
「……もうその話は済んだだろう」
ラクツにそう諭されても、ハンサムは顔を上げなかった。自分の所為でラクツの正体が露見したのだから。
「しかし……!!」
「別にキミを責めるつもりはない。どの道彼女には正体を明かすつもりでいた」
「!?」
「マイクロチップを所持するファイツは、これからプラズマ団に狙われる可能性が高い。ならばクラスメートのボクが護衛するのが適任だろう」
「……警視どの」
「悪いが、頼まれてくれないか。これを長官に渡してくれ」
「はっ!!」
ハンサムに用事を言い付け、ラクツは1人になった。
「…………」
明日から任務が変わるという確信があったが、焦りは感じない。任務内容の変更などラクツにとっては慣れたことだった。しかし、ラクツは少しだけ不安……いや、正確に言えば恐怖を感じていた。
(ボクはおそらく、彼女に想われている)
再三好きだと言ってはいたものの、それはあくまで彼女から情報を引き出す為である。それが達成され、身分が知られた今、もう彼女に告白する必要はなかった。ファイツの方も自分を避けるだろうと思っていた。……それなのに、あの日ファイツは自分に笑いかけたのだ。
(……何故だ、ファイツ)
彼女自身がいくら”苦手だ”と言っても……ふとした時に自分に見せる表情、仕草、笑み。それら全てが1つの事実を示していた。
「何故、ボクを好きになったんだ……!!」
明らかに以前とは変わっている自分。それが、ラクツは怖かった。ただ、彼女と違うのは、その気持ちを自覚しているか否かというところだろう。
(……彼女はまだ気付いていない)
冷たいともいえる彼女への態度。それが続けば、彼女の中から自分は消えるはずだ。
(それで、いい。……彼女の為にもボクの為にも)
どうかこのまま気付かないで欲しい、とラクツは願った。心のどこかで悲しいと思う自分を…抑えつけたまま。