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無言の告白
”ラクツくん、どうしてるかな”。少女はベッドに横たわりながらそんな事を考えていた。トレードマークのお団子は解かれ、髪は全て下ろされていた。
彼女の頭には包帯が巻かれている。いや、頭だけではない。彼女は身体中に包帯を巻いていた。
何故彼女、もといファイツがこのような大怪我をしたのか。話は、3日前に遡る。

* * *

よく晴れた日のことだった。ラクツとファイツはアララギ博士の研究を手伝う、つまりポケモン図鑑のデータを集めるという名目でトレーナーズスクールの外に出ていた。しかし、自分達の目的は別にあった。

「い……いい天気だね、ラクツくん。何だか暑いくらい……」

実際には暑くもないのに余計なことを言ってしまい、ファイツは慌てて口を覆った。これでは熱があると誤解されるかもしれない。この”任務”は、絶対に成功させなければならないのだ。

(あたしのバカ!どうしてこんなこと言っちゃったのよ!!)

不意にラクツが歩みを止め、ファイツもそれにつられて立ち止まった。

「ファイツ」
「!」

彼に呼び捨てられるのは、これで何度目だろうか?最初は確かに敬称を付けて呼ばれていたのだ。互いの正体を知ってからも、彼は頑なに呼び捨てにせず、自分に心を開かなかった。彼の身分を考えれば、それも仕方のないことだとファイツは思っていた。彼は警視で、自分は犯罪者なのだから。
けれど。いつからか、ラクツは”ファイツ”と呼ぶようになった。初めてそう呼ばれた時は、大層驚いたことを覚えている。……そして、今ではそれが当たり前だ。

(……何だか、嬉しい)

それは即ち、ラクツが多少なりとも自分に心を開いてくれているということである。その事実はファイツの心を高揚させた。

「……ファイツ」

しかし……その高揚も束の間だった。自分を再度呼んだラクツの声色は普段より低くて、つまりは彼が自分に対して怒っていることを感じさせた。思わず敬語で返事をする。

「は、はい!」
「この任務……。キミはやはり降りた方がいい」
「え……」
「キミは……」

彼の言葉の続きを遮ったファイツは話し始めた。緊張の所為か、普段より饒舌になった。

「あ……あの!ラクツくん、誤解してるよ。熱なんてないし、あたしは元気だから。だから、この任務は……」
「そういうことじゃない。誤解しているのはキミの方だ」
「……え?」
「熱の有無などキミの顔を見れば分かる。ボクが言いたいのは、この任務はキミにとって非常に危険だということだ」
「……うん。分かってる」

ファイツは頷いた。彼に言われるまでもなく、この任務の危険性は理解していた。けれどそんな自分の返しに、ラクツは深い溜息をついた。

「いや、キミは本当の意味で分かっていない。失敗したら怪我では済まないかもしれないぞ」

世間を揺るがしたプラズマ団の事件は、アクロマの逮捕をもって終結したかに見えた。しかし現実はそうではない。逮捕し切れなかったプラズマ団の残党がファイツの命を狙っているのだ。そう聞かされたファイツは驚きつつも納得した。彼らにしてみれば、自分の存在はさしずめ裏切り者というところか。例えそれが逆恨みでも、自分がプラズマ団を崩壊させた一因なのは間違いないのだから。

(心配してくれてるのかな……。それとも、足手まといだって遠回しに言ってるのかな)

後者だという可能性は大いにある。自分はラクツよりポケモンバトルの実力がないし、彼のような警察の人間でもない。……しかし、前者だったら?

(もしそうだったら、あたしは、きっと……)

その先へと思考を進めようとして、ファイツは考えを打ち切った。今は任務に集中しなければならないのだ。

「ラクツくんの言い分は分かったけど、あたしは降りないわ。だって、おとり捜査なんて……あたしにしか出来ないじゃない?」

おとり捜査をすると言い出したのは、他でもないファイツ自身である。校舎の外に出れば、間違いなく自分を狙って来るはずだ。

「責任……感じてるの。あたしの所為で、クラスの皆にも危険が及ぶかもしれないし」
「それでも、キミ自身が受ける必要はなかった。警察のポケモンの中には”へんしん”を使えるメタモンがいる。メタモンに任せれば済む話だった。……それなのに」
「…………」
「何故、キミ自身が受けたんだ」
「それは……」

ファイツが言葉の続きを口にしようとしたまさにその瞬間、辺りに煙幕が立ち込めた。

「!」
「危ない!」

ラクツが自分の腕を引っ張る。……間一髪だった。数秒前までファイツがいた場所に、シザリガーのハサミが通り過ぎた。”ハサミギロチン”。相手のポケモンを一撃でひんしにする技である。見る見るうちに顔が青ざめたファイツは、その場にへたり込んだ。

「あたし……。本当に命を狙われてるんだ…」
「だから言っただろう!……ダイケンキ、”きりさく”!!」

ダイケンキはラクツの指示通りに攻撃した。急所に当たらないという特性をものともせず、シザリガーに致命傷を与える。

「ファイツ、安心しろ。キミには傷一つ負わせない」
「……!」

(”キミには”って……)

不審に思ってラクツを見ると、彼の脚からは血が滴り落ちていた。

「ラクツくん、怪我してる……!!」
「大したことじゃない。このくらい日常茶飯事だ」

ファイツからすれば大怪我なのだが、ラクツは顔色一つ変えなかった。彼の言う通り、ラクツにとっては大したことではないのだろう。しかしそれでも、ファイツは嫌だった。

(何やってるんだろう、あたし……。これじゃあ本当に足手まといになるだけじゃない……!!)

警察官でもないファイツがこの任務に志願したのには理由がある。命を狙われていると分かり、彼女にはラクツという警察の護衛が付いて回った。そのこと自体は不満ではなかった。最低限のプライバシーは確保してくれるし、少しは気心の知れた仲だ。
不満があるとすれば、それはラクツが怪我をする頻度が増えたということだ。明らかに自分を狙った攻撃は、ほとんど全て彼が受けていた。自分の代わりに怪我をするラクツを見て、ファイツは思ったのだ。

(ラクツくんを助けたい、あたしだって役に立ちたい!)

だから、ファイツ自身がおとり捜査を受けたのだ。危険は伴うが、確実に、彼に怪我を負わせずに刺客を逮捕できるはずだと、そう思っていた。しかし、その結果がこれである。
自分の無力さを痛感したファイツだったが、脚に力を入れて立ち上がり、そのままラクツの前に飛び出した。最後の抵抗で放たれた”はかいこうせん”をこの身に受ける。もう、ただ護られているのは耐えられなかった。

* * *

「……ファイツ!」

それから、どれくらい時が経っただろう。ラクツの声が聞こえて、ファイツは薄く目を開けた。

「……ラクツ、くん……?」
「ファイツ……」

どうやら彼に抱き抱えられているらしい。それでも嫌じゃない自分に気が付いて、ファイツは内心苦笑した。

(……あの時は、あんなに嫌だったのに)

少し前までは、ファイツの世界はNが中心だった。しかし図鑑所有者となり、プラズマ団との戦いに巻き込まれ、そしてラクツの正体を知り、ファイツの世界は変わった。自分と同い年の少年は、余りに大きなものを背負っていたのである。それからの彼と一緒にいるうちに、ファイツがNのことを考える回数は減っていった。

(身体、熱い……)

それはきっと、痛みから来るものだけではないはずだ。

「ラクツくん……。任務はどうなったの……?」
「キミを狙っていた男なら拘束した」
「そう、良かった……」
「すぐに近くの病院に連れて行く」
「うん……」

身体に響かないように、慎重に彼女をおぶって歩き出す。そんなラクツの耳に、ある言葉が飛び込んで来た。”ラクツくん、大好き”。その言葉に一瞬歩みを止めるが、ラクツは再び歩き始めた。目を伏せたままで。

* * *

……そして、話は冒頭に戻る。ぼんやりと外の景色を眺めていたファイツは、バタバタという慌ただしい足音で入口に顔を向けた。引き戸が開かれ、3人娘のマユ、ユキ、ユウコが我先にと病室に入って来たのだ。

「ファイツちゃん、大丈夫!?」
「いや~、包帯巻いてる!!」
「怪我したんだって!?」
「落ち着いて、あたしは大丈夫だから。来てくれてありがとう」

ファイツは彼女達に礼を言い、お見舞い品を受け取った。

「本当に大丈夫?3日間は絶対安静だってチェレン先生が言ってたけど……」
「そうそう!本当はすぐにでもお見舞いに来たかったの!」
「ポケモン図鑑のデータを集めてて、凶暴なポケモンに襲われたんでしょ?」

(そっか。そういうことになってるんだっけ……)

数日間眠っていた所為か、記憶が曖昧になっていた。

「そういえば、ラクツくんは今日お見舞いに来た?」

彼女の口から出た名前に身を震わせたが、ファイツは何でもないような顔で答えた。

「ううん……」
「そう……。授業が終わってから一番に教室を出て行ったから、てっきりここに来たのかと思ったんだけど」
「……来ないよ」

きっぱりと言い切った自分に、3人娘は不思議そうな視線を送る。

「ラクツくんは、あたしのお見舞いになんて来ないわ。忙しいもの」

(それに、きっと怒ってるだろうし)

だって、自分のわがままで彼に怪我を負わせてしまったのだ。彼1人なら、無傷で任務を完遂していたに違いない。

(あたし……。本当に役に立てたのかな……)

深く息を吐いたファイツを見て勘違いをしたのか、ユキが明るく言った。

「落ち込まないでファイツちゃん!ラクツくんならこの後来るわよ!」
「え……。ああ、違うの。あたしが溜息をついたのは……」

不意に聞こえたノックの音で会話は中断された。もしかしたらチェレン先生かも、と思いながらファイツは返事をした。

「どうぞ」

引き戸を開けた人物を見て、ファイツはものの見事に固まった。

「きゃー、ラクツくん!」
「ほらやっぱり!私の言った通りでしょ!」
「良かったねファイツちゃん!」

(嘘……)

「ラ、ラクツ……くん。どうして……」

その問いかけには答えずに、ラクツは自分を一瞥した。持っていた花を花瓶に挿し、こちらを見つめたまま、ラクツは3人娘に告げる。

「ユキちゃん、マユちゃん、ユウコちゃん。すまないが、ファイツと2人きりにしてくれないか」

その言葉にファイツは目を見開いた。今、彼は何と言ったのだろうか?

「う……うん、分かった……」
「ファイツちゃん、またね」
「お、お大事に……」

”ラクツ”とのあまりの違いぶりに3人娘は困惑したようだったが、素直に彼の頼みを聞き入れたらしい。再び静まり返った病室で、最初に口を開いたのはファイツの方だった。

「どうしてあんなこと言ったのよ!」

彼女達を呼ぶ際に敬称こそ付けていたものの、ああ言った時のラクツはファイツが知っているラクツだった。

「あなたの正体がばれるかもしれないじゃない!」

皆の前で呼び捨てにされたファイツの心に浮かんだのは、喜びよりも驚きだ。普段の彼であれば、そんなミスを犯すはずがないのだ。

「ボクのことなんて、どうでもいいだろう?」
「え……?」

ファイツは再度驚いてラクツを見つめた。明らかに彼は怒っていた。そう、自分が思っている以上に。

「ね……ねえ。ラクツく……」
「キミは何をしているんだ!!」
「!!」
「生身で”はかいこうせん”を受けるなんて!運が悪ければ死んでいたぞ!」

彼の大声に身を竦ませながら、ファイツは小さな声で答えた。

「だ、だって……。ラクツくんがこれ以上怪我するの、嫌だったんだもん」
「……何?」
「あたしの護衛に付くようになってから、前より怪我が増えたじゃない」
「前にも言ったが、あんなものはボクにとって怪我のうちには入らない。あの攻撃は防御スーツを着ていたボクが受けるべきだった」

ラクツは言葉を切り、こちらに向き直った。

「すまなかった、ファイツ」
「……え?」
「キミにこんな怪我をさせて、本当にすまなかった。……痛かっただろう」
「謝らないで……。あたしが勝手にしたことだから……」
「だが、ボクはキミに当たった」

(何だか、今日のラクツくん……)

「いつものラクツくんらしくないね」
「……そうか?」
「うん。皆の前でファイツって呼ぶし、大声出すし。……こうしてると、何だか普通の子供みたい」
「普通の子供、か。ボクにはそれが分からない」
「ねえ、ラクツくんはどうしてあんな性格にしたの?」

トレーナーズスクールでの彼は、素の彼とはまるで正反対だ。正体を隠す為ならわざわざ性格まで偽らなくてもいいはずだと、ファイツは以前から抱いていた疑問をぶつけてみた。

「それは潜入捜査の為だ。12歳の少女に怪しまれずに接近するには、あの設定にする必要があった。ボクは笑うのが苦手だから、苦労したがな」
「そうだったんだ……。でも……」

ファイツは微笑んだ。

「ラクツくん、ちゃんと笑ってるよ?」
「……え?」
「ふふ、ラクツくんが聞き返すなんて珍しいね。満面の笑みっていうわけじゃないけど、ヒュウくんやペタシくんといる時とか……。それから、その……」
「……キミといる時、か?」
「な……!」
「どうやら図星のようだな」

(からかわれたのかしら、あたし……)

「……やっぱりラクツくん、変わったよ。前はあたしをからかうなんてこと、絶対にしなかったもの」
「そうか。ボクが変わったと言うなら、それはキミのおかげなんだろうな」
「…………」

真顔でそんな言葉をさらりと口にした彼に、ファイツは内心で息を吐いた。これは本気で言っているのだろうか。

(あたし達の関係って……何だろう)

彼の正体を知っている女子は自分だけだということを差し引いても、クラスにいる女子の中では一番仲がいいと思う。少なくとも、ただのクラスメート以上ではあると思いたかった。しかし、ならば何未満なのだろうか?仲間、友達、相棒。色々と考えてはみるが、これといった答が出ない。

(でも……。あたしは”それ”以上を望んでいるんだわ)
  
自分が友達以上を望んでいること。それだけは、確かだった。

「……じゃあ、ボクはそろそろ帰る。退院するまで毎日見舞いに来るから」
「え!そんな……!!忙しいのに毎日なんて……」
「キミを怪我させたんだ、当然だろう。それに、まだ任務は終わっていない」
「……あ」
「ボクは今度こそキミに傷一つ負わせない。……キミを、護る」

ファイツは小さく頷いた。

「……ありがとう。でも、ラクツくん自身も大事にしてね」
「そのつもりだ。またあんな無茶をされたら困る」

そう言って病室の扉に手をかけたラクツだったが、ふとあることを思い出したように、こちらを振り返った。

「……ファイツ。あの時キミが言った言葉だが……」
「えっと、どの時の?」
「ボクがキミをおぶった時だ」
「あたし、何か言ったっけ?ラクツくんにおんぶされたところまでは覚えてるんだけど……」

頭上に疑問符を浮かべながら、それでも思い出そうとファイツはうんうんと唸った。

「……覚えていないのか。それなら別にいい」
「……?」
「お大事に。……また明日」
「うん、また明日!」

彼の言葉が気にはなったが、ファイツは笑顔で答えた。わずかに目を細め、病室を出たラクツの元に花束を持った男が駆け寄った。

「警視どの!」
「ハンサム、どうした?ファイツの見舞いか?」
「それもありますが……。警視どのが彼女にどう返したのかが気になって……」
「……ファイツは何も憶えていないそうだ」
「何ですと!?それでは私のアドバイスは……」

目に見える程落ち込んだ部下の反応に、ラクツは軽く溜息をつく。

「キミには悪いが、例え彼女が憶えていても、ボクは何も言わないつもりだった」
「な、何故……?」
「まだ任務は続いている。……そうだろう?」
「”任務に私情は持ち込むべからず”……!!」
「そういうことだ。……それとハンサム、その花は見舞いには向かないぞ」
「何!新たな花を買わねば!!」

慌てて花屋へと向かうハンサムを見ながら、ラクツは思った。

(彼女は、あの花の意味に気付くだろうか)

ラクツが挿したのは、花言葉で”告白”を示す花だった。無意識だったのだろうが、それでも自分に告げられた想い。今はその気持ちに答えられない詫びとして。

(だが……結局は同じこと、だな)

結果がどうであれ、どの道自分の答は決まっているのだ。そうなった時、彼女はどんな反応をするだろうか。

(きっと……笑ってくれるはずだ)

花が咲いたように、ふわりと笑うファイツ。そんな未来を思い浮かべたラクツの口元は、同じく弧を描いていた。